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イラン大統領選後の次期政権注目人事[2024年07月11日(Thu)]
2024年7月5日のイラン大統領選挙の決選投票で、保守強硬派候補のジャリリ氏を破って当選した改革派と目されるマスウード・ペゼシュキアン元保健大臣(ハタミ政権時代)は、7月30日に大統領就任宣誓を行う予定であるところ、2024年7月10日、イランの準国営タスニム通信は、ローハニ政権下でイラン核交渉の首席代表であったアッバース・アラグチ元外務次官がイランの新外相になる可能性が高いと報じた。タスニム通信社は「情報筋」を引用し、マスウード・ペゼシュキアン次期大統領の顧問らが外相ポストについて「ほぼ最終結論に達している」とし、「最も可能性の高い選択肢」はアラグチ氏だと伝えた。
61歳のアラグチは1980年代後半に外務省に入省。2017年から2021年まで外務次官を務め、駐フィンランド大使や駐日本大使など、いくつかの役職を歴任。アラグチ元次官は、2018年5月に米国トランプ政権が一方的に離脱したことで崩壊した2015年の核合意復活交渉のイラン側交渉者交渉責任者の一人であった。2021年にウィーンで行われたイランと米国との間接交渉では、2015年の合意を復活させることを目的としたイランの首席核交渉官を務め、同年後半にアリー・バゲル=カーニ氏と交代していた。アラグチ次官は、イラン・イラク戦争(1980〜1988年)中はイランのイスラム革命防衛隊(IRGC)のメンバーでもあった。
https://www.tasnimnews.com/en/news/2024/07/10/3120269/araqchi-is-iran-s-prospective-fm-source
https://english.alarabiya.net/News/middle-east/2024/07/10/abbas-araghchi-tipped-to-become-iran-s-new-foreign-minister-report

(参考)ローハニ政権下末期のアラグチ・イラン側首席交渉官の見方
(1)イラン側の首席交渉官であるアラグチ外務次官は、2021年6月19日イランのメディアに次のとおり語った。
@ ドキュメントはほぼ準備ができている。両国の首都での意思決定のプロセスに資する非常に明確な相違が存在する。
A しかし、これらの相違、重要な問題については非常によく理解されており、関連するすべての国の意思決定者に役に立つ
B イランと他の5つの核合意当事者が過去のどの時期よりも合意に近づいているが、それは私たちがそこに到達したという意味ではない。
C 残りの仕事は、まだ困難であり、多くの努力とさらなる話し合いが必要である。 そのため、ここで交渉を一旦断ち切り、国に戻って、相談ではなく、今回は意思決定を仰ぐこととした。
(2)2021年6月12日、アラグチ外務次官は、「トランプは去ったが、彼の違法で殺人的な制裁はまだそこにある。 8200万人のイラン人を苦しめる米国の取り組みの進行中、ワニの涙は必要ない。 パンデミックの中での経済テロは、人道に対する罪である」とツイートした。(注)わにの涙:空涙を流して獲物を誘い,また涙を流しながら獲物を食うこと

(コメント)改革派と目されるマスウード・ペゼシュキアン新大統領の前途は容易ではない。11月には、2018年5月にイラン核合意から一方的に離脱したトランプ前大統領が、大統領に返り咲くのではないかとの観測も強まっている。ハメネイ最高指導者はヘリコプター事故で亡くなったライシー前大統領の路線を、ペゼシュキアン新大統領が引き継ぐことを期待していると述べている。トランプ政権からバイデン政権にかわり、イラン核合意復活交渉が進展するのではないかとの観測が幾たびか流れ、そのたびに期待は裏切られてきた。米大統領選を前に、バイデン政権が、イラン核合意復活に真剣に取り組むとはみられていない。しかし、そうした中で、ローハニ政権下で首席交渉官を務め、イラン核合意復活交渉の表も裏も知り尽くしているアラグチ元次官が、外相に就任することになれば、ペゼシュキアン新大統領が公約した通り、イランの国際的孤立から脱却させるというメッセージの第一歩を踏み出したことになる。欧州では、英国でスナク政権が崩壊し、仏では、左派が第一党となった。アラグチ氏は、欧州にもさまざまなパイプを持っている。そして、日本にとっても駐日大使を務め、日本ともつながりを有している。イランの国際的な孤立の中で、アラグチ外相が誕生すれば、イラン・国際関係改善に一筋の光を感じることを期待したい。

Posted by 八木 at 12:33 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

米下院パレスチナ系イスラム教徒ラシーダ・トレイブ議員に対する問責決議案採択[2023年11月09日(Thu)]
「私は現在米国下院で議員を務めている唯一のパレスチナ系米国人であり、私の視点が今ここでこれまで以上に必要とされています。 私は沈黙させられませんし、誰にも私の言葉を歪曲させません。私はデトロイト出身で、そこではたとえ声が震えても、権力者に対して真実を話すことを学びました。」これは、2016年11月の中間選挙で米下院議員として当選し、20年11月の選挙でも再選された民主党所属のパレスチナ系イスラム教徒女性議員ラシーダ・トレイブ氏の発言である。決議案の採決に先立ち、トレイブ氏は下院評議会で涙ながらに「こんなことを言わなければならないことが信じられない。パレスチナ人民を見捨てることはできない。我々も他のすべての民族と同じ人間だ。パレスチナ人は自由と尊厳を持って生きる権利がある」と述べた。

11月7日の夜、米国下院はガザに関するジョー・バイデン大統領とイスラエルの政策を非難したトレイブ下院議員を非難する問責決議案を承認した。共和党代表のリッチ・マコーミック氏は、反イスラエルの立場を理由にトレイブ氏を非難する問責決議案を評議会総会に提出した。評議会は234人の議員が決議案に賛成(うち22名の民主党議員が賛成)し、188人の議員が反対(うち4名の共和党議員が「言論の自由」擁護の立場から反対)し、4人の議員が投票を棄権し、賛成多数で承認された。決議案は、トレイブ氏が「10月7日以来虚偽の情報を広め、イスラエル国家の消滅を要求している」と非難している。
(参考)トレイブ議員がパレスチナ人の「川から海へ」のスローガンを擁護したことが問責の一つの理由になっている。かつて、イスラエルを認めない立場の勢力は、イスラエル人を海に追いやるという主張を行ってきたことがある。トレイブ議員の11月4日のX投稿では、「川から海へは、死、破壊、憎しみではなく、自由、人権、平和的共存を求める熱望の呼びかけです。 私の仕事と擁護は常に、信仰や民族に関係なく、すべての人々の正義と尊厳を中心にしています。」と趣旨を説明している。

