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イスラム世界との結びつきを通じて、多様性を許容する社会の構築についてともに考えるサイトです。

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ハメネイ・イラン最高指導者のバランス感覚[2019年03月30日(Sat)]
イランの内政・外交で注目すべき出来事が2月下旬から3月前半に立て続けに起きている。ハメネイ最高指導者は、保守派宗教界代表者として、同指導者に近いエブラヒーム・ライースィー師を司法最高権者に抜擢し、同時に次期最高指導者を選定する権限を有する専門家会議の副議長就任を後押しした。一方、軍事部門の指導者で、シリア、イラク、アフガン関係を仕切るソレイマニIRGCコッズ軍司令官に軍事部門の最高栄誉勲章を授与し、さらに就任以来認めてこなかったローハニ大統領の隣国イラク公式訪問を認め、経済関係については引き続き、ローハニ大統領に期待しているとの信頼の大きさを明らかにした。ハメネイ最高指導者は、司法、軍事、経済のそれぞれの責任者の力関係に絶妙のバランスをとり、次期最高指導者選出をにらんだイランの指導体制固めを着実に進めていることが認識される。
1. ライースィー師の最高司法権長抜擢と専門家会議副議長への選出
3月7日、ハメネイ師は、に検事総長を務めた経験があり、2013年の大統領選挙に出馬して敗れた保守派のエブラヒーム・ライースィー師を、サーデク・ラリジャニ師に替わって5年任期のイランの最高司法権長に任命した。引き続き、3月12日、ライースィー師は、次期最高指導者を選出する権限を有する88名で構成される専門家会議(Assembly of Experts )の副議長に選出された。投票で、ライースィー師は、78名の出席者のうち、43票を獲得して、同ポストを射止めた。専門家会議の議長であるアヤトッラー・ジャンナティ師は、93歳と高齢であり、ハメネイ師は、自らが信頼するライースィー師を副官につけることで、次期最高指導者選出の際のリーダーシップを期待したものと考えられる。
2. ソレイマニ・IRGCコッズ軍司令官への軍事部門最高勲章の授与
3月11日、カーセム・ソレイマニ・イラン革命ガード・コッズ軍司令官には、イラン革命後40年間で初めてのイラン軍事部門の最高勲章である「Order of Zolfaghar 」が授与された。ソレイマニ司令官は、2月24日のシリアのバシャール・アサド大統領のイラン電撃訪問で、ハメネイ師、ローハニ大統領とともにアサド大統領の会談に同席した。この席に、呼ばれておらず、アサド大統領の来訪も事前に知らされていなかったとされるザリーフ外相は憤り、インスタグラムを通じて辞任を表明した(ローハニ大統領は、辞任を受け入れなかった)。この件は、イランにとって地政学的に極めて重要なシリア、イラク、アフガニスタンへのイランの戦略は、イラン外務省が仕切るのではなく、ハメネイ師が信頼を置くソレイマニ司令官が仕切っていることを内外に明らかにする狙いがあったものとみられる。
3. ローハニ大統領の経済分野での指導力への期待
3月11日、ローハニ大統領は3日間の日程で2013年の大統領就任後初めて、政治経済代表団を率いてイラクを訪問した(ザリーフ外相も同行)。2018年イランからイラクへの輸出は90億ドルに達したと報じられている。シーア派の聖地を抱える両国には、年間5百万人の巡礼者が訪問するとみられている。ローハニ大統領へのハメネイ師の期待は、米国の制裁再開に苦しむイラン経済の立て直しであり、大統領は、イラン核合意を通じて欧州との緊密な関係を築いてきたザリーフ外相の辞任は認めず、一方、欧米が、イランとの貿易・投資に躊躇する中、近隣諸国との経済関係強化に活路を見出そうとしている。ローハニ大統領は、イラク訪問中、両国間の鉄道建設、関税引き下げ、ビジネス関係者の査証発給要件の緩和、エネルギー部門での関係強化ほかを話し合ったとされる。

Posted by 八木 at 17:00 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

風化する「パレスチナの大義」とアラブ諸国の対応[2019年03月29日(Fri)]
 明日3月30日には、パレスチナ人が「土地の日」と呼ぶ追悼集会が西岸・ガザならびにパレスチナ人が離散した各地で開催される。これを控え、湾岸のエネルギー大国UAEのガルガーシュ外務担当相から、@アラブ諸国によるイスラエルとの対話を行わない決定は、大きな間違いであった、Aイスラエル・パレスチナ二国家解決法はもはや現実的ではない、とのこれまでのアラブ諸国がとってきた伝統的立場を大きく逸脱するショッキングな発言があった。外務担当相の発言は、トランプ大統領のゴラン高原に対するイスラエルの主権承認発表に対する批判が収まらない中で行われており、昨年5月の米国大使館のエルサレム移転に引き続き、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領したアラブの土地との交換で、イスラエルとの関係を正常化するとの2002年にアブドッラー・サウジ皇太子(のちに国王)が提案し、アラブ諸国により承認された「アラブ和平提案」がもはや時代遅れになったとの認識を明らかにしたものとうけとめられる。米国トランプ政権で中東ファイルを担当しているクシュナー米大統領上級顧問は、4月9日のイスラエル総選挙で、ネタニヤフ首相が勝利すれば、従来の立場にとらわれない新中東和平案「世紀の取引」を明らかにするとしていた。これは、パレスチナ人やアラブ諸国が従来主張し、国際社会が支持してきたイスラエル・パレスチナ二国家解決法やパレスチナ人の帰還の権利を断念させ、パレスチナ人が圧倒的に強いイスラエルの支配下で生活することを選択するのであれば、湾岸諸国を含む地域開発の恩恵の一部をパレスチナ人が享受できるとするものと考えられる。パレスチナ情勢は、93年にオスロ合意を結んだアラファトPLO議長(当時)が想像できない方向に急速に進みつつある。

