CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
イスラム世界との結びつきを通じて、多様性を許容する社会の構築についてともに考えるサイトです。

« 日本とイスラム世界の出会い | Main | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 »

検索
検索語句
<< 2021年02月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            
最新記事
最新コメント
タグクラウド
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
プロフィール

中東イスラム世界社会統合研究会さんの画像
日別アーカイブ
https://blog.canpan.info/meis/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/meis/index2_0.xml
サウジ人ジャーナリスト・ジャマール・カショギ殺害2周年[2020年10月06日(Tue)]
2018年10月2日、トルコ人女性との結婚に必要な独身証明書の発行を受けるためにイスタンブールのサウジ領事館を訪問した著名なサウジ人ジャーナリストでワシントン・ポストのコラムニストであったジャマール・カショギ氏が殺害されてから丸二年が経過した。2周年の機会に、米大統領選挙選を争っているバイデン前大統領は、カショギ殺害に際して声明を発出し、大統領に就任すれば、サウジは重要な安全保障上のパートナーであっても、サウジ王国との関係を見直し、イエメンでのサウジアラビアの戦争に対する米国の支援を終了し、米国の武器売却や石油購入を、米国の民主主義ならびに人権に関する価値に優先しないと宣言した。トランプ政権は、カショギ殺害がサウジ人により実行されたことが明らかになったあとも、1100億ドルの武器取引を守るためとして、一貫してムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)皇太子を擁護し続けた。11月の大統領選挙の結果は、米国の内政のみならず、外交政策にも大きな影響を及ぼすことが予想される。カショギ氏がなぜ殺害されることになったか、サウジ領事館訪問後どのような展開があったのか、ドイツの公共放送局DWが詳細かつわかりやすく報じている。ご関心のある方は、以下のyoutubeをご覧いただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=4DVah3bZlV8&feature=youtu.be

(参考)ジャマール・カショギ氏殺害命日にあたってのバイデン前副大統領声明
●2年前、伝えられるところによると、サウジアラビア皇太子ムハンマド・ビン・サルマンの指示で行動したサウジアラビアの工作員は、サウジアラビアの体制に批判的なジャーナリストで、米国居住者であるジャマール・カショギ氏を殺害し、(遺体を)解体した。彼は、彼の政府の政策を批判したことにより命を引き換えにした。今日、私は多くの勇敢なサウジアラビアの女性と男性、活動家、ジャーナリスト、そして国際社会に加わり、カショギ氏の死を悼み、世界中の人々に自由の中で普遍的な権利を行使するよう呼びかけている。

ジャマール・カショギ氏と彼の愛する人たちは(その死に)説明責任が果たされることに値する。バイデン・ハリス政権下で、私たちはサウジ王国との関係を見直し、イエメンでのサウジアラビアの戦争に対する米国の支援を終了し、米国が武器を売ったり石油を購入したりするために、その入り口で(米国の)価値観に違反しないかチェックしないようにすることはない民主的価値と人権への米国の取り組みは、私たちの最も近い安全保障パートナーに対しても、優先事項となるであろう。私は、世界中の活動家、反体制派、ジャーナリストが迫害や暴力を恐れることなく自由に思いのたけを話す権利を擁護する。ジャマールの死は無駄にはならない。私たちは彼の記憶のおかげで、より公正で自由な世界のために戦うことができる。
https://joebiden.com/2020/10/02/anniversary-of-jamal-khashoggis-murder-statement-by-vice-president-joe-biden/?fbclid=IwAR0z1gKDOw9efWhSugwoJJq4qY_2okaMsAClcL-ZFBVa2Dh5QTQJKrocmCw

