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シリアのクルド人勢力の将来に関連する注目されるクルド人指導者発言[2024年12月31日(Tue)]
アハマド・シャラア率いるシリア暫定政権にとっての目下の最大の懸案のひとつは、トルコからみてPKK同根のテロ組織と位置付けられていながら、シリア北東部を実効支配し、米軍の支援を受けているシリアのクルド人部隊(SDF、YPG、YPJ)やクルド人政治勢力との関係をどのように構築し、彼らの武装解除を進め、シリアの統一と領土の一体性を確保していくかである。この関連で、サーレハ・ムスリム元PYD共同代表の発言内容は興味深いので、以下のとおり紹介する。さらに、クルド系政党HDPから名称変更し、緑の左派党(左翼党)を経て、改称したDEM党(人民平等民主党)議員2名が、12月28日、トルコ法務省の許可を得てひさびさにイムラル島の刑務所に収監されているアブドッラーオジャランPKK党首(創始者)を訪問し、オジャランの最近の地域の政治情勢を踏まえた見解を紹介し、その中で、トルコ与党指導部とともに問題解決に向けた取り組みを行う意欲を示していることで、トルコ政府は、クルド人勢力排斥ではなく、彼らを取り込むこともシリア問題解決のための今後の選択肢に含めようとしているともみられ、その動きも併せ紹介する。

1.シリアのクルド人政党「民主統一党(PYD)」大統領評議会メンバーで元共同代表のサーレハ・ムスリム氏は、トルコの最近のシリア政策、ダマスカスとの会談、クルド人へのアプローチについて以下のとおり語った。
(1)最近のトルコ政府要人のHTS指導者との会談
トルコは、HTSの指導者アフマド・アル・シャラア(アブー・ムハンマド・アルジョーラーニ)とさまざまなレベルで接触した最初の国となった。シャラアは12月12日に国家情報機関(MIT)イブラヒーム・カリン長官と、12月22日にハカン・フィダン外相とダマスカスで会談した。トルコの最近の2回のダマスカス訪問は、この地域のクルド人に対する新たな計画の一環であり、トルコがダマスカスで行った会談で何が話し合われたのか正確には分からないものの、トルコ側は『クルド人と交渉するな、自治政府といかなる関係も築くな』というメッセージを発しているとみられる。トルコの政策の中心にあるのは、クルド人の(新生シリア)参加を阻止することである。
(2)トルコに対する見方
トルコはシリアに平和を望んでいると言っているが、これらの発言は正直ではない。トルコはシリアからテロを排除したいと言っている。しかし、彼らの『テロリスト』の定義には、この地域で平和に暮らしているクルド人やシリア北東部自治政府の人たちも含まれている。彼らは恥知らずにもYPGやSDFをテロリストと呼び、これをシリアへの介入の口実にしている。これは受け入れられない。かかるトルコの姿勢は、かつての仏のシリアに対する委任統治に似ている。今日、トルコは全力を尽くしてシリアを自らの支配下に置きたいと望んでいる。しかし、これはシリアの人々にとってもシリアの将来にとっても受け入れられない。
(3)クルド人武装勢力
SDF(シリア民主軍)、YPG(クルド人民防衛隊)、YPJ(同女性部隊)は、2011年以降、国民が(北東部シリアに実現した)成果に対する攻撃の結果として誕生した。我々は、自分たちの土地で自分たちを守るために組織された。もし彼ら(クルド人部隊)が武器を放棄するとしても、それは脅威が排除されて初めて可能になる。国民に対する攻撃が止まり、保証が与えられれば、武器は必要なくなる。しかし、我々は現在も脅威にさらされており、そのため、防衛を放棄することはできない。クルド人の安全だけでなく、アラブ人、シリア人、トルクメン人、そしてこの地域に住む他のすべての人々に対する脅威も排除されなければならない。我々の成果が標的にされている限り、これらの部隊は、自分たちを守るという我々の当然の権利を体現している。
(4)HTSとの関係
これまでHTSとクルド人の間に直接衝突はなかった。我々が受け取ったメッセージは、彼ら(HTS)がクルド人を攻撃しないというものであり、彼らはこれまで約束を守ってきた。トルコの支配下にあるグループ(シリア国民軍等)は絶えず我々を攻撃している。HTSの最近の声明は、シリアのすべての武装組織はシリア政権と連携すべきだというものだ。我々はこれを完全に拒否しているわけではない。我々はシリアが分離されることも望んでいない。我々の国民に対する脅威が取り除かれるなら、それは可能だ。ジョーラーニ氏もトルコの支配下にあるグループの存在に反対しており、それらを解体したいと考えている。もしトルコがシリアから手を引いて、分離を企てる努力をやめれば、我々はジョーラーニと合意に達することができるだろう。
(5)クルド人同士の団結の重要性
ENKS(シリアのクルド人国民評議会)と協議中である。トルコがクルド人の団結を阻止する政策をとっているにもかかわらず、前向きな結果を達成したい。我々は常にクルド人が目標を達成し、彼らの要求が満たされるように団結を支持してきた。トルコとのつながりがあるにもかかわらず、我々のENKSとの協議は続いている。彼らは多国籍軍やマズルム・アブディSDF司令官とも連帯し、要求を表明した。我々は将来、他のクルド人政党とも協議する予定である。我々はすべての人々を代表してダマスカスに行くことを目指している。我々はシリアの新政権とともに問題を解決したい。我々はシリアの一員であり、解決プロセスに加わりたい。我々はともに法律を制定することで、あらゆる課題を公式の基盤にすることができる。対話を通じて問題を解決することが、私たち全員にとって最も健全な方法である。
https://anfenglishmobile.com/rojava-syria/salih-muslim-we-are-part-of-syria-and-want-to-be-included-in-the-solution-77111

