8月5日、インドのモディ首相は、1992年に破壊されていたインド北部の
アヨーディヤのバブリ・モスク跡地にでのラーマ寺院の起工式に出席し、ヒンドゥー教の宗教的な歌詞を唱えながら寺院の建設の開始を象徴する
9つの石のブロックに祈りを捧げた。
完成までに3年半かかると見込まれている。式典には、現下のコロナウィルス感染拡大の最中、
175名の聖者、司祭、ヒンドゥー教徒およびイスラム教徒のコミュニティ代表のみが式典に招待された。さまざまなヒンズー教の寺院やシーク教の神社から送られた2,000個の土鍋に入れられたインドの川からの水が現場に注がれた。寺院の幅は約72メートル(235フィート)、長さ91.5メートル(300フィート)、高さ49メートル(161フィート)で、5つのドームがあり、総面積は約7,804平方メートル(84,000平方フィート)である。式典は、約3,000人の治安部隊員が主要道路をバリケードで囲み、すべての商店やビジネスが閉鎖されている中で実施された。
(コメント)
モディ首相率いるインド人民党(BJP)が選挙マニフェストで長い間、
カシミールの係争中の地域ジャム・カシミール州の自治を剥奪し、
ムガール時代のモスクがかつて建っていた場所にヒンドゥー教のラーマ寺院を建設することを公約していたため、モディ首相にとっては、公約を実施したということになる。
今回のヒンドゥー教寺院起工式は、
昨年11月にインドの最高裁判所がウッタル・プラデシュ州の係争中の土地にヒンドゥー教寺院を建設することを認めた判決に従ったもので、多くのヒンズー教徒は、彼らの神ラーマがその場所で生まれたと信じており、イスラム教の皇帝バブールがその寺院の上にモスクを建てたと主張している。
バブリ・モスクは、1992年12月にヒンドゥー教徒の暴徒によって破壊され、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒による大規模な暴力が起こり、
約2,000人、主にイスラム教徒が死亡した。最高裁判所の評決により、破壊されたモスクの場所にヒンドゥー寺院を建てることになった。コロナ感染拡大とイスラム教徒との衝突を避けるために大規模な治安部隊が投入されていなければ、この歴史的な事態を目撃するために何百万人ものヒンドゥー教徒がアヨーディヤに参集した可能性がある。
注目すべきは、
画期的な式典に招待された人々に、最高裁判所の訴訟で主なイスラム教徒の訴訟者となったイクバル・アンサリが含まれていることであり、同人は、現在はアヨーディヤでの
ヒンドゥー教寺院の建設を支持している。最高裁は、昨年11月、近くのサイトに新しいモスクを建設するために、
イスラム教徒に2ヘクタール(5エーカー)の土地を与えるように命じている。イスラム側の指導者が旧バブリ・モスクの跡地にヒンドゥー教寺院の建設を認めたことで、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒の緊張緩和につながるのか予断を許さない。
なお、7月には、トルコのエルドアン大統領が
アヤソフィアのモスク化を実行しており、このタイミングでのモディ首相のヒンドゥー教寺院建設開始は、エルドアン大統領を意識した自身の支持基盤にアピールする行為と考えられる。
https://www.aljazeera.com/news/2020/08/indian-pm-modi-lays-foundation-ram-temple-razed-mosque-site-200805090217486.html(これまでの経緯)
•2019年11月9日、インドの最高裁判所は5名の判事の一致した判断として、1992年にヒンドゥー教の暴徒が破壊したインド北部のアヨーディヤで460年前に建設されたバブリ・モスクの跡地2.77エーカーを、条件に応じてヒンズー教寺院建設を監督する信託団体に引き渡す必要があると裁決を下した。一方で、アヨーディヤの別の土地5エーカーをイスラム教徒グループに引き渡すと裁決した。
1992年のヒンドゥー教徒暴徒によるバブリ・モスクの破壊は、1947年のインド独立以来、この国が経験した最も激しい宗教的暴動を引き起こした。イスラム教徒は中世時代のモスクで何世紀も祈りを捧げ、一方、ヒンドゥー教徒は自分たちの神ラーマ(宇宙、世界の維持、平安を司る神ヴィシュヌ神の化身。叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公)が以前モスクが存在していた場所で誕生したと信じている。
下記の経緯からわかるように、歴代インド政府、司法当局は、この問題を宗教間対立、憎悪を引き起こしかねない事案として、慎重に対応してきた。しかし、モディ首相率いるインド人民党(BJP)は、「ヒンドゥー至上主義」を掲げ、インドを母国としないイスラム教やキリスト教などの少数宗派への宗教的抑圧を強化してきた(仏教はインドで誕生した宗教として、保護されている)。モディ政権は、8月に国内で唯一イスラム教徒が多数を占める北部ジャム・カシミール州の自治権を剥奪し、10月31日、西部の「ジャム・カシミール」と東部の「ラダック」に2分割し、それぞれを中央政府の直轄地とし、中央政府による統治を強めている。今後、政府は、最高裁判所の判決を実行する形で、アヨーディヤのモスク跡にヒンドゥー寺院建設に着手し、さらに、現在各宗派ごとに認められている宗教儀式に関する統一民法典の制定を目指すとみられている。
