MKO創始者で現NCRI議長の夫マスウード・ラジャヴィ死亡の報道
[2023年10月31日(Tue)]
このブログでは、去る8月7日「驚きのアルバニア当局によるイランの反体制組織ムジャヒディーン・ハルクMKO」の活動制限」と題して、アルバニア当局によるムジャヒディーン・ハルク組織(MKO、あるいはMEK)のリーダーで、イラン国民抵抗評議会(NCRI)マルヤム・ラジャヴィ暫定議長のアルバニア政府による入国禁止措置などを投稿した。https://blog.canpan.info/meis/archive/534
これに関連して、2023年10月29日、イランのタスニム通信は、長らく表舞台に姿を現さなかったマルヤムの夫でMKOの創始者でもあるマスウード・ラジャヴィ(1948年生まれ)が3年前に病気で、米国の保護監視下で死亡していたと報じた。
イランのタスニム通信は、ムジャヒディーン・ハルク組織(MKO)の首謀者が3年前に心臓発作で死亡した経緯について新たな詳細を入手したとの記事を発信した。主要点は次のとおりである。
1.ある治安関係者はタスニム通信に対し、MKOの元代表マスウード・ラジャヴィ氏(マルヤムNCRI議長の夫)が、闘病と心臓発作を経て3年前に死亡したと語った。2003年の米軍のイラク侵攻後、ラジャヴィ氏は米軍の作戦中に足と顔に重傷を負い、そのため亡くなるまで公の場から姿を消した。ラジャヴィ氏はイラクからヨルダンに逃れ、そこで糖尿病と高血圧を発症したと伝えられている。 身元の追跡特定を避けるため、医療センターで治療を受けることができなかったとされる。
2.その後、ラジャヴィ元代表の健康状態が悪化し、視力を失い、片足を切断された。2010年代初頭、イラク民衆勢力からMKOに対する圧力が高まり、イランがテロ組織とみなすイラクのアシュラフ・キャンプへの攻撃を開始したため、MKO部隊はイラクから海外に逃走するためにあらゆる努力を払った。 しかし、その後拠点となったアルバニアへの移動には、米国と英国が指定したテロ組織のリストから除外する必要があった。 MKOをブラックリストから除外するために米国が提示した条件の1つは、マスウード・ラジャヴィ元代表が会合やイベントに姿を現さないことだった。 米国は彼の写真さえも公開しないよう求めていた。
MKOメンバーに対する米国の計画の1つは、彼らをアジア、アフリカ、欧州の数カ国に定住させることであったが、イラクでのMKO部隊の状況が非常に危機的となったことをうけて、MKO指導者らはイラクから欧州への集団移動の条件を受け入れた。
3.消息筋によると、マスウード・ラジャヴィ氏は死亡するまで米国の警護下で不特定の場所に保護されていたという。 イラン生まれでファゼル博士という別名で活動する内科医アッバース・シャケリ氏は、米国に移送される前にマスウード・ラジャヴィ元代表の治療を担当していた。シャケリ氏は1986年にイランからイラクに逃れ、MKOに加わったが、現在はジアディン・アブドルラザギという偽名でパスポートを持ちフランスに居住している。シャケリ氏とは別に、ラジャヴィ氏のマッサージ師やボディーガードなど、他の多くの内部関係者が2021年以降、欧州の多くの国に移動している。この情報筋は、マスウード・ラジャヴィの名で時折発表される声明は、MKOメンバーらに対して彼のいわゆる救世主としての性格を復活させることを目的としており、死亡した元代表の古い写真がMKO声明とともに表示されるのはそのためである、と結論づけた。
4.MKOメンバーはイラクで長年を過ごし、イラクの元独裁者サッダーム・フセインの庇護を受け、武装した。 彼らは1980年から1988年のイラク・イラン戦争ではサッダーム側に味方し、サッダーム政権崩壊後誕生したシーア派政権により、居場所を失い、2012年に米国がMKOのテロ組織指定を解除し、翌年アルバニアに移動し、アシュラフ3キャンプを拠点に活動していた。
https://www.tasnimnews.com/en/news/2023/10/29/2980064/details-emerge-in-death-of-mko-ringleader-massoud-rajavi
(参考)マスウード・ラジャヴィ氏とは如何なる人物か(アルジャジーラ報道)
1948年生まれの、1979年のイランイスラム革命につながる運動に取り組んだ人物の一人だった。政治学の学位を取得して卒業した彼は、当時モハマド・レザー・シャー・パフラヴィーに反対する左翼グループであったMEKに参加した。彼はグループのリーダーとして浮上したため、シャーの治世下で何年も刑務所に収監されたが、イラン革命成功後、他の政治犯らとともに釈放された。しかし、最高指導者の権限の範囲などを巡って、誕生したばかりの共和国指導者ホメイニ師と仲違いするまで、そう時間はかからなかった。大統領選挙や議会選挙でも落選したラジャヴィ氏は、新イスラム共和国の指導者らと不仲で弾劾されたイラン初代大統領バニー・サドル氏とともに1981年にイランからパリに亡命した。両者は力を合わせ、MEKの統括組織としてイラン抵抗国家評議会を設立し、イラン体制に代わるものとして主張した。 しかし、ラジャヴィ大統領がイラン革命政権に対してより暴力的なアプローチを望んでいたため、両者は意見が一致しなかった。ホメイニ師の新秩序に対抗するために、MEKはすでに爆撃を含む一連の攻撃を開始しており、イランでは多くの民間人が死亡した。彼らは多くの暗殺を組織し、その中で最も注目を集めたのが、イラン第2代大統領ムハンマド・アリー・ラジャイと当時の首相ムハンマド・ジャバド・バホナールを殺害したものである。 彼らは現最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイさえ殺害しようとしたとされる。
