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東エルサレムでのパレスチナ・イスラエル衝突の原因のひとつとなったシェイク・ジャッラーハ地区の画像[2021年05月12日(Wed)]
中東のエルサレムで、イスラムの断食月ラマダンが始まった4月中旬以降、イスラエルの警察が旧市街の入り口の一部にバリケードを設置したことなどをきっかけに東エルサレムを支配するイスラエル当局とイスラエルへの抗議行動を行うパレスチナ人の間の衝突が激しさを増している。これまでにパレスチナ人700人以上が負傷したとされる。今回の衝突の原因のひとつが、東エルサレムのシェイク・ジャッラーハ地区のパレスチナ人世帯の立ち退き期限が5月6日に迫っていたことであった。その直後5月10日はイスラエルが東エルサレム支配を実現した「エルサレムの日」にあたっていた。これを受けてイスラム原理主義組織ハマースが実効支配するガザ地区からイスラエル側に向け、ロケット弾が発射され(合計300発以上といわれる)、これに対応する形で、イスラエル軍がガザに空爆を行い、ガザ地区では5月10日夜以降、少なくともパレスチナ人30人が死亡(うち10人が子ども)とされる。一方、イスラエル側でも3人の死者が出ており、ここ数年では最大の衝突に発展している。ミドル・イースト・アイが今回の衝突の原因のひとつとなったシェイク・ジャッラーハの歴史を画像で紹介しているので、関心ある方は次のURLからアクセス願いたい。シェイク・ジャッラーハ地区は、十字軍を破ったイスラム軍の英雄サラハッディーンの主治医であるフッサム・アル・ディン・アル・ジャラヒにちなんで命名されたとのことである。
https://www.middleeasteye.net/discover/israel-palestine-sheikh-jarrah-jerusalem-neighbourhood-seven-facts
1枚目 シェイク・ジャッラーハの歴史は、12世紀に、十字軍の支配からエルサレムを奪った伝説のイスラム軍の将軍サラハッディーンの主治医であるフッサム・アル・ディン・アル・ジャラヒにさかのぼる。 アラビア語のジャッラーハjarrahは外科医を意味し、Sheikhは宗教およびコミュニティの指導者に与えられる敬語である。この地区には、ナブルスの道沿いにあるジャラヒの墓を通してその地域に彼の名前にちなんだ名称がつけられることになった。 19世紀の地図では、上部近くのど真ん中に位置する小さな灰色の長方形として表示されている。
二枚目 付近はエルサレム北部、旧市街の城壁の外、今日のヘブライ大学のあるスコパス山の斜面から始まる地域にある。 1860年代に、裕福なイスラム教徒の家族が近所に大きな家を建て始め、最終的には他の人々をこの地域に引き寄せた。
三枚目 1880年代以降、この地域には、エルサレムの聖書ゆかりの道筋に沿ってユートピア社会を構築したいと考えていた米国と欧州のキリスト教徒が集まった。 米国の植民地のメンバーは、シェイク・ジャッラーハに定住し、地元のイスラム教徒とユダヤ人の学校で農民と教師として働いていた。 航空写真は、シェイク・ジャッラーハを含むエルサレム北部を示している。
四枚目 第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北した後、英国はパレスチナを委任統治し、エルサレムに大英帝国全体から集めた軍隊を駐留させた。 その戦略的重要性のために、砲兵ユニットはスコパス山の斜面に配置された。 写真では、1918年の日付で、オーストラリアの兵士がスコパス山に向かう途中でシェイク・ジャッラーハを通り抜けている光景が見られる。
五枚目 この写真にある1940年ごろのシェイク・ジャッラーハの土地では、山羊と羊が放牧されている。20世紀への変わり目頃のオスマン帝国の記録によると、この地域には167家族のイスラム教徒が住民の過半数を占めていた。 今日、パレスチナ人口は約3,000人である。
六枚目 イスラエル建国とナクバ(パレスチナ人にとっての大災禍)後、この地域はヨルダンの支配下に置かれ、イスラエルが支配した地域から追放されたパレスチナ人の家族28世帯が1956年シェイク・ジャッラーハに定住した。 1967年の第三次中東戦争の結果、イスラエルは東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザを占領した。 それ以来、すべてがイスラエルの占領下におかれ、占領された東エルサレムは1980年に一方的にイスラエルに併合された。
七枚目 2010年のこの写真では、パレスチナ人がイスラエル人入植者によるパレスチナ人の家、建物、土地の流用に抗議している。 イスラエルの警察官に支えられた80年代の入植者は、ユダヤ人側に所有権に戻されているという口実で、パレスチナのエルサレム住民から財産を押収してきた。 イスラエルの裁判所は、その領土が占領地であるため、その領土に対する法的権限がないにもかかわらず、そのような場合の最終的な裁定者であり続けている。現在、シェイク・ジャッラーハには38世帯のパレスチナ人家族が住んでおり、そのうち4世帯は5月6日までの差し迫った立ち退きに直面しており、他の3世帯は8月1日に立ち退きを強いられる予定。残りの世帯は、訴訟のさまざまな段階にあり、イスラエルの裁判所で強力なイスラエル人入植者グループと直接対決している。
(立ち退きを強いられているパレスチナ人の住居位置)https://www.middleeasteye.net/sites/default/files/Sheikh%20Jarrah%20map%20evacuation-latest.jpg
(記事全体)https://www.middleeasteye.net/news/israel-palestine-sheikh-jarrah-jerusalem-neighbourhood-eviction-explained

Posted by 八木 at 10:07 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

本田圭執筆「ワクチン接種率で独走中、コロナを起爆剤としたUAE・イスラエル関係」報告のご紹介[2021年05月10日(Mon)]
4月3日に、このブログでアブダビ駐在の本田圭さんによる、VOGUE JAPANに公開された現地からみたアラブ首長国連邦(UAE)の最新のコロナ事情のレポートをご紹介しました。
https://blog.canpan.info/meis/daily/202104/03
https://www.vogue.co.jp/lifestyle/article/life-after-covid-19-abu-dhabi-2

今回は、5月2日に戦略検討フォーラムに掲載された「ワクチン接種率で独走中、コロナを起爆剤としたUAE・イスラエル関係」と題するコロナ対策に関連したUAE・イスラエル関係の進展に関する本田さんの現地からの報告をご紹介します。
http://j-strategy.com/opinion2/5051

人口が極めて少ない国を除き、イスラエルとUAEはワクチン接種率で世界の第一位、第二位を走っています。イスラエルでは、コロナ感染の第三波が収まり、2021年4月18日野外でのマスク着用指示解除され、ワクチン接種完了者や感染回復証明者が取得するグリーンパスを提示する市民は、経済・社会活動の自由を手に入れましたUAEもコロナ関連でイスラエルとの共同研究協力を進めているほか、両国間の往来、ビジネス関係も急速に進展しているとのことです。両国のコロナ対策に関する積極的動きは、我々日本人にとっても、参考にすべき点が多々あります。ご関心のある方はぜひご一読願います。本田さんが予告した中華系CEOが率いるアブダビのAI・クラウドコンピューティング会社Group42(G42)をはじめとするUAEと中国関係のレポートも楽しみです。続編に期待しましょう。
(イスラエル感染状況関連サイト)https://www.worldometers.info/coronavirus/country/israel/
(UAE感染状況関連サイト)https://www.worldometers.info/coronavirus/country/united-arab-emirates/

Posted by 八木 at 16:33 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)