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イスラム世界との結びつきを通じて、多様性を許容する社会の構築についてともに考えるサイトです。

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女性王族の駐米サウジ大使誕生の光と影[2019年02月25日(Mon)]
2月23日、王宮令で駐米サウジ大使に王女のリーマ・ビント・バンダル(Princess Reema bint Bandar)が任命された。 王女リーマは、サルマン国王の息子で、ムハンマド・ビン・サルマン(MBS)皇太子の実弟ハーリド・ビン・サルマン(Khalid bin Salman)大使と交替することとなった。王女リーマは、サウジ初の女性で在外公館に駐在する大使となった。王女リーマは、1983年から2005年まで駐米大使を務めたバンダル・ビン・スルタン王子の娘で、同王女自身23年間米国に滞在し、1999年ジョージ・ワシントン大学の博物館学の学位を取得している。サウジでは、2017年6月に、サウジで女性の運転が公式に認められたほか、同時期、女性の映画鑑賞、スタジアムでのスポーツ観戦も認められるようになり、今回の女性王族の駐米大使任命は、保守的なサウジ王国における女性の社会進出を象徴する出来事であると考えられる。

一方、サウジ政府の今回の人事異動は、米国内で今も静まっていないサウジ指導部のサウジ人ジャーナリストであったジャマール・カショーギ氏殺害疑惑に関し、ハーリド大使が、カショーギ氏から結婚のために必要な書類を得るための電話照会に対して、トルコのイスタンブールのサウジアラビア領事館を訪問するよう勧めたことと無関係ではなく、米国内ではハーリド大使自身、カショーギ氏殺害に関与しているのではないかとの疑惑が生じていた。今回のリーマ王女発令と同時にハーリド王子は、本国で兄のMBS皇太子が国防大臣を務める国防省の副大臣に任命された。 MBS皇太子は、今月、パキスタン、インド、中国をそれぞれ訪問し、人権問題は棚上げにされ、各地で大歓迎をうけ、訪問国夫々で大規模な経済協力の話を進め、国際場裡での存在感をアピールした。昨年末に人事異動が行われ、外相ポストを離れたジュベイル前外相は外務担当大臣として、以前と変わらぬ活躍を行っている。24日にシャルム・エル・シェイクでシーシ・エジプト大統領がホストして開催された初のEU-アラブ連盟サミットには、サルマン国王が出席してEU諸国との緊密な関係をアピールし、サウジ指導部はカショーギ氏殺害疑惑で投げかけられた負のイメージの払しょくに努めている。

Posted by 八木 at 14:51 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

【注目されるスーダン情勢とバシール大統領の今後】[2019年02月24日(Sun)]
スーダンでは昨年の12月19日以来、食糧・燃料高騰・不足、預金引き出し不安等に基づく大規模な住民デモが発生しています。これに対して、オマル・バシール・スーダン大統領は、2月22日、1年にわたる緊急事態を宣言し、副大統領、全閣僚、地方知事の解任を発表しました。そして翌23日には、バシール大統領は、長年の盟友バクリ・ハッサン・サーレハを更迭し、新たな副大統領に国防大臣であったアワド・イブノウファスに、新首相に東ジャジーラ県知事であったムハンマド・ターヒル アヤーラを任命させました。また、数名の閣僚はその後再任されたとのことです。バシール大統領は、対話を呼びかけつつ、デモ主導者を徹底的に取り締まる姿勢を鮮明にしました。

