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AAR主催ロヒンギャ講演会の注目点[2022年08月22日(Mon)]
8月20日のAARジャパン主催のミャンマー・ロヒンギャに関するオンライン講演会の注目点は次のとおり(一視聴者としての注目点をまとめたものであり、各講演者の発言を正確に反映したものではないので念のため)。同講演会は、司会堀潤、第一プレゼンターとして中坪央暁氏(AAR)からのバングラデシュ・ロヒンギャキャンプからの現地報告、第二プレゼンター根本敬教授(上智大学)からのミャンマーの近現代史とミャンマーにおけるロヒンギャの位置づけ等に関する報告、第三プレゼンターとして、長谷川留理華さん(日本国籍を取得したロヒンギャ女性で教育活動や在日ビルマ・ロヒンギャ協会の活動などに従事)からの日本国籍取得の経緯や故郷への思い、現在のロヒンギャ・コミュニティ内の活動報告の形で実施された。この講演会の最大のメッセージは、世界の関心がウクライナ危機避難民へ移行する中で、「ロヒンギャを忘れないでほしい」、講演者共通の認識は、無国籍者としてキャンプで暮らす「ロヒンギャ若者への教育の重要性」であった。

1.ロヒンギャ・キャンプ内の状況等(主として中坪氏)
ロヒンギャのミャンマー帰還の見通しはかんばしくない。むしろ、状況は厳しくなっているとさえいえる。
(1)2018年前半と2022年前半の違い
●最大キャンプであるクトゥパロオン・キャンプ中心部では緑が増えていた。
●キャンプ内市場も盛んになっている印象。市場への出店は、バングラデシュの許可を得たものではなく、闇市場といえるが、経済が動いていることは確か。
●レンガ造りの舗装道路や放水路も確認され、インフラは部分的に改善している。
●キャンプは、以前はなかった有刺鉄線、フェンスで囲まれていた
●武装警官の駐屯地も確認された。
(2)教育
●ロヒンギャの55%は18歳未満。キャンプ内では、国連機関やNGOにより、ミャンマー語の読み書き、基本的な英語、算数は非公式の学習センターで教えられているが、ベンガル語は禁止。職業訓練、実務関連の教育は、定住につながる可能性があるという観点から認められていない
(3)就労
●キャンプ内の就労は原則禁止。但し、キャンプ内のインフラ整備等の仕事に対する手当(cash for work)は支払われている。女性向けの手芸訓練などは行われているが、手芸品を組織的に販売することは禁じられている。
(4)その他
●2017年の国軍によるロヒンギャ虐殺のきっかけとなったアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)あるいは犯罪者グループがキャンプ内市場で、みかじめ料やしょば代をとったりして仕切っている可能性はある。(注:ARSAについては、ロヒンギャを守る武装組織ではなく、ロヒンギャにとっても害になる組織とみられているとの見方が出された点が注目される)
●キャンプ内の市場は、2018年にバングラデシュ当局により、千店が閉鎖されたことがある。
●キャンプは、昼と夜の顔が異なり、売春が行われたり、犯罪組織による殺人事件まで発生している。
●ロヒンギャの中にも格差があり、その格差は拡大しているといえる。
バングラデシュは、難民条約に加入していない。第三国定住で他の国に移動できる難民は1%程度であり、ロヒンギャがその恩恵にあずかることは容易でない。
2.ミャンマーと日本(主に根本教授)
●日本とミャンマーの関係は、第二次大戦で日本軍が3年半ビルマを占領していた時代に遡る。2011年のミャンマーでの民政移管後、日本は5千億円規模のODAをミャンマーに提供している。そのため、2021年2月の軍事クーデター以降も、国軍側の役人とも接触・関係を維持している。日本財団の笹川陽平会長なども対ミャンマー関係で影響力を維持している。日本は、ミャンマー国軍の若手士官などを国費留学生として防衛大学などで8名程度受け入れている(注:2022年度は4名受け入れると岸(前)防衛大臣が国会で答えている)。
3.日本のロヒンギャ・コミュニティ(主に長谷川さん)
日本のロヒンギャ・コミュニティは子どもを含めれば4百名近く(注:通常270名〜300名程度であると報道されることが多い)。その多くは、群馬県の舘林市で暮らしている。舘林には在日ビルマ・ロヒンギャ協会の事務局が置かれている。会員は、250−300名でほとんどが男性。女性は数名のみ。
舘林のロヒンギャ成人女性たちの8割は、運転免許証を取得している。当初ロヒンギャ男性はロヒンギャ女性の免許取得に懐疑的であったが、女性が運転できることで、男性たちの助けにもなっていると自覚し、協力的になってきている。
●日本国籍をとったロヒンギャは少数であるが、ロヒンギャのアイデンティティを捨てたわけではなく、むしろそれを活用して、日本社会との懸け橋になろうとしている。そのひとつが、ハラール食を利用したミャンマー料理教室の開催。学校でのハラール食導入も視野に入れている。
4.国民統一政府(NUG)への見方
●ミャンマー国民内では、ロヒンギャはインド・パキスタン紛争時(1971年)に流入したバングラデシュからの不法移民集団であるとの見方が強く、NUGは確かにロヒンギャ受け入れの方向性を発言したことはあるが、NUGは依然バーチャル政府であり、ミャンマー軍事政権はロヒンギャの存在自体を否定しており、まだ道のりは長いと言わざるをえない。
●ミャンマーは多民族国家(注:1982年に改正国籍法により135の少数民族が土着国民として認められたが、ロヒンギャは無国籍扱いとなった。根本教授によれば、土着民族であるためには、1823年以前から現在のミャンマー領域内に暮らしていたとみなされることが必要であるとのこと)であり、2021年の東京の国連ビル前でのデモでも、ロヒンギャが参加することに反発して、デモから離脱したミャンマー少数民族グループがいた。軍事政権に反対するロヒンギャを含めたミャンマー国民の連帯がなにより重要。

