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ノルウェーのイスラム排斥主義運動代表のコーラン焼却に果敢に立ち向かった男[2019年12月03日(Tue)]
1.11月25日付ロシア・トゥディ(RT)オンライン記事(リンク下記URL)は、11月23日ノルウェーの都市で、イスラム排斥主義運動家の集会で、イスラムの聖典コーラン(クルアーン)が燃やされはじめた瞬間、イスラム教徒の若者一人が、コーランに火をつけたイスラム化停止運動(SIAN)の長の男性に果敢に飛びかかり、その後若者は警察に取り押さえられたが、この映像がネットに公開されて、世界中のムスリムから賞賛の声が寄せられたと報じた。この事件で、スンニー派多数のイスラム教国パキスタン政府と、シーア派多数のイラン政府はそれぞれ駐在のノルウェーの外交使節代表を招致し、イスラム・フォビア主義者の行動に懸念を表明するとともに、再発防止を訴えた。
https://www.rt.com/news/474240-pakistan-norwegian-ambassador-koran/

2.因みに、コーランは、預言者ムハンマドが、天からの啓示として、授かった言葉をまとめた書物である。全体で114章で構成されている。ムハンマドは、神が啓示を与えた預言者(予言者ではなく、神の言葉を預かった人という意味)で、イスラムでは、ノアやアブラハム、モーセ、イエスも預言者であるが、ムハンマドが最後の預言者でこの後には預言者はないとされている。そのため、コーランとムハンマドの言行録であるハディースがイスラム法の基礎を構成している。コーランの114章をすべて暗唱できる人物は、ハーフィズと呼ばれて尊敬されている。
(RT記事主要点)
●パキスタン政府は(今回の事件に)「深い懸念」を表明し、ノルウェーでのコーランの焼却に対する外交行動を開始したが、コーラン読本を守ろうとした男性はパキスタンのソーシャル・メディアで高い評価を獲得した。先週(11月23日)、若いイスラム教徒の抗議者は、クリスチャンサン市の反イスラム教徒(ムスリム)集会で、ノルウェーにおけるイスラム化停止運動(SIAN)の長であるラース・ソーセンがコーランの読本に火をつけたのを見て、飛びかかった。この事件の映像はパキスタンで強い反応を引き起こし、イリヤス・ウマル(Ilyas Umer)という名の男性は、イスラム教で最も神聖な読本を守ろうとしたことで一躍ソーシャル・メディアのヒーローとして歓迎された。ムスリムの若者は拘束されたが、「Ilyas the Koran Defender」と呼ばれる男性を釈放するよう警察に求めるオンライン請願が開始された。
●パキスタン外務省は、ノルウェー大使を呼び出して、トーセンの行動が「パキスタンを含む世界中の13億人のイスラム教徒の感情を傷つけた」と伝え、コーランの焼却は「表現の自由の名の下に正当化することはできない」と述べ、ノルウェー政府がそのような事件の再発を防ぐよう促した。(動画のコピー)https://youtu.be/PsIJmk3aTZE
●2010年、物議をかもしているフロリダの牧師テリー・ジョーンズがコーランを燃やす計画を発表した後、パキスタンの都市で集会が開催された。 2年後、カラチの米国大使館の前で、地元のイスラム教徒コミュニティによって冒涜と見なされた米映画「イスラム教徒の無罪」に対する大規模な抗議が行われた。(動画のコピー)https://youtu.be/FB1QQ2oeNg4

Posted by 八木 at 12:20 | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

10月3日はドイツのモスク開放デー[2019年10月04日(Fri)]
ドイツでは、1997年以来、東西ドイツ統一の記念日である10月3日に合わせて、同日国内の1,000以上のモスクをイスラム教徒(以下ムスリム)以外にも開放し、ムスリムと非ムスリムの交流イベントを実施してきている。人口8100万人を超えるドイツは、仏に次いで西欧で2番目に大きいムスリム人口を有しており、2600〜2700のモスクがあるとみられている。約470万人のムスリムのうち、300万人がトルコ系である。ドイツ最大のモスクであるトルコが建設したケルン中央モスクにも数百名の非モスリムが足を運んだとされる。催しには、全国で10万人以上が参加したとみられている。
近年、多くのイスラム教国からの移民、難民を受け入れてきたドイツはイスラム教恐怖症(イスラムフォビア)の拡大と、極右政党やポピュリスト政党からのプロパガンダによって引き起こされたムスリム移民・難民への憎悪を目の当たりにしている。2018年モスク襲撃100件とヘイト犯罪813件が発生し、ムスリム襲撃事件が目立ってきている。このプロジェクトの動機は、非ムスリムにドイツ社会最大のマイノリティであるムスリムの文化と宗教について理解を深め、互いの偏見を解消する機会に役立ててもらい、社会の安定につなげることにある。