Posted by 八木 at 15:56 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

トランプ大統領の最後通牒に従い、ロシアとの減産合意をまとめたサウジのMBS皇太子[2020年05月01日(Fri)]
国の代表が、他国の首脳と電話会談するときに、脅したり、罵倒したり、最後通牒を突き付けることはまず考えられない。国際関係では、二国間の利害が対立し、緊張が生じることはめずらしくはないが、そのような場合、通常は、まず、実務レベルで問題点を洗い出し、選択肢を検討したうえで、最後にトップが対応することになる。しかし、中東では、必ずしもそうではない。3月のロシアとサウジの減産調整協議の際は、ムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)サウジ皇太子がプーチン大統領に最後通牒を突き付け、両者が声を荒げ、決裂が決定的になったとされる。4月30日、ロイターは、トランプ米大統領が、4月2日MBS皇太子に電話し、減産を飲まなければ、米国は議会の米軍のサウジ撤退法案の成立により、75年間続いた米軍によるサウジの保護をもはや続けることができなくなるとして、減産に向けてロシアと合意するよう要求し、MBS皇太子もそれを飲まざるをえなかったとの特別レポートを掲載した。トランプ大統領はサウジの説得には成功したものの、コロナの影響で、国内でだぶついている石油への需要増による原油価格の適正価格への上昇にまでは現在のところ、有効な手立てを講じられないでいる。
(参考)ロイター報道主要点
●4月2日の電話で、トランプ大統領はサウジアラビア皇太子ムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)に、石油輸出国機構(OPEC)が原油生産を削減し始めない限り、米連邦議会議員がサウジから米軍を撤退させる法律を制定するのを止める力はないと述べたと、この問題に詳しい情報筋が語った。
●これまでに報告されたことのなかった75年間におよぶ米・サウジ間の戦略的同盟関係を覆す脅迫は、コロナウイルスのパンデミックで石油需要が崩壊した中で、米国の圧力キャンペーンにより石油供給を削減する画期的な世界的合意をもたらしたホワイトハウスの外交的勝利といえるものであった。
●米国の情報筋によると、トランプ大統領は減産合意発表の10日前にMBS皇太子にメッセージを伝えた。サウジの事実上の指導者は脅迫に驚き、彼の補佐官に部屋から出るよう命じ、プライベートで議論を続けたと、米高官筋から説明を受けた。
●この取り組みは、政府がウイルスと戦うために世界中の経済を閉鎖したときの歴史的な価格の暴落から米国の石油産業を保護したいというトランプ大統領の強い願望を示している。それはまた、通常はガソリン価格の上昇につながる供給削減により、米国人のエネルギーコストを引き上げたことでトランプが長年批判していた石油カルテルに対する批判を明らかに覆したものでもある。今や、トランプ大統領はOPECに生産を削減するように求めていた。
●米高官によれば、トランプ大統領は、サウジアラビアのMBS皇太子に、サウジの原油生産削減なしでは「米軍の撤退につながる可能性のある制限を米国議会が課すことを阻止する方法はない」と通告した。当局はサウジの指導者たちに、「あなたがたが我々の産業を破壊しているにもかかわらず、我々はあなたがたの産業を守っている」と伝えた。
●トランプ大統領とMBS皇太子との電話の前の週、米国共和党上院のケビン・クレイマー議員とダン・サリバン議員は、サウジアラビアが石油生産量を削減しない限り、すべての米国軍、パトリオットミサイル、対ミサイル防衛システムを王国から撤去する法案を提出した。タイミングの悪いサウジロシアの原油価格戦争に対する議会の怒りの中で、この措置への支持は勢いを増していた。サウジは4月に増産を開始し、ロシアが初期のOPEC供給協定に沿って生産削減を拡大することを拒否した後、原油の洪水的な供給を世界に放った。
●4月12日、トランプの圧力を受けて、米国以外の世界最大の石油生産国は、これまでに交渉された中で最大の生産削減に合意した。OPEC、ロシア、その他の同盟国の生産者は、生産量を1日あたり970万バレル(bpd)削減に同意した。これは、世界の生産量の約10%にあたる。その量の半分は、サウジアラビアとロシアによるそれぞれ250万バレルの削減によるものであり、両国の予算は高い価格の石油とガスの収益に依存している。
●世界の生産量の10分の1を削減するという合意にも関わらず、原油価格は引き続き歴史的な安値まで下落した。先週の米国の石油先物は、売り手が買い手に支払い、保管する場所のない石油の配送を避けるため、0ドルを下回った。グローバルな石油ベンチマークであるブレント先物は、バレルあたり15ドルに低下した。これは、1999年の原油価格の暴落以来見られなかったレベルへ、年初の70ドルから下落した。
●ノースダコタ州選出の共和党上院議員であるクレイマー氏はロイター通信に対し、大統領がMBS皇太子に電話した3日前の3月30日、サウジアラビアからの米軍の保護撤回に関する法案について話したと語った。
●トランプ氏がサウジアラビアに米国の軍事的支援を失う可能性があると語ったかどうか尋ねられたダン・ブルイエット米国エネルギー長官は、大統領は「米国の生産者を保護するためのあらゆる手段を行使する権利を留保している」と伝えた。
両国の戦略的パートナーシップは1945年に遡り、フランクリンD.ルーズベルト大統領が海軍巡洋艦USSクインシーでサウジアラビア王アブドルアジーズ・イブン・サウードと会談した。彼らはサウジアラビアの石油埋蔵量へのアクセスと引き換えに米軍の保護を与えるとの合意に達した。現在、米国はサウジに約3千人の軍隊が駐留しており、米海軍の第5艦隊はこの地域からの石油輸出を防衛している。
●サウジアラビアは、武器とイランなどの地域のライバルに対する保護を米国に依存している。しかし、王国の脆弱性は、昨年9月14日、サウジアラビアのアラムコ石油施設への18台の無人偵察機と3つのミサイルによる攻撃でさらされた。ワシントンはイランを非難した。イランはそれを否定した。
●トランプ大統領は当初、ガソリン価格の低下はドライバーの減税に似ていると述べ、原油安を歓迎した。3月中旬にサウジアラビアは、原油生産量を過去最高の1,230万バレルを押し上げると発表し、ロシアとの価格戦争を開始した。供給の爆発的増加は、世界中の政府が燃料消費を押し下げるステイホームの指示を発出し、米国の石油会社が原油価格の崩壊で大打撃を受けることを明らかになったため、米国の石油関連州選出の上院議員たちは激怒した。
●3月16日、クレイマー議員を含む13人の共和党上院議員は、サウジアラビアの米国への戦略的依存を思い起こさせるためMBS皇太子に書簡を送った。同グループはまた、ウィルバー・ロス商務長官に、サウジアラビアとロシアが米国市場に石油を氾濫させることにより国際貿易法を破っていたかどうかを調査するよう要請した。
●3月18日、上院議員(アラスカ選出のサリバン議員とテキサスのテッドクルズ議員を含むグループ)は、駐米サウジ大使リーマ・ビント・スルタン王女に異例の電話を行った。各上院議員が出身州の石油産業への損害を詳述した。大使は、上院議員から話を聞いた。クレイマー議員によれば、王女は彼らのコメントを、エネルギー相を含むサウジアラビアの当局者に伝えたと述べた。上院議員たちは王女に、サウジは上院でサウジ主導のアラブ連合軍に反対する動きに直面していると語った。
●サウジアラビアと米国の当局者は、フーシー派はイランによって武装されていると述べ、テヘランはこれを否定している。イエメンに対する上院共和党の支持は、昨年サウジアラビアにとって極めて重要であることが判明した。上院は、10万人以上の死者を出し、人道危機を引き起こしたイエメン紛争への怒りの中で、サウジアラビアへの米国の武器販売やその他の軍事支援を終わらせるためのいくつかの措置を盛り込んだ法案の成立を阻止したトランプ大統領の拒否権発動を支持した。
●クレイマー議員は、同議員とサリバンがサウジアラビアから米軍を撤収する法案を共同で提出してから約1週間後の3月30日にトランプ大統領に電話をかけたと語った。クレイマー上院議員は、大統領は同日、ブルイエット・エネルギー長官、ラリー・カドロー上級経済顧問、ライトハイザー米国通商代表と同日電話でクレイマー議員に電話を返してきたと述べた。クレイマー議員は、大統領に対して、電話口に出ていないが、非常に役立つ人はマーク・エスパー国防長官であり、国防長官が、米軍を保護するために部隊を域内の他の場所に移動させることに取り組くむことを期待していると述べた。国防総省は、エスパーがサウジアラビアから軍事資産を引き上げることについての議論に関与していたかどうかについてのコメントの要請に応じなかった。
●トランプ大統領の石油外交は、3月中旬に始まったサウジアラビアのサルマン国王、MBS皇太子、ロシアのプーチン大統領との目まぐるしい電話のやりとりの中で展開された。ロシア大統領府は、プーチン大統領のトランプ大統領との会話の事実を確認し、彼らは石油供給の削減とコロナウイルスのパンデミックの両方について議論したと述べた。
●4月2日のMBS皇太子との電話会談で、トランプ大統領はサウジアラビアの統治者に(大統領の要請に応えれば)、次回議会が米国のサウジへの防衛を終わらせるための法案を提出した際には、「打ち切らせる」と語ったと、情報筋は述べた。トランプ大統領は、4月初旬にサウジアラビアとロシアからの石油輸入に関税を課すと公けに脅していた。
●4月3日、トランプはホワイトハウスで上院議員のクレイマー、クルス、サリバン、およびエクソンモービル、シェブロン、オクシデンタルペトロリアム、コンチネンタルリソースなどの企業の石油幹部との会合を主催した。会議の公開部分で、クレイマー議員はトランプに、ワシントンがサウジアラビアを防衛するために費やした数十億ドルを他の軍事的優先事項に使用できると語った。
●中東の外交官がロイター通信に語ったところによると、米軍によるサウジ防衛が失われる見通しに対して、サウジ王室は、ひざまずき、トランプ大統領の要求に屈した
●長時間の面倒な交渉の後、4月12日サウジとロシアは5月と6月に970万バレルの記録的な生産削減に合意した。トランプ大統領は合意を歓迎し、ブローカーとして自賛し、控えめに言っても、OPEC +が削減しようとしている数量は1日あたり2000万バレルであると合意の直後にツイートした。サウジアラビアのエネルギー相、アブドルアジーズ・エネルギー相は、MBS皇太子が、この合意の取り付けに尽力したと語った。
https://www.reuters.com/article/us-global-oil-trump-saudi-specialreport/special-report-trump-told-saudis-cut-oil-supply-or-lose-u-s-military-support-sources-idUSKBN22C1V4