1.土地の日とパレスチナ人がおかれた現状
1976年3月30日、イスラエル国内の数千人のパレスチナ人がイスラエルによる21,000ドゥナム(5,189エーカー)の土地の収用に抗議しデモ行進を行った際、6人のパレスチナ人青年がイスラエル治安部隊により殺害された。それ以来、内外のパレスチナ人たちは、「土地の日」を記憶にとどめるための追悼連帯集会を毎年催しており、2019年3月30日は、43回目の記念日となる。その機会に、パレスチナ中央統計局(PCBS)が3月29日にパレスチナ人を取り巻く現状について報告書を発表したところ、主要点は次のとおりである。
●イスラエルは、2万7千平方キロに及ぶパレスチナ本来の土地の85%以上を支配している。現在、パレスチナ人は同地の48%を占めているが、土地の15%しか利用できていない。
●オスロ合意に基づき、西岸は、@パレスチナが行政、治安に責任を有するA地区(100万ドゥナム)、Aパレスチナが行政を、治安はパレスチナ・イスラエル共同責任のB地区(103.5万ドゥナム)、BA,B以外のイスラエルが責任を有するC地区(337.5万ドゥナム)に分類される。C地区の76.3%はイスラエル占領当局によって直接利用されている。
●西岸には、農業生産に適した中〜上クラスの土地が、西岸全体の37%に相当する207.2万ドゥナムあるが、パレスチナ人は、その17%にあたる93万15百ドゥナムしか利用できていない。
●2017年末現在、西岸には435か所の入植地あるいは軍事駐屯地が存在している。入植地の建設、拡張が加速しており、2018年にはイスラエル占領当局は、9384の家屋建設を許可した。
●西岸のイスラエル人入植者数は、2017年末現在65万3621人で、うち47%がエルサレム行政区に暮らしている。うち、22万5335人は、1967年中東戦争でイスラエルにより占領され、併合されたエルサレム市に住んでいる。西岸での入植者のパレスチナ人に対する比率は、22.6人対100人であるが、エルサレム行政区については、70人対100人である。
●ガザについては、イスラエルがガザの東側に緩衝地帯を設けている。ガザの人口密度は、5204名/平方キロで、西岸の509名/平方キロの10倍以上の密集度となっている。
●2018年イスラエル占領当局は、入植者のための5820の住宅建設を許可した。さらに、エルサレム周辺に93kmの壁を築き、エルサレム行政区の84平方キロを隔離することになった。さらに、追加の46kmの壁の建設により、68平方キロが隔離される。
●1948年のイスラエル建国によるパレスチナ人の大惨禍(ナクバ)から今日までのパレスチナ人の殉難者は10万人に達する。2000年9月29日から2019年3月27日までの殉難者数は、10,811名となる。もっとも犠牲者数が多かった年は、2014年で、2,240名のパレスチナ人が殺害され、うち、ガザのパレスチナ人殉難者は、2,181名であった。2018年は、312名が犠牲になった。

2.ガルガーシュUAE外務担当相発言
3月28日、アブダビのナショナル紙の記事を引用して、ミドル・イースト・アイやハアレツ紙が伝えたところによれば、ガルガーシュUAE外務担当相は、次のとおり述べた。
●何年も前に、イスラエルと接触しないというアラブの決定があったが、それは非常に、非常に誤った決定であった。
●明らかに、あなた方は、抱えている政治的問題と、連絡を取り合う手段を開放することを、切り分けて考える必要がある。
●戦略的転換は、私たちが平和の面で前進するために実際に必要である。我々が現在直面しているのは、もし我々が現在の軌道を続けるならば、15年以内に対話は本当に(イスラエルとパレスチナが併合し)一つの国における平等な権利について行われるものになると思う。
●ある種の削減された残り物の(パレスチナ)国家はもはや実用的ではないので、二国家解決法はもはや実現可能ではない

Posted by 八木 at 16:56 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

極めて包括的な米国務省人権報告書の中で気になる点[2019年03月23日(Sat)]
1.2019年3月に米国務省は、2018年の各国別人権報告書を発表した。同報告書は、各国の人権侵害の状況のみならず、各国での人権に影響を与えかねない刑事、司法、立法の制度や仕組みについて詳細に報告しており、極めて貴重な包括的な報告書である。昨年10月2日にサウジ人ジャーナリストであったジャマール・カショーギ氏がイスタンブールのサウジ総領事館内で、本国から送られた暗殺団によって殺害されたことから、サウジアラビアについての記載内容を一読してみた。確かに、カショーギ氏の殺害は、冒頭で取り上げており、サウジ側の裁判プロセスが透明性を欠いていることは指摘しているものの、基本的には事実関係を記載するにとどまっている。それ以上に、気になったのは、2017年11月以来拘束され、拷問の受けていると報じられた米国市民でもあるワリード・フィタイヒ博士について、報告書は直接の名指しを避けていることである。報告書は、2017年11月の汚職容疑で拘束された事案について、次のとおり指摘しているが、米国市民の長期の拘束には言及していない。
●2017年11月に王宮令(A / 38)によって形成された最高腐敗防止委員会は、逮捕状の発行、旅行禁止、アカウントやポートフォリオの凍結、ならびに必要と思われるあらゆる措置を講じる権限を含む幅広い権限を与えられ、公の汚職事件に関与する人々に対処する。
●2018年1月、検察官は委員会が381人を尋問のために招致したが、そのうち56人が汚職容疑で未だ拘禁されていると述べた。 4月8日、検察官は残りの56人の容疑者に対する捜査と審議を開始した。ブルームバーグニュースとの10月3日のインタビューでは、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子は残りの拘束者は8名に留まると語っていた。
(関連サイト)
http://www.state.gov/j/drl/rls/hrrpt/humanrightsreport/index.htm?year=2018&dlid=289228

2.一方、3月19日、9名の民主党上院議員は、サウジアラビアのサルマン国王に書簡を送り、ジャマール・カショーギ氏殺害の全容を明らかにするよう引き続き求めるとともに、2017年11月に具体的容疑が明らかにされず拘束されており、拷問されていると伝えられている米国市民ワリード・フィタイヒ博士や、投獄された女性の権利活動家、体制批判者および人権活動家を即時、無条件で釈放するよう求めた。通常、このような要請に対するサウジ側の反応は、基本的に「サウジの内政に干渉するな」である。米国務省の報告書がフィタイヒ博士の拘束の事実に言及しなかったことは、この件がトランプ政権にとっても極めて繊細かつ微妙な案件であることを物語っている。
(1)民主党上院議員書簡で釈放を求めた被拘束者名
@ 作家ライフ・バダウィ(Raif Badawi)
A 人権弁護士ワリード・アブ・アルハイル(Waleed Abu al-Khair)
B 女性の権利活動家ロウジャイン・アルハスロール(Loujain al-Hathloul)、サマール・バダウィ(Samar Badawi)、イマーン・アルナフジャン(Eman al-Nafjan)、アズィザ・アルユースフ(Aziza al-Yousef)、ノウフ・アブドルアジーズ(Nouf Abdelaziz)、マヤ・アルザハラーニ(Maya al Zaharani)、ナッシーマ・アルサーダ(Nassima al-Saada)、ファトーン・アルハッシ(Hatoon al Fassi)、シャダーン・アルオネズィ(Shadan al Onezi)、アマル・アルハラビ(Amal al Harbi)
C 女性の権利活動支援者ムハンマドアル・ラビーウ(Mohammed al Rabea)
D 米国市民であるワリード・フィタイヒ(Walid Fitaihi)博士

