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イスラム世界との結びつきを通じて、多様性を許容する社会の構築についてともに考えるサイトです。

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AFCアジアカップにおける因縁のUAE戦でのカタールの勝利[2019年01月30日(Wed)]
カタールのタミーム首長の訪日中の1月29日、アブダビのムハンマド・ビン・ザーイド・スタジアムで実施されたAFCアジアカップ準決勝では、カタールが4-0で勝利し、決勝進出を果たし、2月1日日本と対戦することとなった。昨日のブログで指摘した通り、スタジアムはUAEを応援するサポーターの白一色に染まり、試合開始前から異様な雰囲気に包まれていた。2017年6月からUAEなどアラブ4か国の断交・陸海空封鎖を受けているカタールの国歌が吹奏されると、スタジアムはブーイングの嵐となった。試合前半で、2点目が入る前にフィールド内に靴が投げつけられ、以後カタール得点のたびに、靴やペットボトルが投げつけられた。試合終了間際には、UAE選手がひじうちでカタール選手を倒して、ビデオチェック後、レッドカード一発退場となった。ハマド・ビン・ジャーシム元カタール首相兼外相のツイッターによれば、カタールの第2得点後、観戦に来ていたUAEの実質的な指導者であるムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子は自らの名をいただくスタジアムから姿を消したとされる。カタールに得点されるたびに、スタジアムのUAEサポーターは意気消沈し、沈黙がスタジアムを覆った。一方、カタールの首都ドーハで、テレビ観戦していたカタール・サポーターは、得点のたびに大歓声を上げていたといわれる。
UAEの監督は、日本のナショナルチームを率いた経験をもつアルベルト・ザッケローニである。一方、2022年FIFAワールド・カップホスト国となるカタールでは、大会8ゴールをたたき出したアルマエズ・アリ選手をはじめ、若手が育ってきていることが印象付けられた。因みに日本の最多得点者は現時点まで4点を挙げた大迫選手である。29日実施された日・カタール首脳会談後の公式晩さん会においては、両首脳の間でサッカー談義が交わされたことは間違いない。

Posted by 八木 at 10:50 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

カタール首長の訪日とAFCアジアカップでの因縁のカタール・UAE戦[2019年01月29日(Tue)]
昨1月28日、カタールのタミーム・ビン・ハマド・アール・サーニ首長殿下が2015年2月以来4年ぶり、2017年6月のサウジなどアラブ4か国の断交・陸海空封鎖以来初めて訪日した。天皇陛下がタミーム殿下の日本滞在中、御会見になるほか、安倍総理による首脳会談、晩さん会が予定されている。カタールは、アラビア半島のペルシャ湾(アラビア湾)に突き出た小さな半島国家であるが、世界最大規模のLNG(液化天然ガス)の輸出国で、日本にとっても世界第3位の供給国になっている。世界最大級の埋蔵量を誇るノースフィールド・ガス田は、地下で、イランの南パルス・ガス田と結びついている。カタールは産油国でもあるが、産業戦略上、天然ガスに集中することが適当として、2019年1月に石油輸出国機構(OPEC)を脱退した。カタールが運航するカタール航空は、ドーハ経由で世界の各地に向かう日本人旅行者にとっても、すっかりなじみになっている。カタールは、2022年FIFAワールド・カップホスト国にも選定されており、現在、8か所のエアコン付きスタジアム建設が進められている。

さて、カタールは、AFCアジアカップ決勝リーグで韓国を破り、本1月29日(日本時間23時)、UAEとの因縁の準決勝に臨むことになっている。カタール・UAE戦の勝者は、2月1日の決勝戦で、昨28日イランを3-0で下した日本チームと戦うことになる。前回の、本ブログの投稿で、カタールと断交4か国の関係修復の兆しを指摘したが、すんなり進んでいるわけでもなさそうである。今回のカタールの各試合の応援団の入国は極めて限定的であり、さらに、因縁の試合をUAEサポーターでスタジアムをいっぱいにするためか、前回試合でカタール・チームを応援したオマーンほかの国際サポーターを排除するためかはっきりしないものの、アブダビ・スポーツ評議会が、本日のカタール戦の試合のチケットを買い占め、それをUAE人に無料で配布していると、カタールのアルジャジーラ他が報じたが、UAEのナショナル紙もまさにアブダビ・スポーツ評議会がUAE国民への無償配布を行う記事を流して、観戦を促しており、カタール・チームは、「完全アウェー」の状況下で、試合に臨むことになる。昨日の日本・イラン戦では、相当数のイラン・サポーターのスタジアム観戦が確認されているが、GCCのメンバー国で本来アラブの同胞国であるカタールのサポーターは、UAEにとっての仮想敵国であるはずのイラン以下の扱いで、カタール戦は、UAEの外交を仕切るアブダビ首長家にとっての面子の問題としても絶対に負けられない雰囲気がにじみ出ている。