Posted by 八木 at 14:22 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

サウジ人ジャーナリストのカショーギ氏殺害に関するイスタンブール検察の起訴状(サウジ領事館に出入りした技術者の証言)[2020年04月21日(Tue)]
2018年10月2日にイスタンブールのサウジ領事館を訪問し、そこで本国から派遣された襲撃団によって殺害されたジャマール・カショーギ(Jamal Khashoggi)の遺体はどうなったのかが、この事件の真相を探るうえで極めて重要なポイントとなっている。この事件を追い続けているミドル・イースト・アイ(MEE)紙は、3月イスタンブール検察庁が裁判所に提出したトルコの起訴状は、殺害されたジャーナリストの遺体を捜査した調査官がサウジ総領事の公邸に井戸とオーブンに焦点を当てていたが、遺体消失の背後にある謎を解決できていないことが示唆されている、としてサウジ領事館で働いていた地元の技術者から捜査当局が得た証言の一部を明らかにしている。
(参考)MEE記事関連部分
●MEEが入手した起訴状は、サウジアラビア領事館で働いたことのある地元の技術者の証言を引用しており、彼は、2018年10月2日の殺害後の総領事の邸宅の庭でカショーギを殺害するために送られた襲撃隊の2人のメンバーを目撃したと述べた。殺害の日に、エンジニアのグループが邸宅改修するために来たと言われ、その技術者は、彼らを助けるように頼まれたと述べた。
●彼が邸宅の庭に到着したとき、彼は何人かの人々が走り回っていたのを目撃した。小屋から出てくる人もいれば、台所を出る人もいた。これらの人々はオーブンに火を入れるよう彼に言った。彼らはそれに火をつけようとしたが、換気が遮断されたため機能しなかったことに気づいた、それから彼らは彼にオーブンにいくつかの木を運ぶように依頼した、そして彼らの一人は、彼がいくつかの木片を運ぶのを手伝った、と述べた。
●技術者はまた、周りの誰もが急いでいると言って、彼は直ちに庭を去るよう求められた。「オーブンの周りの大理石は、変色していたため、硝酸または漂白剤のいずれかで洗浄されたとみられる」と述べた。
●技術者は警察に、彼が木材を運ぶのを助けた襲撃チームのメンバーのひとりは、サアド・アルザハラーニ(Saad H Alzahrani)またはサアド・アルブスターニ(Saad al-Bostani)のいずれかであると考えられる、また、彼が小屋を去るのを見た一人はムスタファ・モハメッド・アル・マダニかナイフ・ハッサン・アル・アリフィのどちらかであると伝えた。
●地元のレストランで働いている別の目撃者は、殺人が発生する1時間前に、アラビア語とトルコ語の両方を話す2人が店から生の肉を購入したと述べた。
●詳細は、以前のレポートと調査によってスケッチされた、打撃隊の動きと行動の描写に一致している。カショーギを襲撃するために王国からイスタンブールに来訪したサウジアラビアの工作員は、徹底的な清掃を通じて彼らの痕跡を隠そうとした。
●トルコの捜査官が最終的にカショーギが殺害され解体された領事館の建物に入るのを許可されたとき、表面はきれいにこすられ、壁には新鮮なペンキが塗られていた。カショーギの殺害に続いて、工作員たちは近くの総領事宅に集合したことが知られている。ジャーナリストの遺体は発見されていないが、調査の知識を持つ情報筋は以前、邸宅のオーブンが身体の一部の処分に使用された可能性があるとMEEに伝えている。
●2019年2月にMEEが見た警察の報告によると、オーブンは摂氏1,000度に達する可能性があり、これは「痕跡なしにすべてのDNA証拠を燃やすには十分」であった。
●総領事公邸の別の重要な場所は邸宅の真下の井戸であった。起訴状によると、調査官はサウジアラビア当局に2018年10月17日にそれを検索する許可を求めた。彼らは水のサンプルを取ることだけが許された。トルコのある情報筋は昨年MEEに、暗殺チームがカショーギの遺体を密封された袋に入れて井戸に入れた可能性があるため、水のサンプルだけでは十分ではなかったと語った。
●起訴状で明らかになったもう一つの詳細は、警察がKhashoggiのiPhoneとiPadのコンテンツにアクセスするのに苦労しており、デバイスを作っている会社であるAppleが支援要請に応じなかったことである。
https://www.middleeasteye.net/news/khashoggi-indictment-oven-well-evidence-destroyed
(AKP幹部アクタイ氏の証言)https://blog.canpan.info/meis/archive/385
(大型のかまどに言及した以前のブログ)https://blog.canpan.info/meis/monthly/201903/1
(コメント)カショーギ氏の遺体がどこにあるのか、どうなったのかはサウジの裁判でも、トルコ側の捜査によっても明らかになっていない。しかし、有力な情報として、総領事公邸のかまどが、通常600度程度までの温度になるのに対して、1000度までの高温で燃やすことができるよう直前に機能強化されていたことが明らかになっていた。サウジの領事館で働いたことのある技術者の証言は、このかまどでカショーギ氏の遺体の一部が焼却された可能性があることを示唆している。殺害直前に大量の肉が購入され、かまどで焼いた偽装工作が行われた可能性もある。偽装工作といえば、殺害直後に、カショーギ氏が領事館を去ったとみせかけるために、襲撃団のひとりがカショーギ氏の眼鏡とジャケットを着て、付け髭をつけて、周辺を歩き回ったことも知られている。殺害現場となった領事館内には、トルコの捜査当局の内部調査を許すまで、約一週間にわたって、サウジ本国から送られた専門家によって殺害の痕跡を消し去る工作が行われた可能性も指摘されている。
サウジ指導部は、サウジの一審判決が出た後、トルコ側が、サウジ人20名を起訴し、容疑者欠席のままトルコ国内で裁判手続きを開始したことに強く反発しており、トルコの公式通信社であるアナドール通信やTRTほかトルコのメディアのサイトを封鎖する措置をとった。これに反発したトルコ側も4月19日、サウジの国営通信SPA, UAEの公式通信社WAM を含む サウジとUAEのメディアニュースサイトを封鎖するという対抗措置に出てサウジとトルコの両国指導部の関係は後戻りできないほど、悪化している。
https://www.aljazeera.com/news/2020/04/turkey-blocks-saudi-emirati-state-news-websites-200419112800587.html