(2)署名した民主党上院議員名
ディック・ダービィン (Dick Durbin) (イリノイ州), パトリック・リーヒ(Patrick Leahy)(バーモント州), ダイアナ・ファインスタイン(Dianne Feinstein) (カリフォルニア州)、 カーステン・ギリブランド(Kirsten Gillibrand) (ニューヨーク州.)、リチャード・ブルーメンソール(Richard Blumenthal) (コネチカット州.), エリザベス・ウオーレン(Elizabeth Warren) (マサチューセッツ州.)、 ロン・ウィデン(Ron Wyden) (オレゴン州.), エド・マーキー(Ed Markey)(マサチューセッツ州.) 、ジーン・シャヒーンJeanne Shaheen (ニューハンプシャー州)

Posted by 八木 at 14:14 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

「ジャングルの掟」はゴラン高原にも適用されるのか(トランプ大統領によるイスラエルのゴラン高原への主権承認のつぶやき)[2019年03月22日(Fri)]
3月21日、トランプ大統領は、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領したシリアのゴラン高原について、今や米国は、同高原へのイスラエルの主権を認めるときが来たとツイッターでつぶやいた。このつぶやきが米国の具体的な外交的措置でフォローされるのか否かは不明であるものの、4月9日のイスラエル総選挙をにらんで、トランプ大統領にとっての盟友ネタニヤフ首相が汚職疑惑等で苦戦を強いられていると伝えられる中、トランプ政権がネタニヤフ首相を強力に応援しているとのメッセージをイスラエル国民に伝え、さらに、今後の米大統領再選のための米国内のイスラエル支持母体へのアピールであることは間違いない。しかし、世界のスーパーパワーがお墨付きを与えれば、過去の国連決議も、領土の保全も意味をなさなくなるような行為を国際社会がすんなり受け入れれば、国際社会には、弱肉強食の「ジャングルの掟」が適用されるということになり、ロシアのクリミア併合に如実に示されている通り、強大な軍事力と核兵器を所有し、国連安保理の拒否権を保有しているスーパーパワーに対しては、その他の国々は無力で沈黙するか、迎合するかしか選択肢が残されていないということになる。

1.トランプ大統領のツイッター内容とそれに感謝するネタニヤフ首相のツイッター
(1)トランプ大統領3月21日投稿ツイッター
●52年を経過して、米国がゴラン高原に対するイスラエルの主権を完全に承認すべき時期に来ています。そこは、イスラエルの国家と地域の安定にとって戦略的かつ安全上の死活的重要性を有しています。
(2)ネタニヤフ首相3月21日付ツイッター
イランがイスラエルを破壊するためのプラットフォームとしてシリアを利用しようとしている時に、トランプ大統領はゴラン高原に対するイスラエルの主権を勇敢にも認めてくれました。トランプ大統領ありがとうございます!

2. ゴラン高原の地位と現状
ゴラン高原は、イスラエルの北部、シリアの南西部に位置し、ヨルダン川の流域やガリレア湖にも一部が接する戦略的要衝にある。イスラエルは、1967年6月の第三次中東戦争(いわゆる6日戦争)で圧勝し、パレスチナ人が居住する西岸・ガザ、シリアのゴラン高原、エジプトのシナイ半島を占領した。ゴラン高原については、イスラエルは1981年に一方的に併合を宣言した。第三次中東戦争後採択された国連安保理決議242は、ゴラン高原を含む最近の占領地からのイスラエルの撤退を要求している。安保理決議のイスラエルが撤退すべき地域として、「the」が入らなかったため、全占領地からの完全撤退か、多くの占領地からの撤退で決議を履行しているのかで見解がずれてはいるものの、占領地の大半の維持、あるいは併合等一方的措置は当然認められていない。1973年10月の第四次中東戦争で、シリア軍はゴラン高原の奪還を試みたが失敗した。1974年からは、安保理決議350に基づき、国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)が展開している(日本も国際平和維持活動の一環として一時期陸上自衛隊を派遣した)。1981年のイスラエルによる併合宣言については、国連はその併合を認めていない。1971年から2000年まで大統領を務めたシリアのバッシャール現大統領の父親のハーフィズ・アサドは、ゴラン高原の1インチの土地も譲歩することはないとあらゆる場面で宣言してきた。ゴラン高原には、アラブ・ドルーズ教徒住民の居住地とイスラエル人の34か所の入植地が存在する。ミドル・イースト・アイは、ピューリサーチセンターほかを引用して、67年戦争前は、シリア人が13万人いたが、2016年の推定で26,500人のシリア系住民(参考:2011年のシリア内戦ぼっ発を契機にシリア国籍を離脱した者もみうけられるが、そうでない者は、永住許可が発行されている模様)が存在し、一方、イスラエル入植者は20,500としている。

Posted by 八木 at 10:29 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

クライストチャーチのモスク襲撃実行犯のトルコへの絶望的に筋違いな言い掛かり[2019年03月17日(Sun)]
3月15日、ニュージーランドのクライストチャーチの2つのモスクで金曜礼拝に集まったイスラム教徒に発砲し、(17日までに確認された限り)50名を殺害した豪州国籍のブレントン・タラント容疑者(28歳)は、欧州、アジアを頻繁に旅行していたことが明らかになってきたが、トルコ当局は、同人が2016年3月17日〜20日、9月13日〜10月25日までの43日間にわたって、トルコを訪問していたとして、同人の滞在中の行動について捜査を開始することを明らかにした。タラント容疑者が事前にSNS上で公開した「偉大なる置き換え( The Great Replacement):マニフェスト 3月15日」によれば、同容疑者は、「イスラム教徒が彼らの土地に留まる限り、憎まないが、我々の土地に侵略し、我々(欧州)の人びとと置き換わろうとすれば、彼らを嫌悪する」としている。また、今回の犯行は、約2年前に計画し、ニュージーランドには3か月前に入って準備を始めたとしている。さらに、殺害すべきイスラム教徒指導者として、エルドアン・トルコ大統領、カーン・ロンドン市長を名指しし、欧州で難民の受け入れを推進したメルケル独首相も対象としている。
タラント容疑者のトルコに対する主張は、いくつかの点で大局的観点が欠落している。第一に、トルコは国内に約350万人ものシリア人難民を一国で抱え、欧州への難民移動の流れを断ち切っていることである。第二に、リビアへの軍事介入により、独裁者カダフィー政権を倒したものの、同時にリビアの国家権力を破壊し、国境管理の防波堤を粉砕し、アフリカからリビア経由での難民・移民の欧州への扉を開いたのは、欧州自身であったということである。すなわち、欧州自身が難民・移民が欧州に押し寄せることになった責任の大きな一部を担っており、エルドアン大統領率いるトルコは、欧州の要望を受け入れ、トルコ国内に難民を留めているということである。白人至上主義者のタラント容疑者は、エルドアン大統領を攻撃するのではなく、まさに感謝すべきだと思われる。