Posted by 八木 at 17:00 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ニューヨーク州における「悪魔の詩」作家サルマン・ラシュディ氏の襲撃事件[2022年08月14日(Sun)]
8月12日にニューヨーク州郊外のショトーカ・インスティテュートで講演中だった作家サルマン・ラシュディ氏は、壇上に駆け上がった男に、首や腹部などを刺され、ドクターヘリで近くのペンシルヴェニア州イーリーに運ばれ病院で緊急手術を受けた。ラシュディの代理人は12日、ラシュディ氏の腕の神経が切断され、肝臓を刺されて損傷を受け、さらに、片目を失う恐れがあると明らかにしていた。病院で人工呼吸器をつけられ、当日は、会話はできなかったが、13日には会話できるようになり、回復基調にあるとされる。

サルマン・ラシュディ氏はインド出身の75歳で、イスラム教徒の両親のもとに生まれたが、無神論者として表現の自由を主張している。英国籍者であるが、米国の市民権も得ている。1981年出版の、インド・パキスタンの分離独立前後の状況を描いた小説「真夜中の子供たち」で一躍有名になった。同小説は英国内だけで100万部以上を売り上げ、英国のブッカー賞を受賞した。しかし、1988年出版の4作目の小説「悪魔の詩」は、その内容がイスラム教を冒涜(ぼうとく)しているとして世界各地でイスラム教徒の怒りを買い、いくつかの国で出版が禁止された。出版から1年後、イラン・イスラム革命共和国の最高指導者だったホメイニ師はラシュディ氏に「死刑」のファトワーを発出(背景等参考1)し、その後、ラシュディ氏は当局の24時間警護の対象となり、一時期、身を潜めていたが、最近は、公の場に姿を現す機会も増えていた。ラシュディ氏は宗教活動を実践しない声高に主張するようになった。2007年にエリザベス英女王から「ナイト」の称号を受けた。

襲撃したのは、ニュージャージー州在住のハーディ・マタル容疑者(24歳)。ショトーカ・インスティテュートの代表によると、マタル容疑者は講演会の他の参加者と同様、施設への入構証を取得して、会場にいた。壇上に駆け上ってラシュディ氏を刺した後、現場の関係者らに取り押さえられ、警察に引き渡された。現在、第二級殺人容疑で取り調べを受けている。ホメイニ師が発した死刑宣告のファトワーとの関連が取りざたされているが、現時点で、ファトワーとの関連は明確にはなっていない

マタル容疑者のSNSアカウントには、イランのイスラム革命防衛隊(IRGC)コッズ部隊の司令官で、2020年1月3日、米軍に殺害されたカーセム・ソレイマニ司令官のイメージ写真が見つかったとされ、マタル容疑者は、レバノン出身のシーア派系であるとの見方があるが、レバノン政府は、マタル容疑者がレバノン出身ではなく、レバノンに来たこともないと述べているとされる。バイデン大統領は、声明の中で、「残酷な攻撃」に「衝撃を受け、悲しんでいる。威圧をはねのけ、決して沈黙させられたりしないサルマン・ラシュディ氏は、真実、勇気、しなやかなたくましさ、恐れずに考えを共有する能力など、不可欠で普遍的な理想を掲げる人である。これはどれも、あらゆる自由で開かれた社会の礎であり、米国や世界中の人たちと共に、(ラシュディ氏の)健康と回復を祈っている」と述べた。イラン政府は、公式には事件をコメントしていない