これに先立ち、2月21日、東大東洋文化研究所で、「スーダンの最近の政治情勢をめぐって」と題して、報告者:ムハンマド・アブディン氏(学習院大学)ならびにコメンテーター:栗田禎子教授(千葉大学)による情勢勉強報告会がありました。アブディン氏の報告の注目点は次のとおりです。アブディン氏の結論としては、2009年に国際社会がダルフール紛争に関連したバシール大統領による迫害への正義を実現するために下した国際刑事裁判所(ICC)のバシール氏への逮捕状の発行により、権力を失うとICCへの送還が確実なバシール大統領が権力にしがみつく方向に追いやられており、出口が見えない状況に国民が巻き込まれているというものです。
(注目点)
民衆蜂起は今回が初めてではない。1956年のスーダンの独立後、2回民衆蜂起により政権が打倒されている。一回目は、1964年のアッブード政権、二回目は、1985年のヌメイリー政権。
●今回の民衆蜂起は、小麦や燃料の高騰、不足、通貨不足で預金引き出しが困難になったこと等による経済不安を背景にしたものであるが、その主要な原因のひとつは、2011年7月の南スーダンの独立。スーダンの国庫収入の大きな割合を占めていた原油生産拠点の7-8割は南スーダンに位置している。但し、スーダンには天然資源として金が250トン/年で産出されており、世界第3位である。
●スーダンは、共産党、ムスリム同胞団(MB)が勢力をもっており、MBとの関係もあり、カタールがダルフール紛争の仲介を行ったこともあり、カタールやトルコが支援してきた。また、イランとの関係も強かったが、2015年3月からのサウジ主導のイエメンへの軍事介入においては、スーダンが空爆に参加し、その後、1万人規模の地上部隊もサウジの要請を受けて派遣した。2016年1月にサウジのシーア派指導者ニムル・アルニムル師の処刑のあと、イランのサウジ大使館、総領事館が襲撃される事件をきっかけに、サウジはイランと断交したが、サウジの盟友UAEさえ、外交関係の格下げで対応したにもかかわらず、スーダンは真っ先にイランとの外交関係を断絶した。サウジには100万人規模のスーダン人が暮らしており、さらに外国からの援助が必要なスーダンは、どっちつかずの対応をとることができず、サウジに対して忠誠を強くアピールすることとなった。
●米国は、オバマ政権が対スーダン経済制裁を延長していたのと裏腹に、トランプ政権は2017年11月に経済制裁解除を決定し、スーダン寄りの姿勢を示してきた。この一方で、バシール大統領はロシアにも接近し、米国の脅威からスーダンを守るよう要請したとのこと。スーダン国内には、親米路線をとることにより、国内の安定を実現したいとの向きもあるが、スーダンの利益とバシール大統領自身の利益は必ずしも一致しない。バシール大統領にとっては自身を守るために、各方面に保険をかけておきたいということだが、ロシアがその狙い通り動いてくれるとは想像しがたい。昨年12月にバシール大統領は、シリアの内戦ぼっ発後初のアラブ元首として、ダマスカスを訪問してアサド大統領と会見した。スーダンには、小麦は2週間分の在庫しかなく、シリアとアラブ諸国との和解を働きかけるロシアが3か月分の小麦供与を約束したことが、訪問の背景にあるといわれる。
●スーダンの主な治安部隊は、国軍、情報サービス機関(NIIS)、民兵組織のジャウジャウィードである。それぞれ、仲がよくないが、バシールへの忠誠を示してきた。NIISは単なる情報機関ではなく、実行部隊を有する組織であり、ダルフール紛争では刀狩りも実施している。バシールは影の部隊といわれる緊急支援部隊(RSF)を保有している。治安部隊の暴走を抑える役割がある。リビア国境の監視の任も担っており、リビア経由で欧州に押し寄せる難民を抑える観点から、欧州も支援している。国軍の兵士とNIIS隊員の給与の差は10倍程度ある。イエメンには国軍ばかりでなく、NIIS隊員も派遣されており、大変人気がある。給与が高いからである。
以上、文責八木正典

Posted by 八木 at 11:07 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

パレスチナ・ガザの画家三人展 アーティスト・ブリッジ2019[2019年02月23日(Sat)]
ガザから3人の画家が初来日して、東京大学東洋文化研究所1階玄関ホールで、2019年2月21日(木)〜3月7日(木)の期間、「パレスチナ・ガザの画家三人展 アーティスト・ブリッジ2019」 が毎日9:30−18:00  (但し、土日、2月25日〜27日閉館。入場無料)開催されています。2月28日(木)16:00 〜19:00には、徐京植(ソ・キョンシク)東京経済大学教授・作家とガザの3名の画家が出席して、ギャラリー・トークが東京大学東洋文化研究所 1階玄関ホールで実施される予定です。長沢栄治東大教授がアレンジされており、ご関心のある方はぜひ、足を運んでみてください。
(来日中のガザの画家3名)
Mohammad Al-Hawajri(モハンマド・ハワージリ)
Sohail Salem(ソヘイル・サーレム)
Raed Issa(ラーエド・イーサ)