( トルコ人への通告)
●ボスポラス海峡の東側では、あなた方は自分の土地で安心して暮らすことができ、あなたに害を及ぼすことはないかもしれない。しかし、あなた方がボスポラス海峡の西の欧州の土地のどこかに住もうとするならば、我々はあなた方を殺害し、あなた方ゴキブリたちを我々の国から追い出すであろう。
我々は、コンスタンチノープル(注:現在のイスタンブール)のために来ており、我々は、街中のすべてのモスクとミナレットを破壊するであろう。アヤソフィア寺院からはミナレットがなくなり、コンスタンチノープルは再びキリスト教徒が正当に所有するようになるであろう。あなた方にまだチャンスが残っている間に、あなた方自身の土地(注:ボスポラス海峡の東側を指す)に避難しなさい。
エルドアン、彼は、我々の人々の最も古い敵のうちの1人のリーダーであり、そして欧州圏内の最大のイスラムグループのリーダーである。彼が現在欧州を占領している(注:ボスポラス海峡西岸の地域を指す)自身の民族的兵士を訪問している間に、この将軍に最後の出血をさせなければならない(注:すなわち殺害させなければならないとの意味)。彼の死は我々の土地を占領しているトルコ人の侵略者と本来的な欧州人との間のくさびを打ち込むとともに、同時にトルコ人の地域支配を弱体化させ、主要な敵であり、NATOを不安定にし、そして破壊しようとしているロシアという主要な敵を排除する。

Posted by 八木 at 16:55 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

武器取引が物語る国際諸国関係[2019年03月12日(Tue)]
3月11日、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は世界の武器移転に関する最新統計を発表した。同発表によれば、2014〜18年の主要武器の国際移転量は、2009〜13年に比べ7.8%、2004〜08年に比べ23%増加した。今回の発表からは、2.のとおり、様々な国際諸国関係が浮かび上がってくる。

1.過去5年間の世界武器移転に関するSIPRI統計記事主要点
@ 2014〜18年の5大輸出国は、米、ロシア、仏、独、中国の順。5か国合計で、同期間の世界の武器輸出総量の75%を占めた。
A 武器の流れは2009〜13年との比較で、2014〜18年の間に中東で増加したが、他のすべての地域への流れは減少した。
B 米国と他の武器輸出国との間のギャップが広がる。米国の武器輸出は、2009 〜13年から2014〜18年の間に29%増加し、全世界の輸出のうち米国が占める割合は、30%から36%に増加。第二位のロシアとの格差も拡大。米国の主要武器輸出は2014〜18年にかけてロシアより75%増加(2009〜13年にはわずか12%増加しのみ)。 2014〜18年には、米国の武器輸出の半分以上(52%)が中東に輸出された。過去5年間で米国は少なくとも98カ国に武器を輸出した。これらには戦闘機、短距離巡航と弾道ミサイル、そして多数の誘導爆弾のような高度な武器を含まれる。
C ロシアの武器輸出は、2009〜13年に比較して2014〜18年の間、特にインドとベネズエラの武器輸入の減少により、17%減少。 仏、独は、2009〜13年との比較で2014〜18年の間にそれぞれ43%、13%増加。EU全体の武器輸出は、2014〜18年の世界の武器輸出の27%を占めた。
D 中国は2014〜18年に5番目に大きな武器輸出国であった。中国の武器輸出は2004〜08年と2009〜13年の間に195%増加したが、2009〜13年との比較で2014〜18年にかけて2.7%のみ増加。中国は、2014〜18年にかけて53カ国に主要武器を輸出。2009〜13年には41か国、2004〜08年には32か国であり輸出相手が増加。 1991年以来、5年間にわたり、パキスタンが2014〜18年の中国製武器の最大の受取国(37%)であった。韓国の武器輸出は、2009〜13年との比較で2014〜18年にかけて94%大幅に増加した。
E 中東諸国の国別武器輸入は、2009〜13年との比較で2014〜18年にかけて87%増加し、2014〜18年の世界の武器輸入の35%を占めた。サウジアラビアは2014〜18年にかけて世界最大の武器輸入国となり、2009〜13年と比較して192%増加した。 2014〜18年に3番目に大きい武器輸入国であるエジプトによる武器輸入は、2009〜13年から2014〜18年の間に3倍(206%)に急速に拡大。特に、ロシア、仏、独は過去5年間でエジプトへの武器販売を劇的に増加させた。2009〜13年との比較で2014〜18年の間に、英国の武器輸出は5.9%増加。 同時期の武器輸出の59%が中東向けで、その大部分はサウジアラビアとオマーンへの戦闘機輸出であった。イスラエル(354%)、カタール(225%)、イラク(139%)による武器の輸入も、2009 〜13年との比較で2014〜18年にかけてそれぞれ急増。他方、シリアの武器輸入は同期間の比較で87%減少。イスラエル、トルコの武器輸出は、2009〜13年との比較で2014〜18年にかけて、それぞれ60%、170%と大幅に増加した。
F アジア・太平洋地域の 主要な武器輸入国はインド、オーストラリア、中国、韓国、ベトナム。オーストラリアの武器輸入は2009〜13年に比較し、2014〜18年は37%増加し、世界第4位の武器輸入国となった。インドの武器輸入は、2009〜13年と比較し、2014〜18年の間に24%減少。ロシアは2014〜18年、インドの武器輸入の58%を占めた。中国の武器輸入は減少したが、2014〜18年には依然として世界第6位の武器輸入国であった。
G 2009〜13年との比較で2014〜18年にかけて、武器輸入は、米州諸国は- 36%、欧州- 13%、アフリカ- 6.5%と減少した。2009〜13年との比較で2014〜18年の間にベネズエラの武器輸入は83%減少した。2014〜18年にかけて、アルジェリアはアフリカの主要武器の輸入の56%を占めた。他方で、アフリカの他のほとんどの国は非常に少数の主要武器輸入に留まっている。サハラ以南のアフリカの武器輸入国トップ5はナイジェリア、アンゴラ、スーダン、カメルーン、セネガル。あわせて同地域への武器輸入の56パーセントを占めた。
3月11日付SIPRI記事資料https://www.sipri.org/media/press-release/2019/global-arms-trade-usa-increases-dominance-arms-flows-middle-east-surge-says-sipri