因みに、日本にも東京ジャーミィや神戸モスクのような立派なモスクのほか、簡易礼拝所も含めれば、100以上のムスリムのための礼拝所が存在している。
早稲田大学の店田教授によれば、日本のムスリム人口は約20万人(うち日本国籍は約4万人)で、これに短期訪問者を含め、日本のムスリム人口は増加の一途をたどっている。日本社会においても多数派の非ムスリムと少数派のムスリムとの相互理解を促進し、社会包摂を実現していくことがますます重要になっている。東京御徒町のマスジド・アッサラームは、毎年、11月下旬の週末に「オープン・マスジド・デー」を開催しているので、ご関心のある方の訪問をお勧めする。

Posted by 八木 at 11:07 | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

オランダでのブルカ禁止(burqa ban)法の施行[2019年08月02日(Fri)]
オランダでは、8月1日をもってブルカやニカーブなどの「顔全体を覆う」衣装は、オランダの学校、病院、官公庁などの公共機関やバスや電車内では、着用できなくなった。ブルカ禁止は、2005年に右翼政治家Geert Wildersに最初に提案され、14年間の議論を経て、実施されることになった。治安当局は、顔を隠す女性たちに、ベールをとるよう要求し、従わなければ、150ユーロの罰金を科されるリスクを負う。ブルカやニカーブを着用している女性は、人口1700万人のオランダで、200-400名とみられている。ブルカやニカーブ等顔全体を覆う衣装は、テロ防止の観点から欧州を中心に導入されてきており、最近では、4月21日にムスリム人口10%のスリランカで、教会やホテルを狙ったイスラム過激派による同時多発テロが発生し、スリランカ当局は、同月末、顔全体を覆うブルカ・ニカーブの着用を禁止した。日本では、目立っていないものの、ブルカ・ニカーブ着用の女性をみかけることは皆無ではない。
(関連報道)ディリー・サバーハ紙(2019年8月1日付)https://www.dailysabah.com/islamophobia/2019/08/01/netherlands-joins-denmark-france-and-others-as-burqa-ban-comes-into-effect-in-public-places

(参考1)ムスリム女性の着用するベール
@ブルカ: 顔全体を覆う衣装を着用し、目も薄い布で覆っているため、外部からは着用者の目元がみえない。衣装の色は通常黒。
Aニカーブ:顔全体を覆う衣装を着用しているが、目元は開いているため、目の特徴は確認できる。衣装の色は通常黒。
Bヒジャーブ:頭や首を覆う衣装であるが、顔は出ている。色はさまざま。
Cチャドル:イランの女性が通常、外出し公衆の面前に出る際身に着ける衣装であり、体全体を覆う。衣装は、黒系の布を使用する場合が多い。
(英国4月29日付サン報道のイメージ参照)https://www.thesun.co.uk/news/8960114/sri-lanka-bans-burqa-easter-bombings/

(参考2)ブルカ禁止を導入しているその他の欧州諸国
1.デンマーク
2018年8月1日以来、デンマークでは顔全体を覆うベール着用が違法とされた。2018年5月、デンマーク議会が賛成75、反対30でこの法律を可決承認した。違反者には最高135ユーロの罰金が科される。
2.オーストリア
オーストリアでは2017年から、顔全体を覆うベールの着用が法律で禁止されている。同法は人々にあごから神の生え際まで顔の特徴を見せることを要求している。それが確認できない場合は、人々は最高150ユーロの罰金を科される可能性がある。
3.ブルガリア
ブルガリアは2016年にブルカ禁止が導入された。人々が違反した場合、最高€750までの罰金を科される可能性がある。いくつかの例外がある。
4.ベルギー
ベルギーは、2011年7月から顔全体を覆うベールを禁止した。法律に違反した人は、罰金または最高7日の刑務所拘置の可能性がある。ムスリム人口100万人のベルギーには、ブルカやニカーブ着用者は約300人とみられている。
5.仏
仏は、2011年4月に公の場所で、顔全体を覆うベール着用を禁止した欧州の中で最初の国であった。差別の申し立てを回避するため、禁止法は宗教への明確な言及をせず、むしろあいまいにしている。法律は、誰もが公の場所で、彼らの顔を覆う衣装を着用することを許されない、規定している。

