
夏の保養がはじまる[2023年07月03日(Mon)]
今後の保養事業を展開するにあたり
なぜ、保養が必要なのか?もう一度問い直す必要がある。
保養の本来の意味は一定期間日常から離れた場所で過ごし、
疲れたこころや身体を癒し、健康を回復すること。
転地療法(療養)と呼ばれることもある。
自然環境に恵まれた施設に滞在し、
栄養を補給し、身体を気持ち良く動かしことによって心身ともに
バランスの取れた身体を取り戻す養生法の実践の場である。
養生とは日本古来の伝統医学と大陸からの仏教の伝来とともに
伝わった中国医学とが渾然一体となって発展してきた歴史がある。
江戸時代には貝原益軒の「養生訓」が広く読まれ、
以降明治、大正にかけて養生法が広まっていた。
3,11原発事故後の保養
震災以降、国内で実施されている保養は、
拡散した放射線から逃れるため線量の低いところで
一定期間過ごす「転地療法」の意味合いが大きい。
旧ソ連邦圏のベラルーシ、ウクライナでは、
チェルノブイリ事故後に国家公共事業として保養が実施され、
国策として実行されているのが日本との大きな違いである。
これには13世紀以降にペスト、結核をはじめとする感染症が
当時のユーラシア大陸に蔓延し、その対応策として
欧州ではすでに転地療法が行われていた歴史的背景が
影響していると思われる。
保養の権利
なぜ、保養が必要なのか?もう一度問い直す必要がある。
保養の本来の意味は一定期間日常から離れた場所で過ごし、
疲れたこころや身体を癒し、健康を回復すること。
転地療法(療養)と呼ばれることもある。
自然環境に恵まれた施設に滞在し、
栄養を補給し、身体を気持ち良く動かしことによって心身ともに
バランスの取れた身体を取り戻す養生法の実践の場である。
養生とは日本古来の伝統医学と大陸からの仏教の伝来とともに
伝わった中国医学とが渾然一体となって発展してきた歴史がある。
江戸時代には貝原益軒の「養生訓」が広く読まれ、
以降明治、大正にかけて養生法が広まっていた。
3,11原発事故後の保養
震災以降、国内で実施されている保養は、
拡散した放射線から逃れるため線量の低いところで
一定期間過ごす「転地療法」の意味合いが大きい。
旧ソ連邦圏のベラルーシ、ウクライナでは、
チェルノブイリ事故後に国家公共事業として保養が実施され、
国策として実行されているのが日本との大きな違いである。
これには13世紀以降にペスト、結核をはじめとする感染症が
当時のユーラシア大陸に蔓延し、その対応策として
欧州ではすでに転地療法が行われていた歴史的背景が
影響していると思われる。
保養の権利
保養は西欧では社会福祉のひとつとして定着し、
国家事業として制度化されている。
日本では大企業の福利厚生事業として
保養施設を運営していた時期があるが、
基本は個人の自己責任でやるものという位置づけであり、
国が健康な身体を保養の面から支援するという観点がない。
この貧困さが311原発事故前からあり、
311後にその思想が改められたわけではないので
保養を社会福祉の視点から考え、
人権としての保養を明確にすることが必要である。
保養とは本来、原発事故の有無に関わらず、
社会福祉として国家事業の中で実施されるべきである。
誰にでも一定期間、保養は当たり前の権利であることが一般に認知され、
プログラムが実施されているのであれば福島の人たちの間に
保養の是非を巡る分断など生まれなかっただろう。
保養とはあらゆる人の人として当然の権利である。
実効性ある保養プログラム
放射線の影響による病気、あるいは未病の段階で
保養が必要になった人たちに対して療養を目的に行う
養生型保養への取り組みが必要である。
日本の伝統医学や自然療法を積極的に取り入れ、
低温サウナを導入してしっかり汗を出すこと、
食生活、運動療法をプログラムに取り入れ、
実際的に免疫力を高める方法を実践する。
Posted by 橋本俊彦 at 20:22 │Comments(0)