2.武器取引が浮かび上がらせる国際諸国関係
● 米国が最大の武器輸出国で、サウジが最大の武器輸入国であること。昨年10月2日に発生したサウジ人ジャーナリスト・カショーギ殺害事件に関連し、トランプ大統領は、犯罪に関与した者の説明責任を問い続けるとしつつ、サウジ最高指導部の責任追及については、1100億ドルの武器取引を台無しにし、ロシアや中国に恩恵を与えることになるとして、消極的な姿勢に終始した。今回の統計は、米国とサウジが、米国の軍需産業を維持するために、切っても切れない関係であることを物語っている。イエメンに軍事介入するサウジは、欧州諸国にとっても、大きな武器輸出先であり、人権を訴える欧州諸国も、カショーギ氏殺害事件に関連してサウジへの武器供与凍結を表明した国は独に留まる
●ロシアは、2015年9月以降シリア内戦に参戦し、シリアの戦場を実験場に弾道ミサイル、誘導ミサイル、大型爆撃機、空母、駆逐艦、地対空ミサイル防衛システムを含むあらゆる武器、軍事設備の効果を世界中にアピールしてきた。この成果は、中国のS-400購入や、インド、トルコによる同システム導入の動きにつながっている。しかしながら、米国との比較で、ロシアの武器輸出は、遅れをとっている。特に、インド、ベネズエラのロシア製武器調達が減少していることが影響している。
●武力紛争が多発し、地域的緊張が継続する中東が武器の最大の受け取り手であり、サウジのほか、エジプト、イスラエル、カタール、イラクがそれぞれ武器輸入を過去5年間のうちに大幅に拡大している。一方、内戦を戦ってきたシリアは、武器輸入を過去5年間83%減少させている。これは、シリア政府が武器を購入する外貨が不足し、また、ロシア、イランの軍事的支援なしで、軍事的優位を確保することができなかったことを意味する。
●その他、インドとのカシミール紛争を抱えるパキスタンが中国製武器の最大の輸入国であること、経済・内政危機に見舞われているベネズエラは外貨不足もあり、武器輸入を大幅に減少させていること、北アフリカでは、アルジェリアが武器輸入のトップであること、中国との海洋覇権を争うオーストラリアが大きな武器輸入国であることが注目される。

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エルドアン政治を体現するトルコのロシア製対空防衛システムS-400調達問題[2019年03月10日(Sun)]
3月9日、トルコのエルドアン大統領は、米国がトルコのロシア製対空防衛システムS-400調達を断念すれば、見返りにパトリオット対空迎撃システムを供与し、さもなければトルコが調達を予定している最新鋭のF-35戦闘機供与も難しくなるであろう、さらに米国の制裁(参考)を課される可能性も排除されないと警告したことに対して、ロシアとのS-400取引はすでに終了しており、後戻りはないと断言した。S-400システムは、2019年7月までに供与されるものとみられている。トルコは、言うまでもなくNATO加盟国であり、米国にとっても戦略上重要なパートナーである。エルドアン大統領がなぜこのような強い立場を打ち出せるのか、その背景を軍事的、政治的側面から考えてみたい。
1. 軍事的側面
(1)ロシア製S-400の性能:S-400は、ロシアが誇る対空ミサイル防衛システムで、600km離れた標的を認識し、毎秒4.8kmまでの速度の標的を迎撃できるとされる。システムの迎撃対処時間は、10秒かからないとされる。
(2)米国製パトリオット対空迎撃システムの課題:調達価格が高価であること、米国が同システムの技術的仕様の提供を拒否していることを、トルコ側は問題視している。
(3)シリア情勢との関連:2018年10月2日ショイグ・ロシア国防相は、プーチン大統領に対して、S-400より性能は劣るものの、有力な対空防衛システムS-300のシリアへの輸送が完了したと報告し、S-300は既に実戦配備されている。トルコが、シリア政府軍より、同種のより強力なミサイル防衛システムを有することは、隣国シリアとの関係でも大きな抑止力になる。ロシア軍は、シリア内戦において、S-300、S-400もシリア国内に実戦配備していた経緯がある。
(4)S-400の汎用性:S-300については、NATO加盟国(ブルガリア、ギリシャ、クロワチア、スロベニア)を含む20か国にすでに売却されており、S-400は、2016年ベラルーシに、2018年には中国に売却され、2018年10月のプーチン大統領のインド訪問において、50億ドルにおよぶとみられるS-400の売却契約が結ばれた
(5)S-500へのとっかかり:ロシアは、S-400よりさらに高性能のS-500対空防衛システムの開発に着手しており、トルコはS-400の国内配備を経て、S-500の調達配備を見据えているものとみられる。
(参考)敵対者に対する制裁措置法(CAATSA):米国は、2017年8月、主にロシアとイランとの取引を行う者を念頭に置いた「敵対者に対する制裁措置法(CAATSA))」を成立させており、米国は、売却契約が同法の「重大な取引」にあたるとして、インドに制裁を課す可能性を示唆し、調達を思い止まるよう説得していた。今回、トルコに対しても同様の警告を発して、調達の断念を迫っていた。
(一部引用アナドール通信図解記事)https://www.aa.com.tr/en/info/infographic/13573
2.政治的側面
(1)エルドアン大統領の政治姿勢:エルドアン大統領は、2017年に国民投票実施により憲法を改正し、2018年6月の大統領選挙・総選挙で勝利し、政治の実権を握る強い大統領であることをアピールしている。そのため、2016年7月のクーデター未遂事件に関連して、背後にあるとみられているギュレン教団シンパの徹底した摘発を進め、また、治安上の脅威であるクルド労働者党(PKK)分子への攻撃の手を緩めることはない。このような強い大統領のイメージを誇示してきたエルドアン大統領は、米国の警告に対して、自国の安全保障上の判断を米国に委ね、米国に屈したと国民からみられることは受け入れがたいと考えられる。
(2)米国への不満:米国は、トルコが上述のクーデター未遂事件の首謀者であるとみなす米国在住のフェトフッラー・ギュレン師の国外追放をためらっている。また、シリアで、有志連合と協力してISIS掃討作戦を進めてきた米軍にとっての地上のパートナーであるシリア民主軍(SDF)の主力を占めるクルド人民防衛隊(YPG)に武器を供給し、訓練を施してきた。トルコは、YPGをトルコがテロ組織とみなすPKKの同根のテロ組織とみなし、米国が武器供与等を行わないよう求めてきた。トランプ大統領は、2018年12月エルドアン大統領との電話会談のあと、シリア北部からの2000名規模の米軍特殊部隊の撤退を発表したが、その後、200名ないし400名の要員を残留させる方針に転換している。これをエルドアン大統領は不満に思っていることは疑いない。
(3)ロシアとの関係:ロシアとは、2015年11月のトルコ空軍機によるロシア軍機撃墜事件により一時期冷え込んだが、2016年6月にエルドアン大統領が、プーチン大統領に遺憾の意を表明し、以後関係は飛躍的に改善し、極めて頻繁に直接会談、電話会談が実施されている。2017年1月にスタートしたシリアにおける敵対行為の停止を目的とするアスタナ・プロセスも、エルドアン大統領とプーチン大統領が主導し、イランを巻き込み、成果を上げている。2018年後半、シリア政府軍のイドリブ総攻撃を思いとどまらせたのも、エルドアン大統領のプーチン大統領への説得が功を奏した結果である。二国間関係は、@アックユ原発建設(2023年に第一号基完成予定。全体完成時にはトルコの電力需要の約10%を供給予定)、Aトルコストリーム・ガス・パイプライン・プロジェクト、B人の往来(ロシアからトルコへの旅行者は2017年470万人に達し、2018年は600万人に増加したとみられている)、C貿易の増大(貿易額も2016年比で2017年は220億ドルと32%増加。今後1000億ドルを目指すとしている)、と関係が急速に深まっている。