11月3日、トレイブ氏は「X」プラットフォーム上で亡くなったパレスチナ人の子供の写真を公開し、「バイデン大統領はパレスチナ人民に対する大量虐殺を支持している。米国民はこれを忘れないだろう。バイデン大統領、今すぐ停戦を支持するか、2024年(米大統領選挙)で我々を「当てにしないか」のどちらかだ」と付け加えた。

下院評議会では、同僚でソマリア難民出身のイスラム教徒女性議員であるイルハン・オマル氏は同僚を支持し、「あなたがたはラシーダ・トレイブ氏を攻撃しているが、共和党下院議員マックス・ミラー氏はテレビに出演して「我々はガザを駐車場にし、パレスチナ人を絶滅させる」と言った。それにもかかわらず誰も彼を非難しなかった、と擁護した。

(コメント)ラシーダ・トレイブ議員は、イルハン・オマル議員とともに2016年秋の中間選挙で初当選した民主党議員である。パレスチナ系、ソマリア出身の女性イスラム教徒議員ということもあり、両名は、米国政治界において少数派の意見を発信・擁護する議員として注目されてきた。米国内では、10月7日のハマスによるイスラエル人他への襲撃で1400名以上が犠牲になったとして、イスラエルの自衛権を擁護しハマスを殲滅・解体させようとするイスラエル軍の軍事作戦を支持する声がある一方で、11月8日現在のガザ保健省の発表で、ガザでのパレスチナ人10,569(うち、子ども4,324 )、西岸でもパレスチナ人死者164人が犠牲になったと伝えられており、即時停戦、あるいは人道的休戦を求める声があがっていた。こうした中、パレスチナ系下院議員であるラシーダ・トレイブ氏が、イスラエルの自衛権を理由に、多数のガザ市民が巻き込まれることがわかっていながらイスラエル軍の進軍を止めようとしないバイデン政権に批判の声をあげたことは不思議ではない。バイデン政権も、国内・国際世論の休戦を求める声に押されて3日間の一時休戦を、イスラエル側に呼びかけているとされる。現在ガザの北部地区は、イスラエル軍に包囲され、ハマスが築いてきたとされる地下トンネルなどインフラが次々に破壊されているとされる。軍事的には、圧倒的に有利なイスラエル軍は、ハマスのインフラと戦闘員に大打撃を与えることは確実である。しかし、集団懲罰を受けた形で、家族を失い、居場所を失った多くのパレスチナ人の、世界から見捨てられたとの怒りと絶望感は、今後何世代にもわたって続くと思われる。イスラエルと米国ならびに国際社会は、ハマス戦闘員から解放されたガザ北部をどうするつもりなのか。エジプトが国境を封鎖したままでガザ南部に追いやられたパレスチナ人の今後はどうなるのかアラブ世界は、いままでのように「パレスチナの大義」を理由に、パレスチナ人の自国受け入れと国籍付与を拒否し続けるのか、ウクライナ支援で手厚い対応をみせた国際社会は、一時的であれウクライナ人同様にパレスチナ人を受け入れる用意があるのか、ハマスを批判し、イスラエルや欧米に低姿勢を続けるアッバース議長率いるパレスチナ暫定自治政府のガザ支配をパレスチナ人は支持するのか、人口の2割のパレスチナ系アラブ人を抱えるイスラエルは、真の自国の安全保障実現をどう確保しようとしているのか、現在の戦闘が休戦に至ったとしても、その後の地域の平和と安定を実現するためのシナリオを世界の指導者は真剣に検討しているのか、あるいは、アフガニスタンのように、国際社会は斬状に目をつぶり、混乱を放置する途を選ぶのか、国際社会は今こそ対立を煽るのではなく、一致点を見出すべく取り組むべきで、そこには、G7だけでなく、グローバル・サウスとよばれている国々の関与も重要になり、混乱を一刻も早く収めてほしいと願うばかりである。
https://www.businessinsider.com/which-democrats-voted-for-rashida-tlaib-censure-israel-palestine-2023-11
https://www.aljazeera.com/news/longform/2023/10/9/israel-hamas-war-in-maps-and-charts-live-tracker
https://arabi21.com/story/1550511/%D8%B1%D8%B4%D9%8A%D8%AF%D8%A9-%D8%B7%D9%84%D9%8A%D8%A8-%D8%AA%D8%A8%D9%83%D9%8A-%D9%81%D9%8A-%D8%A7%D9%84%D9%83%D9%88%D9%86%D8%BA%D8%B1%D8%B3-%D8%A3%D8%AB%D9%86%D8%A7%D8%A1-%D9%83%D9%84%D9%85%D8%A9-%D8%B9%D9%86-%D9%81%D9%84%D8%B3%D8%B7%D9%8A%D9%86-%D9%87%D9%83%D8%B0%D8%A7-%D8%AF%D8%B9%D9%85%D8%AA%D9%87%D8%A7-%D8%A5%D9%84%D9%87%D8%A7%D9%86-%D8%B9%D9%85%D8%B1-%D8%B4%D8%A7%D9%87%D8%AF
https://www.zerohedge.com/political/tlaib-censured-house-saying-biden-supports-genocide-gaza

Posted by 八木 at 10:40 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ハマス・イスラエル戦争勃発後初めてのナスラッラー・ヒズボラ書記長の発言の真意[2023年11月04日(Sat)]
イスラエル軍のガザ本格侵攻をうけて、2023年11月3日、これまで沈黙を保ってきたレバノンのヒズボラのトップであるナスラッラー書記長がテレビ演説でガザ情勢について、はじめて見解を表明した。ヒズボラとイスラエル軍との交戦は散発的には続いているが、ヒズボラが本格的に参戦すれば、イスラエルは二正面作戦を強いられることになりナスラッラー書記長の発言の真意が注目されている。

ナスラッラー・ヒズボラ書記長発言骨子(2023年11月3日)
@ ハマスの10月7日の「アル・アクサ洪水」作戦は100%パレスチナ人によって決定され、その実行は100%パレスチナ人によって行われ、その組織は誰に対しても パレスチナの派閥や抵抗運動に対してさえ、それを隠していた。
A イラン・イスラム共和国は一貫してこれらの抵抗勢力を支援しており、イランの指導部はその決意を揺るがすことはなかったが、彼ら(ハマス側)に対していかなる圧力も勧告も加えたことはなく、同指導者に何も求めなかった。決定の真の主は、抵抗組織指導部と、その戦士たちである。
B (ハマスの)絶対的な秘密主義が10月7日のアル・アクサ・ストーム作戦の成功を確実なものにした
C ハマスが10月7日の攻撃計画を隠蔽したことを我々は気にしていない
D ハマスがイスラエル占領軍に対して奇襲攻撃を開始した翌日の10月8日にレバノン抵抗運動(ヒズボラのこと)がイスラエルとの戦いに参戦した。これまでにヒズボラ戦闘員57人が殉教した。
E 我々は、現在この聖戦に関わっている強くて勇敢なイラクとイエメンのひとびとに敬意を表さなければならない(注:シリア、イラクに駐留している米軍への散発的な攻撃を指す)。
F ガザ侵攻は米国による侵攻であるため、米国はガザ侵攻を止めることができる。米国に対して言う。地域的な戦争を防ぐにはガザ侵攻を直ちに止めなければならない
G イスラエルとレバノンの国境地帯での戦線が「本格的な戦争」に突入する可能性については、それは起こり得ることであり、敵はその可能性をあらゆる考慮に入れなければならない。