Posted by 八木 at 13:59 | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

米議会に提出されたムスリム入国禁止令廃止法案(NO BAN ACT)[2019年04月17日(Wed)]
4月10日、米議会のクリス・クーンズ上院議員(民−デラウェア州)とジュディ・チュウ下院議員(民-カリフォルニア州)は大統領の既存のムスリム入国禁止命令を撤回し、イスラム教徒多数の国からの入国を阻止し、他の根拠のない差別的な入国禁止措置が再びとられることを妨げるために、上院と下院双方で同じ内容の法案を提出した。出身国に基づく非移民者差別禁止法(National Origin-Based Antidiscrimination for Nonimmigrants Act:NO BAN ACT)はトランプ大統領が過去に発出した3回のムスリム入国禁止令(下記参考参照)を廃止し、宗教に基づく差別を禁止するための移民国籍法を強化し、将来の旅行禁止令を発出する過度に広範な行政権限を制限することによって権力の分離を取り戻そうとするもの。この法律は、90名を超える議員、約400の多様な市民の権利擁護、信仰、国家安全保障およびコミュニティ・ベースの各機関、ならびに民間企業および50名を超える移民法専門の教授連によって支持されている。この法案には、昨年の中間選挙で当選し、イスラム教徒として初の連邦下院議員となったイルハン・オマル議員、ラシーダ・トライブ議員も共同提案者として名を連ねている。一方、90名の支持を表明した議員は、すべて民主党議員であった。
(法案の骨子)
@イスラム教徒の入国禁止した各大統領命令、ならびに難民や庇護を求める個人に害を与える権力の乱用を直ちに撤回する。
A宗教に基づく差別を明示的に禁止し、すべての非差別保護を移民ビザおよび非移民ビザに同様に適用するために、移民国籍法に無差別規定を盛り込むよう改正する。
B信頼できる事実に基づいて、やむにやまれぬ利益にぎりぎり沿うように調整され、可能な限り制限の少ない手段に限定された停止や制限が一時的なものになるよう、将来の禁止を発出しうる大統領の過度に広範な権限を制限する。
C個人の入国の制限ないし停止にあたって、大統領に国務長官および国土安全保障省長官と協議するよう求める。そして、議会への義務的な報告の必要性を強化する。
D人道的および家族的配慮による例外規定付与に有利な推定を支持する。

米国最高裁判所は2018年6月26日、トランプ大統領によるイラン、リビア、ソマリア、シリア、イエメンの5カ国を含む特定の国からの入国禁止令を5-4で支持した。禁止令が完全に施行された初年度の2018年、国務省は禁止対象国からの約37,000のビザ申請を拒否した。 2017年は、1,000件未満が拒否されていたとされる。
(参考)トランプ大統領による3回のムスリム入国禁止令
2017年1月27日 トランプ大統領は、イスラム教徒が多数を占める7カ国(イラン、イラク、シリア、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン)の国民に対して、90日間の入国を禁じ、すべてのシリア難民の米国内への入国を無期限に禁止し、その他の難民について120日間入国することを禁じた大統領令に署名。
2017年3月6日 既存の査証取得者およびグリーンカード(注:米国に自由に出入国ができ、滞在も無制限、職業選択も自由なビザ)所持者を制限対象から免除。さらに、7つの入国禁止対象国からイラクを解除。
2017年9月24日 イラン、リビア、ソマリア、シリア、イエメン、チャドの6カ国に対する入国を禁止。この他、北朝鮮、ベネズエラの政府関係者も入国禁止措置の対象となった。一方、上記イスラム教徒多数の国の国民のグリーンカード取得が禁止された。