【補足】ガザは、一方を東地中海に面し、陸側3方はフェンスに隔離された総面積365平方キロの土地に人口約200万人が居住し、人口密度は約5200名/平方キロの超密集地帯である。1967年の第三次中東戦争で、西岸とともにイスラエルに占領された。1987年の第一次インティファーダ(民衆蜂起)はガザから起きた。1993年のオスロ合意によってイスラエル・パレスチナ間の紛争解決の第一歩としてガザ・ジェリコ合意が結ばれ、ガザはパレスチナ人が実効支配する土地となった。しかし、その後和平交渉はとん挫し、2005年にイスラエル政府はガザの入植地を閉鎖し、イスラエル人を退去させ、2006年以降ガザを陸海空ともに封鎖した。現在パレスチナ人政治組織ハマースが現地を実効支配しているが、イスラエルはハマースをテロ組織とみなし、ガザからの人・物・資金の出入りを厳しく制限している。ガザには6か所の検問所があり、イスラエル側で主に運用されている検問所はエレツ検問所で、エジプト・シナイ半島方面にはラファ検問所がある。訪日には、3名は在イスラエルの日本大使館で査証を取得する必要があるが、テルアビブに行くことはできないため、仲介者経由で途中トラブルもあり、発給まで1か月以上を要したとされる。3名は、イスラエル側からの出国をあきらめ、エジプト側から出発することにしたが、直前まで検問所が1か月間閉鎖されていたこともあり3名が国境に到着した時には数百名が待機していたという。検問所通過後、ISの警戒が続くシナイ半島の40か所以上の検問を抜けてカイロ空港にたどり着いたと報じられた(2019年2月19日付朝日新聞夕刊報道)。今回の3名の招聘は、画家上條陽子氏が代表を務める「パレスチナのハートアート・プロジェクト」の事業によるもので、日本の人々が現地の作家の作品に直接触れ、また、その作者と直接触れ合うことで、天井のない監獄ともいわれるガザの現状、パレスチナ人が置かれた過酷な状況に理解を深めるとともに、世界中に、芸術を通じて、将来の展望を開きたいとのガザのアーチストたちの運動への支援の輪を広めようとするもの。3名の画家は、7人のガザの画家が結成したエルティカーウ(出会い)グループのメンバー。ウェブサイトはhttp://www.eltiqa.comでアクセス願いたい。

Posted by 八木 at 14:07 | 日本とイスラム世界の出会い | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

カショーギ氏殺害の責任者特定の判断を回避したトランプ政権[2019年02月13日(Wed)]
トランプ大統領が、上院外交委メンバー等によるグローバル・マグニツキー法に基づく120日間の猶予期限である2月8日までに、カショーギ氏殺害の責任を誰が負うのかの報告を行うようにとの要請に応えなかった。政権側は、報告をするか否かは大統領の裁量の範囲内としているが、議会は、今後新たな法案の提出等で、トランプ政権への圧力を強めようとしている。一方、ポンペイオ国務長官は、サウジ側に説明責任をとらせるとの政権の姿勢に変更はないと釈明している。以下のとおり2月に入ってさらにいくつかの展開がある。