2.DEM党議員のオジャランPKK党首獄中訪問
2024年12月28日、DEM党のペルビン・ブルダン議員とスルリ・スレイヤ・オンデル議員はイムラリ島の監獄でアブドッラー・オジャランPKK党首(注:1999年逃亡先のケニアで拘束され、トルコに引き渡されて、その後、今日までイムラリ島で収監されている)と会談した。彼の健康状態は良好で、士気は高い。彼の(地域情勢に関する)評価はクルド人問題に対する恒久的な解決策を見つけることを目指しており、極めて重要であった。中東とトルコの最近の展開の評価を含む会談で、オジャラン党首は、暗い未来シナリオに対抗するための前向きな解決策を提案したとし、彼の考えとアプローチの一般的な枠組みを、要約すると次のとおり。
@ トルコ人とクルド人の同胞関係を再び強化することは、歴史的な責任であるだけでなく、すべての人々にとって極めて緊急かつ重要な課題でもある。
A このプロセスを成功させるには、トルコのすべての政治グループが主導権を握ることが不可欠。狭量で短期的な利益にとらわれることなく、建設的に行動し、積極的に貢献する。こうした貢献の重要なプラットフォームの一つは、間違いなくトルコ大国民議会である。
Bガザとシリアでの出来事は、外部介入によって慢性的な問題に変貌させようとしているこの問題の解決をこれ以上遅らせることはできないことを示している。野党の貢献と提案もまた、解決を達成する上で極めて重要である。この問題の深刻さに見合った解決策を模索するべきである。
C 私はバフチェリ氏(MHP党首)とエルドアン大統領(AKP党首)が支持する新しいパラダイムに必要な前向きな貢献をするために必要な能力と決意を持っている。
DDEM代表団は私の見解を政府と政治の双方と共有するとしている。こうした状況において、私は必要な前向きな措置を講じ、呼びかける用意がある
Eこうした努力はすべて、国を相応しいレベルに引き上げ、民主的変革の貴重な指針となるであろう。
F今こそトルコと地域の平和、民主主義、そして友愛のために。
https://anfenglishmobile.com/news/abdullah-Ocalan-positive-contributions-are-essential-for-the-process-to-succeed-77153
(コメント)サーレハ・ムスリム元RYD共同代表の発言で注目されるのは、YPGを主体とするシリアのクルド人勢力は、トルコが支援するシリア国民軍などからの攻撃を受けているものの、ダマスカスを解放したHTS暫定政権との間では、武力衝突はなく、今後、HTS暫定政権を含むシリアの各政治勢力とのシリアの将来を話し合う会合に、クルド人の代表として参加する意思を表明したことである。それも、PYDなど北東部シリアを実効支配するクルド人勢力のみならず、トルコとも連携するクルド人勢力を含むENKSとも協議を続けており、さまざまなクルド人の利益を排除しない形で、新生シリア建設の枠組みに参加する用意があると表明したことである。一方で、クルド人勢力への武力攻撃が継続する限りは、武器を捨てるわけにはいかず、防衛を行う正当な権利を有するとしている。トルコが支援するシリア国民軍などは、YPG、YPJなどが防衛しているティシュリーンダムなどへの攻撃を続け、クルド人側にも犠牲者が多数発生しているとみられる。HTSの事実上の代表であるアハマド・アルシャラアには、すでにトルコのカリンMIT長官やフィダン外相などが接触したとされており、HTS暫定政権が、PYDなどの政治プロセス参加の条件として、クルド人武装勢力の武装解除を要求するのか、その場合、クルド人勢力はどのように対応するのか、米国は、これまで連携してきたクルド人勢力とトルコとの関係改善に真剣に取り組むのかが不透明な状況になっている。こうした中で、トルコのクルド系政党DEMの現職議員2名がトルコ法務省の許可を得て、ひさびさにイムラル島の刑務所に収監されているアブドッラー・オジャラン党首との会談が許された。オジャラン党首に対しては、2024年10月中旬の党グループ会議での演説で、バフチェリMHP党首が、「テロの終結と彼の組織の解散を一方的に宣言する」よう求めた。今回のDEM議員訪問で、オジャラン党首は、バフチェリ党首とエルドアン大統領(AKP党首)が支持する新しいパラダイムに必要な前向きな貢献をするために必要な能力と決意を持っていると述べ、トルコ政府と対立するのではなく、共存の途を模索する姿勢を表明した。オジャラン党首の考え方は、シリアのクルド人勢力にも一定の影響を与えるとみられ、一方でトルコで2015年に途切れた政権側とPKK対話の動きを復活させ、他方で、シリアで、トルコ軍とその支援勢力が、クルド人支配地域への攻撃を停止し、ENKSなどの枠組みを通じて、クルド人の新生シリアにおける和平プロセスへの参加が約束されれば、HTS政権側とクルド人勢力との武力衝突は回避され、新生シリアにおける和解と安定に向けての展望が開かれていく突破口になるのではないかとも期待できる。