Posted by 八木 at 10:44 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ロシア・トルコ首脳会談の注目点(トランプ大統領の北部シリアにおける「安全地帯」設置提案に対するプーチン大統領の反応)[2019年01月25日(Fri)]
1月23日、モスクワで、プーチン・ロシア大統領とエルドアン・トルコ大統領の首脳会談が実施された。同会合は、1月13日のトランプ大統領による北部シリアで幅20マイル(約32km)の「安全地帯」設置提案をうけて最初のロシア・トルコ首脳会談であり、シリア問題に深く関わっているロシアのプーチン大統領が、「安全地帯」設置構想にいかなる立場を打ち出すのかが最大の注目点であった。会談後の共同記者会見で、プーチン大統領は、質問に答え、概ね次のとおり発言した。
(共同記者会見トランスクリプト)http://en.kremlin.ru/events/president/news/59718
@シリアにおいて米軍は、合法的な政府からの招待、あるいは安保理の決定という国際的な法的根拠なしに、違法に駐留してきた。同時に、我々は、シリアを含むテロとの闘いにおいて米国のパートナーとの建設的な協力を確立した。この協力が継続することを願っている。
Aトルコの友人たちの自国の安全を確保したいという利益を尊重する。
B1998年のシリアとトルコとの間の協定はいまだに有効であり、それは特にテロとの戦いを扱っている。それは南部国境におけるトルコの安全確保に関連する多くの問題をカバーする法的枠組みであると思う。我々は現在、この問題を包括的かつ徹底的に議論している。

この三番目に言及された協定とは、1998年10月20日にトルコの外交当局者とシリアの治安責任者間で結ばれた「アダナ合意」である。この骨子は、次のとおりである。この合意を受けて、オジャランPKK党首は、シリアを退去し、翌1999年2月に逃亡先のケニアで逮捕され、以来、今日まで、トルコの牢獄に収監されている。この合意が現在まで、有効であるのか否か明確ではなく、筆者が2年前にチャブシュオール外相の訪日の際、笹川平和財団の会合で質問した際、明確な説明はなかった。今回のプーチン大統領の発言は、アサド政権が、トルコの治安面での懸念に配慮して、トルコがPKKの同根とみなすクルド人民防衛隊(YPG)に国境の管理を委ねることなく、YPGの活動を禁止し、国境の安全を図るのであれば、トルコもシリアの主権を認めざるを得なくなるとロシアが考えていることを示唆する。
実際に、ユーフラテス川東方の国境地帯に長大な「安全地帯」を設け、それをトルコが管理するということであれば、領土の一体性という観点からもクルド人勢力のみならず、アサド政権、ならびにアサド政権を支えるロシアとしても、認められないこととなる。一方、米国の後ろ盾を失うクルド人勢力は、トルコからの軍事的圧力を受けて、マクガーク前対ISIS有志連合調整大統領特使が指摘した通り、否が応でも、アサド政権側に接近せざるをえない状況に追い込まれ、まさに、現状はその方向に動きつつある。
(参考)
トルコ・シリア間のアダナ合意(1998年10月20日署名)の内容
1.本日をもって、オジャラン(Öcalan)はシリア領内に存在せず、彼は絶対にシリアに入ることを許されない。
2.海外のPKK分子はシリアに入ることを許されない。
3.今現在、PKKキャンプは運営されておらず、活動を行うことは絶対に許されない。
4.多くのPKKメンバーが逮捕され、裁判所に突き出された。彼らのリストは用意されており、シリアはこれらのリストをトルコ側に提示した。
シリア側は上記の点を確認した。さらに両国は以下の点についても合意している。
@シリアは、相互主義の原則に基づいて、トルコの安全と安定を危うくすることを狙ったその領内からのいかなる活動も許可しない。シリアはPKKに対する武器供給、物流資材供給、財政支援を許さず、PKKの宣伝活動も自国の領内で許可しない。
AシリアはPKKがテロ組織であることを認識している。シリアは、他のテロ組織と並んで、PKKとその関連団体のすべての活動をその領内で禁止している。
Bシリアは、PKKが訓練や避難所のためにキャンプやその他の施設を設置すること、またはその領内で商業活動を行うことを認めない。
Cシリアは、PKKメンバーが第三国への移動に自国を通過することを認めない。
Dシリアは、PKKテロ組織の首領がシリア領内に入国するのを防ぐためにあらゆる必要な措置を講じ、そのために国境を管理する当局に指示する。
文責 八木正典