1. 上院の動き
●トランプ政権の報告要請無視に反発して、ティム・ケイン米上院議員(民主党、バージニア選出、軍事・外交委員会所属)は、2月10日、次のとおり声明を発出した。
「バージニア州の住民でジャーナリストのジャマール・カショーギ氏は、4ヶ月前にサウジアラビア政府によって残忍にも殺害され、身体を解体された。トランプ政権は露骨にこの犯罪に目を背け、誰が殺人の責任を負うのかについての要求された報告を提供することを拒否している。これはトランプ政権が殺人事件の隠蔽を支援することに等しい。米国は決してこのレベルの道徳的な破綻にまで堕落すべきではない。議会は、サウジにこの凶悪な犯罪に対する責任を果たさせるための努力を怠らないであろう。」
2.容疑者を巡る新たな報道
●サウジの検察をはじめ公式には、サウジ側で起訴されたとされる11名の被告の氏名は一切公開されていないが、今般WSJは、サウジ政府関係者2名によるものとして、死刑が求刑されているとされる5名の被告の名前を初めて報じた。この報道に関連して、2月12日カタール系のミドル・イースト・アイは、ムハンマド・ビン・サルマン(略称MBS)皇太子の側近で、現場チームを指揮したとみられる容疑者のひとりであるカハタニ元王宮府顧問は、公式のポストからは解任されたが、依然として非公式にMBS皇太子の補佐を務めていると報じた。
(死刑が求刑されているとされる5名の容疑者の氏名)
@アハマド・アッシーリ(Ahmad Hassan Mohammad Asiri):元総合情報部(GIP)副長官。2015年3月からのイエメンへのサウジ主導のアラブ連合軍の軍事介入で、連合軍のスポークスマンを務め、世界中に顔が知られている。今回の事件に関連して、GIP副長官ポストを解任された。12月5日トルコの裁判所は、「カ」氏殺害の容疑者として、アッシーリ将軍に逮捕状を発出した。
Aマーヘル・アブドルアジーズ・ムトリブ(Maher Abdulaziz Mutreb) :カハタニ王宮府顧問の情報・治安担当補佐で、殺害当日サウジ総領事館に派遣された15名の暗殺団の現場責任者。
Bサラーハ・ムハンマド・アル-トゥバイギ(Salah Muhammed al-Tubaigy):
内務省の犯罪証拠局に所属する法医学専門家。骨切断のこぎりを携帯し、現場で殺害されたカショーギ氏の身体切断を主導とされる。
Cムスタファ・ムハンマド・アル-マダニ(Mustafa Mohammed al-Madini ):
事件当日、カショーギ氏の上着、メガネ、アップル・ウオッチで変装して、総領事館裏口から退出し、周辺をさまよった偽装工作者として知られている。
D サアル・ガーレブ・アル-ハラビィ(Thaar Ghaleb al-Harbi):サウジ陸軍中佐
3.ジェフ・ベゾス米アマゾン・ドット・コム最高経営責任者(CEO)兼ワシントンポスト・オーナーの暴露記事を巡るサウジの影
●米タブロイド誌ナショナル・エンクワイアラーがベゾスCEOの不倫を暴露する記事を掲載した件を巡り、ベゾス氏は2月7日夜、ナショナル・エンクワイアラーの発行者であるアメリカン・メディア(AMI)の弁護団からの書簡をブログに投稿。ベゾス氏は記事が政治的な動機に基づくものかどうか調査していたが、書簡では、AMIの弁護団はベゾス氏に対しその調査をやめるよう要求。さもなくば、露出度の高い写真を掲載すると伝達。ブログでベゾス氏は、AMIに脅迫されたと主張。ベゾス氏はAMIのCEOペッカー氏とサウジ政府とのつながりに言及し、さらなる情報の表面化を示唆した。ベゾス氏はワシントン・ポストのオーナーでもあり、同氏のコラムニストであったカショーギ氏殺害に対して、同氏自身はカショーギ氏失踪の当初コメントを控えていたが、ワシントン・ポスト紙は失踪直後から連日、積極的な報道を行い、当初殺害を否認していたサウジ政府を追い込み、サウジ上層部の関連追及に消極的なトランプ政権の姿勢を批判してきた。サウジとのビジネス関係をてこにベゾス・オーナーに、執拗に事件の真相解明を求めるワシントン・ポスト紙が静かになるよう影響力発揮を期待し、MBS皇太子の特集記事を汲んだ広報誌を発出したことがあり、サウジとの特殊な関係があるとみられるAMIが、ベゾス氏を脅そうとしていたのではないかという疑惑が生じている。サウジ側は、ジュベイル外務担当相がこの疑惑を一蹴しているが、今後の捜査の関係で、具体的な事実が浮上する可能性が排除されない。