(参考1)ヒズボラの強みと脆弱性
1.強み
@レバノンに根付いた組織であること
A過去に対立したキリスト勢力にもパイプを有すること(ヒズボラはアウン前大統領との協力してきた
Bイスラエルに抵抗するレジスタンス組織として、国内で存在を認められ、アラブイニシアティブでレバノン内戦後、各民兵組織が武装解除されたが、国内で唯一武装解除を免れてきたこと
Cイランからの財政・武器支援を受け、シリアからもロジスティック面で支援を得てきたこと。2013年4月頃からシリア内戦に本格的に介入し、アサド政権存続に貢献した。

2.脆弱性
@ 米国のイラン経済制裁の影響で、イランからヒズボラへの財政支援が減少しているとみられること、
Aシリア内戦に関与し、多数のヒズボラ戦闘員が犠牲になったこと
B最重要事項は、イランに諮る必要があり、最終的な意思決定権を有していないとみられること。そのつなぎ役としてのIRGCコッズ部隊のソレイマニ司令官が、2020年1月米軍のドローン攻撃で殺害され、指示・調整機能が弱体化している可能性があること
Cかつては、イスラエルへの抵抗活動のシンボルとして、アラブ世界からも一定の評価を受けていたが、2016年3月にはサウジ他湾岸アラブ諸国がヒズボラをテロ組織に指定したこと
D米国は、ヒズボラをテロ組織に指定し、ヒズボラ関係機関・団体・個人に制裁を科しており、レバノンの金融機関がその影響を受けていること
E2020年8月4日のベイルート港穀物倉庫大爆発やコロナ禍といった惨状にもかかわらず、欧米の制裁で、復興が進んでおらず、ヒズボラはその責任の一端を負わされていること

(2)シューラ評議会とイランの関係
シューラ評議会、または諮問評議会は、ヒズボラの国家レベルでの最高かつ中央の意思決定機関。 ナイム・カーセム副書記長によれば、組織的には、「戦略目標ピラミッドの最上位にあり、全体的なビジョンとポリシーを描き、党の機能の一般的な戦略を監督し、政治的決定を下す責任がある」。 全会一致または多数決により行われたその決定は、最終的であり、党員を宗教的に拘束する。
シューラ評議会は、イランの最高指導者の権威にのみ従属しており、イランの最高指導者を、ワリー・アル・ファキーフと見なし、議論が行き詰まった場合、問題は最高指導者に照会される。理論的には、ヒズボラの書記長は、 評議会の「対等なメンバーのひとり」であるが、ハッサン・ナスラッラーの指導の下で、イランの最高指導者の権威の下で評議会の事実上の長となった。
• シューラ評議会メンバー
• 議長: ハッサン・ナスラッラー(Hassan Nasrallah)書記長
• 評議会メンバー: Sheikh Naim Qassem (副書記長), Sheikh Mohammad Yazbek (司法評議会議長), sayyed Ibrahim Amin al-Sayyed (政治評議会議長), sayyed Hashem Saffieddine (執行評議会議長), Hussein al-Khalil (Secretary General’s political aide), Mohammad Raad (議会活動評議会議長で、抵抗ブロック忠誠委員長.

(コメント)2006年以来、イスラエルとの本格交戦を控えてきたヒズボラが、仮に対イスラエル戦争に本格参戦すると、イスラエルは、南のガザ(ハマス、イスラム聖戦)と北のレバノン(ヒズボラ)の二正面作戦を強いられることになる。今回のナスラッラー書記長の発言の真意は、どこにあるのだろうか。そもそも、10月7日にハマスの越境作戦が開始され、それに対して、イスラエルがハマス掃討作戦を開始し、ヒズボラは、ナスラッラー書記長によれば、10月8日に参戦した。しかし、ナスラッラー書記長がガザ情勢について語るのは、11月3日になってはじめてである。ヒズボラは、比較的慎重に対応してきたようにみえる。また、今回の書記長の発言をみても、今次ハマスの作戦は100%ハマスの決定であり、ハマスの作戦を知ったのは、開始後で自分たちは相談にあずかっていなかった、また、ヒズボラがその権威に従属するイランの最高指導部も関与していなかったことを、あえて強調している。これは、イランがハマスの作戦に事前に関与していたことを打ち消すためであることに加え、北から散発的な圧力をイスラエル側に加えることはあっても、ヒズボラが矢面にたって、イスラエルとの交戦状態に入ることはない、イランもそれを望んでいない米国は、イスラエルをたきつけるのではなく、イスラエルに停戦を働きかけ、パレスチナ人を救うべきであるというメッセージを米国ならびに国際社会に発しているとみるのが妥当であろう。
https://www.tasnimnews.com/en/news/2023/11/03/2982724/al-aqsa-storm-operation-100-percent-palestinian-says-hezbollah-chief

Posted by 八木 at 15:00 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ニューヨーク州における「悪魔の詩」作家サルマン・ラシュディ氏の襲撃事件[2022年08月14日(Sun)]
8月12日にニューヨーク州郊外のショトーカ・インスティテュートで講演中だった作家サルマン・ラシュディ氏は、壇上に駆け上がった男に、首や腹部などを刺され、ドクターヘリで近くのペンシルヴェニア州イーリーに運ばれ病院で緊急手術を受けた。ラシュディの代理人は12日、ラシュディ氏の腕の神経が切断され、肝臓を刺されて損傷を受け、さらに、片目を失う恐れがあると明らかにしていた。病院で人工呼吸器をつけられ、当日は、会話はできなかったが、13日には会話できるようになり、回復基調にあるとされる。

サルマン・ラシュディ氏はインド出身の75歳で、イスラム教徒の両親のもとに生まれたが、無神論者として表現の自由を主張している。英国籍者であるが、米国の市民権も得ている。1981年出版の、インド・パキスタンの分離独立前後の状況を描いた小説「真夜中の子供たち」で一躍有名になった。同小説は英国内だけで100万部以上を売り上げ、英国のブッカー賞を受賞した。しかし、1988年出版の4作目の小説「悪魔の詩」は、その内容がイスラム教を冒涜(ぼうとく)しているとして世界各地でイスラム教徒の怒りを買い、いくつかの国で出版が禁止された。出版から1年後、イラン・イスラム革命共和国の最高指導者だったホメイニ師はラシュディ氏に「死刑」のファトワーを発出(背景等参考1)し、その後、ラシュディ氏は当局の24時間警護の対象となり、一時期、身を潜めていたが、最近は、公の場に姿を現す機会も増えていた。ラシュディ氏は宗教活動を実践しない声高に主張するようになった。2007年にエリザベス英女王から「ナイト」の称号を受けた。