Posted by 八木 at 10:24 | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ローマ・カトリック教会の長であるフランシスコ法王のアラビア半島初訪問 [2019年02月04日(Mon)]
2月3日夜、ローマ・カトリック教会の第266代教皇であるフランシスコ法王は、就任後初めてアラビア半島に足を踏み入れ、アラブ首長国連邦(UAE)への3日間の訪問を開始した。空港では、UAEの実質的な最高指導者であるシェイク・ムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン・アブダビ皇太子兼UAE国軍司令官代行による出迎えを受けた。
法王は、3日間のUAE滞在中、2月5日にアブダビのザーイド・スポーツシティ・スタジアムで約13万5千人の信者を対象にミサを行う予定。さらに、2月3日から2日間の日程で、2019年を「寛容の年」として宣言したUAEのアブダビにおいて開催されている「人類の友愛に関する世界会合」への出席が予定されている。同会合出席の機会に、フランシスコ法王は、イスラム世界での最高の宗教的権威のひとつであるエジプトのアズハル機構を代表するシェイク・アハメド・アル・タイイブ・グランド・イマームとの会合も期待されている。人類の友愛に関する世界会合は、寛容担当大臣であるシェイク・ナヒヤーン・ビン・ムバーラク・アール・ナヒヤーン殿下により開催が宣言された。

ローマ法王とイスラム世界との接触を振り返りたい。パウロ6世は1964年に最初の聖地巡礼を行い、ヨハネ・パウロ2世は2001年にモスクに足を踏み入れた最初の法王であった。フランシスコ法王は、6年間の教皇在任中に、25回海外訪問を行い、うち13回はイスラム教国への旅であった。トルコからパレスチナ、エジプト、ヨルダン、バングラデシュ、中央アフリカ共和国まで、法王は現場のモスクでイスラムの指導者と共に祈り、二つの信仰の崇拝者たちの間の寛容と平和を呼びかけた。湾岸諸国が、宗教対話を主導するのは今回が初めてではない。2007年11月には、アブドッラー・サウジ国王がバチカンを訪問し、ローマ法王と対話した。翌2008年6月、アブドッラー国王は、メッカにおいて、イランのラフサンジャニ元大統領をはじめとするシーア派代表も招き、イスラム対話を実施。その成果を踏まえ、7月には、イスラム、キリスト、ユダヤ教の融和を目的とする世界宗教対話会合をマドリッドで開催した。それは、同年11月の国連における世界信仰対話会合の開催に結びついた。日本も河野洋平外務大臣のイニシアティブの下、外務省が2002年に「イスラム世界との文明対話」との称する対話を開始し、板垣雄三東大名誉教授らが中心となり計8回対話会合を実施した。文明間対話サウジ会合では、対話出席者へのアブドッラー国王による接見が実現した。2011年3月には、今回フランシスコ法王が訪問したアブダビで,文明間対話を引き継ぐ第一回目の「イスラム世界との未来への対話」セミナーが、ザーイド大学がホストしてアブダビで開催された。「未来対話」は,日本とイスラム世界の有識者や青年が特定のテーマについて議論することにより,相互理解を深めることを目的としており、計3回実施された。
ここ数年間は、イスラム世界との間で、スンニー派の代表格であるサウジとシーア派世界を代表するイランとの確執が目立っているが、アブドッラー国王時代は、イランとの間で様々な問題を抱えつつ、イランとの間でも必要以上に関係が悪化しないよう努めてきたことが伺われる。すなわち、現在のサウジ・イラン関係の緊張は、単にスンニー派・シーア派の宗派対立ではないことが伺われる。
アルジャジーラ報道によれば、少なくとも100万人のキリスト教徒がUAEに居住しており、13の教会が開設されている。また、カタール、オマーン、バーレーンにも教会が存在しており、湾岸諸国のキリスト教徒の数は約400万人にのぼるとされる。また、カトリック近東福祉協会が発表した統計によると、2017年のトルコ、シリア、レバノン、イラク、パレスチナ、イスラエル、エジプト、ヨルダンのキリスト教徒の数は、2億5千8百万人の総人口のうち1,450万人であるとされる。エジプトのコプト教徒(土着のキリスト教徒)で、国連事務総長を務めたブトロス・ガーリは、元エジプト外務担当相を長らく務めていた。しかし、外相になることはできなかった。中東イスラム地域の多くの国ではイスラム教徒が多数であるが、キリスト教徒のみならず、さまざまな少数宗派、少数民族が存在することを忘れてはならない。