Posted by 八木 at 12:44 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

カショーギ氏殺害事件の発端はハーリド駐米サウジ大使の電話勧告の可能性[2019年02月07日(Thu)]
2月6日ポンペイオ国務長官は、FOXニュースのマリア・バーティロモ女史のインタビューの中で、カショーギ氏殺害事件に対する米国の対応について、以下のとおりやりとりしています。カショーギ氏がトルコ人女性ハティージェ・ジェンギズとの結婚手続きを進めるための単身証明、出生証明書をとるために、ムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)サウジ皇太子の実弟であるハーリド・ビン・サルマン駐米サウジ大使に電話した際、大使からイスタンブールにいくよう勧められたとの話をある上院議員から聞いたとして、質問者マリアがポンペイオ長官に投げかけた質問のやりとりです。報道では、当該通話は、CIAが傍受し、一部議会関係者にその事実が説明されたものとみられますが、米政府は確認していません。インタビューの関連部分のみ、ご一読ください。
(国務省公式サイト)https://www.state.gov/secretary/remarks/2019/02/288805.htm
質問:教えてください。私は昨夜、ある上院議員と話をしていました、彼は私に、「マリア、我々がカショーギ氏が駐米サウジアラビア大使に電話したのを知っていながら、大使が議会からわずか30ブロック離れた場所で今も執務し続けている理由を知りたい」と語りました。カショーギ氏が、自身の結婚のための書類が必要であるとサウジ大使に尋ねたとき、大使は、イスタンブールに行くよう勧めたとのことです。このような提案を行った大使がなぜまだそこに留まっているのでしょうか? カショーギ殺害事件の結果として米政府が(11月15日の17名に対する制裁以外に)取ることになる他の何か行動がありますか?
ポンペイオ国務長官:マリア、私は3点を言いたい。第一に、あなたはそこで扱われている事実関係について注意を払うべきです。
質問:カショーギ氏が電話したとは思わないのですか?
長官: - たくさんの(公表されていない)事実 –があるのですよ。
質問:私たちは彼(大使)が(MBS)皇太子の実弟(ハーリド・ビン・サルマン殿下)であることを知っています。
長官:職務柄、米国の諜報活動については話をしないことになっています。あなたはそこで扱われている事実関係に注意を払うべきです。(報じられた)あらゆることは、何が実際に起きたかの米国の理解を正確に反映しているわけではないとお伝えします。
第二に、米国とサウジアラビア王国の間には重要な関係があることを私たちは知っています。私たちはそれをさらに発展し続けるために最善を尽くします。
第三に、ジャマール・カショーギ氏の殺害に関しては、この政権はすでに行動を起こしており(注:2018年11月15日にカハタニ王宮府(元)顧問、オタイビ駐イスタンブール総領事ならびに殺害当日犯行の現場にいた15名の計17名に制裁が課されている)、トランプ大統領自身も、カショーギ氏殺害というおぞましい行為に関与した人々に関する事実関係を究明すると繰り返し述べてきました。それに関連しているすべての人々に説明責任を持たせ続けることが、米国のコミットメントです。それは私たちの価値観と深く一致しています、そしてそれを履行するつもりです。

Posted by 八木 at 13:01 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

米中央軍司令官でさえ相談に預かっていないトランプ大統領の米軍のシリア撤退決定[2019年02月06日(Wed)]
2月5日、米中央軍司令官であるジョセフ・ヴォーテル陸軍大将は、上院軍事委員会のヒアリングに出席し、昨年12月のトランプ大統領による米軍のシリア撤退宣言については、大統領がシリアから退去したいとの希望を有していることは認識していたものの、撤退決定については事前の相談に預かっていないと証言した。トランプ大統領のシリア撤退宣言については、大統領の決定に抗議し、昨年12月マティス国防長官ならびに対ISIS作戦の有志連合間の調整にあたっていたマクガーク大統領特使が相次いで辞任したが、中東や中央アジアを管轄し、まさにISISとの戦いの最前線を指揮してきた米中央軍の司令官でさえ、撤退についての相談を受けていなかったと語ったことは、米軍の駐留部隊や同盟国、同盟勢力の部隊を危険に陥れる可能性が高い重大決定を、大統領が専門家の意見を聴取することもなく、自らの判断のみで決定したことを意味し、極めて衝撃的である。1月29日には、上院情報委員会で、ダン・コーツ国家情報長官は、CIA長官らとともに出席し、北朝鮮、シリア、ロシアに関わる懸案に関してトランプ大統領の見方と相いれない見解を表明し、シリアからの米軍の撤退については、ISISは、軍事的圧力の低下を、秘密裡にプレゼンスを強化し、主要能力の再構築を加速するために利用するであろうと述べ、トランプ大統領の対ISIS勝利認識に真っ向から反する見解を述べている。
 ヴォーテル司令官は、最大で34,000平方マイルあったISISの支配領域は、20平方マイル未満に大きく減少したが、この領土を奪還したとしても、ISISや過激派との戦いは終わっておらず、我々の使命は変わっていないことを理解することは重要であると語った。そして、大統領が決定を下した以上、シリアから撤退するという大統領の命令を執行するつもりだとしつつ、非常に慎重な方法で進める必要がある、同時にISISに圧力を加え続けるための綿密な軍事作戦計画も練る必要がある、さらに、パートナーとして戦ってきたクルド人の保護とトルコが国境沿いに有している懸念についても考慮する必要があると述べた。
 米国の安全を守るために、メキシコ国境に壁を建設すべきであると主張しているトランプ大統領が、国の安全の要である国防や情報部局の分析や説明に耳を傾けることなく、自身が享受している全体の6割の自由時間の中で、自らの考えのみで政策決定を行っているとすれば、米国民のみならず、影響を受ける世界中の人々の不安も高まる一方である。但し、救いは、米国の国防や情報機関は、トップにすりよるのではなく、十分機能していることが認識できることである。