Posted by 八木 at 13:41 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

フィリピン・ミンダナオ島でのバンサモロ自治政府発足に向けての住民投票の開始[2019年01月22日(Tue)]
 フィリピンにおけるイスラム教徒の歴史は、人口の90%を占めるキリスト教徒よりも長く、16世紀にスペインの植民者が来訪した際、イスラム教徒をスペイン語のMoor人を由来としてモロ人(Moros)と呼んだとされる。以来モロ人たちは、マニラの支配に反発し、「モロ人の国」を意味するバンサモロ(Bangsamoro)の独立、あるいは自治確保のために、中央政府に抵抗してきた。過去半世紀を振り返れば、人々が貧困、失業、政治的・経済的周縁化に直面したミンダナオ島では、政府軍と反体制側イスラム武装勢力あるいは共産主義者グループとが流血の衝突と暫定的な和平が繰り返されてきた。
 2018年7月26日、長らくミンダナオ島ダバオ市で市長を務めた経験を有するドゥテルテ・フィリピン大統領は、イスラム教徒による自治政府樹立を認める「バンサモロ基本法」に署名し、同法が成立した。2017年5月には、ISISに忠誠を誓ったアブ・サヤフ・グループやマウテ・グループがミンダナオ島南部マラウィ市を占拠し、ドゥテルテ政権は、同年10月17日にマラウィ市解放を宣言したが、イスラム過激派を抑え込むためにも、モロ民族解放戦線(MNLF)から分離したモロ・イスラム解放戦線(MILF)を中心とする穏健派と手を結び、ミンダナオ島の発展を支援する必要があるとの確信を強めたものとみられる。
 2019年1月21日、バンサモロ基本法に基づき、同法の施行と関係自治体のバンサモロ自治地域加入の是非を問う住民投票がコタバト市、イザベラ市で開始された。今回の投票でバンサモロ自治政府創設が承認されれば、2月6日には北ラナオ、コタバト両州の一部で第2回目の投票が行われ、自治政府の最終的な領域が確定する。
 自治政府は、移行期間を経て2022年に正式発足する見込み。ミンダナオ島に設立されるバンサモロ自治政府には高度な自治が認められ、予算の立案や執行権を有する。自治政府発足の暁には、同自治政府は、自治区域内で徴収された税金の75%を受け取る(25%は中央政府へ)ことになり、フィリピンの経済的発展から大きく取り残され貧困状態におかれたミンダナオ島開発のきっかけになることが期待されている。また、バンサモロ地域内のイスラム教徒に対してはシャリア(イスラム法)に基づく司法が適用される予定。コタバトとイザベラ市は、現在のイスラム教徒自治区(ARMM)を構成する5州に含まれておらず、賛成多数であれば、バンサモロ自治政府発足の可能性が極めて高くなる。キリスト教徒多数のフィリピンで、イスラム教徒は全人口の約5%程度であり、今回住民投票が実施されたコタバト市でもイスラム教徒以外が約3割を占めるといわれ、キリスト教徒等の不安やMILFに従わないイスラム教徒の反発も予想されたが、非公式の速報では、バンサモロ自治地域参加賛成が多数を占めたと報じられた。
 今回の自治政府発足に向けてのプロセスは、フィリピン政府を代表するドゥテルテ大統領とミンダナオ最大の組織であるMILFを代表するアル・ハッジ・ムラード議長が手を握ったことにより、本格的に動き出した。バンサモロ自治政府の成功は、当研究会が注目している国を支配する多数派と独特のアイデンティティを有する少数派の共存のモデルになることが期待され、今後の展開が大いに注目される。

