国籍と国への帰属意識について[2018年07月26日(Thu)]
最近のニュースから国籍と国への帰属意識について考えさせられた3つのケースを紹介したい。
1.無国籍者の問題:タイ北部チェンライ県の洞窟から救出された地元サッカーチームの13人のうち、少年3名とコーチの計4名が無国籍者だったと報じられた。世界を感動させた奇跡の救出劇は、タイに無国籍者問題が存在するという事実を浮き彫りにした。少年たちは、サッカーの国際試合に招待されたが、国籍がなければ、旅券が発給されず、当該国への入国さえできない可能性がある。現在、当局により、国籍付与のプロセスが開始されたとのことであるが、この件は、その背後に数多くの無国籍の子どもたちがおり、タイやその周辺国でその問題が放置されてきているのではないかという懸念を惹起した。国籍がないこと、すなわち出生登録がなされていなければ、身分証明書は発給されず、社会保障も受けられず、結婚証明も得られず、就職や政治参加も制限され、個人が搾取される危険が高まる。そのような状態では、国への帰属意識や愛着が生まれることもなく、非合法活動の温床にもなりかねない。
2.二重の帰属をもつ者が直面する課題:ドイツ・サッカー界の有力選手メスト・エジル選手(29)が7月22日、ドイツ代表引退を表明した。同選手はトルコ系で、ワールドカップ(W杯)前の5月13日、英国訪問中のエルドアン・トルコ大統領との写真撮影に応じたことで、6月24日に投開票が行われたトルコ大統領選挙・議会選挙に政治利用されたとして一部から強い批判を浴びていた。同人はツイッターで「人種差別や軽蔑を感じながらドイツのために国際舞台でプレーすることはもうできない」と表明した。先の選挙では、在外投票が認められており、在外では最大の選挙区ドイツで、与党公正発展党(AKP)は有効投票数65万票のうち得票率55.7%でトップの支持を得た。ドイツはFIFAワールドカップ・ロシア大会最有力チームと評されながら、一次リーグで敗退し、エジル選手が、そのうっぷんのはけ口になったとの側面は否めないが、ドイツとトルコという二重の帰属を有することがプラスに働くことも、マイナスに働くこともある事例といえる。
3.難民・避難民となり長らく祖国を離れて外国に暮らす人の課題(シリア難民のケース):シリア難民の最大の受け入れ国は、約350万人を受け入れるトルコである。トルコの場合は、難民条約に基づく正式の難民としての受け入れではなく、「一時的滞在者」としての受け入れである。しかし、7年半に及ぶシリア内戦で、トルコ国内に滞在するシリア人は拡大しており、その多数が難民シェルターではなく、イスタンブールやイズミール、アンカラといった大都市で暮らしているため、受け入れ側は雇用や教育、保健医療ほか人口バランスの変化等様々な問題を抱えることになる。欧州は、シリア難民をトルコ国内に止め欧州に流入しないようにするために、様々な支援プログラムをトルコ国内で実施している。その中でも、最も機能しているのが、EUの社会保障ネット(ESSN)基金の支援をうけるデビット・カード・プログラムである。2016年末に開始されたこのプログラムにより、トルコ赤新月社が世界食糧プログラム(WFP)との連携によりKızılayとよばれるカードを発行し、地域の移民局に登録したシリア人家族は、月120トルコ・リラ(約25ドル)の給付を受け、ハルクバンク(Halkbank)の ATMsから現金を引き出すことができる。すでに100万人のシリア人の生活を支えており、現在、トルコ赤新月社が地方に在住するシリア人にもカードの交付を行うべく、個別訪問調査を実施しており、2020年末までには150万人が恩恵を受けると報じられている(下記URL参照)。給付は、現在登録済のシリア人家族には無条件で実施されており、現地のNGO等から自立を促すために、トルコの語学習得や職業訓練プログラムへの参加を条件にすべきだと意見が出ているとされる。