襲撃したのは、ニュージャージー州在住のハーディ・マタル容疑者(24歳)。ショトーカ・インスティテュートの代表によると、マタル容疑者は講演会の他の参加者と同様、施設への入構証を取得して、会場にいた。壇上に駆け上ってラシュディ氏を刺した後、現場の関係者らに取り押さえられ、警察に引き渡された。現在、第二級殺人容疑で取り調べを受けている。ホメイニ師が発した死刑宣告のファトワーとの関連が取りざたされているが、現時点で、ファトワーとの関連は明確にはなっていない

マタル容疑者のSNSアカウントには、イランのイスラム革命防衛隊(IRGC)コッズ部隊の司令官で、2020年1月3日、米軍に殺害されたカーセム・ソレイマニ司令官のイメージ写真が見つかったとされ、マタル容疑者は、レバノン出身のシーア派系であるとの見方があるが、レバノン政府は、マタル容疑者がレバノン出身ではなく、レバノンに来たこともないと述べているとされる。バイデン大統領は、声明の中で、「残酷な攻撃」に「衝撃を受け、悲しんでいる。威圧をはねのけ、決して沈黙させられたりしないサルマン・ラシュディ氏は、真実、勇気、しなやかなたくましさ、恐れずに考えを共有する能力など、不可欠で普遍的な理想を掲げる人である。これはどれも、あらゆる自由で開かれた社会の礎であり、米国や世界中の人たちと共に、(ラシュディ氏の)健康と回復を祈っている」と述べた。イラン政府は、公式には事件をコメントしていない

他方、イランの最高指導者に近いとされるイランのケイハン紙は、8月13日付で、今回の襲撃事件に関し、「宣告された背教者は、(現実の)氏の前に何度も死ぬ」との題名で、下記の内容の襲撃者と讃えるとともに、イランと今回の襲撃を結びつけることは間違っている、但し、背教者は死を受け入れるしかないとの趣旨のレポート(参考2)を発出している。

(参考1)ホメイニ師の関連ファトワーについて
1989年2月14日に、ホメイニ師が発出した「悪魔の詩」作者ラシュディ氏への死刑宣告のファトワーについては、次のとおり。
•ホメイニ師は、小説「悪魔の詩」を執筆したサルマン・ラシュディに対して、ムハンマドを冒涜的に描いたとして、死刑を宣告するファトワーを発出した。これに関連して、日本でも「悪魔の詩」を日本語に翻訳した五十嵐一助教授が何者かに殺害されるという事件が発生した。
•このファトワーは、カイロのアズハル大学のウラマーとサウジのウラマーによって、非イスラム的と宣告され、イスラム諸国会議機構(OIC)に加盟する49か国中、48か国がファトワーを非難した。
•その後死亡したホメイニ師のファトワーは取り消すことができないが、イラン国内では、1998年9月ハタミ大統領は、ラシュディへのファトワーに政府として関与しないと表明し、その方針は、のちに最高指導者となったハメネイ師によって承認された。
(経緯)
•『悪魔の詩』の出版は、1988年の出版直後から国内外のムスリムに反発を生み、同年10月にインド政府はこの本を発禁とした。英国では同年12月2日にマンチェスターのボルトンで8000人のムスリムが本書の発禁を求めるデモを行ない、1989年1月14日にはブラッドフォードで本書を焼くパフォーマンスを行なった。少数派のムスリムの政治運動としては最大の動きだったが、英国でもほとんど報道されることがなかった。
•世界中の注目を集めたのは、1989年2月14日、イランの最高指導者ホメイニ師による著者のラシュディおよび発行に関わった者などに対する「死刑」の宣告であった。「死刑」宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。ラシュディは英国警察に厳重に保護された。
•1989年2月15日 イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示された。
•1989年3月7日 - イランが英国と国交断絶
•1989年2月 - 日本外国特派員協会で出版記念記者会見中であった五十嵐一助教授と出版者のパルマ・ジャンニ(イタリア人)が、パキスタン人の男に襲撃される。その際、パルマは言論と表現活動の自由を主張したが、会場にいた在日パキスタン協会のライース・スィビキ会長がパルマに対し「死刑」を宣告する。
•同年6月3日 - 心臓発作のためホメイニ師が死去。ファトワーは発した本人しか撤回できないので、以後、永久に撤回できなくなった
•1990年2月9日 - ホメイニ師の後継者ハメネイ師が、演説の中で、ラシュディに対する「死刑」宣告は有効であり、執行されるべきである、と改めて強調。
•1991年7月11日 - 日本語訳を出版した五十嵐一氏が勤務先の筑波大学にて殺害され、翌日に発見された。他の外国語翻訳者も狙われた。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。
•1998年- イラン大統領のハタミ大統領が、ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も支持しないとの立場を表明。ハメネイ師も承認した。
• 2006年7月11日、 悪魔の詩訳者である五十嵐一氏殺人事件で(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)公訴時効が成立した。