Posted by 八木 at 16:55 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

アジア・カップで感じられたカタールとアラブ断交4か国の関係修復の動き[2019年01月18日(Fri)]
1月17日、アブダビのザーイド・スポーツシティ・スタジアムにおけるアジアサッカー選手権予選E組の試合で、因縁のカタール対サウジの対戦が行われ、カタールが2対0で勝利を収め、同組1位で決勝進出を決定した。ただ、敗れたサウジも決勝リーグへの進出を決定しており、F組1位で通過した日本と対戦することになった。
 サウジとUAE、バーレーン、エジプトは、2017年6月5日、カタールがテロを支援しているとして、突如カタールとの外交関係を断絶し、陸海空封鎖措置をとった。17日の試合は、断交4か国が、2017年6月の断交以来初のサッカー公式戦であった。カタールは、2022年FIFAワールドカップホスト国に選出されており、サッカーファンが多い断交4か国の国民にとって、4年に一度の近隣アラブ諸国で開催されるワールドカップへの自国の対応が大いに気になっていたことは間違いない。カタールのスポーツ専用放送局BeIN Sportsは、多くの中東諸国でチャンピオンズリーグ、イングランドプレミアリーグ、FIFAワールドカップなどのサッカー大会の放送権を保有しており、カタールはサウジがスポーツ番組の海賊版を違法に流しているとして法的に訴えているという複雑な問題を抱えている。
 こうした中で、やはり断交国のひとつであるUAEのアブダビで、カタールの国歌が斉唱され、カタールの応援団が見守る中、外交的亀裂が生じているサウジと平和裡に試合を戦ったということは、関係修復が水面下で進んでいることを想像させる。カタールのムハンマド・ビン・アブドルラハマン・ビン・ジャーシム・アル・サーニー外相は1月14日に来訪したムーサ・ファキ・マハマト・アフリカ連合(AU)委員長との共同記者会見の席で、アラブ諸国間で2017年に発生した危機の解決策を見出すため「前提条件なし」で対話する用意があると述べた。これは、1月13日にポンペイオ米国務長官が、中東歴訪の一環としてドーハを訪問し、アラブの団結を訴えた後での発言であり、米国が、イラン包囲網を築くために、カタールとアラブ4か国の関係修復を期待していることを反映したものと考えられる。ザーイド・スポーツシティ・スタジアムには、サウジの応援団も駆けつけ、カショーギ氏殺害の関与が疑われているムハンマド・ビン・サルマン(通称MbS)皇太子の顔写真を掲げる応援者も多数見受けられたが、サウジ指導部もカタール断交のような国際社会から過激すぎると受け取られている外交政策の緩和に動き出しているのではないかともみられる。
 スポーツを通じて、政治的関係を改善させることは、「ピンポン外交」として知られる1971年に名古屋で行われた第31回世界卓球選手権に、中華人民共和国が6年ぶりに出場し、大会終了後に中国が米国の卓球選手を自国に招待し、米中関係の緊張緩和に貢献し、のちの米中国交樹立に結びついた先例があり、今後のカタールとアラブ当事者国間の関係修復の対話開始が期待される。