Posted by 八木 at 12:54 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

カショーギ殺害事件は忘れ去られたのか。注目される2月8日のトランプ大統領の回答[2019年02月05日(Tue)]
昨年10月2日にサウジ人の著名なジャーナリスト・カショーギ氏が殺害されてから、あっという間に4か月が経過した。一時期連日のように報じられていた失踪・殺害に関する報道も最近では目にすることも少なくなってきている。それでは、カショーギ殺害事件は忘れ去られようとしているのだろうか。そもそも、この事件については、いまだ、殺害されたカショーギ氏の遺体の行方があきらかになっていない。遺族の立場からは、殺害の真相があきらかになることもさることながら、カショーギ氏の遺体を受け取り、メッカに埋葬したいという願望が強いと思われる。2019年に入ってからの注目すべき動きは次のとおり。

1.アニエス・カラマール国連特別報告者(国連人権高等弁務官事務所所属)は独立の人権専門家として本年1月28日から2月3日まで、人権擁護の側面からカショーギ氏殺害事件に関する評価を行うためためトルコを訪問。滞在中、チャブシュオール外相、国家情報院MIT幹部、イスタンブールの主任検事と面談し、カショーギ氏殺害の音声テープを聞いたほか、トルコ側の捜査情報を入手し、さらに、エルドアン大統領に近い与党公正発展党AKP幹部ヤシン・アクタイ顧問、カショーギ氏の元トルコ人婚約者ハティージェ・ジェンギズと面談した。滞在中サウジ側に総領事館と公邸の検証を行いたいと要請したが、サウジ側からは返答がなかったとのこと。カラマール氏がまとめる調査報告は、本年6月47か国代表で構成される人権理事会で議論される予定であるが、この件がその場限りとなるか、先に進むかは主要国の態度次第。安保理に持ち込まれれば、理論的には2005年のラフィーク・ハリーリ首相爆殺事件のように、国際裁判の開始につながることもありえるが、サウジのMBS体制維持が米国にとっての国益と考えているトランプ政権がそれを認める可能性は極めて低い
2.2月4日TRT Haberとのインタビューにおいて、エルドアン・トルコ大統領は、自ら殺害の音声テープを聞いたこと、この異常な殺人事件に対して何故米国が沈黙を保っているのか理解できないと述べ、さらにこの事件に関し、トルコの情報機関の見方では、サウジ側が容疑者として取り調べを行った22名のうち、何人かは、「交通事故」等の口実で、既に死亡しているかもしれないとの見方を表明した。サウジでは公判プロセスが開始され、容疑者のうち、11名が起訴され、5名に死刑が求刑されるとの検察当局の発表後、尋問が開始されたと報じられたが、未だに、11名が誰かは公表されていない。殺害の当日現場のオペレーションに関与していたのは15名であるが、サウジ側が拘束したとされる22名のうち、11名のみが起訴された理由も公表されていない。