Posted by 八木 at 20:23 | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

2月1日の「世界ヒジャーブ・デー」のスローガンは、「ステレオタイプをぶち破れ、境界を粉砕しろ」[2019年02月02日(Sat)]
世界ヒジャーブ・デーの催しが、世界各地で昨2月1日催された。ヒジャーブとは、イスラム教徒女性(ムスリマ)が頭髪や身体を覆うスカーフである。2013年に開始された「世界ヒジャーブ・デー」と名付けられた運動の発案者は、バングラデシュ出身のナズマ・カーン(Nazma Khan)というニューヨーク在住のムスリマで、彼女は、ヒジャーブを着用しているムスリマ以外の女性たちに1日間、ヒジャーブを体験させることで、宗教的寛容と相互理解を促進させるというアイデアを思いつき、実践に移した。その運動は、往々にして、ムスリマへの宗教的抑圧の象徴ともみなされることがあるヒジャーブを体験し、ヒジャーブ着用女性が、それ以外の女性との比較で何ら特別の存在ではなく、また、敵対的でも嫌悪すべき対象でもないことをヒジャーブ着用女性との交流を通じて、身をもって感じてもらおうとの趣旨で、世界中にはびこりつつある「イスラム嫌悪(イスラムフォビア)」の真逆をいく運動である。ナズマは、ニューヨークで通学していた中学校では唯一のヒジャーブ着用生徒で、「バットマン」とか「忍者」と呼ばれる差別を受け、2001年の9.11事件の後は、大学で、「オサマ・ビンラーデン」であるとかテロリストと呼ばれたこともあったとインタビューの中で告白している。
米国では、2019年1月から下院議員となったムスリマ議員2名のうち、1名はヒジャーブ姿で登院した。オスマン帝国廃止後、世俗化をすすめたトルコでは、1984年にスカーフの着用に関する最初の禁止がムスリマに採用され、1997年のクーデターの後、スカーフ禁止は加速化した。女子学生は公共の建物の入り口でスカーフを脱いで帽子をかぶるのが一般的になり、小さなカーテンルームが、イスタンブール大学の文学部のような場所の入り口に設置されていたが、イスラム化を進めるエルドアン政権の下、2010年にその禁止措置が撤回されたとトルコ紙は報じている。日本でもインドネシアやマレーシアなどイスラム諸国からのムスリマの来日数が増えるにつれ、ヒジャーブ着用の女性を見かける機会も多くなっている。2017年2月には、東京ジャーミイで、世界ヒジャーブ・デーに連帯したヒジャーブ体験イベントも開催されている。
2017年夏、世界ヒジャーブの日運動は、World Hijab Day Organization, Inc として知られる非営利団体となった。この団体の使命は、「啓発と教育を通じてムスリマに対する差別と闘う」とのことである。ご関心のある方は、次のサイトhttps://worldhijabday.com/ならびにハッシュタグ#FreeInHijab , #WorldHijabDay にアクセス願いたい。

Posted by 八木 at 12:03 | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

本田圭執筆パレスチナ現地レポ「オリーブの木の下にてパレスチナ人、ユダヤ人と」[2018年10月04日(Thu)]
最近まで、パレスチナに在住していた本田圭さん現地ルポ「オリーブの木の下にてパレスチナ人、ユダヤ人と」を研究会公式サイトにアップしました。パレスチナ人とユダヤ人の共存に向けて重要な視点を含んでいるので、ぜひご一読願います。
http://meis.or.jp/products/MiddleEastPeace/JewishPersonAndPalestinian.php
昨今、対立ばかりが強調されるパレスチナ・イスラエル関係ですが、現地に住むパレスチナ人とユダヤ人の中には良き隣人として交流した記憶を有する人々も少なからず存在するようです。
ご存知のとおり、パレスチナ・イスラエルの対立は、イスラム教徒対ユダヤ教徒の対立ではありません。イスラム教の創始者である預言者ムハンマドは、西暦622年メッカを脱出し、現在はマディーナ(メディナ)と呼ばれるヤスリブに移動(ヒジュラ、聖遷と呼ばれる)し、イスラム共同体を立ち上げ、メッカ反撃の拠点としました。当時、ヤスリブにはアラブ部族のほか、3つのユダヤ教を奉じる部族が存在し、ムハンマドは、共同体の結束を固めるため、47条で構成されるマディーナ憲章を結び、「ユダヤ教徒でわれわれに従う者には援助と対等の扱いが与えられ、抑圧されることも、その敵に援助が与えられることもない(第16条)」(小杉泰著「イスラームとは何か」、1994年講談社現在新書39頁)として、共同体の一員として迎え入れたとのことです。パレスチナ人とイスラエルのユダヤ人との間でも、双方の隣人としての記憶をベースに信頼醸成に取り組む「架け橋」が存在すれば、双方は同じ方向に歩みだすことが出来るのではないかと信じます。