インドの最高裁判所は、今回、ヒンドゥー教徒過激派によるモスク破壊行為を違法と判断しつつ、インドの多数派であるヒンドゥー教徒のラーマ信仰の想いを、イスラム教徒が中世以来現実に維持してきたモスクの所有権の上に位置づけたことになる。聖地エルサレムをみればわかるとおり、ユダヤ教徒にとっての聖地ソロモン王の神殿の一部であった嘆きの壁のうえに、ムスリムにとっての聖地岩のドームとアルアクサ・モスクの併存は、イスラエル支配の下、常に緊張状態にあり、高裁での同じ敷地内の2/3をヒンドゥー教徒側が、1/3をムスリム側が管理するという案を覆し、敷地全体をヒンドゥー教徒側に与え、ムスリム側には、別の土地を与えるという最高裁が下した解決策は、現場での衝突を避けるための知恵であるとの見方もできないではないが、結局のところ、多数派ヒンドゥー教徒の声を重視したものであり、現在のBJPの「ヒンドゥー至上主義」の流れからは、イスラム教徒の反発は避けられそうにない。
(経緯)
1528年 バブリ・モスクは、最初のムガール帝国君主であるバーブルの支配下に建設。
1949年12月23日 ヒンズー教の神ラーマの偶像がモスクの内部に置かれ、政府はバブリ・モスクを「係争中の財産」と宣言し、その門は閉鎖された。それ以来、モスクではイスラム教徒は祈ることが出来なくなった。
1950-61年 ヒンドゥー教徒側は、施設内で儀式を行う権利を求め、一方、イスラム教徒側からは、施設の所有の確認を求めるイスラム教徒のグループまで、4つの民事訴訟が裁判所に提起された。
1984年 ヒンドゥー教寺院の建設を先導するために、ヒンドゥー教徒グループによって委員会が設置された。
1990年 右翼のインド人民党(BJP)のリーダーであるLKアドヴァニは、モスクに替わってラーナ寺院を建設する全国的なキャンペーンを主導した。
1992年12月6日 ヒンドゥー教徒の暴徒は、モスクをがれきに変えた。全国で暴動が発生し、約2,000人が死亡した(犠牲者の多くはモスリムとされる)。
1992年12月16日 モスクの解体から10日後、中央政府は事件を調査するためにリベルハン委員会を設置した。
2003年 考古学者は、サイトにヒンズー教の寺院が存在していたのか判断するために、裁判所主導の調査を開始。調査によると、モスクの下に神殿が見つかったとされるが、多くの考古学者とイスラム教徒はこの発見に異議を唱えている。
2009年6月 リベルハン委員会は報告書を提出し、Advaniを含むBJPの上級指導者がモスク破壊の裁判を受ける必要があると指摘。
2010年9月 アラハバード高等裁判所の3人の裁判官は、争点となった場所はヒンズー教徒とイスラム教徒の間で共有されるべきであると判決を下した。裁判所は、2.77エーカー(1.12ヘクタール)の敷地の3分の2がヒンズー教徒グループ(Nirmohi Akhara派とRamlalla Virajman)に属し、残りはイスラム教徒グループ(スンニ中央ワクフ委員会、UP)に属するとの判断を示した。
2011年5月 インドの最高裁判所は、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒のグループによる控訴後、高等裁判所の判決を一時停止した。
2017年3月 インドの最高裁長官・司法長官は、ヒンズー教徒とイスラム教徒の間の法廷外の解決を提案。
2017年4月19日 最高裁判所は、モスク破壊事件で、与党党首のAdvani他14名に対する陰謀罪を復活させた。
2017年12月5日 最高裁判所は、係争中の13件の控訴のヒアリング開始。
2018年9月27日 最高裁判所は、この事件を5人の裁判官による憲法裁判に付託することを拒否。 10月29日に新しく構成された3人の裁判官の法廷で審理されるケースとみなした。
2019年1月25日 インド最高裁判所長官(CJI)のゴゴイ長官は、5人の裁判官のベンチを設置し、前任者による3人の裁判官の法廷を設置するという以前の命令を覆えした。新しいベンチには、ゴゴイ裁判長ほか4名の判事で構成された。
2019年3月8日 最高裁判所は、元最高裁判所判事を長とする調停委員会を設置し、法廷外の和解を促した。
2019年8月2日 調停が失敗に終わった。
2019年10月16日 最高裁判所は審理を終了。 5人の裁判官の法廷が判決を準備。
2019年11月9日 最高裁判所は、条件に基づき、ヒンズー教寺院の建設を監督するために、土地を信託に引き渡さなければならないとの判決を下した。アヨーディヤの別の土地がイスラム教徒グループに引き渡されるとあわせ、裁決した。
https://blog.canpan.info/meis/monthly/201911/1