Posted by 八木 at 16:23 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

アサド政権崩壊をうけてのプーチン大統領の見方[2024年12月30日(Mon)]
アサド政権がなぜかくももろく崩壊したのか、アサド(前)大統領はどのようにシリアを脱出したのか、次第に明らかになってきた。とりわけ、12月19日のプーチン大統領のNBC記者、アナドール通信記者との質疑で、プーチン大統領は、如何にアサド政府軍が、少人数のHTS武装勢力との戦いを放棄したのか、トルコはクルド人駆逐の目標の一部を達成するだろうが、クルド人対応には大きな課題を抱えていること、さらに、シリア政変の最大の受益者はイスラエルであることを指摘している。
(参考1)アサド大統領の脱出まで
ロイター通信を引用し、時事通信は12月13日、10人以上の関係者の証言を伝えた。それによると、アサド氏は脱出直前の12月7日も国防省で軍関係者らと会合を開き、政権軍の地上部隊に抵抗を促した。アサド氏は旧反体制派が攻勢を始めた翌日にロシアを訪問。攻勢を阻むためロシアに軍事介入を要請したが、聞き入れられなかった。アサド氏はロシアと同じく後ろ盾となっていたイランには支援を求めなかった。イランが介入すれば、イスラエルがシリアやイラン国内へ攻撃を強める口実になると懸念したとされる。戦況は不利と判断し、出国を決断したアサド氏はアラブ首長国連邦(UAE)に受け入れを求めたが、UAE側は国際的な反発を恐れて拒否。米ブルームバーグ通信によれば、アサド氏はロシアから身の安全を保証され、シリア北西部にあるロシア空軍基地を経由しモスクワへ向かった。ロシアではアスマ夫人と子供たちが待機していたという。ロイターによると、アサド氏は軍高官を務めていた弟マーヘル(第四機甲師団長)氏や母方のいとこにも出国意思を伏せた。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024121400132&g=int

(参考2)2024年12月19日に公表された年末総括質疑におけるプーチン大統領発言
(1)アサド大統領との会見予定と行方不明米国人ジャーナリストについて(NBCニュースのKeir Simmons記者の質問に答えて):率直に言って、私はバッシャール・アル・アサド大統領がモスクワに到着してから会っていません。しかし、会うつもりですし、必ず彼と話をするつもりです。私たちは大人ですから、その人物(母親が消息を尋ねているシリアで行方不明になったAustin Tice記者)が12年前にシリアで行方不明になったことを理解しています。12年です。12年前のシリアで何が起こっていたかはわかっています。国は双方の軍事行動に巻き込まれていました。アサド大統領は、私の理解する限りでは戦闘地帯で活動していたこの米国市民、ジャーナリストに何が起こったかを果たして知っているでしょうか?それでも、私は彼にこの質問を必ずすることを約束します。ちょうどこの質問を、現在シリアの現地で状況をコントロールしている人々に転送できるのと同じです。

(2)アサド政権崩壊はロシアの敗北か:あなたはシリアについて言及しました。あなたと、私が言ったように、あなたの給料を払っている人たち(NBCや米国のメディア)は、シリアの現在の展開をロシアの敗北として提示したいのです。私はそうではないと断言します。その理由はここにあります。私たちは10年前にシリアにやって来たのは、例えばアフガニスタンのような他の国々で見られたようなテロリストの拠点がシリアに作られるのを防ぐためでした。私たちはその目標を概ね達成しました。当時アサド政権や政府軍と戦っていたグループでさえ、内部で変化を遂げています多くの欧州諸国や米国が今、彼らとの関係を築こうとしていることは驚くべきことではありません。もし彼らがテロ組織だったら、彼らはこのようなことをするでしょうか?これは彼らが変化したことを意味します。ですから、私たちの目標はある程度達成されました。

(3)アサド政権軍は戦ったのか:我々はシリアに地上部隊を配備していません。単にそこに(地上軍は)存在しなかったのです。我々のプレゼンスは、空軍基地と海軍基地の2つの基地のみから成っていました。地上作戦はシリア軍と、周知の事実ですが、親イラン戦闘部隊によって行われました。ある時点で、我々は特殊作戦部隊をその地域から撤退させました。我々はそこで戦闘に参加していなかったのです。それで何が起こったのでしょうか?武装反政府グループがアレッポに向かって進軍したとき、同市は約3万人の人員で守られていました。しかし、350人の過激派が市内に入ると、政府軍は親イラン部隊とともに抵抗することなく撤退し、撤退する際に陣地を破壊しました。このパターンは、小競り合いが起こったわずかな例外を除いて、シリア領土のほぼ全域で見られました。過去には、イランの友人たちが部隊をシリアへ移動させる支援を要請していましたが、今や彼らは我々に撤退の支援を求めています。我々は、フメイミム空軍基地からテヘランへのイラン戦闘員4,000人の移転を支援しました。親イラン部隊の一部(注:ヒズボラを指すとみられる)はレバノンへ撤退し、他の部隊は戦闘に参加することなくイラクへ撤退しました。

(4)トルコに関する見方:シリアに関しては、率直に言って、トルコはシリア情勢を踏まえて南部国境沿いの安全を確保し、トルコ領土からシリア国内のトルコ支配地域にある他の地域への(300万人規模の)シリア難民の移動条件を整え、クルド人勢力をトルコ・シリア国境周辺から追い出すために全力を尽くしていると私は信じています。これらの目標はすべて、ある程度達成可能であり、おそらく達成されるでしょう。我々は、トルコが何十年にもわたってクルド労働者党(PKK)との長年の課題に直面してきたことを十分に認識しています。我々はこれ以上のエスカレーションは望んでいませんが、一部の欧州政治家は最近、会議で、第一次世界大戦後、クルド人は独自の国家を約束されたが、結局は騙されたと述べています。
この地域のクルド人の人口は相当な数で、トルコ、イラン、イラクにまたがり、数千万人にのぼり、彼らは密集したコミュニティーで暮らしています。推定では、少なくとも3,000万から3,500万人のクルド人がいると言われています。これはクルド問題の重大さを浮き彫りにしています。クルド人は手強いだけでなく、粘り強く、闘志にあふれていることで知られています。例えば、彼らはマンビジから撤退しましたが、それは激しい抵抗の末のことでした。クルド人問題は解決が必要です。これはアサド大統領のシリアの枠組みの中で対処されるべきでした。今、これはシリア領土を現在支配している当局と解決しなければなりませんが、トルコも自国の安全を確保する方法を見つけなければなりません。私たちはこれらの問題の複雑さを理解しています。