Posted by 八木 at 10:58 | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

「過激な暴力の温床」と揶揄されたベルギー・モレンベークをイスラム教徒若者にとっての希望の「シリコンバレー」に変える試み [2018年05月07日(Mon)]
ベルギー首都ブリュッセル西部にモレンベーク地区があります。人口10万人弱のモレンベークは、人口の半数(一部地区によっては8割)がイスラム教徒でモロッコ系移民が多く暮らす地域であり、モスクは22あるようです。多くの日本人にとってまったくなじみのなかった同地区が世界中に知られることになったのは、2016年3月22日に発生したベルギーでの32名が犠牲になった同時多発テロの実行犯5名のうち、3名が同地区出身者だったからです。同事件は、ブリュッセル空港とブリュッセル中心部の地下鉄マルベーク駅で実行され、実行犯3名は現場で自爆し、残る2名は後に逮捕されました。2015年11月のパリの同時多発テロ実行犯の一部もモレンベークに在住していたとみられています。このため、モレンベークは、「過激な暴力の温床」とみなされ、同地区のイスラム教徒に対する外部からの偏見、排斥感情の高まりが色濃くなっていました。一方、同地区の若者たちは貧困と失業に苦しめられてきており、若者たちの疎外感と孤立、アイデンティティの喪失が、一部の者を過激思想に追いやったのではないかともみられています。

こうした中、イスラム教徒を中心とする若者たちに、ウェブデザインやコンピュータ関連技術を教授することによって、若者たちの雇用の機会を広げていこうとするプロジェクト「モレンギーク(MolenGeek)」が、2年前に地元のイブラヒーム・オウアッサリ(Ibrahim Ouassari)ら5名の起業家により立ち上げられました。このプロジェクトでMolenGeekは、新しいデジタル専門職、特にウェブとソフトウェア開発能力を有する若者を育成することを目的としたコンピュータ・プログラミングの符号化(コーディング)教育を提供しています。この教育コースは、2017年3月からブリュッセル首都圏に拠点を置く18歳から25歳の求職者に開放されており、ブリュッセル自由大学、Google、Samsungと提携して開発された研修プログラムを提供しています。研修は、人気のプログラムとなっており、直近コースでは15人の定員に140名の応募があったとのことです。コンピュータ関連技術未修者にも広く門戸を提供しており、共同作業室で、応募者のグループの中でゲーム感覚で適性を判断することも行っているようです。

欧州連合や近隣諸国でも、MolenGeekのベルギーでの成功に注目し、他の欧州諸国でも導入の動きが始まっています。 イタリアの都市パドバでMolenGeekの国外最初のプロジェクトが立ち上げられる予定です。 欧州人の44%は基本的なデジタル技術を持っておらず、新技術を専門とする労働者に対する需要は絶えず増加しているため、この分野での専門家育成の重要性はますます高まっているとのことです。こうした試みを通じて、疎外されていたイスラム教徒の若者たちに最先端分野での雇用の機会を与え、社会包摂を実現していくことの意義が強く感じられます。
http://www.euronews.com/2017/06/30/it-s-molengeek-baby
(2017年6月30日付ユーロニュース)
https://ec.europa.eu/digital-single-market/en/news/molengeek-coding-school-goes-european
(European commission, デジタルシングルマーケット記事 2017年12月18日)

Posted by 八木 at 17:02 | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)