他方、イランの最高指導者に近いとされるイランのケイハン紙は、8月13日付で、今回の襲撃事件に関し、「宣告された背教者は、(現実の)氏の前に何度も死ぬ」との題名で、下記の内容の襲撃者と讃えるとともに、イランと今回の襲撃を結びつけることは間違っている、但し、背教者は死を受け入れるしかないとの趣旨のレポート(参考2)を発出している。

(参考1)ホメイニ師の関連ファトワーについて
1989年2月14日に、ホメイニ師が発出した「悪魔の詩」作者ラシュディ氏への死刑宣告のファトワーについては、次のとおり。
•ホメイニ師は、小説「悪魔の詩」を執筆したサルマン・ラシュディに対して、ムハンマドを冒涜的に描いたとして、死刑を宣告するファトワーを発出した。これに関連して、日本でも「悪魔の詩」を日本語に翻訳した五十嵐一助教授が何者かに殺害されるという事件が発生した。
•このファトワーは、カイロのアズハル大学のウラマーとサウジのウラマーによって、非イスラム的と宣告され、イスラム諸国会議機構(OIC)に加盟する49か国中、48か国がファトワーを非難した。
•その後死亡したホメイニ師のファトワーは取り消すことができないが、イラン国内では、1998年9月ハタミ大統領は、ラシュディへのファトワーに政府として関与しないと表明し、その方針は、のちに最高指導者となったハメネイ師によって承認された。
(経緯)
•『悪魔の詩』の出版は、1988年の出版直後から国内外のムスリムに反発を生み、同年10月にインド政府はこの本を発禁とした。英国では同年12月2日にマンチェスターのボルトンで8000人のムスリムが本書の発禁を求めるデモを行ない、1989年1月14日にはブラッドフォードで本書を焼くパフォーマンスを行なった。少数派のムスリムの政治運動としては最大の動きだったが、英国でもほとんど報道されることがなかった。
•世界中の注目を集めたのは、1989年2月14日、イランの最高指導者ホメイニ師による著者のラシュディおよび発行に関わった者などに対する「死刑」の宣告であった。「死刑」宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。ラシュディは英国警察に厳重に保護された。
•1989年2月15日 イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示された。
•1989年3月7日 - イランが英国と国交断絶
•1989年2月 - 日本外国特派員協会で出版記念記者会見中であった五十嵐一助教授と出版者のパルマ・ジャンニ(イタリア人)が、パキスタン人の男に襲撃される。その際、パルマは言論と表現活動の自由を主張したが、会場にいた在日パキスタン協会のライース・スィビキ会長がパルマに対し「死刑」を宣告する。
•同年6月3日 - 心臓発作のためホメイニ師が死去。ファトワーは発した本人しか撤回できないので、以後、永久に撤回できなくなった
•1990年2月9日 - ホメイニ師の後継者ハメネイ師が、演説の中で、ラシュディに対する「死刑」宣告は有効であり、執行されるべきである、と改めて強調。
•1991年7月11日 - 日本語訳を出版した五十嵐一氏が勤務先の筑波大学にて殺害され、翌日に発見された。他の外国語翻訳者も狙われた。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。
•1998年- イラン大統領のハタミ大統領が、ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も支持しないとの立場を表明。ハメネイ師も承認した。
• 2006年7月11日、 悪魔の詩訳者である五十嵐一氏殺人事件で(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)公訴時効が成立した。