(5)イスラエルに関する見方シリア情勢の進展の主な受益者はイスラエルであると私は信じています。イスラエルの行動についてどのような意見をお持ちでも構いませんが、ロシアはシリア領土の奪取を非難します。この問題に関する我々の立場は明確で不変です。同時に、イスラエルは自国の安全保障上の懸念に対処しています。例えば、ゴラン高原では、イスラエルは前線に沿って62〜63キロメートル前進し、幅20〜25キロメートルまで進軍しました。彼らは、もともとソ連がシリアのために建設した要塞を占領しており、マジノ線に匹敵する強力な防御構造となっています。我々は、イスラエルが最終的にシリアから撤退することを期待しています。しかし、現在、イスラエルはシリアにさらなる部隊を配備しています。すでに数千人の人員が駐留しているようです。撤退する意思がないだけでなく、駐留をさらに強化する計画もあるようです。さらに、現地住民はすでにユダヤ人国家に組み入れられることを望んでおり(注:ドルーズ教徒の一部の動きを指すとみられる)、今後さらに複雑な事態を引き起こす可能性があります。進行中の事態が最終的にシリアの分裂につながる場合、これらの問題は国連憲章と自決の原則に沿って現地住民が対処する必要があります。これは複雑な問題であり、おそらく(一時棚上げし)将来の議論に残しておくのが最善でしょう。
http://www.en.kremlin.ru/events/president/transcripts/75909

(参考3)アサド前大統領声明
アサド氏の声明とされるものは、通信アプリ「テレグラム」のシリア大統領府のチャンネルに投稿された。アラビア語と英語で書かれている。このチャンネルを誰が管理しているのか、あるいは声明がアサド氏によって書かれたものかは、いずれもはっきりしない。
声明でアサド氏とされる人物は、
@シリアの首都ダマスカスが反体制派に掌握されたことを受け、「戦闘作戦を監督するために」ラタキア州にあるロシアのフメイミム空軍基地に移動したと説明。現地ではシリア軍がすでに持ち場を放棄していた。
A同基地も「激しいドローン(無人機)攻撃」にさらされたため、ロシア側がアサド氏をモスクワに航空機で移動させることを決めた。「基地を離れる現実的な手段がなかったため、ロシア政府は12月8日(日)夜、基地の司令部に対し、ロシアへの即時避難の手配を指示した。これはダマスカス陥落の翌日の出来事だった。最後の軍事拠点が崩壊し、それにより、残っていたすべての国家機関が機能不全となった。
Bこの間、辞任や避難を考えたことはなかったし、誰からも、どの政党からも、そうした提案を受けたことはなかった
https://www.bbc.com/japanese/articles/cvgp4lnp92lo
(コメント)アサド(前)大統領は、結局、ロシアに見捨てられ、ヒズボラに頼れず、イランも支援を断念し、アサド政権はもろくも崩壊したことが、プーチン大統領の発言などで明らかになってきた。自ら闘う意思のないアサド政権軍を、ロシアは支援する気はないとの建前であるが、ひとことでいえば、プーチンにとってアサド政権に肩入れすることによって得られる「プラス」より、「マイナス」がはるかに大きくなったということに尽きる。プーチンは、一度はトルコとの了解で、ナゴルノカラバフ紛争の停戦を実現したが、2023年9月のアゼルバイジャンによる攻勢において、プーチンはアルメニア側勢力を見捨てた。今回もアサドは、モスクワに飛んでアレッポへの攻勢を開始したHTS部隊の進軍を阻止してほしいとプーチンに直訴したが、断られたことが示唆されている。プーチンにとって重要なのは、トランプ次期政権の理解を得て、如何にウクライナ危機を自国有利な形で終わらせるかである。シリア問題が足手まといになることはなんとしても避けたかったに違いない。ここで、ロシアはシリアに再び軍事介入すれば、トランプとの関係を悪化させ、ウクライナ問題の処理でロシア寄りの妥協策が遠のくことを恐れたのは間違いない。もちろん、フメイミム空軍基地やタルトゥース海軍基地の権益を損なうことになる可能性があることは大きな安全保障、地政学的マイナスではある。しかし、海軍基地移転については、リビア東部勢力との支援が期待できる。フメイミムは、もともと、2015年9月の軍事介入までは、ロシアの基地ではなかった。エルドアン政権との関係もプーチンにとっては重要である。トルコとの関係は、2024年末をもって、ウクライナ経由の欧州向け天然ガス供給がパイプライン閉鎖によって終了する。トルコ経由のトルコストリームラインを経由した欧州向けガス供給は、ロシアが欧州諸国との関係を維持するうえで、さらにロシアの財政をこれ以上悪化させないためにも必要である。そして、トルコではロシア製アックユ原発の建設も続いている。ロシアとトルコは、2017年に開始された体制側と反体制側の緊張緩和、停戦を実現したアスタナ・プロセスの当事者でもある。本来的には、HTSの侵攻を合意違反であるとして、止めさせることもありえたはずである。しかし、ロシアもトルコも、HTS部隊の進攻を黙認した。プーチン発言のとおりであれば、「350人の過激派が市内に入ると、アサド政府軍は親イラン部隊とともに抵抗することなく撤退した。このパターンは、小競り合いが起こったわずかな例外を除いて、シリア領土のほぼ全域で見られた。」ということで、政府軍は、実質、戦わずして敗北を選んだということになる。プーチンが、12年前に行方不明となった米国人ジャーナリストの消息を必ずアサドに尋ねると約束したことは、トランプ次期大統領を意識していることを示しており、「アサド政権や政府軍と戦っていたグループでさえ、内部で変化を遂げています」と発言し、元アルカーイダ系の組織が、欧米に受け入れられる穏健で信頼できる組織に変貌したと評価している。2024年3月22日にモスクワのコンサートホールで発生したイスラム過激派の襲撃事件を激しく非難したのと同じ指導者の発言である。これは、プーチンは、直接あるいは間接的にトルコと組んで、HTSの進攻を黙認していたという告白とも考えられる。最後に、HTS暫定政権は、シリアのゴラン高原がイスラエルに占領されており、占領地が拡大している状態にもかかわらず、イスラエルを一切非難していない。イスラエル軍は、今回の政変にあたって、旧シリア軍の武器弾薬保管庫などを徹底的に爆撃し、それはイスラエルの安全保障上必要な措置であったと述べているが、実際のところ、旧政権側の勢力が、HTS部隊などへの反撃をできないようにするための側面支援の意味合いがあったものと考える方が納得できる。おそらく、イスラエル軍は、敵の敵は味方という論理で、HTSにこれまで武器や資金を支援してきたのではないかと想像される。かつて、バッシャールの父ハーフェズ・アルアサド大統領は、シリアは、一インチ(一握り)の土地さえ譲歩することはないと言い続けてきた。新生シリアは、アラブ世界7番目のイスラエルとの間で国交正常化する国になるのだろうか