(参考2)ケイハン紙レポート(8月13日)
@「臆病者は死ぬ前に何千回も死ぬ」と英国の吟遊詩人ウィリアム・シェイクスピアは戯曲の中で言った。現代の最も顕著な例は、報告によると金曜日にニューヨークで彼の許されない罪のために刺された背教者のサルマン・ラシュディである。彼は英国と米国のネズミ穴に隠れることによって過去33年間その結果を回避しようとしてきた。医療関係者は、彼を地獄の業火に追いやることを当面食い止めることができれば、彼は視力を失っても生き残ることができる。
A 冒涜的な小説「悪魔の詩」のインド生まれの英国人作家がまもなく死ぬか、惨めな人生の最終的な終わりの前にあと数年生きていることができるかは重要ではない。重要なのは、背教者の死刑執行者になることを志願した米国のイスラム教徒、ハーディ・マタルの勇気である。ハーディ・マタルは、米国の警察官が引き金を引いて彼に発砲した場合、勇敢に死を迎えることを十分に認識していた。そうはならなかった。彼は拷問やあらゆる種類の告発とともに、数年間の投獄に苦しみながら生き残ることになった。その中には、既にイスラム革命防衛隊(IRGC) の殉教者カーセム・ソレイマニ将軍の写真を彼の携帯電話に挿入し、改ざんすることで、事件をイランと結びつけようとしてラベル付けする試みも行われている。
B24歳のマタルはイラン出身ではなく、ドナルド・トランプ前大統領やマイク・ポンペイオ前国務長官などのテロリスト(注:イランは、イラン要人をテロ支援者に指定したことに対抗して、両名をイラン側のテロリストに指定している)への裁きを決意したイスラム共和国の報復部隊の隊員でもなく、イラン当局は勇敢な殿堂入りを心から望んでいた米国の敬虔なイスラム教徒の存在を認識していなかった
Cしたがって、1989年にイスラム革命の父、イマーム・ホメイニ師がラシュディの冒涜的な本の出版によりインドとパキスタンの少なくとも 45 人のイスラム教徒の罪のない血を流した後、ダイナミックなファトワー (宗教布告) を発行した地であるイランと米国の核協議における米国の姿勢にいたずらに影響を与えようとすることは、シオニストが支配する西側メディアのイランに対する公然たる敵意にほかならない。
Dここで、背教に関するシャリア(イスラム法)の規定を明確にすることは、文脈から外れていない。背教者がたまたまイスラム教に改宗していた場合、(棄教に対して)極刑は宣告されず、悔い改めてイスラム教に戻る機会が 3 回与えられるが、イスラム教徒の両親から生まれ育った背教者の場合 イスラム教徒として(サルマン・ラシュディのように)、処刑が唯一の評決であり、謝罪は受け入れられない。したがって、「ジョセフ・アントン」( 自ら告白した背教者ラシュディが2012年から隠れている間に使用した英語化された名前) は、避けられない死への恐怖から千の死を遂げる臆病者ではなく、少なくとも彼の反イスラム的生活において勇敢でありたいのならば正義に服従するべきである(注:すなわち、死の裁きを受け入れるべきという趣旨)。
E西側諸国(米、英、仏など)は、納税者が苦労して稼いだお金を何十億ドルとは言わないまでも、何億ドルも無駄に使って、宣告された背教者であり、許しがたいテロリストを保護しようとして、同人に対する正義の裁きへの道を妨げないように忠告されている。要するに、イスラム革命の指導者アヤトラ・アリー・ハメネイ師が、数年前、イマーム・ホメイニ師のラシュディに対する後戻りできないファトワーについて述べた「止まらない弾丸のように標的に当たるまで、(攻撃は何回も)繰り返される 」との言葉を思い出してみよう。
https://kayhan.ir/en/news/105693/sentenced-apostates-die-many-times-before-their-death

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ソチでのロシア・トルコ首脳会談注目点[2022年08月07日(Sun)]
8月5日、ロシアのソチを訪問したトルコのエルドアン大統領は、7月19日のテヘランでの会合に続いて、プーチン大統領と対面で会合した。
懸案となっていたウクライナの穀物輸送は、すでに、とうもろこしを満載した輸送船がレバノンに向けて出港したあと、第二陣の輸送も手配され、トルコ、国連が仲介したウクライナ船舶による穀物輸送合意は、概ね履行段階に入っている。会談前の両首脳のコメントの注目点は次のとおり。特に、ウクライナからの穀物輸送の安全回廊確保の合意を結んだ際には、ロシア産穀物の輸送も妨害されないが別途合意されていたこと、ならびにアックユ原発の建設が順調に進んでいること(ロスアトムが建設中でまもなく1号機が完成予定)、2020年1月に開通した黒海を通じてのトルコストリームガスパイプライン(2本のパイプライン合計年間315億立方メートル輸送能力を有する。半分の157.5億立方メートルは、トルコ国内消費用で、もう半分の157.5億立方メートルは、トルコ経由欧州輸送用)は、ノルドストリームなど他のパイプラインと異なり、順調に欧州へのガス供給が継続されていることを強調している点である。両首脳は、これまで、シリア内戦、リビア内戦、ナゴルノ・カラバフ紛争で敵対する勢力を支援しながら、両首脳の直接対話を通じて停戦を実現してきた実績がある。NATO加盟国であるトルコがなぜ対ロシア制裁に加わらず、ロシアとの実務関係を維持するのかについて、訝しむ声は当然あるものの、ウクライナ危機の武力での決着が見通せない現状において、トルコのように、ロシアとの間で、具体的かつ実務的なやりとりができる存在は極めて重要である。

(プーチン大統領)黒海の港を通したウクライナの穀物輸出の問題は、(エルドアン)大統領の個人的な関与と国連事務局の調停のおかげで解決された。 穀物は輸出されている。このことと、ロシアの食糧と肥料が妨げられずに世界市場に届けられるという一括決定が同時に採択されたことに感謝したい。2021年の両国の貿易額は 57% 増加し、今年の最初の数か月 (1 月から 5 月) で 2 倍になった。我々が取り組んでいる大規模なプロジェクトであるアックユ原子力発電所の建設は非常に重要なエネルギープロジェクトであるが、しばらく前に建設を完了したトルコストリーム(TurkStream)ガスパイプラインは、今日、欧州にロシアのガスを供給するための最も重要なルートの1つであることをリマインドしたい。 トルコストリームは欧州への石化エネルギー供給の他のすべての供給手段とは異なり、順調に、スムーズに、そして失敗することなく運営されている。トルコの消費者への輸送だけでなく、欧州の消費者への輸送も意味している。欧州のパートナーは、市場へのガスの継続的な輸送を保証しているトルコに感謝すべきである。

(エルドアン大統領)今日、世界はソチに注目している。その結果は我々の会談後に判明する。両国関係の新たなページが開かれると信じている。これはエネルギー、ならびに私たちが対策を講じた黒海を経由する「穀物回廊」に関するものである。また、観光や輸送など、これらすべての分野のすべての問題について対策が講じられている。とりわけ、アックユ原発は、エネルギー分野において我々にとって非常に重要。アックユ原発の建設が継続しており、遅れが生じないようにする必要がある。すべての作業が予定どおりに進み、計画どおりに完了している必要がある。トルコのエネルギー需要の 10% は、アックユ原発によって賄われる
http://en.kremlin.ru/events/president/news/69119