Posted by 八木 at 10:24 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

カショーギ氏殺害に関するトルコ人ジャーナリストによる著書[2019年01月07日(Mon)]
年末の12月28日、「外交的残虐行為:カショーギ氏殺害にかかる暗黒の秘密"Diplomatic Atrocity: The dark secrets of the Khashoggi murder"」と題して、トルコのサバーハ紙のFerhatÜnlü、AbdurrahmanŞimşekおよびNazif Karamanの共著で、Turkuvaz Booksによって、カショーギ氏殺害を巡る著書が出版された。作者は、トルコの捜査当局からの匿名で情報提供を受けたとしており、また、殺害の録音自体は聞いていないが、録音を聴いた関係者から直接取材したとしている。当研究会からも、八木、村瀬共著で、「著名なサウジ人ジャーナリストであるジャマール・カショーギ氏殺害の真相に迫る」との電子著書を Kindle版で出版したが、今回のトルコ側作者の著書は、これまで報じられていない内容も含んでおり、大変興味深い。
https://www.dailysabah.com/politics/2018/12/29/khashoggi-murder-one-step-closer-to-resolution-with-striking-new-findings
1.サウジ当局によって拘束されたとされる18名のうち、実行犯以外の3名の素性:15名の暗殺団の他に3名が容疑者として取り調べをうけていたとされるが、残り3名のうち、先に報じられた1名の他、2名の氏名、所属が明らかになった。この3名は、殺害現場の音声テープには記録されておらず、暗殺団の分隊として殺害の1日前に、イスタンブール近郊で、遺体の遺棄場所等を探索していたことが判明した。
@Ahmed Abdullah A. el-Muzeyni(イスタンブールのサウジ情報部のチーフ、外交旅券所有)
ASaad Muid el-Karni(総領事館警護官、サウジ情報部所属、外交旅券所有)
BMüflis Şaya M. el-Muslih(総領事館警護官、サウジ情報部所属、外交旅券所有)
2.サウジ当局によって拘束された容疑者の現状:法医学者のトゥバイギは拘禁されていると報告されているが、実際には彼は家族と一緒にジッダの別荘に住んでいる。情報筋によると、サウジアラビア当局者はトゥバイギに公の場所に現れないよう伝え、トゥバイギだけでなく拘禁されたはずである容疑者もも実際には拘束されておらず、代わりに人目を避けて暮らしている。
3.音声録音:11月には、カショーギ氏が殺害された瞬間の7分半の音声記録がサウジアラビア、仏、カナダ、独、そして米国中央情報局(CIA)のハスペル長官にも提供されたと伝えられている。実は、音声録音はその7分半だけでなく、録音ははるかに包括的で長い。例えば、カショーギ氏が殺害される前の1時間からの記録はムトリブ(皇太子警護担当官で一行の代表格)、トゥバイギ、ハルビの会話を含む。これらの記録は、3人の殺人者が、彼らが最初にカショーギに彼をリヤドに連行することを伝え、彼が拒むなら、殺害されることを示している。これらの録音は実際にハスペル長官に殺人が計画されたと確信させたものであり、(暗殺団による)突然の決断の結果ではなかった。
4.殺害の前哨:カショーギ氏は、一行によりリヤドに連行すると言われたとき、彼は拒否した。ムトリブは彼が協力すれば許されると言う。彼はカショーギ氏イスタンブールにいて、疑念を惹起しないように彼の息子サラーハ(リヤドに滞在)に「しばらく私に連絡が取れなくても心配しないで」とのメッセージを送るようにカショーギ氏に要求。しかし、カショーギ氏はそれを拒否。それから、カショーギ氏が「あなたがたは私を殺すつもりなのか。あなたは私の首を絞めるつもりか?」と尋ねたのが録音されている。
5.殺害の様子:ムトリブの命令で、暗殺団の5人のメンバーはナイロンバッグでカショーギ氏の頭を覆うことによって首を絞めはじめた。音声記録によると、カショーギ氏の最後の言葉は、「口を塞ぐな、私は喘息持ちだ。窒息させようとしている」でした。伝えられるところによれば、カショーギ氏は5分間殺人犯に抵抗した。
6.音声録音を聴いたハスペルCIA長官の反応:この5分間の録音は非常に劇的なので、そのような問題について経験を積んでいる諜報部員でさえ、聞いている間かなりの不快さを感じた。ハスペルでさえ、アラビア語から英語に翻訳された録音と翻訳者の声を聞きながら感情をあらわにした。録音を聞いた後、ハスペル長官はトルコの国家情報機関(MIT)のハカン・フィダン長官に、これが「諜報の歴史の中で一度か二度」達成されることができる成功事例であると称し、祝福した。
7.遺体の解体:カショーギ氏殺害の後の遺体の解体のプロセスは記録によると、30分続き、手術はのこぎりで行われた。その過程で、その本には現場にいた他のメンバーは、気分が悪く吐き気がすると述べているが、トゥバイギは「なぜあなたがたは突っ立っているのか」と叫んでいる。この本によると、暗殺団がどのようにしてカショーギ氏の遺体を処理したのかについての証拠はない。因みに、トゥバイギは、私は今まで温かい体を扱ったことがないが、簡単に扱うことができる。通常、死体を切るときは、ヘッドフォンをつけて音楽を聴き、コーヒーを飲むこともあると語ったことが記録されているが、メディアが報じたように、トゥバイギがカショーギ氏の遺体を切断しているときに彼が音楽を聴いていたという証拠はない
8.地元の協力者:サウジ側によって当初言及された地元の協力者の存在は、サウジ側の偽装工作である。サウジ側は以前、この事件における地元の協力者の存在について述べていた。しかし、トルコがサウジ側に彼らの身元確認を依頼したとき、10月30日のイスタンブール訪問中に、サウジアラビアの検察官サウド・アル・モジブは地元の協力者の存在を否定した。
9.各種報道とは異なる指摘:事件は王国のイスタンブール総領事ムハンマド・アルオタイビの事務所で行われたが、メディアの主張にかかわらず総領事は「私の部屋でこれ(殺害処理)をしないでくれ」とは言っていない。また、広くメディアに報じられたが、ムトリブが領事館から誰かに「行為完了を上司に伝えてくれ」との電話をかけたことは、実際には偽りである。その本によれば、そのことについての証拠はない。ニューヨークタイムズ紙は11月、ムトレブが上司に電話し、「任務が遂行された」および「行為が完了した」ことを伝えた上司がMBSであることを示唆する報道を行っていた。
10.カショーギ氏殺害の理由:カショーギ氏は、サウジの皇太子であるMBSに非常に批判的で異議を唱える人物として知られている。しかし、カショーギ氏の親友でカナダの活動家であるオマル・アブドルアジーズ氏によれば、同人はサウジアラビア政府批判以上の活動を行っていた。彼は実際にアブドルアジーズ氏との「ミツバチの軍隊」と名付けられた共同プロジェクトに取り組んでいた。このソーシャルメディア軍は、「MBSのハエ」としても知られるMBSの荒らし行為に対するサウジ王国の現実を示すことを目的としたサウジの反体制派で構成されていた。カショーギ氏はアブドルアジーズに5000ドルを寄付することによって個人的にもプロジェクトに投資していた。サウジアラビア政府は、カショーギの著作を知っており、同人を脅威と見なし始めた、とアブドルアジーズは主張。 同氏は、彼のテキストメッセージをカショーギ氏と共有し、MBSが「パックマン(相手を食い尽くすゲームの主人公)」のようだとカショーギ氏が言ったことを明らかにした。
11.未だ明らかになっていない謎:カショーギ氏の殺害は前例のない国際的な抗議を促し、多くの国々がサウジとの関係を再評価することを余儀なくされた。サウジアラビア当局者は王室とMBS皇太子が殺害に関与した可能性を何度も否定してきたが、すべての証拠は首謀者としての皇太子の関与を示唆していた。今日、この問題に関して新たに詳細が明らかになったことで、国際社会はカショーギ殺害事件についてのほとんどすべての情報を得た。しかし、ひとつの疑問が未解決のまま残されている。それは、「カショーギ氏の遺体はどこにあるのか」である。