Posted by 八木 at 16:02 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

サウジ人ジャーナリスト殺害に関するトルコ与党幹部の新たな証言[2020年04月16日(Thu)]
4月15日、トルコで開始された2018年10月2日、イスタンブールのサウジ領事館で殺害された著名なサウジ人ジャーナリストで、元ワシントンポストのコラムニスト、ジャマール・カショーギ氏の裁判で、ジャマールの友人であったトルコ与党公正発展党(AKP)幹部のアクタイ氏が証言し、米国のサウジ大使館員が、カショーギ氏に本国の皇太子に電話させるために、旅券の紛失を装い、大使館への出頭を仕組んでいたとの話を、カショーギ本人から聞いていたことを証言した。カショーギ氏の殺害については、サウジ本国で11名が起訴され、うち、5名に一審で死刑判決が下っていたが、トルコは、その裁判が国際基準に遠く及ばないとして、イスタンブールの検察は独自に3月26日サウジ人容疑者20名を起訴し、欠席裁判プロセスが開始されていた。
(これまでの経緯)https://blog.canpan.info/meis/daily/202003/27
(参考)アクタイ氏の証言に関するトルコ・デイリーサバーハ氏の記事骨子
●サウジアラビアの工作員はワシントンポストのコラムニストであるジャマール・カショーギのパスポートをワシントンの自宅から盗んで大使館に行くよう強要したと、与党公正発展党(AK党)のヤシン・アクタイ副会長は殺害されたジャーナリストの親しい友人の言葉を引用して証言した。
●カショーギの友人であり、カショーギ殺害裁判で証人として証言しているアクタイ氏は検察に、ワシントンのサウジアラビア大使館員が自宅から彼のパスポートを盗み、大使館に行って新しいパスポートを申請するよう強要したと語った。彼はパスポートを失ったと思った。大使館で、彼はサウジアラビアに戻るように説得しようとしたサウジアラビア皇太子ムハンマド・ビン・サルマン(MBS)と電話をするよう強いられた(注:当時の駐米サウジ大使は、MBSの実弟ハーリド王子)。
●カショーギは、サウジ大使館の館員達が彼を待ち受けていたかのように振る舞い、訪問後に不安を感じたと述べた。帰宅後、カショーギは紛失したはずのパスポートを発見し、この件がサウジアラビア大使館が計画したものであったことを友人である自分に伝えたとアクタイ氏は語った。アクタイ氏は証言で、カショーギはサウジアラビアを愛し、住みやすい場所になるよう努めたと付け加えた。
●彼の失踪についてカショーギの婚約者(注:彼女は当日、カショーギ氏が領事館から出てくるのをずっと待っていた)から電話を受けた後、彼がサウジアラビア大使ワリード・エルホレイジに電話したことを明らかにした。自分はカショーギが自分の友人であり、イスタンブールの領事館に入った後は決して出てこなかったと大使に話した、そして大使はジャマールは自分の友人でもあり、彼は数分もしないうちにあなたの元に戻るだろうと言ったが、そうならなかったと、アクタイ氏は証言した。
●アクタイ氏は、殺害されたジャーナリストを最後に見たのは2018年8月で、サウジ政府がサウジアラビアが英国、レバノン、独、エジプトの反体制派を排除するためのいくつかの活動を行っているが、彼はサウジアラビアがそのような作戦を実行することによってトルコとの関係を危険にさらさないと思ったのでイスタンブールでは安全だと感じていたと証言した。
●トルコの裁判所は最近、イスタンブールのサウジアラビア領事館での2018年のカショーギ殺害に関する起訴を受け入れた。ワシントンポストの元コラムニストであるカショーギは、2018年10月2日にイスタンブールのサウジ領事館を訪れた直後にサウジアラビアの工作員グループによって殺害され、解体された。彼の遺体は発見されなかった。国連および他の独立組織の報告によると、カショーギはムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)皇太子の命令で殺された可能性が非常に高いとされる。
●(サウジでの)9回の公判の後、襲撃チームの第2の男、マーヘル・アブドルアジーズ・ムトレブ(Maher Abdulaziz Mutreb)、およびサウジアラビア安全保障局の法医学的検査の責任者であるサラーハ・ムハンマド・アルトゥバイギ(Salah Muhammed al-Tubaigy)を含む襲撃チームの5人の容疑者がカショーギの遺体を解体した罪で、サウジアラビアの裁判所が死刑を言い渡した。報告によると、11人の容疑者のうち10人が手錠なしで公判に来た。裁判期間中、彼らは非常に落ち着いていたと報告書は付け加えた。
●最初の公判で、検察官は11人の容疑者の告発と自白を1時間15分で1人ずつ読み上げた。検察官の起訴状朗読では、今回の殺害チームの計画の詳細が再び明らかになった。たとえば、最初は領事館の庭に遺体を埋めることを考えていたが、発見される可能性があるため、その考えを放棄した。その後、ムトレブの命令により、遺体は解体され、黒い袋に詰められた。検察官は、袋が地元の協力者に配達されるか、イスタンブールから運び出されることが計画されていたと指摘した。
●容疑者の1人であるマンスールオスマン・.アバフセインは、公聴会で名前が言及されていなかった地元の協力者と会うために、殺人の2日前にイスタンブールに来たことを認めた。別の容疑者であるフゥアード・アルバラウィは、ムトレブの命令により彼らが(カショーギの)体を解体したと自白した。一方、ムトレブは、最初は殺すつもりはなかったと語り、交渉しようとしていた。トゥバイギは、彼らが「誤って」カショーギを殺し、必要ならば彼の家族に代価を支払うことができると主張した。暗殺団のリーダーのマンスール・アブ・フセインは領事館での夕食中にムトレブからカショーギ殺害のニュースを受け取ったと述べ、容疑者の1人であるムフリフ・アルムシーフ(Muflih al-Musih)は、プレス報道で事件を知ったと主張した。もう一人の容疑者、ムハンマド・アルザフラニは、彼が拘留された後にその情報を受け取ったとまで主張した。
●起訴状によると、サウジアラビアの将軍で諜報部員として働いていたアバフセイン容疑者は、MBSのオフィスで任務を課され、アハメド・ビン・ムハンマド・アルアッシーリ(情報部副長官)から、カショーギを国に連れ帰り、抵抗した場合は彼を殺すように指示された。さらに、アバフセインは、殺人のために自分自身を含む15人の襲撃団を集めたと付け加えた。彼はまた、襲撃団にタスクを分散させ、それらを3つのグループ(インテリジェンス、ロジスティクス、交渉)に分けた。アバフセインはまた、イスタンブール領事館を作業場としてカショーギに会う場所に決定し、殺害の前、最中、後のすべての不測事態に対する計画を立てた。起訴状はアル・アッシーリとサウード・アルカハタニを拷問による意図的な殺害を扇動したとして起訴し、両方のために終身刑を求めた。また、他の18人のサウジ人を起訴し、それぞれに終身刑を求めている。起訴状によると、これらの被告人は、カショーギがサウジアラビアに戻ることを拒否した場合、カショーギを殺害し、共同で犯罪を犯すことに合意していた。
●超法規的殺害に関する国連の特別報告者であるアグネス・カラマール氏は、裁判をあざけりとして非難し、首謀者は自由に歩き回れるばかりでなく、彼らは捜査でも、裁判でもほとんど触れられていない。それは正義の正反対にある、と述べた。さらに、ジャーナリストの殺害に対する不処罰は一般に政治的抑圧、汚職、権力の乱用、プロパガンダ、さらには国際的な共謀さえ明らかにしている。すべては#SaudiArabiaに存在している。MBSに言及して、皇太子のような殺人を扇動、許可、または殺害者を隠ぺいする人々を特定するための調査がなされるべきと述べた。カラマール氏は8月の報告で、サウジアラビアが国家として殺人の責任があると述べた。また、MBSをカショーギの殺害に関連付けた信頼できる証拠も見つかったとしている。報告者は、サウジ政府からの協力はなく、米国からの支援も最小限であったと述べた。
●トルコは判決を批判し、殺害と正義の提供に光を当てる期待には及ばなかったと述べた。トルコ外務省は声明のなかで、サウジアラビアの裁判所の決定は、殺人事件のあらゆる側面に光を当て、正義を提供するという我が国と国際社会の両方の期待に応えるにはほど遠いと述べている。
https://www.dailysabah.com/politics/saudi-agents-stole-khashoggis-passport-to-force-him-to-visit-embassy-witness-says/news/amp

Posted by 八木 at 10:42 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

イラク・シーア派の最高宗教権威シスターニ師は、コロナウイルス感染死者の火葬を禁じるファトワを発出 [2020年03月29日(Sun)]
3月28日、イラク・シーア派最高の宗教的権威であるアリー・アル・シスターニ師は、公式ウェブサイトでのコロナウイルス犠牲者の洗浄、覆い、埋葬に関する問い合わせに応じて、@コロナウイルスが原因で亡くなった人々を公共の墓地に葬ることに異議はなく、関係当局はこれを促進する必要がある、A(ウイルス感染死者の遺体を火葬する可能性について)イスラム教徒の遺体を火葬することは許されず、彼の親族や他の人々はそれを控え、それを埋めることを主張しなければならない、とのファトワ(宗教的意見)を発出した。シスターニ師は、死者を棺に入れる手順について、「死者の顔をキブラ(メッカのカアバ神殿)の方向にあわせ遺体を棺の箱の右側に向ける」という条件で、手順を承認した。

3月28日イラク保健省は、前日比2人の死者と48人の新たな感染者が報告され、コロナウイルス感染者の死者は42人に、感染者総数は506人に達したと発表した。

Posted by 八木 at 10:27 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

トルコ検察によるサウジ人ジャーナリスト・カショーギ氏殺害容疑者20名の起訴[2020年03月27日(Fri)]
トルコのイスタンブール最高検の検察官は、2018年10月2日、訪問したイスタンブールのサウジ領事館で殺害されたサウジ人ジャーナリスト・ジャマール・カショーギ氏殺害容疑で、サウジ人20名を起訴した(関連記事要旨参考1参照)。容疑者20名はインターポールを通じて国際手配される。容疑者全員は、事件後サウジに帰国しており、今後、トルコ国内で欠席裁判が行われる見通し。サウジでは、起訴された容疑者11名に対して、昨年12月一審で5名に死刑、3名に24年までの有期刑、3名が証拠不十分として解放されている。