(参考)ロシア・トルコ共同声明(2022年8月5日、ロシア大統領府)
ロシア連邦のウラジミール・プーチン・ロシア連邦大統領は、(エルドアン)トルコ共和国の大統領と2022 年 8 月 5 日にロシアのソチで会談した。
進行中の地域的および世界的な課題にもかかわらず、両首脳は、相互の尊重、相互利益の認識に基づいて、また国際的な取り組みに従って、トルコとロシアの関係を促進するという共通の意志を再確認した。
この理解の枠組みの中で、トルコ・ロシアの二国間問題の議題にある問題について広範な協議を行い、両首脳は二国間の貿易量をバランスよく増加させ、設定された目標を達成すること、経済とエネルギーに対する互いの期待に応えること、運輸、商業、農業、産業、金融、観光、建設などのセクターに関して、両国の議題で長い間懸案とされてきた問題について、協力を促進するための具体的な措置を講じることに合意した。
地域問題に関して、首脳は、地域的及び国際的な安定を達成するために、トルコとロシアの間の誠実で、率直で、信頼に基づく関係が重要であることを強調した。
この枠組みの中で、両首脳は、ウクライナの港からの穀物と食糧品の安全な輸送に関するイニシアティブの締結において、両国間の建設的な関係が果たした役割を認識した。両首脳は、ロシアの穀物、肥料、およびその生産に必要な在庫原料の輸出が妨げられないことを含め、イスタンブール合意の完全な実施を、その文面および精神の双方において確保する必要性を強調した。
シリアにおける最近の進展についても議論され、この会合において、両首脳は、政治プロセスの促進が重要であると強調した。首脳は、シリアの政治的統一と領土の一体性を維持することの重要性を強調し、すべてのテロ組織との戦いにおいて協調と連帯を持って行動する決意を再確認した。
両首脳は、リビアの主権、領土保全、国家統一に対する強いコミットメントを強調した。両者は、可能な限り幅広いコンセンサスに基づいて自由で公正かつ信頼できる選挙を実施することの重要性を強調し、リビアの主権とリーダーシップの下で継続する政治プロセスへの支持を繰り返し表明した.
首脳は、トルコ・ロシア・ハイレベル協力評議会の次回会合をトルコで開催することに合意した。
http://en.kremlin.ru/supplement/5830

Posted by 八木 at 10:40 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

パレスチナ解放運動と重信房子[2022年05月27日(Fri)]
本日の朝日新聞第二面の下欄に、幻冬舎から、重信房子の本「戦士たちの記録」という大きな広告が目に入りました。世界同時革命を目指し、その後、30年間中東でパレスチナ解放運動に参加し、そして、2000年11月8日に潜伏していた大阪府高槻市において旅券法違反容疑で逮捕された重信房子が、21年7か月の刑期を満了して、5月28日に出所します。その機会に、彼女がたどってきた生き様を、彼女が執筆した本3冊「革命の季節」「ジャスミンを銃口に重信房子歌集」「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」の三冊を紹介しています。重信のとってきた行動は犯罪行為であり、それゆえ、その代償として刑に服してきたわけですが、彼女が、パレスチナ人との接触の中で、国際同時革命という熱病から解放され、何を思い、パレスチナ人の置かれた厳しい状況の中で、どのように現実的な考え方を持つように変化していったのか、また、外部からしか見えてこなかったレバノンにおけるパレスチナ人武装勢力のイスラエルとの戦いがどのようなものであったのかを知るうえで、3冊の本は、彼女の行動への立場の相違を超えて読む価値があると思われます。

1948年5月のイスラエル建国から70年以上を経過してもまだ解決の糸口が見いだせないパレスチナ問題。いまも、イスラエルに1967年に占領された地区は、西岸とガザに分断され、パレスチナ人は、行動の自由を大きく制限されています。ヨルダン川西岸地区のジェニンでは、5月11日、中東の衛星テレビ局アルジャジーラのパレスチナ人記者、シリーン・アブアークレさんが、頭部に銃撃を受け死亡し、改めて現地のパレスチナ人が置かれた厳しい状況を思い起こさせています。

1970年代にも日本人もパレスチナ解放運動に共感して、ジョージ・ハバシュが設立したパレスチナ人民解放戦線(PFLP)と協力して、過激な行動に出た者たちがいます。日本赤軍です。パレスチナの解放を目指して1964年に設立されたPLOは、1970年9月(パレスチナ人は、ブラックセプテンバーと呼んでいます)には、同胞のアラブの国ヨルダンを追われて、レバノン南部に移動し、そこからイスラエルに対する武力闘争を続けていました。しかし、イスラエルは、1982年6月、突如レバノン南部に進攻(イスラエルの軍事作戦名「ガリラヤの平和作戦」)し、その後PLOの戦闘員をベイルート近郊に追い詰め、砲弾の雨を降らせました。日本赤軍リーダーの重信房子をはじめとする日本赤軍メンバーもPLOと一緒にイスラエル軍と戦い、ベイルートを脱出しました。重信の著書「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」の「あなた」とは、パレスチナ人との間で儲けた娘の重信メイさんです。

かつては、日本国内でも政治家を含め、パレスチナ人の権利を擁護し、友好を強化しようとする動きがありました。日・パレスチナ友好議員連盟には、かつて女優の李香蘭として名を馳せた大鷹(山口)淑子議員(故人)や柿沢弘治議員(元外相)(故人)などもいました。

ロッド空港事件の実行犯である岡本公三を含む日本赤軍メンバー5名が、1997年2月に潜伏先のレバノンで突然拘束されました。重信も、レバノンの著名なローマ遺跡のバールベック神殿で、写真をとっていますので、彼女は岡本たちと行動をともにしていたことは確実です。結局、岡本公三を除く4人は、2000年3月に国外退去処分となり、警察は、帰国と同時に逮捕・収監されました。岡本は、1985年イスラエルとパレスチナ人の捕虜交換でイスラエル側から解放されましたが、日本に戻されると大量の殺人の罪で、死刑になる可能性もあり、その時点で、力をある程度残していたPFLPをはじめとするパレスチナグループが、当時レバノンに影響力を有していたアサド政権やヒズボラを通じて、レバノン政府に「アラブの英雄」として岡本を国内に残すよう働きかけた結果、レバノン残留が認められたと思います。ただ、本人の望郷の思いは強いという記事を目にしたこともあります。

最後にパレスチナ解放運動の歴史で、最初に航空機をハイジャックした女性として、世界中に名を馳せたライラ・ハーリドの有名な言葉を紹介しておきます。彼女は、PFLPの著名なメンバーであり、パレスチナ民族評議会のメンバーです。 彼女は、現在は家族と一緒にヨルダンに住んでいるそうで、自由の身になって活動を続けています。その言葉とは、「パレスチナ解放運動の究極の目標は、アラブ人、ユダヤ人を問わず、パレスチナの地で、すべての人々が平等に、平和で、調和した生活ができることである」