Posted by 八木 at 09:51 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

注目されるアサド前大統領の弟マーヘル・アルアサド前第四機甲師団長の行方[2024年12月26日(Thu)]
1.54年間親子二代にわたりシリアで権力の座にあったアサド政権が2024年12月8日崩壊した。バッシャール・アサド大統領とアスマ夫人は、フメイミム空軍基地からロシアの軍用機でロシア国内に移動し、亡命が認められた。一方、アサド大統領のこの脱出劇は、親族にも伝えられず、極秘かつ緊急に実施されたとされる。父のハーフェズ・アルアサド大統領は、2000年6月10日亡くなった。本来権力を継ぐはずだった長兄バーセル・アルアサドは、1994年1月濃霧の中ダマスカス空港に向かう途中、交通事故で突然死亡した。眼科医であったバッシャールが急遽ロンドンから呼び戻されて、後継者に仕立てられた。本人自身も予想していない展開であった。2000年7月バッシャールはシリア共和国大統領に就任した。2011年からのアラブの春を当初劣勢でありながら、2013年4月以降のヒズボラの参戦と、2015年9月30日以降のロシアの参戦で、戦況を逆転させ攻勢に出て、2016年12月にはアレッポを解放し、2017年1月以降トルコ、ロシア、イランが参加するアスタナ・プロセスの下で、緊張緩和、反政府勢力との停戦を実現し、2021年5月には、任期7年の四選を果たし、さらに2023年5月アラブ連盟にもシリアは復帰を果たし、権力基盤回復の基調にあった。しかし、2024年12月アサド政権は、ジューラーニことアハマド・アルシャラア率いるシャーム解放機構(HTS)などの侵攻に対して、まともに戦うことなく、あっけなく崩壊した。2015年当時と様変わりし、今回はロシアが反政府勢力からアサドを守る意思がなかったことは明らかである。
2.2024年12月、ラタキアにあるハーフェズの霊廟が、HTSなど権力を奪取した勢力により、焼き討ちにされた。霊廟には、長男バーセルも埋葬されていたが、同じく破壊された。アサド政権の崩壊を印象付けるシーンであり、映像が広く公開されている。ハーフェズには、バーセル、バッシャールの他、二人の息子がいた。ひとりは、マジドで、早くに病死している。もうひとりは、第四機甲師団長でもあったマーヘル・アルアサド准将である。バッシャールは、ロシア側から口止めされ、マーヘルにもシリア脱出を伝えることなく、ロシアに向かったとされる。HTS政権は、旧政権側への報復は控えるとの立場であるが、マーヘルがHTS暫定政権側に身柄を確保されれば、もっとも象徴的な形で、公開処刑される可能性が高い。独裁政権崩壊は、その政権幹部や家族、情報機関関係者等の処刑が避けられないことを、独裁政権を支えた人物はよくわかっているルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が、革命勢力によって無残に殺害された画像に、当時のエジプトのムバラク大統領は震え上がったとされる。そのムバラク大統領もアラブの春で失脚し、リビアのカダフィー大佐は、トンネルから引っ張り出されて連行される途中で、いきなり殺害された。遺体の生々しい画像は世界中に流された。イラクのサッダーム・フセイン元大統領も、隠れた先から拘束され、処刑台の露と消えた。マーヘルも拘束されれば、同じ運命が待っていることを重々承知している。彼は、HTSなどのダマスカス侵攻の直前、家族とともに、どこかに逃亡したことは間違いないが、行く先については、各種報道・情報が入り乱れている。シリアのクルド人部隊SDFの手を借りて、イラクのPKKの拠点があるとされるカンディール山に避難したとの説や、イラクのクルド愛国者同盟(PUK)が支配するクルド人地区スレイマーニーヤに逃亡したとする説などが報じられているものの、PKK関連のKCK(Kurdistan Communities Union)スポークスマンは、PKK庇護説は、政治的意図をもって捏造されたものであり、旧アサド政権とは何年も前に関係を断ち切っているとして全面否定している。PUKも、PUK支配地域に避難したとする説を全面的に否定し、アサド政権関係者とはこれまで何らの結びつきもないし、保護する意思も、理由もないとしている。
(コメント)マーヘルの所在について、一番無理ないのは、内戦期間中ヒズボラとともにHTSなどのシリア反政府勢力と戦ってきたイランのIRGCコッズ部隊などがマーヘルの避難先確保を支援したことが考えられるが、新生シリアからみた戦争犯罪人を匿っているとなると、新生シリア政権や欧米からのイランに対する風当たりが強くなるのは明白であるため、仮にイランや親イランのシーア派イラク民兵組織が関与したにせよ、マーヘルの所在を明らかにしないことが、将来の引き渡し圧力をかわすための防衛策となる。真相不明ながらイラク経由で、ロシアに避難したとの一部報道もある。
https://www.newarab.com/news/iraq-refutes-claims-maher-al-assad-secretly-entered-country
https://anfenglishmobile.com/kurdistan/kck-spokesperson-refutes-claims-maher-al-assad-hosted-in-qandil-77063