(参考2)ケイハン紙レポート(8月13日)
@「臆病者は死ぬ前に何千回も死ぬ」と英国の吟遊詩人ウィリアム・シェイクスピアは戯曲の中で言った。現代の最も顕著な例は、報告によると金曜日にニューヨークで彼の許されない罪のために刺された背教者のサルマン・ラシュディである。彼は英国と米国のネズミ穴に隠れることによって過去33年間その結果を回避しようとしてきた。医療関係者は、彼を地獄の業火に追いやることを当面食い止めることができれば、彼は視力を失っても生き残ることができる。
A 冒涜的な小説「悪魔の詩」のインド生まれの英国人作家がまもなく死ぬか、惨めな人生の最終的な終わりの前にあと数年生きていることができるかは重要ではない。重要なのは、背教者の死刑執行者になることを志願した米国のイスラム教徒、ハーディ・マタルの勇気である。ハーディ・マタルは、米国の警察官が引き金を引いて彼に発砲した場合、勇敢に死を迎えることを十分に認識していた。そうはならなかった。彼は拷問やあらゆる種類の告発とともに、数年間の投獄に苦しみながら生き残ることになった。その中には、既にイスラム革命防衛隊(IRGC) の殉教者カーセム・ソレイマニ将軍の写真を彼の携帯電話に挿入し、改ざんすることで、事件をイランと結びつけようとしてラベル付けする試みも行われている。
B24歳のマタルはイラン出身ではなく、ドナルド・トランプ前大統領やマイク・ポンペイオ前国務長官などのテロリスト(注:イランは、イラン要人をテロ支援者に指定したことに対抗して、両名をイラン側のテロリストに指定している)への裁きを決意したイスラム共和国の報復部隊の隊員でもなく、イラン当局は勇敢な殿堂入りを心から望んでいた米国の敬虔なイスラム教徒の存在を認識していなかった
Cしたがって、1989年にイスラム革命の父、イマーム・ホメイニ師がラシュディの冒涜的な本の出版によりインドとパキスタンの少なくとも 45 人のイスラム教徒の罪のない血を流した後、ダイナミックなファトワー (宗教布告) を発行した地であるイランと米国の核協議における米国の姿勢にいたずらに影響を与えようとすることは、シオニストが支配する西側メディアのイランに対する公然たる敵意にほかならない。
Dここで、背教に関するシャリア(イスラム法)の規定を明確にすることは、文脈から外れていない。背教者がたまたまイスラム教に改宗していた場合、(棄教に対して)極刑は宣告されず、悔い改めてイスラム教に戻る機会が 3 回与えられるが、イスラム教徒の両親から生まれ育った背教者の場合 イスラム教徒として(サルマン・ラシュディのように)、処刑が唯一の評決であり、謝罪は受け入れられない。したがって、「ジョセフ・アントン」( 自ら告白した背教者ラシュディが2012年から隠れている間に使用した英語化された名前) は、避けられない死への恐怖から千の死を遂げる臆病者ではなく、少なくとも彼の反イスラム的生活において勇敢でありたいのならば正義に服従するべきである(注:すなわち、死の裁きを受け入れるべきという趣旨)。
E西側諸国(米、英、仏など)は、納税者が苦労して稼いだお金を何十億ドルとは言わないまでも、何億ドルも無駄に使って、宣告された背教者であり、許しがたいテロリストを保護しようとして、同人に対する正義の裁きへの道を妨げないように忠告されている。要するに、イスラム革命の指導者アヤトラ・アリー・ハメネイ師が、数年前、イマーム・ホメイニ師のラシュディに対する後戻りできないファトワーについて述べた「止まらない弾丸のように標的に当たるまで、(攻撃は何回も)繰り返される 」との言葉を思い出してみよう。
https://kayhan.ir/en/news/105693/sentenced-apostates-die-many-times-before-their-death

Posted by 八木 at 16:35 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ソチでのロシア・トルコ首脳会談注目点[2022年08月07日(Sun)]
8月5日、ロシアのソチを訪問したトルコのエルドアン大統領は、7月19日のテヘランでの会合に続いて、プーチン大統領と対面で会合した。
懸案となっていたウクライナの穀物輸送は、すでに、とうもろこしを満載した輸送船がレバノンに向けて出港したあと、第二陣の輸送も手配され、トルコ、国連が仲介したウクライナ船舶による穀物輸送合意は、概ね履行段階に入っている。会談前の両首脳のコメントの注目点は次のとおり。特に、ウクライナからの穀物輸送の安全回廊確保の合意を結んだ際には、ロシア産穀物の輸送も妨害されないが別途合意されていたこと、ならびにアックユ原発の建設が順調に進んでいること(ロスアトムが建設中でまもなく1号機が完成予定)、2020年1月に開通した黒海を通じてのトルコストリームガスパイプライン(2本のパイプライン合計年間315億立方メートル輸送能力を有する。半分の157.5億立方メートルは、トルコ国内消費用で、もう半分の157.5億立方メートルは、トルコ経由欧州輸送用)は、ノルドストリームなど他のパイプラインと異なり、順調に欧州へのガス供給が継続されていることを強調している点である。両首脳は、これまで、シリア内戦、リビア内戦、ナゴルノ・カラバフ紛争で敵対する勢力を支援しながら、両首脳の直接対話を通じて停戦を実現してきた実績がある。NATO加盟国であるトルコがなぜ対ロシア制裁に加わらず、ロシアとの実務関係を維持するのかについて、訝しむ声は当然あるものの、ウクライナ危機の武力での決着が見通せない現状において、トルコのように、ロシアとの間で、具体的かつ実務的なやりとりができる存在は極めて重要である。