Posted by 八木 at 09:36 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

次期シリア大統領選挙は、5月26日[2021年04月20日(Tue)]
シリア国営通信SANAによれば、4月18日ハムーダ・サッバーグ・シリア議会議長は、次期大統領選挙が5月26日に行われると発表した。
在外投票も実施され、2021年5月20日に投票が開始される。候補者は10日間のうちに立候補登録を済ませる必要がある。立候補には、アサドのバアス党が支配する議会で、35人の国会議員の支持を必要としている。
前回の大統領選挙は2014年6月に行われ、アサド大統領が88.7%の得票率で当選した。任期は7年
シリア大統領官邸は、3月18日アサド大統領とアスマー夫人は、新型コロナ・ウィルス陽性が確認されたと発表していた。アスマー夫人は、2019年に乳がんの手術を受けた経緯がある。夫妻は、その後陰性が確認され、大統領は、3月30日には通常の職務に復帰したことが確認された。
https://www.rudaw.net/english/middleeast/syria/180420211
https://www.middleeasteye.net/news/syria-presidential-elections-slammed-farce
https://www.voanews.com/covid-19-pandemic/syrian-president-assad-his-wife-have-recovered-covid-19
(コメント)軍事的には、2016年12月にアレッポを解放し、反体制勢力をシリア北西部のイドリブに封じ込め、シリアの領土の多くを解放し一息ついたアサド政権であるが、これから復興に力を入れようとした矢先の2020年6月に、トランプ政権下の米政府はシリアの中央銀行の資金洗浄疑惑、シリア政権中枢の戦争犯罪を理由に、シーザー・シリア市民保護法を発動した。当時のポンペイオ国務長官は、米財務省と国務省がシーザー法と大統領令第13894号に従い、39の個人・団体を制裁対象に指定したと発表した。それは、シリア政府に経済的・政治的な圧力をかけ、その収入を断ち、それが戦争やシリア国民の大量虐殺に拠出されるのを食い止める持続的なキャンペーンを開始するのが目的とされる。制裁対象に指定されたのは、バッシャール・アサド大統領、アスマー夫人、ビジネスマンのムハンマド・ハムシュー氏、ファーティミーユーン旅団、アサド大統領の弟のマーヘル・アサド准将、姉のブシュラー・アサド、マーヘル准将の妻のマナール・アサドなど。これをきっかけにシリアポンドは大暴落し、さらに、シリア政権側のレバノンにおける銀行口座も打撃をうけ、レバノンの金融危機にも発展した。
シリア内戦で、アサド大統領を守ってきたのは、まちがいなくロシアのプーチン大統領である。2015年9月30日からのロシア軍のシリアでの軍事作戦開始は、シリア内戦の行方を占う意味で決定的であった。シリアはロシアにとっての長らくの軍事パートナーで、ロシアの海軍がタルトゥース基地を利用できるほか、中東への橋頭保としてシリアの重要性を認識していた。しかし、2020年4月、ロシアのメディアが、盟友であるはずのアサド大統領が次期大統領選挙に出ても30%の得票しか期待できないとの衝撃的な世論調査結果を発表した。これを巡って、プーチン大統領がアサドを見捨てようとしているのではなかとの観測も一部で生じた。しかし、自身も2036年まで大統領に留まることを可能にする憲法改正を行い、ロシアの反体制指導者ナワリヌイ氏の扱いなどを巡って激しく欧米と対立するロシアのプーチン大統領は、欧米が歓迎するような形で、アサド大統領を引きずり落とすことに影響力を発揮することは期待できない。長年アサド政権と対立してきたUAEはすでに2018年末に大使館をダマスカスに戻しており、米国との間でカショギ氏殺害をはじめとする人権問題を抱えるサウジも、アサド政権への立場を軟化する方向にあり、アラブ諸国内では、凍結中のシリアのアラブ連盟加盟資格停止を解くべきであるとの意見も出始めている。いずれにせよ、ロシアがアサド大統領の首に鈴をつけない限りアサドが大統領の座を降りることは考えられない

Posted by 八木 at 16:37 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

4月9日亡くなった英王室フィリップ殿下と中東要人接触の懐かしい画像[2021年04月11日(Sun)]
英王室は4月10日、エリザベス女王の夫で4月9日、99歳で亡くなったエジンバラ公フィリップ殿下の葬儀について、ロンドン郊外ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で4月17日に執り行うと発表した。英国は、歴史的に中東とは深いつながりを持っているが、ロンドンを拠点とするミドル・イースト・アイは、フィリップ殿下の中東要人との興味深く懐かしい画像を紹介しているので、中東にご関心の方は、下記URLからアクセス願いたい。
https://www.middleeasteye.net/news/pictures-prince-philips-history-middle-east
@ イラクのファイサル2世国王(1952年9月スコットランド北部のバルモラル城パーク)
A ヨルダンのフセイン国王(1955年6月ウィンザー城)
B イランのシャー・レザー・パフラビー国王(1961年3月テヘラン)
C イスラエルのワイツマン大統領(1997年2月ロンドン)
D サウジのアブドッラー皇太子(1998年9月バルモラル城)
E ヨルダンのアブドッラー2世国王(2001年11月ウィンザー城)
F サウジのアブドッラー国王(2007年バッキンガム宮殿)
G トルコのアブドッラー・ギュル大統領(2008年5月アンカラ大統領宮殿)
H カタールのハマド・ビン・ハリーファ・アルサーニー首長(2010年10月ウィンザー城)
I UAEのムハンマド・ビン・ザーイド・アルナヒヤーン・アブダビ皇太子(2010年11月アブダビのシェイク・ザーイド・グランドモスク)
J オマーンのカブース国王(スルタン・カブース)(2010年11月マスカット)
K トルコのハイリュンニサ・ギュル大統領夫人(2011年11月バッキンガム宮殿に向かう途中)
L バーレーンのハマド・ビン・イッサ・アルハリーファ国王(2012年5月ウィンザー城)
M カタールの首長夫人モーザ妃(2012年5月ウィンザー城)
N クウェートのサバーハ首長(2012年11月ウィンザー城)
O UAEのハリーファ・ビン・ザーイド・アルナヒヤーン大統領(2013年ウィンザー城)

Posted by 八木 at 08:57 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ファラオのミイラ展示を国家発揚の機会ととらえるエルシーシ大統領と展示を禁止したサダト大統領[2021年04月05日(Mon)]
4月3日、エジプトでは、エジプト王(ファラオ)のミイラ22体(王18体、女王4体)をカイロ博物館から、新たに完成したエジプト文明博物館に移動するパレードが実施された。ファラオのミイラは、1台ずつ王または女王の名前が刻まれた金色の車列で移送された。ファラオのミイラには、有名なラムエス2世やハトシェプスト女王が含まれている。車列は、カイロ中心部タハリール広場を出発し、カイロ市内を移動したのち、エルシーシ大統領が待ち受ける新博物館に到着した。移送されたファラオたちのミイラは、4月18日から「ミイラの間」で展示される。観光は、エジプトの4大外貨収入源のひとつで、エジプト政府は、2011年のアラブの春、2013年の軍部によるクーデター、2020年からのコロナパンデミックによる外国人観光客の減少による収入減の反転攻勢を目指している。