こうした中、3日後の2月8日には、トランプ大統領は、議会からグローバル・マグニツキー法に基づき、期限を切って求められている要請、すなわち、ムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)皇太子がカショーギ氏殺害に責任を有するのか、否かを判断して、議会に報告するようにとの要請への回答提出を迫られている。昨年12月13日 米上院は、MBS皇太子がジャマール・カショーギの殺害に責任があるとの合同決議69号を全会一致で口頭採択で承認しているが、別途トランプ大統領に対して、行政府としての皇太子の責任に関する判断を求めている。トランプ大統領が、CIAからのMBS皇太子の関与は濃厚と結論付けたとみられる分析報告にもかかわらず、「MBS皇太子は、知っていたかもしれないし、知らなかったかもしれない」というラインで逃げ切ろうとしても、本年1月からは下院は民主党が多数をとり、上院でも、共和党の外交委員会に属するグラハム議員等があいまいな返答を許さない可能性も高く、トランプ大統領の対応次第では、サウジとの武器取引の制限をはじめ、サウジへの制裁強化の議論が議会内で強まることも予想される。

すなわち、米議会と国連の両方のレベルで、本件の安易な幕引きは許さないとのさまざまな動きが出てくるものとみられ、この観点からも2月8日にトランプ大統領が回答を出すのか、何らかの理屈で回避するのか、回答するとすればどのような内容になるのかが注目される。

Posted by 八木 at 14:53 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ローマ・カトリック教会の長であるフランシスコ法王のアラビア半島初訪問 [2019年02月04日(Mon)]
2月3日夜、ローマ・カトリック教会の第266代教皇であるフランシスコ法王は、就任後初めてアラビア半島に足を踏み入れ、アラブ首長国連邦(UAE)への3日間の訪問を開始した。空港では、UAEの実質的な最高指導者であるシェイク・ムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン・アブダビ皇太子兼UAE国軍司令官代行による出迎えを受けた。
法王は、3日間のUAE滞在中、2月5日にアブダビのザーイド・スポーツシティ・スタジアムで約13万5千人の信者を対象にミサを行う予定。さらに、2月3日から2日間の日程で、2019年を「寛容の年」として宣言したUAEのアブダビにおいて開催されている「人類の友愛に関する世界会合」への出席が予定されている。同会合出席の機会に、フランシスコ法王は、イスラム世界での最高の宗教的権威のひとつであるエジプトのアズハル機構を代表するシェイク・アハメド・アル・タイイブ・グランド・イマームとの会合も期待されている。人類の友愛に関する世界会合は、寛容担当大臣であるシェイク・ナヒヤーン・ビン・ムバーラク・アール・ナヒヤーン殿下により開催が宣言された。

ローマ法王とイスラム世界との接触を振り返りたい。パウロ6世は1964年に最初の聖地巡礼を行い、ヨハネ・パウロ2世は2001年にモスクに足を踏み入れた最初の法王であった。フランシスコ法王は、6年間の教皇在任中に、25回海外訪問を行い、うち13回はイスラム教国への旅であった。トルコからパレスチナ、エジプト、ヨルダン、バングラデシュ、中央アフリカ共和国まで、法王は現場のモスクでイスラムの指導者と共に祈り、二つの信仰の崇拝者たちの間の寛容と平和を呼びかけた。湾岸諸国が、宗教対話を主導するのは今回が初めてではない。2007年11月には、アブドッラー・サウジ国王がバチカンを訪問し、ローマ法王と対話した。翌2008年6月、アブドッラー国王は、メッカにおいて、イランのラフサンジャニ元大統領をはじめとするシーア派代表も招き、イスラム対話を実施。その成果を踏まえ、7月には、イスラム、キリスト、ユダヤ教の融和を目的とする世界宗教対話会合をマドリッドで開催した。それは、同年11月の国連における世界信仰対話会合の開催に結びついた。日本も河野洋平外務大臣のイニシアティブの下、外務省が2002年に「イスラム世界との文明対話」との称する対話を開始し、板垣雄三東大名誉教授らが中心となり計8回対話会合を実施した。文明間対話サウジ会合では、対話出席者へのアブドッラー国王による接見が実現した。2011年3月には、今回フランシスコ法王が訪問したアブダビで,文明間対話を引き継ぐ第一回目の「イスラム世界との未来への対話」セミナーが、ザーイド大学がホストしてアブダビで開催された。「未来対話」は,日本とイスラム世界の有識者や青年が特定のテーマについて議論することにより,相互理解を深めることを目的としており、計3回実施された。
ここ数年間は、イスラム世界との間で、スンニー派の代表格であるサウジとシーア派世界を代表するイランとの確執が目立っているが、アブドッラー国王時代は、イランとの間で様々な問題を抱えつつ、イランとの間でも必要以上に関係が悪化しないよう努めてきたことが伺われる。すなわち、現在のサウジ・イラン関係の緊張は、単にスンニー派・シーア派の宗派対立ではないことが伺われる。
アルジャジーラ報道によれば、少なくとも100万人のキリスト教徒がUAEに居住しており、13の教会が開設されている。また、カタール、オマーン、バーレーンにも教会が存在しており、湾岸諸国のキリスト教徒の数は約400万人にのぼるとされる。また、カトリック近東福祉協会が発表した統計によると、2017年のトルコ、シリア、レバノン、イラク、パレスチナ、イスラエル、エジプト、ヨルダンのキリスト教徒の数は、2億5千8百万人の総人口のうち1,450万人であるとされる。エジプトのコプト教徒(土着のキリスト教徒)で、国連事務総長を務めたブトロス・ガーリは、元エジプト外務担当相を長らく務めていた。しかし、外相になることはできなかった。中東イスラム地域の多くの国ではイスラム教徒が多数であるが、キリスト教徒のみならず、さまざまな少数宗派、少数民族が存在することを忘れてはならない。