https://www.aljazeera.com/news/2023/10/30/former-mek-leader-massoud-rajavi-died-under-us-guard-says-iran-media
(コメント)マルヤム・ラジャヴィ現NCRI代表の夫でMKO(MEK)の創始者マスウード・ラジャヴィ元代表がなぜ表舞台に20年にわたって姿を現さないのか不思議に思う人も多かったのではないかと思われる。マルヤム・ラジャヴィ現NCRI代表は、毎年パリで開催されてきたイラン解放イベント(フリーイラン)の大集会では、欧米、イスラエルなど現在のハメネイ・イラン政権に反発する政治家や企業家など多数を集め、イランの革命体制の終焉・打倒を訴えていた。とりわけ、トランプ政権をささえていたペンス元副大統領(次回大統領選挙共和党内レースから離脱)やジュリアーニ弁護士、ボルトン元大統領補佐官など著名人多数が、集会に出席して、気勢をあげていた。その中で、創始者マスウードが登場することは決してなかった。
今回のタスニム通信の報道通りであれば、マスウードは長らく病気を患い、また、かつてサッダーム・フセインと協力関係にあったことにもかんがみ、米国治安当局から、表舞台には出ることは許さないという条件で、マルヤム以下のMKOメンバーの活動を認めてきたことが判明した。2023年6月に、アルバニア治安当局は、ティアラ近郊のアシュラフ3キャンプを急襲し、仏に逃れたマルヤム代表の再入国も禁止し、アシュラフ3キャンプは、アルバニア当局の厳しい規制下に置かれたとされる。MKOメンバーのカナダ移動計画も持ち上がっているとのことだが、順調には進んでいない模様。MKOは、イラン革命体制が、イラン国民からの支持を受けていないことを示す有力なカードとして扱われてきた側面があるが、イラン現政権からみれば、民間人や政府要人17000人を殺害した「テロ組織」であり、イランの現体制を支持していない国民からも必ずしも、MKOは歓迎されているわけではない。米国やフランスは、MKOメンバーをどこに移動させ、どのように支援していくのか、その方向性ははっきりしていない。但し、仮にトランプ政権が復活することになれば、改めてMKOに追い風が吹くことはありえないことではない。
これに関連して、2023年10月29日、イランのタスニム通信は、長らく表舞台に姿を現さなかったマルヤムの夫でMKOの創始者でもあるマスウード・ラジャヴィ(1948年生まれ)が3年前に病気で、米国の保護監視下で死亡していたと報じた。
イランのタスニム通信は、ムジャヒディーン・ハルク組織(MKO)の首謀者が3年前に心臓発作で死亡した経緯について新たな詳細を入手したとの記事を発信した。主要点は次のとおりである。
1.ある治安関係者はタスニム通信に対し、MKOの元代表マスウード・ラジャヴィ氏(マルヤムNCRI議長の夫)が、闘病と心臓発作を経て3年前に死亡したと語った。2003年の米軍のイラク侵攻後、ラジャヴィ氏は米軍の作戦中に足と顔に重傷を負い、そのため亡くなるまで公の場から姿を消した。ラジャヴィ氏はイラクからヨルダンに逃れ、そこで糖尿病と高血圧を発症したと伝えられている。 身元の追跡特定を避けるため、医療センターで治療を受けることができなかったとされる。
2.その後、ラジャヴィ元代表の健康状態が悪化し、視力を失い、片足を切断された。2010年代初頭、イラク民衆勢力からMKOに対する圧力が高まり、イランがテロ組織とみなすイラクのアシュラフ・キャンプへの攻撃を開始したため、MKO部隊はイラクから海外に逃走するためにあらゆる努力を払った。 しかし、その後拠点となったアルバニアへの移動には、米国と英国が指定したテロ組織のリストから除外する必要があった。 MKOをブラックリストから除外するために米国が提示した条件の1つは、マスウード・ラジャヴィ元代表が会合やイベントに姿を現さないことだった。 米国は彼の写真さえも公開しないよう求めていた。
MKOメンバーに対する米国の計画の1つは、彼らをアジア、アフリカ、欧州の数カ国に定住させることであったが、イラクでのMKO部隊の状況が非常に危機的となったことをうけて、MKO指導者らはイラクから欧州への集団移動の条件を受け入れた。