(参考1)トルコ検察によるカショーギ殺害容疑者20名の起訴に関するディリーサバーハ紙オンライン記事要旨
●イスタンブールの最高検察官であるイルファン・フィダンは、ワシントン・ポスト紙のコラムニストで、2018年10月2日イスタンブールのサウジ領事館内で殺害されたサウジ人ジャーナリスト・ジャマール・カショーギ(Jamal Khashoggi)の殺害に関与した20人の容疑者を正式に起訴した。検察官は、声明の中でトルコは、サウジアラビアの漠然とした説明と論争の的になっている殺害に関する声明に不満を抱き、独自の調査を実施してきたが、調査は終了したと語った。
●検察官声明によれば、起訴状はサウジアラビアのアフマド・アル・アッシーリ元総合情報庁副長官とサウード・アル・カハタニ元王宮府顧問を「おぞましい意図を持った計画的殺人を扇動した」として糾弾した。また同声明は、この2人に加えて、カショーギの殺害を実行したとして他の18人も起訴した。しかし、容疑者は全員トルコを離れており、サウジアラビアはトルコでの裁判実施の要求を拒否した。サウジアラビアは、王国の法廷こそが彼らが裁判にかけられるべき正しい場所であると主張し、殺害に関して11人を裁判にかけた。
●18人の容疑者の中には、MBS皇太子と頻繁に外国訪問に同行した諜報部員マーヘル・ムトレブ、法医学の専門家サラーハ・アル・トゥバイギ、およびサウジアラビアの王宮ガードのメンバーであるファハド・アルバラウィが含まれ、彼らは意図的かつおぞましい意図をもち、苦痛を与えた殺害で起訴された。有罪判決を受ければ、彼らは刑務所で終身刑に服することになる。
●ムトレブ、トゥバイギ、バラウィの3名は、リヤドで裁判にかけられていた11人に含まれる。西側の当局者によれば、被告人の多くが、作戦の指揮官としてアッシーリの命令を実行したと述べ、自分たちを弁護した。2019年12月にサウジアラビアで名前が公表されていない5人の人々が死刑を宣告された一方、他の3人は24年までの懲役刑を受け、3名が証拠不十分で釈放された。カハタニ元王宮府顧問は調べられたが、「証拠不十分な証拠」のためにサウジアラビア当局から起訴されず、アッシーリ副長官は起訴されたが、結局同じ理由で解放された。
●トルコの検察官は、欠席裁判で20人の容疑者に対して開かれると述べたが、日付は明らかにしなかった。検察はすでにトルコにいない容疑者に対して逮捕状を発行した。起訴状によれば、容疑者の携帯電話の記録、トルコへの出入りの記録、領事館での彼らの存在の記録、証人の声明、カショーギの電話、ラップトップ、iPadの分析に基づいて起訴が決定した。すなわち、殺害された故人、原告、および容疑者の電話による会話の記録が調査され、故人の領事館への入場、容疑者のトルコへの到着、領事館の建物および領事住居への映像が調査された。
●トルコ当局はサウジアラビア当局に容疑者を引き渡すよう要請する一方で、殺害に関与した20人の容疑者に対してインターポールによって国際手配された。
●国際調査をカショーギの殺害に関する調査報告をまとめた国連人権特別報告者アグネス・カラマールは、サウジアラビア人容疑者20人のトルコに対する起訴を歓迎した。
https://www.dailysabah.com/politics/turkish-prosecutors-seek-life-sentences-for-killers-of-saudi-journalist-khashoggi/news


(参考2)サウジにおける裁判経緯
2019年12月23日、リヤドの刑事裁判所は、著名なサウジ人ジャーナリストでワシントンポストのコラムニストでもあったジャマール・カショーギ氏が、2018年10月2日、イスタンブールのサウジ領事館を、トルコ人女性との結婚に必要な書類を取得するために訪問した際、本国から派遣された15名の暗殺団によって殺害された事件の容疑者への判決を下した。今回のサウジ側の発表によれば、31人が取り調べをうけ、21人が逮捕され、11名が起訴されていたが、第一審の刑事裁判所は、起訴された11名のうち、5名に死刑、3名に合計24年までの禁固刑、3名は無罪となった。残る11名は証拠不十分で解放した。有罪判決を受けた人物は、最終的な司法の判断が下されるまでは、名前が公表されないとのこと。この判決に対して、サウジ国内やUAEなど友好国は、判決を評価しているが、トルコや国連の人道分野の特別報告者であるカラマル氏などは、裁判が国際的に受け入れられる水準に全く達していない、事件を指示した幹部にはほとんど調査、審査された形跡もないとして厳しく批判している。控訴審で争われるのかは、控訴裁判所の判断に委ねられるとのこと。

(参考3)リヤド刑事裁判所(一審)での判決結果(2019年12月23日)
検察は、31人を含むこの事件の審査と関連手続きを終了したと述べた。31人のうち、21人が逮捕され、10人が拘留の根拠なしとして、逮捕されずに尋問のために呼び出された。審査の結果は次のとおり。
第一に、この事件では、11人が起訴され、リヤド刑事裁判所における被疑者に対する刑事告発が提出された。
第二に、リヤド刑事裁判所は、以下のとおり起訴された11人に関して判決を下した。
@ 被害者の殺人を犯し、直接関与した5名に対する死刑。
A この犯罪を隠蔽し、法律に違反した3名に対して合計で24年までの異なる禁固刑。
B 裁判所は、3名に対する検察官の告発を却下し、有罪ではないと判断した。
第三に、検察は残る10人に対しては、証拠が不十分であるために告訴をせず、彼らを解放した。
検察は、裁判所の判決を検討し、第二審に控訴するかどうかを決定すると述べた。
https://www.spa.gov.sa/viewfullstory.php?lang=en&newsid=2014204#2014204

(コメント)今回のトルコのイスタンブール最高検による容疑者20名の起訴は、サウジ国内で進行してきた裁判では、真相が明らかにされないほか、責任者の処罰も不十分・不公平という観点から、エルドアン大統領の意向を踏まえたうえで、検察が起訴に踏み切ったものと考えられる。サウジ側においては、2018年11月15日にサウジの検察が11名を起訴して、2019年1月からリヤドの刑事裁判が開始され、9回のセッションを経て、10回目のセッションで、判決が下された。この裁判は、完全非公開に近い形で進められてきたが、カショーギ氏の家族や、G5+トルコ大使館の代表は傍聴を認められた。但し、裁判のセッションは当然アラビア語で実施され、ローカル・スタッフの同行は認められず、また、傍聴の内容も外部に漏らしてはいけないとの条件で行われたとのこと。この事件では、CIAがサウジの実質的指導者ムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)皇太子の関与を指摘したが、皇太子は、最近でこそ国としての監督責任には言及したものの、自身の関与を一切否定してきた。第一審の判決では、@本国から暗殺団を実質的に指揮したとされるカハタニ元王宮府顧問は、起訴もなれておらず、嫌疑なしとして解放されたこと、Aアッシーリ元サウジ情報部次長も起訴はされたものの、無罪になったこと、Bイスタンブールのサウジ領事館の主で、事件の推移をすべて見守り、記者団を領事館内に招き入れて、カショーギ氏はどこにもいないとの虚偽の発言を行ったオタイビ元総領事も罪に問われず、逆に、C一審は、今回の事件は、事前に仕組まれたものではなく、現場のチームがやむを得ず実行したものと判断し、殺人の罪を本国関係者は除外し、現場にいた暗殺団15名の中でも直接殺害に関わったとされる5名に限定していることである。これについて、サウジ上層部は、今回の裁判を「茶番」ではないか、あるいは「トカゲのしっぽ切り」との見方が出てくるのは、あえて承知で、年内にこの件に一区切りつけたいとの意向があったものとみられる。2018年10月の段階で、当時のジュベイル・サウジ外相は、国王、皇太子は、「レッドライン」であるとして、防衛線を貼っており、この防衛線を高めに設定して、カハタニ、アッシーリも無罪にしてMBS指導のサウジ国家体制の維持のために多少の批判は覚悟のうえで、サウジは、自国流のやりかたで国内での法的手続きを着実に進めていることを印象付けようとしたものとみられる。判決後のシャアラーン次席検事の記者会見で、とりわけ、印象的なのは、あえて、トルコに13通の尋問嘱託書簡を送ったにもかかわらず、返事があったのは一通だけであるとして、トルコ側が協力的でないため、証拠不十分で嫌疑を固められなかったケースが多かったことを示唆したことである。サウジ側は、サウジ上層部への追求の手を緩めず、サウジの司法手続きから距離をおくトルコ政府に強いフラストレーションを抱いてきたとみられる。逆に、トルコ側は、15名の暗殺団が殺害に何らかの役割を演じており、本国から指揮したとみられているカハタニ、アッシーリは何の処罰も受けず、また、サウジ領事館の主であるオタイビ総領事は殺害を見届けながら、直後に記者団を招き入れて、カッショーギ氏は立ち去ったとしてしらばくれているにもかかわらず、何の処罰も受けていないこと、そもそも、未だに判決をうけた容疑者の名前も公表されていないことから、裁判が透明性においても、法の正義の実現という観点からも国際的標準にまったく達していないとみている。今回のトルコ側の起訴により、サウジ国内で罪を免れたカハタニ、アッシーリも国外に出れば、インターポールの国際手配を通じて逮捕される可能性が出てくる。
この件は単に法律的な正義の実現という観点と離れて、二国間関係においてもサウジの実質的な指導者MBS皇太子とトルコのエルドアン大統領の関係を、修復できないレベルにまで切り裂く可能性がある。両国指導部の関係悪化は、シリアやリビアの情勢をはじめとする地域情勢をめぐる両国の対立を招く可能性が大きい。