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2月1日の「世界ヒジャーブ・デー」のスローガンは、「ステレオタイプをぶち破れ、境界を粉砕しろ」[2019年02月02日(Sat)]
世界ヒジャーブ・デーの催しが、世界各地で昨2月1日催された。ヒジャーブとは、イスラム教徒女性(ムスリマ)が頭髪や身体を覆うスカーフである。2013年に開始された「世界ヒジャーブ・デー」と名付けられた運動の発案者は、バングラデシュ出身のナズマ・カーン(Nazma Khan)というニューヨーク在住のムスリマで、彼女は、ヒジャーブを着用しているムスリマ以外の女性たちに1日間、ヒジャーブを体験させることで、宗教的寛容と相互理解を促進させるというアイデアを思いつき、実践に移した。その運動は、往々にして、ムスリマへの宗教的抑圧の象徴ともみなされることがあるヒジャーブを体験し、ヒジャーブ着用女性が、それ以外の女性との比較で何ら特別の存在ではなく、また、敵対的でも嫌悪すべき対象でもないことをヒジャーブ着用女性との交流を通じて、身をもって感じてもらおうとの趣旨で、世界中にはびこりつつある「イスラム嫌悪(イスラムフォビア)」の真逆をいく運動である。ナズマは、ニューヨークで通学していた中学校では唯一のヒジャーブ着用生徒で、「バットマン」とか「忍者」と呼ばれる差別を受け、2001年の9.11事件の後は、大学で、「オサマ・ビンラーデン」であるとかテロリストと呼ばれたこともあったとインタビューの中で告白している。
米国では、2019年1月から下院議員となったムスリマ議員2名のうち、1名はヒジャーブ姿で登院した。オスマン帝国廃止後、世俗化をすすめたトルコでは、1984年にスカーフの着用に関する最初の禁止がムスリマに採用され、1997年のクーデターの後、スカーフ禁止は加速化した。女子学生は公共の建物の入り口でスカーフを脱いで帽子をかぶるのが一般的になり、小さなカーテンルームが、イスタンブール大学の文学部のような場所の入り口に設置されていたが、イスラム化を進めるエルドアン政権の下、2010年にその禁止措置が撤回されたとトルコ紙は報じている。日本でもインドネシアやマレーシアなどイスラム諸国からのムスリマの来日数が増えるにつれ、ヒジャーブ着用の女性を見かける機会も多くなっている。2017年2月には、東京ジャーミイで、世界ヒジャーブ・デーに連帯したヒジャーブ体験イベントも開催されている。
2017年夏、世界ヒジャーブの日運動は、World Hijab Day Organization, Inc として知られる非営利団体となった。この団体の使命は、「啓発と教育を通じてムスリマに対する差別と闘う」とのことである。ご関心のある方は、次のサイトhttps://worldhijabday.com/ならびにハッシュタグ#FreeInHijab , #WorldHijabDay にアクセス願いたい。

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