直接的な生活支援に加えて、シリアの将来を考えれば、シリア人の子どもたちへの教育は極めて重要である。2017年末の段階でトルコには、学校教育年齢にあるシリア人の子どもたちが97万6200名存在するが、37.5%のみが正規の学校に通い、24.5%が暫定教育センターに通い、残る38%は学校教育を受けていないとされる。しかし、トルコ政府は2016年から3年計画で、暫定教育センターを廃止し、正規の学校への編入を進めようとしている。これは学校の過密化や教師不足その他でトルコ人家族とシリア人家族の新たな摩擦の種になっているとされる。2017年3月EUは、ユニセフ、トルコ教育省と連携してシリア人生徒の就学率を高め、退学率を減少させるために、教育のための条件付き現金給付(Conditional Cash Transfer for Education:CCTE)プログラムを開始した。同プログラムは、約23万人の難民世帯に2か月に一度、35-60トルコ・リラ(約10-16ドル)を給付するよう計画されている(CRISIS GROUP報告書参照:下記URL)。
これらの支援は、トルコに在住するシリアにとって極めて重要であることは間違いない。しかし、350万人規模のシリア人が、トルコ国内で10年間にわたって生活支援をうけ、100万人規模の子供たちが、トルコの教育をうけて、トルコの学位を受けて将来の展望を切り開いていこうとすれば、シリア人としての帰属意識は形成されるのか、シリアの国籍に執着する意味は存在するのか疑問が生じる。内戦前のシリアの人口約2200万人のうち、350万人が隣国トルコで暮らしているという事実は重く、シリア国内での生活体験と生活基盤を消失したこれらの人々が将来シリアとトルコの二重国籍を有することになるのか、あるいは国籍は与えられず、シリアに送り返されることになるのか現時点で見通すことは困難である。
https://www.dailysabah.com/turkey/2018/07/23/15m-syrians-to-benefit-from-turkish-red-crescent-cards-by-end-of-2020
2020年末までに150万人のシリア人がトルコ赤新月社のカードの恩恵を受ける(7月23日付デイリーサバーハ紙)
https://www.crisisgroup.org/europe-central-asia/western-europemediterranean/turkey/248-turkeys-syrian-refugees-defusing-metropolitan-tensions
クライシス・グループ報告書第248号(2018年1月29日発行)
1.無国籍者の問題:タイ北部チェンライ県の洞窟から救出された地元サッカーチームの13人のうち、少年3名とコーチの計4名が無国籍者だったと報じられた。世界を感動させた奇跡の救出劇は、タイに無国籍者問題が存在するという事実を浮き彫りにした。少年たちは、サッカーの国際試合に招待されたが、国籍がなければ、旅券が発給されず、当該国への入国さえできない可能性がある。現在、当局により、国籍付与のプロセスが開始されたとのことであるが、この件は、その背後に数多くの無国籍の子どもたちがおり、タイやその周辺国でその問題が放置されてきているのではないかという懸念を惹起した。国籍がないこと、すなわち出生登録がなされていなければ、身分証明書は発給されず、社会保障も受けられず、結婚証明も得られず、就職や政治参加も制限され、個人が搾取される危険が高まる。そのような状態では、国への帰属意識や愛着が生まれることもなく、非合法活動の温床にもなりかねない。
2.二重の帰属をもつ者が直面する課題:ドイツ・サッカー界の有力選手メスト・エジル選手(29)が7月22日、ドイツ代表引退を表明した。同選手はトルコ系で、ワールドカップ(W杯)前の5月13日、英国訪問中のエルドアン・トルコ大統領との写真撮影に応じたことで、6月24日に投開票が行われたトルコ大統領選挙・議会選挙に政治利用されたとして一部から強い批判を浴びていた。同人はツイッターで「人種差別や軽蔑を感じながらドイツのために国際舞台でプレーすることはもうできない」と表明した。先の選挙では、在外投票が認められており、在外では最大の選挙区ドイツで、与党公正発展党(AKP)は有効投票数65万票のうち得票率55.7%でトップの支持を得た。ドイツはFIFAワールドカップ・ロシア大会最有力チームと評されながら、一次リーグで敗退し、エジル選手が、そのうっぷんのはけ口になったとの側面は否めないが、ドイツとトルコという二重の帰属を有することがプラスに働くことも、マイナスに働くこともある事例といえる。