今回のファラオのミイラ移送パレードは、エジプト国民に対しては、エルシーシ政権による国威発揚と観光産業の復活のメッセージであり、外国人に対しては、四大文明発祥の地であるエジプトをぜひ訪問してほしいとの呼びかけである。

エルシーシ政権は、あたかも古代の王たちに敬意を表したかのような大々的なパレードを行った。一方、王たちのミイラの一般公開を禁じたエジプトの大統領もいた。1979年にイスラエルとの和平を実現し、1981年10月6日の戦勝記念日に、イスラム過激派によって暗殺されたサダト大統領である。サダト大統領は1980年にカイロ博物館でラムセス2世のミイラを見学した後、ミイラの展示を禁止した。大統領は、薄い亜麻布を除いて、偉大なラムセス2世がほとんど裸の状態で置かれて観光客の目に晒されるのを見たとき、大きなショックを受けたとされる。サダト大統領は自らをファラオのイメージとダブらせていたとされる。
https://youtu.be/DXdR4Prv1zA?t=4
https://www.aljazeera.com/gallery/2021/4/4/in-pictures-egyptian-mummies-paraded-through-cairo

Posted by 八木 at 10:44 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ローマ教皇の古代都市ウル訪問の意味[2021年03月10日(Wed)]
3月6日、イラクを訪問中であったフランシスコ・ローマ教皇は、預言者アブラハム生誕の地であると信じられている古代イラクの都市にある巨大なシュメール神殿があるウルのジグラット(神殿)で異なる宗教間の融和行事に臨んだ。MEEがウル訪問の見ごたえのある写真を公開しているので、URLを紹介する。
https://www.middleeasteye.net/news/pope-francis-visit-ur
(MEEの関連記事)
●教皇のウルでの行事は、世界が注目する中、ウルの考古学的な価値を浮き彫りにし、歴史的な教皇の訪問の中で最も重要な瞬間の1つとなるように設定されていた。
●ウルはイラク南部のジーカール県にあり、県都ナシリヤから17kmの場所にある。エリドゥ、ギルス、ラガシュと並んで、この県にある4つの古代シュメールの都市の1つである。ウルはシュメール人の首都であり、彼らが灌漑システムを開発し、洗練された農業手法を実践し、メソポタミア周辺の都市と広範囲に交易した場所であった。
●かつて楕円形だったこの街は、紀元前3800年にまでさかのぼると考えられており、最初は1千年以上後にテキストで記録された。もともと、ウルはイラク南部のユーフラテス川の河口の位置にあった。しかし、何世紀にもわたって地形は大きく変化し、現在は川の南岸から離れた内陸に位置している。
●19世紀になると、欧州の考古学者は、聖書や他の古代のテキストで言及されているように、テルアルムカイヤルの遺跡をウルの街と結び付け始めた。英国の副領事であるジョン・ジョージ・テイラーは、1853年に大英博物館に代わってジッグラト神殿の発掘を始めた。1922年、英国の考古学者であるレオナード・ウーリー卿が最も大規模な発掘調査を行い、10年間に泥レンガで造られた16の王墓を発見した。
●ジッグラトは、泥レンガの3層の固い塊と、瀝青にセットされた焦げたレンガの表層で構成されている。 下の層は元の構造の一部であり、上の2つの層は紀元前6世紀の新バビロニアの修復物の一部である。
●寺院は、ウルの守護神である月の神ナンナールに捧げられている。その表層と記念碑的な階段は、1980年代にサダムフセインの下で復元された。
●聖書では、ウルという名前の都市は、紀元前2千年紀に住んでいたと考えられているユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒の信仰の総主教であるアブラハム(アラビア語でイブラヒーム)生誕の地であると言われている。
●20世紀初頭の発掘調査中に、ウーリー卿は、アブラハムという名前の付いたジッグラトに隣接する複合構造物で円筒形のシールを発見した。紀元前1900年頃に建てられたこの複合構造物は、アブラハムの家であると彼は信じるようになった。
●ナシリヤ文明博物館の館長であるアメル・アブドルラザックは、ウルがアブラハムの生誕の地である限り、それは世界中のすべての人々、すべての宗教にとって重要な場所である。この場所を訪れることは、キリスト教の巡礼者にとって非常に重要である。何年もの間、エルサレムの聖墳墓教会とウルとの間に巡礼路を設けるための計画が滞っていた、と語った。
●何年にもわたる内政不安により、イラクのキリスト教徒の人口は大幅に減少した。 2003年時点では、イラクの4,000万人のうち150万人がキリスト教徒であった。今日、キリスト教徒の人口は約150,000〜400,000人とみられている。バスラのカルデア教会の大司教であるハビブ・ホルムズは、教皇フランシスコの訪問がキリスト教徒の帰国を促すことを望んでいると述べたが、彼らの帰還を促すには、さらに多くのことを行う必要があるとして、教皇の訪問後も、治安、良好なインフラ、法執行、正義、人権の尊重の進展が見られない限り、キリスト教徒が帰国するかどうかはわからない、と語った。
https://almasalah.com/ar/news/61378/%D8%A7%D9%84%D9%85%D8%B3%D9%84%D8%A9-%D9%81%D9%8A-%D8%A8%D9%8A%D8%AA-%D8%A7%D9%84%D9%86%D8%A8%D9%8A-%D8%A5%D8%A8%D8%B1%D8%A7%D9%87%D9%8A%D9%85-%D9%85%D9%86-%D9%87%D9%86%D8%A7-%D8%A8%D8%AF%D8%A3-%D8%AA%D8%A3%D8%B1%D9%8A%D8%AE-%D8%A7%D9%84%D8%AA%D9%88%D8%AD%D9%8A%D8%AF

(コメント)昨年9月15日、ワシントンD.C.のホワイトハウスで、トランプ大統領がネタニヤフ・イスラエル首相とアブドッラーUAE外相、ザヤニ・バーレーン外相と署名した関係正常化のための宣言文書は、「アブラハム合意」宣言と呼ばれている。アブラハムは、一神教の父と呼ばれ、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒すべてに共通する預言者である。預言者とは、神の言葉を預かられた人という意味で、イスラム教の聖地メッカのグランドモスク内のカーバ神殿の前にもイブラヒーム(アブラハムをアラビア語で表記するとイブラヒームとなる)の足跡があるモニュメント(マカーム・イブラヒーム)が祀られている。ユダヤ教徒は、アブラハムが、神から現在のイスラエルに位置するカナンの地を与えられたと信じている。
https://vid.alarabiya.net/images/2017/01/23/ef2ee2e1-7b15-4dd9-bbfe-127654dc6453/ef2ee2e1-7b15-4dd9-bbfe-127654dc6453.jpg
https://english.alarabiya.net/features/2017/01/23/The-story-behind-Abraham-s-shrine-at-the-Kaaba

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