3.消息筋によると、マスウード・ラジャヴィ氏は死亡するまで米国の警護下で不特定の場所に保護されていたという。 イラン生まれでファゼル博士という別名で活動する内科医アッバース・シャケリ氏は、米国に移送される前にマスウード・ラジャヴィ元代表の治療を担当していた。シャケリ氏は1986年にイランからイラクに逃れ、MKOに加わったが、現在はジアディン・アブドルラザギという偽名でパスポートを持ちフランスに居住している。シャケリ氏とは別に、ラジャヴィ氏のマッサージ師やボディーガードなど、他の多くの内部関係者が2021年以降、欧州の多くの国に移動している。この情報筋は、マスウード・ラジャヴィの名で時折発表される声明は、MKOメンバーらに対して彼のいわゆる救世主としての性格を復活させることを目的としており、死亡した元代表の古い写真がMKO声明とともに表示されるのはそのためである、と結論づけた。
4.MKOメンバーはイラクで長年を過ごし、イラクの元独裁者サッダーム・フセインの庇護を受け、武装した。 彼らは1980年から1988年のイラク・イラン戦争ではサッダーム側に味方し、サッダーム政権崩壊後誕生したシーア派政権により、居場所を失い、2012年に米国がMKOのテロ組織指定を解除し、翌年アルバニアに移動し、アシュラフ3キャンプを拠点に活動していた。
https://www.tasnimnews.com/en/news/2023/10/29/2980064/details-emerge-in-death-of-mko-ringleader-massoud-rajavi
(参考)マスウード・ラジャヴィ氏とは如何なる人物か(アルジャジーラ報道)
1948年生まれの、1979年のイランイスラム革命につながる運動に取り組んだ人物の一人だった。政治学の学位を取得して卒業した彼は、当時モハマド・レザー・シャー・パフラヴィーに反対する左翼グループであったMEKに参加した。彼はグループのリーダーとして浮上したため、シャーの治世下で何年も刑務所に収監されたが、イラン革命成功後、他の政治犯らとともに釈放された。しかし、最高指導者の権限の範囲などを巡って、誕生したばかりの共和国指導者ホメイニ師と仲違いするまで、そう時間はかからなかった。大統領選挙や議会選挙でも落選したラジャヴィ氏は、新イスラム共和国の指導者らと不仲で弾劾されたイラン初代大統領バニー・サドル氏とともに1981年にイランからパリに亡命した。両者は力を合わせ、MEKの統括組織としてイラン抵抗国家評議会を設立し、イラン体制に代わるものとして主張した。 しかし、ラジャヴィ大統領がイラン革命政権に対してより暴力的なアプローチを望んでいたため、両者は意見が一致しなかった。ホメイニ師の新秩序に対抗するために、MEKはすでに爆撃を含む一連の攻撃を開始しており、イランでは多くの民間人が死亡した。彼らは多くの暗殺を組織し、その中で最も注目を集めたのが、イラン第2代大統領ムハンマド・アリー・ラジャイと当時の首相ムハンマド・ジャバド・バホナールを殺害したものである。 彼らは現最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイさえ殺害しようとしたとされる。
https://www.aljazeera.com/news/2023/10/30/former-mek-leader-massoud-rajavi-died-under-us-guard-says-iran-media
(コメント)マルヤム・ラジャヴィ現NCRI代表の夫でMKO(MEK)の創始者マスウード・ラジャヴィ元代表がなぜ表舞台に20年にわたって姿を現さないのか不思議に思う人も多かったのではないかと思われる。マルヤム・ラジャヴィ現NCRI代表は、毎年パリで開催されてきたイラン解放イベント(フリーイラン)の大集会では、欧米、イスラエルなど現在のハメネイ・イラン政権に反発する政治家や企業家など多数を集め、イランの革命体制の終焉・打倒を訴えていた。とりわけ、トランプ政権をささえていたペンス元副大統領(次回大統領選挙共和党内レースから離脱)やジュリアーニ弁護士、ボルトン元大統領補佐官など著名人多数が、集会に出席して、気勢をあげていた。その中で、創始者マスウードが登場することは決してなかった。
今回のタスニム通信の報道通りであれば、マスウードは長らく病気を患い、また、かつてサッダーム・フセインと協力関係にあったことにもかんがみ、米国治安当局から、表舞台には出ることは許さないという条件で、マルヤム以下のMKOメンバーの活動を認めてきたことが判明した。2023年6月に、アルバニア治安当局は、ティアラ近郊のアシュラフ3キャンプを急襲し、仏に逃れたマルヤム代表の再入国も禁止し、アシュラフ3キャンプは、アルバニア当局の厳しい規制下に置かれたとされる。MKOメンバーのカナダ移動計画も持ち上がっているとのことだが、順調には進んでいない模様。MKOは、イラン革命体制が、イラン国民からの支持を受けていないことを示す有力なカードとして扱われてきた側面があるが、イラン現政権からみれば、民間人や政府要人17000人を殺害した「テロ組織」であり、イランの現体制を支持していない国民からも必ずしも、MKOは歓迎されているわけではない。米国やフランスは、MKOメンバーをどこに移動させ、どのように支援していくのか、その方向性ははっきりしていない。但し、仮にトランプ政権が復活することになれば、改めてMKOに追い風が吹くことはありえないことではない。
Posted by 八木 at 12:00 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)