3.難民・避難民となり長らく祖国を離れて外国に暮らす人の課題(シリア難民のケース):シリア難民の最大の受け入れ国は、約350万人を受け入れるトルコである。トルコの場合は、難民条約に基づく正式の難民としての受け入れではなく、「一時的滞在者」としての受け入れである。しかし、7年半に及ぶシリア内戦で、トルコ国内に滞在するシリア人は拡大しており、その多数が難民シェルターではなく、イスタンブールやイズミール、アンカラといった大都市で暮らしているため、受け入れ側は雇用や教育、保健医療ほか人口バランスの変化等様々な問題を抱えることになる。欧州は、シリア難民をトルコ国内に止め欧州に流入しないようにするために、様々な支援プログラムをトルコ国内で実施している。その中でも、最も機能しているのが、EUの社会保障ネット(ESSN)基金の支援をうけるデビット・カード・プログラムである。2016年末に開始されたこのプログラムにより、トルコ赤新月社が世界食糧プログラム(WFP)との連携によりKızılayとよばれるカードを発行し、地域の移民局に登録したシリア人家族は、月120トルコ・リラ(約25ドル)の給付を受け、ハルクバンク(Halkbank)の ATMsから現金を引き出すことができる。すでに100万人のシリア人の生活を支えており、現在、トルコ赤新月社が地方に在住するシリア人にもカードの交付を行うべく、個別訪問調査を実施しており、2020年末までには150万人が恩恵を受けると報じられている(下記URL参照)。給付は、現在登録済のシリア人家族には無条件で実施されており、現地のNGO等から自立を促すために、トルコの語学習得や職業訓練プログラムへの参加を条件にすべきだと意見が出ているとされる。
直接的な生活支援に加えて、シリアの将来を考えれば、シリア人の子どもたちへの教育は極めて重要である。2017年末の段階でトルコには、学校教育年齢にあるシリア人の子どもたちが97万6200名存在するが、37.5%のみが正規の学校に通い、24.5%が暫定教育センターに通い、残る38%は学校教育を受けていないとされる。しかし、トルコ政府は2016年から3年計画で、暫定教育センターを廃止し、正規の学校への編入を進めようとしている。これは学校の過密化や教師不足その他でトルコ人家族とシリア人家族の新たな摩擦の種になっているとされる。2017年3月EUは、ユニセフ、トルコ教育省と連携してシリア人生徒の就学率を高め、退学率を減少させるために、教育のための条件付き現金給付(Conditional Cash Transfer for Education:CCTE)プログラムを開始した。同プログラムは、約23万人の難民世帯に2か月に一度、35-60トルコ・リラ(約10-16ドル)を給付するよう計画されている(CRISIS GROUP報告書参照:下記URL)。
これらの支援は、トルコに在住するシリアにとって極めて重要であることは間違いない。しかし、350万人規模のシリア人が、トルコ国内で10年間にわたって生活支援をうけ、100万人規模の子供たちが、トルコの教育をうけて、トルコの学位を受けて将来の展望を切り開いていこうとすれば、シリア人としての帰属意識は形成されるのか、シリアの国籍に執着する意味は存在するのか疑問が生じる。内戦前のシリアの人口約2200万人のうち、350万人が隣国トルコで暮らしているという事実は重く、シリア国内での生活体験と生活基盤を消失したこれらの人々が将来シリアとトルコの二重国籍を有することになるのか、あるいは国籍は与えられず、シリアに送り返されることになるのか現時点で見通すことは困難である。
https://www.dailysabah.com/turkey/2018/07/23/15m-syrians-to-benefit-from-turkish-red-crescent-cards-by-end-of-2020
2020年末までに150万人のシリア人がトルコ赤新月社のカードの恩恵を受ける(7月23日付デイリーサバーハ紙)
https://www.crisisgroup.org/europe-central-asia/western-europemediterranean/turkey/248-turkeys-syrian-refugees-defusing-metropolitan-tensions
クライシス・グループ報告書第248号(2018年1月29日発行)
Posted by 八木 at 11:56 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)