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サウジ・ウオッチャーの着眼点(空港セレモニーの重要性)[2019年03月08日(Fri)]
3月5日付英国ガーディアン紙電子版のステファニー・ケルシュゲッセナー(ワシントンDC駐在)、ニック・ホプキンス(ロンドン駐在)両名執筆のレポートは、外部にはほどんど明らかになることのないサウジ王室内でサルマン国王と息子のムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)皇太子の関係に微妙な緊張が走った可能性を示唆している。同報告は、サルマン国王が2月25日に、エジプトのシャルム・エル・シェイクで開催されたアラブ連盟・EU首脳会議出席を終えてリヤドに帰着した際、出迎え者の中にMBS皇太子の姿が見当たらなかったことに着目して、国王・皇太子の関係に亀裂が生じた可能性に言及した。空港送迎に誰が対応するのかという形式については、欧米や日本であれば、標準的なプロトコールで対応し、さほど問題になることはないが、サウジアラビアについては、非常に重要な意味を持っている。いくつか例をあげよう。
1.2016年4月20日のオバマ大統領のサウジ訪問:リヤドの空港に出迎えたトップは、リヤド州知事で、国王も皇太子も副皇太子も外務大臣も出迎えることはなかった。サウジのTVも外国要人の来訪の際、通例になっている空港到着時の様子を放映することはなかった。国王は、翌21日、米・GCC首脳会議に出席する予定のGCC首脳については、自ら空港に出向いて、迎えているにもかかわらず、米大統領の出迎えを省略した。当時、サウジは、2015年7月米国がサウジが懸念するイランとの核合意(JCPOA)に踏み切ったこと、シリアのアサド政権の化学兵器使用疑惑で、オバマ政権がアサド政権崩壊をもたらす可能性のある軍事オプションをとることを躊躇ったこと、9.11同時多発テロに関連して、テロ被害者や犠牲者家族がサウジ政府に賠償等を求めて訴えることを可能にする「テロ支援国に対する正義法(JASTA)」法案が廃案になるようオバマ大統領に圧力をかける必要があったこと等を背景に、サウジ政府がオバマ大統領の中東政策に大きな不満を抱いていることを、空港出迎えのレベルを落とすことでデモンストレートしたとみられている。
2.2017年5月20日のトランプ大統領サウジ訪問:トランプ大統領は、就任後初の外遊先にサウジを選択し、同日夫人同伴で、大統領専用機でリヤドに到着した。空港には赤じゅうたんに沿って儀仗兵が並び、サルマン国王が大統領夫妻を出迎えた。サウジ指導部が、トランプ大統領との公私の関係構築に如何に期待しているかを、空港行事が物語っていた。
3.2017年11月3日のハリーリ・レバノン首相来訪:レバノンのサアド・ハリーリ首相は、サウジからの訪問の要請に応じて、同日リヤドの空港に到着したが、空港でサウジ側出迎え者が誰もいない異変に気付いた。外国の政府賓客の来訪に際して、空港ではサウジ王族、政府高官が出迎えるのが通例である。ハリーリ首相は、この状況に自分とサウジ政府との関係でなにか重大な問題が生じていることを空港で悟った。翌4日、ハリーリ首相は訪問先のサウジからTV演説で、レバノン首相ポストを突然辞任すると発表し、マクロン仏大統領が介入するまで、軟禁状態に置かれていたとされる。ハリーリ首相はレバノン帰国後、辞意を撤回した。
4.2006年4月5日のサウジ皇太子訪日:日本もサウジとの関係では破格の空港対応を行っている。同日スルタン・サウジ皇太子が訪日した際は、羽田空港では皇太子殿下、日・サウジ議連の会長橋本龍太郎元首相、麻生太郎外相という超豪華陣がサウジ皇太子を出迎えた
5.2017年3月12日のサルマン国王訪日:サウジ国王としては46年ぶりにサルマン国王が訪日した。政府専用機からエスカレーター式タラップで羽田の地を踏んだ国王出迎えたのは、皇太子殿下であった。国王は1000名の随行員を従えていたと報じられている。