Posted by 八木 at 15:20 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

サウジ国内でさらに進むMBSによる有力王族の粛清[2020年03月08日(Sun)]
サウジアラビアでは、サルマン国王の弟であるアハマド・ビン・アブドルアジーズ王子が、国王の息子であるムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)皇太子に対するクーデターを企てたとして逮捕されたと報じられた後、有力王族の粛清が進んでいる
MEEは、20人までの王子が、クーデターに関与した疑いで逮捕されたと伝えられている。
すでに報じられたアハマド王子、元皇太子ムハンマド・ビン・ナーイフ(通称MBN)、そして彼の異母弟ナワーフ・ビン・ナーイフ王子に加え、アハマド王子の息子で、陸軍情報長官のナーイフ・ビン・アハマド王子も逮捕されたとされる。ロイターは、サルマン国王自身が逮捕状に署名したと伝えている。
(コメント)米国と英国の情報機関はどちらも、アハマド王子が2018年10月ロンドンからサウジに帰国する際、逮捕されないという保証をMBSに求め、獲得していたとされる。一方、MBN皇太子(当時)は、内相として、テロ対策に献身し、米国の情報機関とも密接な関係を築いていたが、トランプ政権誕生後、米国に見捨てられることになった。MBN元皇太子は、ポストを解任された後、側近、携帯電話、手当を剥奪されており、旅行は許可されておらず、自宅軟禁状態であった。王族の手当てはく奪では、サルマン国王に書面で苦情を訴えたとされる。新たに拘束が判明した王族は、アハマド王子の息子のナーイフ陸軍情報長官が含まれたことから、前アブドッラー国王の息子であるムトイブ元国家警備隊長、アブドル・アジーズ・ビン・サウード・ビン・ナーイフ内相の身辺も注目されている。3月8日現在、ナーイフ・ビン・アハマド陸軍情報長官のプロフィールは、依然サウジの陸軍情報部の公式サイトに掲載されたままである。
サウジ内政をフォローする著名なツイッター発信者ムジュタヒドは、
サウジアラビアは暗黒の夜を目撃している。王室警護隊はリヤドの王子宅で数人の王子と指導者を取り囲み、道路を遮断し、多数のセキュリティチェックポイントを設置した。」とツイートし、その後、サルマン国王が今や死の床にあり、あるいはもはや死去した可能性があると追加した。この真偽は不明なるも、サルマン国王の健康状態の悪化が、唐突にもみえるMBSの有力王族拘束につながった可能性は排除されない。
(陸軍情報部サイト)https://www.my.gov.sa/wps/portal/snp/pages/agencies/agencyDetails/AC145
(MEE)https://www.middleeasteye.net/news/exclusive-least-20-princes-detained-mass-purge-saudi-crown-prince