(プーチン大統領)黒海の港を通したウクライナの穀物輸出の問題は、(エルドアン)大統領の個人的な関与と国連事務局の調停のおかげで解決された。 穀物は輸出されている。このことと、ロシアの食糧と肥料が妨げられずに世界市場に届けられるという一括決定が同時に採択されたことに感謝したい。2021年の両国の貿易額は 57% 増加し、今年の最初の数か月 (1 月から 5 月) で 2 倍になった。我々が取り組んでいる大規模なプロジェクトであるアックユ原子力発電所の建設は非常に重要なエネルギープロジェクトであるが、しばらく前に建設を完了したトルコストリーム(TurkStream)ガスパイプラインは、今日、欧州にロシアのガスを供給するための最も重要なルートの1つであることをリマインドしたい。 トルコストリームは欧州への石化エネルギー供給の他のすべての供給手段とは異なり、順調に、スムーズに、そして失敗することなく運営されている。トルコの消費者への輸送だけでなく、欧州の消費者への輸送も意味している。欧州のパートナーは、市場へのガスの継続的な輸送を保証しているトルコに感謝すべきである。

(エルドアン大統領)今日、世界はソチに注目している。その結果は我々の会談後に判明する。両国関係の新たなページが開かれると信じている。これはエネルギー、ならびに私たちが対策を講じた黒海を経由する「穀物回廊」に関するものである。また、観光や輸送など、これらすべての分野のすべての問題について対策が講じられている。とりわけ、アックユ原発は、エネルギー分野において我々にとって非常に重要。アックユ原発の建設が継続しており、遅れが生じないようにする必要がある。すべての作業が予定どおりに進み、計画どおりに完了している必要がある。トルコのエネルギー需要の 10% は、アックユ原発によって賄われる
http://en.kremlin.ru/events/president/news/69119

(参考)ロシア・トルコ共同声明(2022年8月5日、ロシア大統領府)
ロシア連邦のウラジミール・プーチン・ロシア連邦大統領は、(エルドアン)トルコ共和国の大統領と2022 年 8 月 5 日にロシアのソチで会談した。
進行中の地域的および世界的な課題にもかかわらず、両首脳は、相互の尊重、相互利益の認識に基づいて、また国際的な取り組みに従って、トルコとロシアの関係を促進するという共通の意志を再確認した。
この理解の枠組みの中で、トルコ・ロシアの二国間問題の議題にある問題について広範な協議を行い、両首脳は二国間の貿易量をバランスよく増加させ、設定された目標を達成すること、経済とエネルギーに対する互いの期待に応えること、運輸、商業、農業、産業、金融、観光、建設などのセクターに関して、両国の議題で長い間懸案とされてきた問題について、協力を促進するための具体的な措置を講じることに合意した。
地域問題に関して、首脳は、地域的及び国際的な安定を達成するために、トルコとロシアの間の誠実で、率直で、信頼に基づく関係が重要であることを強調した。
この枠組みの中で、両首脳は、ウクライナの港からの穀物と食糧品の安全な輸送に関するイニシアティブの締結において、両国間の建設的な関係が果たした役割を認識した。両首脳は、ロシアの穀物、肥料、およびその生産に必要な在庫原料の輸出が妨げられないことを含め、イスタンブール合意の完全な実施を、その文面および精神の双方において確保する必要性を強調した。
シリアにおける最近の進展についても議論され、この会合において、両首脳は、政治プロセスの促進が重要であると強調した。首脳は、シリアの政治的統一と領土の一体性を維持することの重要性を強調し、すべてのテロ組織との戦いにおいて協調と連帯を持って行動する決意を再確認した。
両首脳は、リビアの主権、領土保全、国家統一に対する強いコミットメントを強調した。両者は、可能な限り幅広いコンセンサスに基づいて自由で公正かつ信頼できる選挙を実施することの重要性を強調し、リビアの主権とリーダーシップの下で継続する政治プロセスへの支持を繰り返し表明した.
首脳は、トルコ・ロシア・ハイレベル協力評議会の次回会合をトルコで開催することに合意した。
http://en.kremlin.ru/supplement/5830

Posted by 八木 at 10:40 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)