ガーディアン報告には、ほかにも注目点がある。ひとつは、エジプト訪問にあたってサルマン国王は、警護要員を、MBS皇太子に近い要員ではなく内務省の特に国王に忠実な要員に入れ替えたとされること、国王不在中に国王代行であるMBS皇太子が、2つの重要な王宮令を発しており、ひとつは、王女リーマ・ビント・スルタン駐米大使の発令であり、ふたつめは、MBS皇太子の弟で国王の息子である駐米大使であったハーリド・ビン・サルマン王子の国防副大臣発令(MBS皇太子は国防大臣も兼任)であった。ガーディアン報告は、この人事異動はサルマン国王に相談なく発出され、特にハーリド王子の人事は、昇格を急ぎすぎているとして国王の怒りを買ったとされる。国王と皇太子の関係がこれをもって危うくなっているとみるのは早急すぎ、サウジの政策立案、執行の実質的トップにあるMBS皇太子も、みずからの決定の正当性を国王の権威に依存していることは間違いなく、国王と皇太子の相互依存関係は当面続くのは間違いない。しかし、2017年6月下旬に1夜にして、当時皇太子だったムハンマド・ビン・ナーイフ(通称MBN)殿下が解任された例からも、サウジ・ウオッチャーは、王室内のどのように一見小さく見える変化からも、その意味を懸命に探ろうとしている
https://www.theguardian.com/world/2019/mar/05/fears-grow-of-rift-between-saudi-king-salman-and-crown-prince-mohammed-bin-salman

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アルジャジーラTV報道で紹介されたカショーギ氏殺害に関わる新事実[2019年03月05日(Tue)]
アルジャジーラ・アラビア語放送は、3月3日夜、「隠されたものは、計り知れない」と名付けられたテレビ番組において、「遺体はどこにあるのか」とのタイトルで、サウジ人ジャーナリストでワシントン・ポストのコラムニストであったジャマール・カショーギ氏殺害に関するターミル・ミスハール記者実施のインタビュー・解説による事件に関連する新たな画像、証言を含む報道ルポを流した。2018年10月2日にカショーギ氏がイスタンブールのサウジ総領事館に入館後、既に5か月が経過したことになるが、その間、トルコ側治安当局のリークとみられる莫大な情報が報道機関に流されてきた。今回のルポでもこれまで明らかになっていなかった新たな注目すべき内容が紹介されている。

1. ルポは、カショーギ氏の遺体はどうなったのかに焦点をあてており、当初、@ベオグラードの森等への投棄、Aリヤドに隠密裏に持ち帰った、Bトルコ国内に地元の協力者がおり、暗殺団が協力者に依頼して、別の場所に移動した、Cサウジ総領事館ないし総領事公邸内で処理した、可能性が考えられたとのことである。@については、サウジ情報部所属で、在イスタンブール総領事館員であったアハマド・アブドッラー・ムザイニが10月1日に暗殺団に先行帰任し、ベオグラードの森等の視察を行ったことが確認されており、遺体の廃棄場所を探していた可能性が指摘されている。Aについては、番組で、暗殺団の現場指揮者であったと考えられるマーヘル・ムトリブ情報部員が、10月2日に午後5時にイスタンブールのアタチュルク空港に到着したプライベート・ジェット機の機側まで侵入してきた総領事館の黒塗りの車両から降り立ち、携行荷物もトルコ側保安検査を受けることなしで、1時間後の午後6時に出発したことが映像ならびに証言で確認された(因みに、第二機目は午後10時半に出発したが、その際は荷物検査が行われたものの、カショーギ氏に関するものは発見されなかった)。Bについては、11月15日サウジの検察当局が、容疑者から事情聴取したところとして、暗殺団一行は遺体をトルコ国内の協力者に引き渡したとして、似顔絵も用意したとされるが、どこの誰に引き渡したのかという情報は、サウジ側からは一切明らかになっていない。Cについては、今回サウジ側で隠蔽工作が行われたとみられるにもかかわらず、トルコ側の鑑識は、トルコ総領事執務室の壁から血液の化学反応を確認したとのことである。さらに、総領事公邸には、2日午後3時過ぎに総領事館を出発した黒塗りの車両が公邸玄関に横付けされ、大きなバッグが総領事公邸内に運び込まれるのが、映像で確認できる。総領事公邸には、殺害のしばらく前に、ひとも押し込めるような大きなサイズのかまどが新設されており、請負業者によれば、通常の調理用かまどはせいぜい600度cであるのに、総領事館のかまどは1000度c以上の金属も溶かせるほどの高熱を発生させる特別仕様のものであったとのこと。カショーギ氏失踪のあと、総領事公邸では大量の肉が購入され、失踪直後3日間かまどで燃やされており、遺体の一部を焼却する偽装工作であった可能性がある。
2. その他の興味深い事実
@ 事件に関するトルコとサウジの最初の接触:トルコ側でカショーギ氏失踪の直後、トルコの情報機関MITのハカン・フィダーン長官が、サウジのムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)皇太子に電話し、カショーギ氏がどうなったかを知らせるよう求めたところ、皇太子は、応じることを拒否し、(サウジとして)受け入れがたい脅迫であるとみなしたとのこと。因みに、米国務省の記事資料では事件に言及がないものの、10月3日にポンペイオ国務長官がMBS皇太子に電話しており、この時点で、トルコも米国も情報機関が動き出していたことが看取される。ターミル記者は、トルコの情報部員とのインタビューの中で、これだけトルコ側が情報をキャッチしているにもかかわらず、なぜ殺害を止められなかったのかを質問したところ、トルコの情報機関であれ、他のどの機関であれ、これほど短時間に殺害が実行されれば、それを止める手段はないと答えている。
A カショーギ氏の総領事館来訪:カショーギ氏はトルコ人フィアンセを同行して、9月28日に単身証明、出生証明を取得するため、在イスタンブールのサウジ総領事館を訪問した(トルコ人女性は総領事館には入れず、外で待機)が、その際はコーヒーも出され、滞在時間は45分であり、書類準備のため、次に10月2日に再訪するよう求められたとのこと。この情報は、直ちに本国に伝えられ、暗殺団の派遣が決定したものとみられる。殺害当日、カショーギ氏の携帯に、総領事館から午後1時頃、訪問するようにとの電話が入ったとのこと。フィアンセのハディージェは、電話が入ったことは確認したが、誰が電話してきたのかはわからないとのこと(注:カショーギ氏は、MBS弟のハーリド駐米サウジ大使(当時)から結婚に必要な証明書の取得はイスタンブールの総領事館で行うようアドバイスしていたことが明らかになっており、仮に上記のかまどの建設もそのあと開始されていたとすれば、サウジ側が主張する「ならず者」の犯行ではなく組織ぐるみの犯行であったことを示す材料となる)。
B カショーギ氏の殺害:総領事執務室で腰かけていたカショーギ氏の前にロンドンの大使館で同僚であったマーヘル・ムトリブが現れ、その間、暗殺団員がカショーギ氏の両手を後ろ締めにして、頭に頭巾をかぶせ、もがき抵抗するカショーギ氏を押し付け、窒息死させた。わずか7分の出来事であった。その後、遺体の切断に30分要し(注:電動のこぎりが持ち込まれていたとのこと)、さらに遺体を処理し、カバンに詰め込むまで、1時間半の早業であった。
C カショーギ氏に変装した人物:画像には、カショーギ氏の上着を着て、付け髭で、総領事館裏口から退出して、付近を歩いまわる暗殺団のひとりムスタファ・ムハンマド・マダニの姿がとらえられていたが、番組では、上着をシャツに着替えて、滞在先のモーベンピック・ホテル(注:同ホテルはサウジ総領事館から2kmほど。暗殺団一行は、モーベンピックの他、ウィンダムホテルにチェックインしていた)付近までタクシーで移動した際の、タクシーの運転手の証言が映像とともに報じられている。運転手は、午後3時か3時半ごろ、当該者をタクシーに乗せたこと、降りた後当該者がゴミ捨て場になにかを投棄したことを証言している。
当該記事
https://www.aljazeera.net/programs/the-hidden-is-more-immense/2019/3/3/%D9%85%D8%A7-%D8%AE%D9%81%D9%8A-%D8%A3%D8%B9%D8%B8%D9%85-%D8%A7%D9%84%D8%AC%D8%B2%D9%8A%D8%B1%D8%A9-%D8%AA%D9%83%D8%B4%D9%81-%D8%AA%D9%81%D8%A7%D8%B5%D9%8A%D9%84-%D8%AC%D8%AF%D9%8A%D8%AF%D8%A9-%D8%A8%D8%B4%D8%A3%D9%86-%D8%A7%D8%BA%D8%AA%D9%8A%D8%A7%D9%84-%D8%AE%D8%A7%D8%B4%D9%82%D8%AC%D9%8A

