8月12日にニューヨーク州郊外のショトーカ・インスティテュートで講演中だった
作家サルマン・ラシュディ氏は、壇上に駆け上がった男に、首や腹部などを刺され、ドクターヘリで近くのペンシルヴェニア州イーリーに運ばれ病院で緊急手術を受けた。ラシュディの代理人は12日、ラシュディ氏の腕の神経が切断され、肝臓を刺されて損傷を受け、さらに、片目を失う恐れがあると明らかにしていた。病院で人工呼吸器をつけられ、当日は、会話はできなかったが、13日には会話できるようになり、回復基調にあるとされる。
サルマン・ラシュディ氏はインド出身の75歳で、イスラム教徒の両親のもとに生まれたが、無神論者として表現の自由を主張している。英国籍者であるが、米国の市民権も得ている。1981年出版の、インド・パキスタンの分離独立前後の状況を描いた小説「真夜中の子供たち」で一躍有名になった。同小説は英国内だけで100万部以上を売り上げ、英国のブッカー賞を受賞した。しかし
、1988年出版の4作目の小説「悪魔の詩」は、その内容がイスラム教を冒涜(ぼうとく)しているとして世界各地でイスラム教徒の怒りを買い、いくつかの国で出版が禁止された。出版から1年後、イラン・イスラム革命共和国の最高指導者だった
ホメイニ師はラシュディ氏に「死刑」のファトワーを発出(背景等参考1)し、その後、ラシュディ氏は当局の24時間警護の対象となり、一時期、身を潜めていたが、最近は、公の場に姿を現す機会も増えていた。ラシュディ氏は宗教活動を実践しない声高に主張するようになった。2007年にエリザベス英女王から「ナイト」の称号を受けた。
襲撃したのは
、ニュージャージー州在住のハーディ・マタル容疑者(24歳)。ショトーカ・インスティテュートの代表によると、マタル容疑者は講演会の他の参加者と同様、施設への入構証を取得して、会場にいた。壇上に駆け上ってラシュディ氏を刺した後、現場の関係者らに取り押さえられ、警察に引き渡された。現在、
第二級殺人容疑で取り調べを受けている。
ホメイニ師が発した死刑宣告のファトワーとの関連が取りざたされているが、現時点で、ファトワーとの関連は明確にはなっていない。
マタル容疑者のSNSアカウントには、イランのイスラム革命防衛隊(IRGC)コッズ部隊の司令官で、2020年1月3日、米軍に殺害されたカーセム・ソレイマニ司令官のイメージ写真が見つかったとされ、マタル容疑者は、レバノン出身のシーア派系であるとの見方があるが、レバノン政府は、マタル容疑者がレバノン出身ではなく、レバノンに来たこともないと述べているとされる。バイデン大統領は、
声明の中で、「残酷な攻撃」に「衝撃を受け、悲しんでいる。威圧をはねのけ、決して沈黙させられたりしないサルマン・ラシュディ氏は、真実、勇気、しなやかなたくましさ、恐れずに考えを共有する能力など、不可欠で普遍的な理想を掲げる人である。これはどれも、あらゆる自由で開かれた社会の礎であり、米国や世界中の人たちと共に、(ラシュディ氏の)健康と回復を祈っている」と述べた。
イラン政府は、公式には事件をコメントしていない。
他方、イランの最高指導者に近いとされるイランのケイハン紙は、8月13日付で、今回の襲撃事件に関し、
「宣告された背教者は、(現実の)氏の前に何度も死ぬ」との題名で、下記の内容の
襲撃者と讃えるとともに、
イランと今回の襲撃を結びつけることは間違っている、但し、
背教者は死を受け入れるしかないとの趣旨のレポート(参考2)を発出している。
(参考1)ホメイニ師の関連ファトワーについて
1989年2月14日に、ホメイニ師が発出した「悪魔の詩」作者ラシュディ氏への死刑宣告のファトワーについては、次のとおり。
•ホメイニ師は、小説「悪魔の詩」を執筆したサルマン・ラシュディに対して、ムハンマドを冒涜的に描いたとして、死刑を宣告するファトワーを発出した。これに関連して、日本でも「悪魔の詩」を日本語に翻訳した
五十嵐一助教授が何者かに殺害されるという事件が発生した。
•このファトワーは、カイロのアズハル大学のウラマーとサウジのウラマーによって、非イスラム的と宣告され、
イスラム諸国会議機構(OIC)に加盟する49か国中、48か国がファトワーを非難した。
•その後死亡した
ホメイニ師のファトワーは取り消すことができないが、イラン国内では、1998年9月
ハタミ大統領は、ラシュディへのファトワーに政府として関与しないと表明し、その方針は、のちに最高指導者となったハメネイ師によって承認された。
(経緯)
•『悪魔の詩』の出版は、1988年の出版直後から国内外のムスリムに反発を生み、同年10月にインド政府はこの本を発禁とした。英国では同年12月2日にマンチェスターのボルトンで8000人のムスリムが本書の発禁を求めるデモを行ない、1989年1月14日にはブラッドフォードで本書を焼くパフォーマンスを行なった。少数派のムスリムの政治運動としては最大の動きだったが、英国でもほとんど報道されることがなかった。
•世界中の注目を集めたのは、1989年2月14日、イランの最高指導者ホメイニ師による著者のラシュディおよび発行に関わった者などに対する「死刑」の宣告であった。「死刑」宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。ラシュディは英国警察に厳重に保護された。
•1989年2月15日 イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示された。