Posted by 八木 at 11:53 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

クルド人勢力に焦点を宛てたシリア情勢の今後の展開と懸念[2024年12月17日(Tue)]
クルド主導のシリア北東部を事実上管理するいわゆる「北東シリア民主自治政府(DAANES)」は、シリアにおける政治対話に向けた10項目の宣言を発表した。このロードマップは、2024年12月16日、ラッカのDAANES本部前で行われた記者会見で、執行評議会議長のエヴィン・シウェド氏とヒセン・オスマン氏によってクルド語とアラビア語で発表された。これによれば、シリア北東部を支配するクルド人勢力は、アサド政権の崩壊をうけて、HTS(シャーム解放機構)主導の暫定政権勢力と軍事的に対峙するのではなく、「新シリア」誕生までの移行期についてのビジョンを共有するためのシリアの諸勢力によるダマスカスにおける緊急会合開催を呼びかけている。シリアのクルド人勢力が目指しているのは、イラクのクルディスタン地域を支配するクルド人勢力の統治に似た民主連邦制による「自治政府」の樹立であると想像される。

(参考1)「新シリア構築のためのシリア対話イニシアチブ」10項目
1. シリア領土の統一と主権を維持し、トルコ国家とその傭兵による攻撃から守る
2. シリア全土での軍事作戦を停止し、包括的で建設的な国民対話を開始する。
3. 寛容の姿勢をとり、シリア人の間でヘイトスピーチや反逆罪の告発をやめる。シリアは豊かな構成要素を持つ国であり、この豊かさと多様性は公正で民主的な基盤の上に維持されなければならない。
4. 移行期に関するビジョンを統一するため、シリアの政治勢力の参加を得てダマスカスで緊急会議を開催する。
5. 女性の政治プロセスへの効果的な参加を確保する。
6. 富と経済資源はシリア国民全員のものであるため、シリア全土に公平に分配されなければならないことを確認する。
7. 元住民と強制的に避難させられた人々の帰還を確実にし、彼らの文化遺産を保護し、人口構成の変化をもたらす政策を終わらせる。
8. シリア情勢の進展を受け、シリア民主軍(SDF)と国際連合軍の共同協力を通じて、ISISが再び戻ってこないようにテロと闘うという我々の決意を再確認する。
9. (トルコによる一部地域の)占領状態を終わらせ、善隣友好原則を守りながらシリア国民が自らの将来を決定できるようにする。
10. アラブ諸国、国連、国際連合軍、およびシリア問題におけるすべての活動的な国際勢力の建設的な役割を歓迎する。我々は、彼ら全員に対し、シリア国民に助言と支援を提供し、その構成要素間の溝を埋め、安定と安全を維持し、シリア問題への外国の介入を阻止する上で積極的かつ効果的な役割を果たすよう求める。

(参考2)オジャランPKK党首提唱の「民主連邦制」
2011年にオジャランPKK党首が提唱した地方分権構想である「民主連邦制」は、PKKやPYDの支持者が実現すべきクルド人が目指すべき統治形態のモデルを提供しており、TEV-DEMやRojava/北部シリアの民主連邦統治構想のベースになっている。中央政権の上位下達ではなく、民意を吸い上げるボトムアップ方式で、エスニックなグループの共存を目指す。外部の侵略者に対する防衛能力を保持する。男女同権、国境をこえた民主的社会との連携を模索するとしていることが特徴である。
(主要点)
@民主連邦制とは:国家形態をとらない社会パラダイムで、国家に支配されない。権力独占の中央集権の下での上意下達のヒエラルキー・システムではなく、各地域社会の中で人々が自主的に参加し、意思決定を行い、その結果を上のレベルにあげて調整・実現を目指すというボトム・アップシステムである。
Aマイノリティの共存:同制度は草の根参加型の意思決定システムで、様々な少数民族、少数宗派、階級差を克服できる唯一のアプローチである。それは、柔軟で、多文化尊重で、独占に反対し、コンセンサスを重視する。
B環境と女性重視:エコロジーとフェミニズムが中心的な柱である。
C主権国家との共存:民主連邦制は、主権国家が(統治の)中心的事項に干渉しない限りにおいて主権国家と妥協し、共存を目指すことがある。
D自衛力の維持防衛のメカニズムのない地域社会は、アイデンティティを喪失し、民主的な意思決定能力を失う
E国境外との連携クルド国家建設が目標ではない。しかし、民主連邦制は、特定の領域内だけでなく、イラン、トルコ、シリア、イラクの各地のすべてのクルド人に開放された連邦構造設置を目指すものであり、さらにクルディスタンの4か所をまたぐアンブレラ連邦体の構成を目指すことができる。