Posted by 八木 at 21:24 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

米国の政治に新風を吹き込む予感を与える二人のムスリマ下院議員の誕生[2019年01月05日(Sat)]
1月3日、米国の新議会が開幕した。下院には、昨年11月6日の中間選挙で当選した二人のイスラム教徒女性(ムスリマ)議員(ともに民主党所属)が登院した。イルハン・オマル(Ilhan Omar)議員は、米議会史上初めて、ヘジャーブに髪を包んで議場に現れた。もうひとり、ラシーダ・トレイブ(Rashida Tlaib)議員は、パレスチナの民族衣装に身をまとって現れた。オマル議員は、祖父から授かったコーランに左手をあてて宣誓を行った。トレイブ議員は、当初予定していた3代目ジェファーソン大統領が所蔵していたものに替えて、自身のコーランに手をあてて宣誓を行った。オマル議員は、1981年10月4日生まれのソマリア難民であり、4年間のケニアでの難民キャンプでの生活ののち、23年前12歳で米国にたどり着いた。トレイブ議員は、パレスチナ出身の移民である両親により1976年7月デトロイトで誕生した。 オマル議員は、宗教的自由を掲げ、分裂(divisiveness)と憎悪(hate)を拒絶すると宣言した。トレイブ議員は、パレスチナ系米国人としては、2009年に共和党の議員となったジャスティン・アマシュ氏に続く2人目であるが、女性議員としては初めてであり、自分はアラブ系であること、ムスリマであること、そしてパレスチナ人であることから決して逃避しない、政治的願望を有する若者たちに、自身のルーツに正直であるよう訴えている。国の安全のためとして、政府が機能しなくなってもあくまで壁を築こうとするトランプ大統領に対して、自らが移民であること、そして米国の力は移民たちが築き上げてきたという誇りを忘れないムスリマ女性議員が米議会内で声を上げることにより、米国の一国主義という壁に風穴が開けられる予感と期待が漂い始めている。
https://www.dailysabah.com/americas/2019/01/04/us-first-2-muslim-congresswomen-ilhan-omar-rashida-tlaib-take-their-oaths-on-quran