•1989年3月7日 - イランが英国と国交断絶
•1989年2月 - 日本外国特派員協会で出版記念記者会見中であった五十嵐一助教授と出版者のパルマ・ジャンニ(イタリア人)が、パキスタン人の男に襲撃される。その際、パルマは言論と表現活動の自由を主張したが、会場にいた在日パキスタン協会のライース・スィビキ会長がパルマに対し「死刑」を宣告する。
•同年6月3日 - 心臓発作のためホメイニ師が死去。
ファトワーは発した本人しか撤回できないので、以後、永久に撤回できなくなった。
•1990年2月9日 - ホメイニ師の後継者ハメネイ師が、演説の中で、ラシュディに対する「死刑」宣告は有効であり、執行されるべきである、と改めて強調。
•1991年7月11日 - 日本語訳を出版した五十嵐一氏が勤務先の筑波大学にて殺害され、翌日に発見された。他の外国語翻訳者も狙われた。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。
•1998年- イラン大統領のハタミ大統領が、
ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も支持しないとの立場を表明。ハメネイ師も承認した。
• 2006年7月11日、 悪魔の詩訳者である五十嵐一氏殺人事件で(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)公訴時効が成立した。
(参考2)ケイハン紙レポート(8月13日)
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「臆病者は死ぬ前に何千回も死ぬ」と英国の吟遊詩人ウィリアム・シェイクスピアは戯曲の中で言った。現代の最も顕著な例は、報告によると金曜日にニューヨークで彼の許されない罪のために刺された背教者のサルマン・ラシュディである。
彼は英国と米国のネズミ穴に隠れることによって過去33年間その結果を回避しようとしてきた。医療関係者は、彼を地獄の業火に追いやることを当面食い止めることができれば、彼は視力を失っても生き残ることができる。
A 冒涜的な小説「悪魔の詩」のインド生まれの英国人作家がまもなく死ぬか、惨めな人生の最終的な終わりの前にあと数年生きていることができるかは重要ではない。
重要なのは、背教者の死刑執行者になることを志願した米国のイスラム教徒、ハーディ・マタルの勇気である。ハーディ・マタルは、米国の警察官が引き金を引いて彼に発砲した場合、勇敢に死を迎えることを十分に認識していた。そうはならなかった。彼は拷問やあらゆる種類の告発とともに、数年間の投獄に苦しみながら生き残ることになった。その中には、既にイスラム革命防衛隊(IRGC) の殉教者カーセム・ソレイマニ将軍の写真を彼の携帯電話に挿入し、改ざんすることで、
事件をイランと結びつけようとしてラベル付けする試みも行われている。
B24歳のマタルはイラン出身ではなく、ドナルド・トランプ前大統領やマイク・ポンペイオ前国務長官などのテロリスト(注:イランは、イラン要人をテロ支援者に指定したことに対抗して、両名をイラン側のテロリストに指定している)への裁きを決意したイスラム共和国の報復部隊の隊員でもなく、
イラン当局は勇敢な殿堂入りを心から望んでいた米国の敬虔なイスラム教徒の存在を認識していなかった。
Cしたがって、1989年にイスラム革命の父、イマーム・ホメイニ師がラシュディの冒涜的な本の出版によりインドとパキスタンの少なくとも 45 人のイスラム教徒の罪のない血を流した後、ダイナミックなファトワー (宗教布告) を発行した地であるイランと米国の核協議における米国の姿勢にいたずらに影響を与えようとすることは、
シオニストが支配する西側メディアのイランに対する公然たる敵意にほかならない。
Dここで、背教に関するシャリア(イスラム法)の規定を明確にすることは、文脈から外れていない。背教者がたまたまイスラム教に改宗していた場合、(棄教に対して)極刑は宣告されず、悔い改めてイスラム教に戻る機会が 3 回与えられるが、
イスラム教徒の両親から生まれ育った背教者の場合 イスラム教徒として(サルマン・ラシュディのように)、処刑が唯一の評決であり、謝罪は受け入れられない。したがって、「ジョセフ・アントン」( 自ら告白した背教者ラシュディが2012年から隠れている間に使用した英語化された名前) は、避けられない死への恐怖から千の死を遂げる臆病者ではなく、少なくとも
彼の反イスラム的生活において勇敢でありたいのならば正義に服従するべきである(注:すなわち、死の裁きを受け入れるべきという趣旨)。
E西側諸国(米、英、仏など)は、納税者が苦労して稼いだお金を何十億ドルとは言わないまでも、何億ドルも無駄に使って、宣告された背教者であり、許しがたいテロリストを保護しようとして、同人に対する正義の裁きへの道を妨げないように忠告されている。要するに、イスラム革命の指導者アヤトラ・アリー・ハメネイ師が、数年前、イマーム・ホメイニ師のラシュディに対する後戻りできないファトワーについて述べた「
止まらない弾丸のように標的に当たるまで、(攻撃は何回も)繰り返される 」との言葉を思い出してみよう。
https://kayhan.ir/en/news/105693/sentenced-apostates-die-many-times-before-their-death