(コメント)シリアのクルド人勢力が目指す民主連邦制の導入と自治政府の樹立に向けてのハードルは高い。すでに、クルド人勢力は、トルコ軍とトルコが支援する自由シリア軍などからユーフラテス西岸のマンビジのみならず、2015年1月に、クルド人部隊がISISを駆逐して解放した象徴的都市コバニ(アラブ名:アイン・アルアラブ)でも戦闘が発生し、守勢に回っているとされる。DAANESが掲げた10項目の第一番目が、「シリア領土の統一と主権を維持し、トルコ国家とその傭兵による攻撃から守る」となっている。すなわち、トルコ軍とその傭兵が、クルド人支配地区への攻撃が続く限り、仮にダマスカスで国民的和解に向けての会合が開催されることになっても、HTSの今回のダマスカス侵攻を支持したトルコが、シリア北東部のPYD(クルド民主統一党)・YPG(クルド人民防衛隊)の暫定自治を認めないだけでなく、和解会合への正式参加者としてでさえ、招待が発せられない可能性が高い。すでに、クルド人側は、米国を仲介したマンビジ、コバニに対するトルコ軍勢力の侵攻を止めるようにとの訴えを、トルコ側は拒否したとされる。クルド人勢力は、オジャランPKK党首の民主連邦統治構想にあるように、国家からの分離独立の主張は取り下げ、中央政府と妥協する余地は残しながら、武装解除は拒否するとしており、YPGが主体のシリア民主軍(SDF)は、ジューラーニ(アハマド・アルシャラ)が主導するイスラム原理主義の流れを組む暫定政権からの武力放棄の要求に応じるとは思えない。クルド人勢力が支配するシリア北東部は、シリアで最も豊富な油田・ガス田地帯である。ジューラーニ主導の政権が、シリアの復興を果たしていくうえで、シリア北東部のエネルギー資源は見逃すことのできない財源である。トルコは、PYD・YPGをPKKと同根のテロ組織とみなしており、一方、米国はシリアからISISを駆逐するために、地上の最も信頼できる部隊として、YPG主体のSDFと共同作戦を展開してきた。米国のトランプ次期政権がどのような対応を打ち出すかは不明であるが、トルコが現在のクルド人勢力と和解する可能性は薄く、おそらく、シリアのKDP主体の勢力への支援を拡大し、PYD/YPGの勢力を追い詰めていくとみられる。これだけみても、シリアで和平が実現し、情勢が安定することは極めて難しいといえる。さらに、YPGが守勢に回ると、ISIS残党の復活も排除されない。ジューラーニが主導する暫定政権は、欧米による制裁解除と支持取り付けにむけ、現在までのところ、旧政権側を含めこれまで敵対していた勢力への報復などを控えるよう指示し、比較的慎重に対処しているようにみえる。しかし、イスラエル軍によるシリア各地の旧政府軍関連施設への徹底的な爆撃や、ゴラン高原での支配地拡大には、一切非難の言葉を発していない。イスラエルは、敵の敵は味方であるとの論理で、HTSの蜂起を支援してきた可能性が排除されない。この複雑に絡み合ったシリア人勢力間の利害関係と憎しみを乗り越えて、シリアに平和と安定を取り戻すのは至難の業であろう。
https://anfenglishmobile.com/rojava-syria/daanes-announces-initiative-to-build-new-syria-76905
https://anfenglishmobile.com/rojava-syria/sdf-efforts-to-declare-permanent-truce-in-manbij-and-kobane-unsuccessful-76916