Posted by 八木 at 15:17 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

今も新鮮な究極のマイノリティであるクイーンのボーカリスト・フレディ・マーキュリー[2019年01月04日(Fri)]
كل عام و أنتم بخير
新年あけましておめでとうございます。

本年の第一号の記事として、昨年秋に公開されヒットしている映画ボヘミアン・ラプソディの主人公でもある英国のロックバンド・クイーンのボーカリストであるフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)を取り上げたいと思います。ボヘミアン・ラプソディの歌詞「Mama, just killed a man. Put a gun against his head.  Pulled my trigger, now he’s dead. Mama, life had just begun But now I’ve gone and thrown it all away(ママ たった今、人を殺して来た。彼の頭に銃を突きつけた。僕が引き金を引いたら彼は死んでしまった。 ママ 人生は始まったばかりなのに。僕はすべてを失い、捨て去ってしまった)は、極めて衝撃的です。この曲ばかりではなく、彼の作詞・作曲した作品からは、絶望と孤独、愛への渇望と葛藤、絶対的なものへの祈りのようなものを感じます。これらの作品がうまれる背景は、フレディの生い立ちと無関係ではないようです。フレディは、今はタンザニアに属する当時は英国の植民地であったインド洋のアフリカ側の島国ザンジバルで、ペルシャ系インド人でゾロアスター教徒の両親から1946年9月5日に誕生しています。本名はファルーク・バルサラです。バルサラは、インド・南グジャラートに由来するそうです。少年期は、インドの全寮制寄宿学校に通い、音楽も学んだそうです。1963年にザンジバルに戻り家族と一緒に暮らし始めたものの、翌1964年ザンジバル革命が発生し、当時17才のフレディとその家族は、安全上の理由で英国に避難したとのことです。その後、クイーンのボーカリストとして世界中に知られることになったフレディですが、1991年11月24日HIV感染合併症による肺炎で亡くなりました。45歳でした。彼は、火葬にされ、散骨されたそうです。ゾロアスター教は、ペルシャ起源であり、パールシー教と呼ばれることがあり、また、善の象徴としての純粋な火を尊ぶため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれています。フレディも時代が時代であれば、家族によって、鳥葬、あるいは風葬で送られたかもしれません。今は、シーア派主流のイランですが、イスラム勢力によって支配されるまでは、アケメネス朝からササン朝に到るまで、ゾロアスター教が主流でした。ペルシャにイスラム勢力が進出し、改宗を拒むゾロアスター教徒は、インドの東海岸にたどり着き、その後、英国の支配のもとに入りました。フレディの両親が、ザンジバルに移動したのも、英国の植民下にあったからです。一方、そのザンジバルは、独立当時までは、英国の植民下で、アラビア半島末端の海洋国家オマーンのブーサイード家が支配していました。オマーンの宗教は、イスラム教ですが、シーア派の始祖で、スンニー派からみても4代目カリフのアリーを殺害したハワーリジュ派の流れを汲むイバード派で、現在オマーン本国では、スルタン・カブースが国王です。サウジと同じ湾岸協力理事会GCCのメンバー国ですが、イランとも良好な関係を有し、サウジとは異なる独自の外交を展開する国です。ボヘミアン・ラプソディには、アラビア語を起源とする「bismillah(神の名において)」が3か所出てきます。بسم الله
この歌詞が出てくるのは、出身地ザンジバルがイスラム教イバード派を信奉するオマーンの影響のためではないかと考えられます。
フレディは、クイーンのボーカリストとして有名になってからも、自分の生い立ちには触れたがらなかったそうです。フレディは、ザンジバルというイスラムの主流ではないイバード派オマーン支配の島国で、ペルシャ系のゾロアスター教徒の家族に生まれ、バイセクシュアルで、当時は治療法が見つからないHIVエイズに感染していた究極のマイノリティです。この人物が今注目されています。フレディの歌は、没後27年を経てもまったく古びておらず、むしろ、マイノリティであっても、孤独ではない、仲間がいる、闘いは終わっていないとのメッセージを発しているように感じます。
クイーンの最も有名なステージとなった1985年7月13日のライブエイドの様子は、次のyoutubeから楽しめます。2019年が皆様にとって良い年となるよう祈念しています。研究会共同運営者 八木正典
https://www.youtube.com/watch?v=ktYlzVYQbwY

Posted by 八木 at 11:55 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)