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5年ぶりのガザ在住のパレスチナ人のウムラ(小巡礼)再開[2019年03月03日(Sun)]
2019年3月、2014年以来5年ぶりに、ガザ地区在住のパレスチナ人イスラム教徒が、イスラムの聖地メッカでウムラ(小巡礼)の宗教的儀式を行うことができるようになる。下記MEE報道の骨子を紹介する。ガザのイスラム教徒パレスチナ人は、宗教行事への参加であっても、渡航許可の制限、渡航の際の安全上のリスク、多額の費用負担の重荷を背負っていることが認識される。
(MEE報道骨子)
https://www.middleeasteye.net/news/palestinians-gaza-perform-umrah-pilgrimage-first-time-five-years
●ウムラはサウジアラビアにある聖地メッカへのイスラム教徒の巡礼の行であるが、ハッジ(大巡礼)とは異なり、イスラム教徒の義務である5行(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)には分類されずウムラはその年の特定の時期に開催されることはない。
●ガザのパレスチナ人がウムラのためにメッカを最後に訪れたのは2014年であった一方で、大巡礼については、2018年に東エルサレム、西岸地区、ガザ地区在住のパレスチナ人6,600人が参加した。東エルサレムと西岸から毎年平均5万人から7万人がウムラを実行。2014年ガザ地区の2万人から3万人のパレスチナ人がウムラのためにメッカに赴いたとされる。
●2014年以来、エジプト当局がガザ地区からのパレスチナ人がラファを通過して、カイロからサウジアラビアへ飛行することを許可するという予告が毎年出ていたものの、エジプトは2011年以来の武装勢力との戦闘に基づくシナイ半島での「安全上のリスク」を理由に、実際には毎回許可証を発行しなかった
●2007年以来ハマースによって統治されてきたガザ地区のパレスチナ人と西岸地区在住のパレスチナ人はPAによって発行された旅券で旅行し、東エルサレムのパレスチナ人はヨルダンまたはイスラエルによって発行された渡航文書で旅行する。
ガザからメッカまでの所要時間は推定48時間かかり、合計1,650kmをカバーする。旅行中の最も危険な地域は、戦闘中のシナイ半島の北に位置するエルアリシュとエルカンタラ間のバス移動の371kmの行程である。カイロからジッダへは航空機で移動し、ジッダからメッカまではバスで移動する。
●エルアリシュとエルカンタラ間は、以前は5時間の行程であったが、シナイ半島での安全対策と検問所のためにバス移動に12時間かかる。2014年10月に31人のエジプト兵が殺害されたとき、エジプト軍と治安部隊への攻撃はピークに達した。エジプト当局者は2014年当時「セキュリティ上のリスク」のためにシナイの土地でのパレスチナ人のウムラ巡礼者用のバスの保護を保証することはできず、したがってウムラ機関に対する旅行許可は与えられないと語っていた。シナイ半島北部の状況は今も不安定で、本年2月16日、シナイ北部の武装衝突で15人のエジプト兵と7人の戦闘員が殺害された。
●安全上のリスクにもかかわらず、同行するPAの職員は3月3日に800名のウムラ巡礼者を運ぶ18台のバスは、エジプトの軍用車両に伴走されると語った。
●今回ガザのハッジ・ウムラ機関協会のアワド・アブ・マズコール会長によれば、パレスチナ人がウムラを実行できることが確認された。昨年11月、パレスチナ自治政府(PA)とエジプト当局の間で、2019年5月までの3ヶ月間、1週間に800人のパレスチナ人(毎月合計3,200人)がラファ検問所を通過する許可を与えることが合意された。
●昨年9月に始まったウムラの季節はサウジアラビアに旅行する一時的な旅行書類でビザを取得するパレスチナ人の権利を制限するサウジアラビアの措置によって混乱していた。この措置は1月、東エルサレム、ヨルダン、レバノンおよびイスラエル国内のパレスチナ人の約300万人のパレスチナ人に影響を与えた。パレスチナ人へのビザ付与禁止は約5ヶ月後に撤廃された。
●移動手段を含む14泊のウムラパッケージの費用は、800ヨルダンディナール(1,125ドル)であり、値上がりし続けている。2016年にサウジアラビアで実施された規則では、メッカに2回ウムラを訪れる人には、2,000サウジリヤル(533ドル)を支払う必要がある。

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