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パレスチナ・ガザの画家三人展 アーティスト・ブリッジ2019[2019年02月23日(Sat)]
ガザから3人の画家が初来日して、東京大学東洋文化研究所1階玄関ホールで、2019年2月21日(木)〜3月7日(木)の期間、「パレスチナ・ガザの画家三人展 アーティスト・ブリッジ2019」 が毎日9:30−18:00  (但し、土日、2月25日〜27日閉館。入場無料)開催されています。2月28日(木)16:00 〜19:00には、徐京植(ソ・キョンシク)東京経済大学教授・作家とガザの3名の画家が出席して、ギャラリー・トークが東京大学東洋文化研究所 1階玄関ホールで実施される予定です。長沢栄治東大教授がアレンジされており、ご関心のある方はぜひ、足を運んでみてください。
(来日中のガザの画家3名)
Mohammad Al-Hawajri(モハンマド・ハワージリ)
Sohail Salem(ソヘイル・サーレム)
Raed Issa(ラーエド・イーサ)

【補足】ガザは、一方を東地中海に面し、陸側3方はフェンスに隔離された総面積365平方キロの土地に人口約200万人が居住し、人口密度は約5200名/平方キロの超密集地帯である。1967年の第三次中東戦争で、西岸とともにイスラエルに占領された。1987年の第一次インティファーダ(民衆蜂起)はガザから起きた。1993年のオスロ合意によってイスラエル・パレスチナ間の紛争解決の第一歩としてガザ・ジェリコ合意が結ばれ、ガザはパレスチナ人が実効支配する土地となった。しかし、その後和平交渉はとん挫し、2005年にイスラエル政府はガザの入植地を閉鎖し、イスラエル人を退去させ、2006年以降ガザを陸海空ともに封鎖した。現在パレスチナ人政治組織ハマースが現地を実効支配しているが、イスラエルはハマースをテロ組織とみなし、ガザからの人・物・資金の出入りを厳しく制限している。ガザには6か所の検問所があり、イスラエル側で主に運用されている検問所はエレツ検問所で、エジプト・シナイ半島方面にはラファ検問所がある。訪日には、3名は在イスラエルの日本大使館で査証を取得する必要があるが、テルアビブに行くことはできないため、仲介者経由で途中トラブルもあり、発給まで1か月以上を要したとされる。3名は、イスラエル側からの出国をあきらめ、エジプト側から出発することにしたが、直前まで検問所が1か月間閉鎖されていたこともあり3名が国境に到着した時には数百名が待機していたという。検問所通過後、ISの警戒が続くシナイ半島の40か所以上の検問を抜けてカイロ空港にたどり着いたと報じられた(2019年2月19日付朝日新聞夕刊報道)。今回の3名の招聘は、画家上條陽子氏が代表を務める「パレスチナのハートアート・プロジェクト」の事業によるもので、日本の人々が現地の作家の作品に直接触れ、また、その作者と直接触れ合うことで、天井のない監獄ともいわれるガザの現状、パレスチナ人が置かれた過酷な状況に理解を深めるとともに、世界中に、芸術を通じて、将来の展望を開きたいとのガザのアーチストたちの運動への支援の輪を広めようとするもの。3名の画家は、7人のガザの画家が結成したエルティカーウ(出会い)グループのメンバー。ウェブサイトはhttp://www.eltiqa.comでアクセス願いたい。

Posted by 八木 at 14:07 | 日本とイスラム世界の出会い | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)