Posted by 八木 at 15:44 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

91歳で波乱の生涯に幕を下ろしたムバラク元エジプト大統領[2020年02月26日(Wed)]
2月25日エジプトの元大統領ホスニ・ムバラクが死亡した。1981年10月から2011年2月の大衆蜂起による追放まで、30年間5期連続でエジプト大統領を務めたムバラク元大統領の足跡をアハラーム・オンライン記事から振り返ってみよう。
●元大統領は、1928年5月4日にナイルデルタのメノフィアにあるKafr El-Mosilehaという小さな町で貧しい家庭に生まれた。
●ムバラクは1949年にエジプトの軍事アカデミーを卒業し、1年後に航空訓練を卒業し、パイロットとなりエジプト空軍に所属した。彼は、ソビエト連邦の多くの軍事アカデミーで学び、1964年にエジプトに帰国した。1967年の6日間戦争でのエジプトの敗北後、1969年まで軍隊の航空学部を率い、多数のパイロットを訓練し、空軍の司令官に上り詰めた。
●軍人としてのムバラクの高い評判は、1973年のイスラエルとの第四次中東戦争、とりわけスエズ運河東岸で鉄壁の守りと評されていたイスラエル軍陣地に対するに対する最初の空爆を率い成功させた10月戦争で果たした功績による。
●ムバラクは1975年にアンワル・サダト大統領に副大統領に抜擢され、中将まで上り詰めた国軍ポストを去った。
●1981年10月6日、イスラエルとの和平を進めたサダト大統領が、10月戦争の勝利の7周年を記念する軍事パレードでイスラム過激派に暗殺された。 ムバラクはサダトのすぐ隣でパレードに臨んでいたが、無傷であった。
●サダト暗殺後に非常事態法が宣言された。ムバラクは、1981年10月14日に国民投票の後、公式に大統領就任式で宣誓した。ムバラクは、1987年、1993年、1999年に6年間の任期で国民投票で大統領に再選された。2005年に憲法が変更され、1953年に共和国が宣言されて以来初めて複数の候補による大統領選挙が可能になった。
●政権の初期の数年間、ムバラクは、失業や苦境にあえぐ経済など、エジプトの最も差し迫った問題に取り組むために国民の一般的な支持を得た。彼の前任者のように、ムバラクは米国に近づき、ロシアから離れ、中東で米国の最も頑固な同盟国の1つになった。ムバラク政権に対して米政府は、年間13憶ドルを援助し、政権を支えた。
●最初の数年間のエジプトの内外の問題と課題に焦点を当てたムバラクは、明確な政治的イデオロギーを採用しなかったが、ほとんどが彼の暗殺された前任者の路線を踏襲した。
●ムバラクの政治的業績の1つは、イスラエルとの和平でボイコットされていたアラブ連盟に1989年エジプトが復帰したことと、1989年に国際仲裁によりイスラエルが占領したシナイの最後の占領地であったタバを取り戻したこと。
●一部のエジプトの政治勢力による和平合意への強い反対に直面しているにもかかわらず、ムバラクの支持者は、平和と開発への取り組みに焦点を当てるエジプトの外交政策の一環として、イスラエルとの和平維持を支持した。
●1990年代、カイロの地下メトロシステムの導入、若者の社会住宅プロジェクト、砂漠での新しい都市の設立、および国民の健康と教育の向上改善のための取り組みを含む多くの主要な国家インフラプロジェクトが実施された。しかし、内政は、高い失業率、汚職、インフレの増加、対外債務、政府の官僚主義、急速な人口増加といった課題と困難に直面していた。
●1990年、ムバラクは、イラクのクウェート侵攻に対する有志連合を支援することで、地域のリーダーとして大きな役割を果たした。エジプトは、米、英、仏、サウジアラビアとともに、第二次世界大戦以降に形成された最大の軍事連合への主要な軍事的貢献者の1つであった。この結果、 数十億ドルのエジプトの債務は、米国およびその他の国際債権者によって一掃された。
●1990年代半ばにムバラクが直面した政治的および経済的課題の1つは、政府関係者、警察、観光客、エジプトのキリスト教徒を標的とした過激派イスラム主義者からのテロ攻撃の多発であった。ムバラクは、1995年にエチオピアの首都アディスアベバで暗殺未遂を生き延びた。1997年11月ルクソールで、観光客を標的としたテロ事件が発生し、62人が死亡した。この事件は、エジプト経済の重要な柱であり、外貨の源泉である観光事業に打撃を与えた。
●2000年代初頭までの数年間、ムバラクが試みた政治改革は、エジプトに本当の民主的なプロセスを持ち込むのではなく、国民民主党を利用して、彼の不人気な若い息子ガマルによる権力の継承を目指すものであると反体制派から見られていた。
●当時、エジプトポンドの価値は低下し、失業率は、批判の多い民営化計画のために増加していた。国民の不満は根強かったが、非常事態法のおかげで、不満が目立つ行動に結びつくことはなかった。
●ムバラク自身に対する最初の異議の主要な兆候は2005年のデモであり、キファーヤ(「もう十分」)と呼ばれる運動がムバラクの退陣と息子ガマルの継承計画を非難した。
2005年には34件の憲法が改正され、この変更の下で、複数の候補者による大統領選挙が認められたが、競合するための資格はほとんどなかったため、現実の対抗馬となる候補者は立候補できなかった。
●2008年、ナイルデルタの工業都市マハラでの大規模な労働運動は、ムバラクの支配、つまり彼の支配に反対する地上での最初の効果的な政治的かつ大衆的な反対運動とみなされた。
●2011年1月25日、チュニジアでの民衆運動を契機とする「アラブの春」の波が、エジプトに押し寄せ、18日間におよぶ政権打倒運動に発展し、政権側はデモ隊約数百名を殺害したと非難され、2月11日、ムバラクは大統領職から追放された。
●2012年、ムバラクは蜂起中に抗議者を殺害したことで有罪判決を受け、終身刑を言い渡されたが、2017年に抗議者殺害共謀についてはエジプトの最高控訴裁判所で無罪判決を受け、マアディ軍病院から釈放され、自由の身となった。
●2015年、彼は2人の息子、GamalとAlaaとともに、家族の蓄財のために大統領官邸の改修のために割り当てられた公的資金を横領した嫌疑で、3年の懲役刑を言い渡された。この判決は最高裁判所によって支持され、大統領職追放後の多くの裁判でムバラクに対する唯一の最終的な有罪判決となった。
●ムバラクは、2月25日に91歳で、軍事病院で波乱の生涯に幕を下ろした。
http://english.ahram.org.eg/NewsContent/1/64/364132/Egypt/Politics-/Mubaraks-life-and-death.aspx
(コメント)エジプト・アラブ共和国の4代目の大統領として、30年間エジプトを統治したムバラク大統領が、2月25日死亡した。ムバラク大統領は、自由将校団の一員として王制を打倒し、スエズ運河を国有化したナセル大統領、イスラエルとの戦争に踏み切り、その後、アラブ陣営の中にあってイスラエルとの単独和平を決断したサダト大統領ほどのカリスマ性はなかったが、イスラエルとの和平を維持する中で、米国の支援を得て、長らく政権を維持してきた。印象に残っている出来事を3つ挙げておく。ひとつは、1988年11月28日のイラク大統領サッダーム・フセインのエジプト電撃訪問である。サッダームにとっては、1979年以来初のエジプト訪問であった。ムバラクは、サッダームのカイロ空港到着で最後まで誰が乗ってくるのか知らなかったとされる。空港出迎えには遅れたものの、ムバラクは、自ら運転し、助手席にサッダームを座らせて、大統領府に向かったとされる。2年後、イラクによるクウェート侵攻を受けて、エジプトはクウェート解放のための多国籍軍に参加し、アラブ諸国の中でサッダーム打倒の急先鋒となった。二番目は、チャウシェスク・ルーマニア大統領との関係である。チャウシェスク大統領は、1987年11月25日、エレナ夫人同伴でエジプトを公式訪問し、ムバラク大統領が出迎えた。二年後の12月25日、チャウシェスク大統領と夫人エレナは、革命軍により公開処刑され、夫妻の銃殺後のむごたらしい遺体の画像がメディアで公開された。それをみたムバラク大統領は、独裁者が権力を失ったらどうなるかをまざまざと認識し、身を震わせたとされる。三番目は、1995年6月26日、エチオピアの首都アジス・アベバで開催されるOAU(アフリカ統一機構)首脳会議出席のため、来訪したムバラク大統領の車列が会議場に向かう途中、パレスチナ大使館の前で、2台の車に行く手を阻まれ、エジプト人原理主義者とみられるグループから銃撃を受けた事件である。2人の護衛官と襲撃者2名が殺害された。ムバラクは襲撃者のひとりが自分に向かって銃撃するのを目撃したとされる。銃弾のひとつはムバラク乗車のリムジンを貫いており、ムバラクは、会議出席を取りやめ、直ちにカイロに帰国し、無事であったことを神に感謝したとされる。晩年想定外の出来事で無念にも権力の座を追われたムバラク元大統領であったが、獄中で命を落としたムルスィー大統領、軍事パレード中に原理主義者の銃弾に倒れた前任のサダト大統領に比べ、ベットの上で亡くなったことは、完全に神に見放されたわけではなかったといえる。

Posted by 八木 at 13:20 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

オマーンのカブース国王逝去とハイサム新国王就任(主な弔問者)[2020年01月17日(Fri)]
1月11日のカブース国王逝去をうけ、ハイサム新国王は12日以降世界各国から多数の弔問使節を受け入れた。主な外国からの訪問者は、現地報道等から次のとおり。(順不同)
(アラブ諸国)
1. サバーハ・クウェート首長
2. タミーム・カタール首長
3. ハマド・バーレーン国王、サルマン・ビン・ハマド・バーレーン皇太子
4. サルマン・サウジ国王
5. ムハンマド・ビン・ザーイド・アブダビ皇太子(UAEの事実上の指導者)
6. アブドッラー2世ヨルダン国王
7. ハーディ・イエメン大統領
8. カイス・サイード・チュニジア大統領
9. イスマイル・オマール・ゲレ・ジブチ大統領
10. ムハンマド・ビン・ラーシドUAE連邦副大統領(ドバイ首長)
11. アッバース・パレスチナ暫定自治政府大統領
12. シェリーフ・イスマイール・エジプト首相
13. アブドルアジーズ・ジェラード・アルジェリア首相
14. フアード・ムハンマド・フセイン・イラク副首相
15. スーダン統治評議会弔問使節
16. UAEのシャルジャ、アジュマン、ラスアルハイマ、フジャイラ、ウムアルカイワイン各首長
17. モウレイ・ラシード・モロッコ国王兄弟
18. ナジーブ・ミカティ・レバノン元首相
19. ハニーヤ・ハマース代表
(中東域内)
1.オクタイ・トルコ副大統領
2.ザリーフ・イラン外相
(域外)
1. ウィリアム・アレキサンダー・オランダ国王
2. チャールズ英国皇太子
3. ボリス・ジョンソン英国首相
4. 安倍総理
5. サルコジ元仏大統領
6. ベン・ウォーレス英国防長官
https://www.oman.de/fileadmin/pdf/Death_Qaboos_OmanObserver_13-01-20.pdf
https://gulfnews.com/world/gulf/oman/mohammed-bin-rashid-and-saudi-king-salman-in-oman-to-give-condolences-after-passing-of-qaboos-1.68979076