Posted by 八木 at 10:48 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

アサド政権崩壊はシリア難民にとって前向きの側面だけとはいえない理由 [2024年12月11日(Wed)]
シリアのアサド政権を批判してきた欧米政府やメディア、反体制派を支持してきたシリア国民は、概して50年続いたアサド父子による独裁政権崩壊を、警戒感を抱きながらも、政権移行を歓迎しているといえる。しかし、物事は、きれいにわりきれるものではない。今後何回かにわけて、状況を見ていきたい。まず、シリアから周辺諸国や欧州に避難したシリア人である。多くは、難民として、あるいは補完的保護、または人道配慮、さらにはトルコのように一時的保護を付与により、在留を認められているケースが多い。彼らのうち、正式に国籍を得たものは送還の危険はないものの、庇護申請中であるか、一時的な在留を認められているシリア人は、アサド政権が崩壊したことより、自分たちの在留許可を奪われるのではないか、シリアの旧ヌスラ戦線の流れを組むシャーム解放機構(HTS)が主力の移行政権はシリアの安定と復興を実現できるのか、すくなくとも、シリアの状況が見通せるようになるまでは、欧州等での現在の在留資格を失いたくないと考える人たちも多いと想像される。
1.トルコ関連:トルコでは、最も多い時に370万人規模のシリア人に一時保護の資格を与えて、在留を認めてきた。2016年3月のメルケル独首相のトルコ訪問によるEU・トルコ合意で、それまで、2015年に85万人を数えた海路ギリシャの島々に到着したシリア人の数は、その後激減し、欧州の負担を大幅に軽減した。トルコ政府は、30億ユーロの資金援助を2回にわたって受けて、シリア人への医療、教育、生活保護、就労支援を行ってきた。しかし、トルコの住民の不満は次第に高まり、2023年5月の選挙では、エルドアン政権は、かろうじて政権を維持できたものの、2024年3月の地方選挙腕は大幅に後退し、エルドアン政権は、シリア難民問題への対応を迫られていた。こうした中、エルドアン政権は、本年前半では、アサド政権に接触して、アサド政権と一定の関係を改善する中で、難民帰還を促進する方法を模索していたが、アサド政権が、シャーム解放機構(HTS)が主力となる反体制派がアレッポ、ハマ、ホムスを次々に制圧するする状況をうけて、反体制派へのトルコによる圧力行使を嘆願したアサド政権を見捨てて、反体制派の首都制圧を容認した。そして、これまで、閉鎖されていたシリアとの国境を開放し、シリア帰還を希望するシリア人の本国帰還を後押しし始めた。一方で、トルコは、既に2016年8月から「ユーフラテスの盾」作戦で、国境近くのジャラブルスを制圧し、2018年1月には、オリーブの枝作戦を開始し、3月までにアフリン地区を制圧し、そして、2019年10月には、「平和の泉」作戦を開始し、ユーフラテス川東方の国境沿いの帯状地帯に越境進軍しているところ、シリアのクルド人が支配するシリア北東部の民主自治統治地区へのトルコ軍や傀儡部隊SNF(シリア国民軍)の侵攻を開始しており、すでにマンビジは陥落間近(クルド系メディアは、SNFとともにISISが進軍していると報じている)であり、また、YPG、YPJが2015年1月にISISから奪還したコバニ(アラブ名アイン・アルアラブ)進軍を狙っているとされる。クルド人勢力は、アサド政権崩壊により、シリアに民主的な統治が実現すべきだとの立場で、イラクのクルディスタン地区のようにシリア北東部の自治確立を目指している。しかし、トルコは、YPG/YPJならびに同部隊が主力のシリア民主軍(SDF)を、PKK同根のテロ組織とみなしており、シリア中心部で、HTSを主体とする暫定移行政府が動き始めても、双方が合意できる枠組み構築は至難の業である。シリア北東部は、油田・ガス田地帯であり、現在まで、SDFを支えているのが米軍であり、米国のトランプ次期政権がエルドアン政権との間で、妥協策を見いだせるのか、それをISIS駆逐のために1万人以上の犠牲者を出したクルド人勢力が飲むのか、不透明である。暫定政府とクルド人勢力との潜在的対立が、シリア情勢が落ち着かず、シリア人の帰還が進まない大きな要因になるとみられる。
(2)隣国レバノンとヨルダン関連:両国に避難していた大勢のシリア人が故郷に戻りつつある。ただ、レバノン国境では、シリアへ向かう人と、シリアを出国する人の両方の動きが確認されている。移行政権側は、アサド政権政府機関の職員や家族には恩赦を与えるとしているものの、反体制派を抑圧したインテリジェンスや軍特殊部隊などには報復を加えるとみられ、レバノンに入国しようとするシリア人が増加しており、レバノン軍は国境地帯に部隊を増派した。レバノンは100万人以上のシリア人を受け入れているが、シリア人入国の規制を強化している。

2. 欧州:多くの国がシリア情勢を見守り、庇護申請に対する決定手続きを停止
(1)ドイツ:ドイツは2023年の庇護申請では、欧州内最大の国であり、とりわけ、シリア人の申請が多い国である。ドイツには、97万人のシリア出身者がおり、約30万人が就労資格を有する安定した地位を得ているが、約65万人が難民あるいはその他の保護制度の下、在留が認められている不安定な状況にある。ドイツでは現在、4万7270人のシリア人が庇護申請の結果を待っているとされる。この決定も当面凍結される。欧州では、近年移民・難民排斥の声が高まっているが、ドイツも例外ではなく、シリア情勢の激変を踏まえ、アサド政権が崩壊したのだから、一時的に保護しているシリア人には、本国に帰ってもらうべきだという声が極右のAfdだけでなく、国内から高まっているとされる。当面、連邦移民難民庁は、シリア人庇護申請者の審査手続きを停止したとされる。
(2)オーストリア:暫定政府は、シリア人からの庇護申請受付を全て停止したと発表し、シリア国内の状況が根本的に変わったとして、シリア人庇護希望者を本国に送還または国外退去にする計画を立てているとされる。移民問題で強硬姿勢をとるオーストリアのカール・ネハンマー首相は、「現在オーストリアに避難していて、母国への帰還を望むすべてのシリア人を(オーストリア)政府は支援する、将来的な強制送還を再び可能にするには、シリアの治安状況の再評価が必要だ」と発言た。 オーストリアには現在、約9万5000人のシリア人が暮らしている
(3)英国:2011年から2021年の間に、3万人以上のシリア人の庇護が認められた。その大半は人道的計画に基づいて、トルコやレバノンなどからイギリスに再定住した。 2019年時点では約4万7000人のシリア人が英国国内で暮らしているとされていたが、その後は3万人程度まで減少したとみられる。
https://www.bbc.com/news/articles/cnv3qnzz7rjo

Posted by 八木 at 17:07 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)