2.ネタニヤフ・イスラエル首相声明(2020年1月11日)
●私はオマーンの人々に哀悼の意を表し、スルタン・カブース・ビン・サイードの逝去に際して深い悲しみを分かち合う。約一年前、彼は妻と私を重要で非常に感動的な訪問に招待し、 彼は、地域の平和と安定を前進させ、我々の地域の平和と安定を前進させるためにたゆまぬ努力をした優れたリーダーであった。
オマーンの外交政策と地域の平和のための仕事が続くと語ったハイサム・ビン・ターレクの新国王任命とその発言について、新国王に祝意を表する。
https://www.gov.il/en/departments/news/spoke_oman110120

(コメント)中東アラブ情勢のウォッチャーにとって、ある国の指導者の逝去に際して、どの国がどのようなレベルで弔問使節を派遣し、あるいはメッセージを発するかは、その国がどのような外交政策を展開してきたのか、どの国と友好関係を維持してきたのか、また、その国が域内でどのような重みを有するのかを知るうえで重要な機会となる。
まず、アラビア半島の国々をみると、GCC諸国内ではサウジ他すべて国のトップ(UAEは実権を握っているアブダビ皇太子)が弔問に訪れた。イエメンもハーディ(正統)政府大統領が訪問した。一方で、アラビア半島以外のアラブ諸国については、トップとしてアブドッラー2世ヨルダン国王とチュニジア大統領、ジブチ大統領、パレスチナ暫定自治政府大統領が出席したが、域内大国エジプトやイラクは、No2の対応となった。シリアは、アサド大統領が新国王に弔電を発出したほかは、ダマスカスのオマーン大使館にシリア外務省ミイカード副大臣が弔問に訪れるにとどまったことが報じられている。
米国との緊張が高まるイランのザリーフ外相の来訪や、ハマースのハニーヤ代表の来訪もオマーンが培ってきた外交の特徴、独特のネットワークを示すものとして注目される。2018年10月オマーンを訪問してカブース国王と会談したイスラエルのネタニヤフ首相は、声明を発出し、オマーン国民に弔意を表明した。イスラエルからは1994年に当時のラビン首相が外交関係のないアラブ諸国への訪問としては初めてオマーンを訪問しており、以来、この外交的パイプを維持してきている。旧宗主国の英国は、チャールズ皇太子、ジョンソン首相、国防長官が弔問に駆け付けた。日本は、安倍総理の中東歴訪中にカブース国王が亡くなったため、安倍総理のオマーン訪問は、ハイサム新国王に日本国を代表して弔意を表し、閣議決定した海上自衛隊船舶のオマーン湾ほか派遣について説明し、オマーンの港湾使用の可能性について、要請を行う絶好の機会となった。2008年文化遺産大臣時代、外務省賓客として訪日したハイサム新国王と皇太子時代会見したことのある天皇陛下は、カブース国王逝去にあたっての弔電を発出し、地元紙でも大きく取り上げられた。
エリザベス女王、プーチン大統領、周近平主席、マクロン大統領は新国王に弔電を送り、トランプ大統領はカブース国王の逝去を悲しむとの声明を発出した。

Posted by 八木 at 13:39 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

中東の緊張緩和に努めてきたオマーンのカブース国王死去とハイサム新国王の就任[2020年01月12日(Sun)]
1.2020年1月11日、オマーンのカブース国王(スルタン・カブース・ビン・サイード・アル・サイード)が死去した。享年79歳であった。国王は、1940年11月18日オマーン南部のドファール州の州都サラーラ生まれで、ポルトガル支配を終わらせたブーサイード王朝の直系子孫であった。王朝は1741年にブーサイード家の最初の創設者(イマーム・アフマド・ビン・サイード)に遡り、王家は国の支配権を引き継いでおり、継続的に支配している最も古いアラブの家族の1つと考えられている。カブース国王は、インドとサンドハーストの王立陸軍士官学校で軍事教育を受け、1964年に帰国、1970年に無血クーデターで父親から権力を奪取した。首相、国防大臣、財務大臣、外務大臣、軍の指揮官を兼務した。カブースは、父のスルタン・サイード・ビン・タイムールと王妃マズーン・アル・マシャニの間に生まれた唯一の子供であった。国王は1976年にいとこと結婚したが、すぐに離婚し、再婚せず、子どもはいなかった。
https://www.aljazeera.com/news/2015/04/oman-sultan-qaboos-bin-al-dies-79-150420113058189.html
2.1996年にカブース国王によって公布されたオマーン基本法によれば、「後継者は王族の一員であり、スルタンの死から3日以内に王家評議会によって選ばれなければならない」と規定されている。この規定の下で、評議会内の協議で後継者を選択できない場合、カブース国王によって書かれた封印された手紙が開かれ、その中に後継者名が記されることになっていた。1997年カブース国王は、フォーリン・アフェアーズ誌とのインタビューで、「私はすでに優先順位をつけて2人の名前を書き留め、2つの異なる地域の封印された封筒に入れた」と述べていた。基本法第5条には、「オマーン国国王はサイイド・トルキー・ビン・サイード・ビン・スルタンの直系男子であり、オマーンのイスラム教徒を両親にもつ正当な息子でなければならない」と規定されている。今回、王家評議会の要請に基づき、王族の前で国防評議会が前カブース国王の後継指名書簡を開封し、1954年生まれのカブース前国王のいとこのハイサム(ハイサム・ビン・ターリク・アル・サイード)殿下の国王就任が決まったとされる。
https://arabi21.com/story/1236533/هيثم-بن-طارق-تاسع-سلاطين-عمان-ووصية-قابوس-بروفايل
3.ハイサム新国王は、国家基本法に従い、11日朝、オマーンの新たな国王としてオマーン評議会緊急会合において、就任の法的誓約を行った。国王に就任の上、カブース国王の葬儀にも立ち会った。新しい国王は、2002年2月以来国王就任まで文化遺産大臣を務めたほか、将来のビジョン「オマーン2040」委員会の委員長であり、かつて、外務省事務総長(ナンバー2)等さまざまな役職を歴任した。カブース国王の特使をしばしば務めたこともある。王位を継承する子供や兄弟がいなかった前国王とは異なり、ハイサム国王には、娘2人と息子2人の4人の子供がいる。新国王には、タラル、アサード、カイス、シハブ、アダム、ファリス、カミラ、アマルという8人の兄弟がいる。
https://www.aljazeera.com/news/2020/01/haitham-bin-tariq-named-successor-oman-sultan-qaboos-200111060309444.html

(コメント)イラン包囲網を強めようとするサウジが主導するGCCにあって、オマーンは、イランも含め全方位外交を展開し、中東地域の緊張緩和に独特の役割を果たす国として知られている。11日に就任したハイサム新国王は、TV演説で国民に向け、カブース国王の足跡を継承し、他の国の内政に干渉することなく、人々と国家間の平和的共存に基づく外交政策を採用し、すべての紛争に平和的で友好的な解決策を提供し、呼びかける、と語った。
オマーンは、2015年のイラン核合意の交渉を進めるための米・イラン間の事前協議の場を提供したことがある。また、イエメン内戦についても、フーシー派とサウジとの間の橋渡しを行ったこともある。長年アラブと対立関係にあったイスラエルともパイプを有しており、昨年10月には、ネタニヤフ首相夫妻がマスカットを訪問し、カブース国王と会談している。中東和平多国間会議の成果である中東海水淡水化研究センター(MEDRC)のメンバー国には未だイスラエルが名を連ねている。緊張が高まるホルムズ海峡の船舶航行の安全についても、イランと海峡の半分に責任を有するオマーンの役割は極めて重要である。ハイサム新国王は、日本政府の招待に応じ、2008年3月末外務省賓客として訪日し、オマーンの将来を担う重要人物として当時皇太子の天皇陛下とも会談した経緯がある。安倍総理の今次中東3か国歴訪においてオマーン訪問は、図らずも新国王に弔意を伝え、日本とオマーンとの友好関係を確認し、中東地域の緊張緩和に向けて双方の取り組みを確認する極めて貴重な機会になることは間違いない。

Posted by 八木 at 11:14 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

| 次へ