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ニューヨーク州における「悪魔の詩」作家サルマン・ラシュディ氏の襲撃事件[2022年08月14日(Sun)]
8月12日にニューヨーク州郊外のショトーカ・インスティテュートで講演中だった作家サルマン・ラシュディ氏は、壇上に駆け上がった男に、首や腹部などを刺され、ドクターヘリで近くのペンシルヴェニア州イーリーに運ばれ病院で緊急手術を受けた。ラシュディの代理人は12日、ラシュディ氏の腕の神経が切断され、肝臓を刺されて損傷を受け、さらに、片目を失う恐れがあると明らかにしていた。病院で人工呼吸器をつけられ、当日は、会話はできなかったが、13日には会話できるようになり、回復基調にあるとされる。

サルマン・ラシュディ氏はインド出身の75歳で、イスラム教徒の両親のもとに生まれたが、無神論者として表現の自由を主張している。英国籍者であるが、米国の市民権も得ている。1981年出版の、インド・パキスタンの分離独立前後の状況を描いた小説「真夜中の子供たち」で一躍有名になった。同小説は英国内だけで100万部以上を売り上げ、英国のブッカー賞を受賞した。しかし、1988年出版の4作目の小説「悪魔の詩」は、その内容がイスラム教を冒涜(ぼうとく)しているとして世界各地でイスラム教徒の怒りを買い、いくつかの国で出版が禁止された。出版から1年後、イラン・イスラム革命共和国の最高指導者だったホメイニ師はラシュディ氏に「死刑」のファトワーを発出(背景等参考1)し、その後、ラシュディ氏は当局の24時間警護の対象となり、一時期、身を潜めていたが、最近は、公の場に姿を現す機会も増えていた。ラシュディ氏は宗教活動を実践しない声高に主張するようになった。2007年にエリザベス英女王から「ナイト」の称号を受けた。

襲撃したのは、ニュージャージー州在住のハーディ・マタル容疑者(24歳)。ショトーカ・インスティテュートの代表によると、マタル容疑者は講演会の他の参加者と同様、施設への入構証を取得して、会場にいた。壇上に駆け上ってラシュディ氏を刺した後、現場の関係者らに取り押さえられ、警察に引き渡された。現在、第二級殺人容疑で取り調べを受けている。ホメイニ師が発した死刑宣告のファトワーとの関連が取りざたされているが、現時点で、ファトワーとの関連は明確にはなっていない

マタル容疑者のSNSアカウントには、イランのイスラム革命防衛隊(IRGC)コッズ部隊の司令官で、2020年1月3日、米軍に殺害されたカーセム・ソレイマニ司令官のイメージ写真が見つかったとされ、マタル容疑者は、レバノン出身のシーア派系であるとの見方があるが、レバノン政府は、マタル容疑者がレバノン出身ではなく、レバノンに来たこともないと述べているとされる。バイデン大統領は、声明の中で、「残酷な攻撃」に「衝撃を受け、悲しんでいる。威圧をはねのけ、決して沈黙させられたりしないサルマン・ラシュディ氏は、真実、勇気、しなやかなたくましさ、恐れずに考えを共有する能力など、不可欠で普遍的な理想を掲げる人である。これはどれも、あらゆる自由で開かれた社会の礎であり、米国や世界中の人たちと共に、(ラシュディ氏の)健康と回復を祈っている」と述べた。イラン政府は、公式には事件をコメントしていない

他方、イランの最高指導者に近いとされるイランのケイハン紙は、8月13日付で、今回の襲撃事件に関し、「宣告された背教者は、(現実の)氏の前に何度も死ぬ」との題名で、下記の内容の襲撃者と讃えるとともに、イランと今回の襲撃を結びつけることは間違っている、但し、背教者は死を受け入れるしかないとの趣旨のレポート(参考2)を発出している。

(参考1)ホメイニ師の関連ファトワーについて
1989年2月14日に、ホメイニ師が発出した「悪魔の詩」作者ラシュディ氏への死刑宣告のファトワーについては、次のとおり。
•ホメイニ師は、小説「悪魔の詩」を執筆したサルマン・ラシュディに対して、ムハンマドを冒涜的に描いたとして、死刑を宣告するファトワーを発出した。これに関連して、日本でも「悪魔の詩」を日本語に翻訳した五十嵐一助教授が何者かに殺害されるという事件が発生した。
•このファトワーは、カイロのアズハル大学のウラマーとサウジのウラマーによって、非イスラム的と宣告され、イスラム諸国会議機構(OIC)に加盟する49か国中、48か国がファトワーを非難した。
•その後死亡したホメイニ師のファトワーは取り消すことができないが、イラン国内では、1998年9月ハタミ大統領は、ラシュディへのファトワーに政府として関与しないと表明し、その方針は、のちに最高指導者となったハメネイ師によって承認された。
(経緯)
•『悪魔の詩』の出版は、1988年の出版直後から国内外のムスリムに反発を生み、同年10月にインド政府はこの本を発禁とした。英国では同年12月2日にマンチェスターのボルトンで8000人のムスリムが本書の発禁を求めるデモを行ない、1989年1月14日にはブラッドフォードで本書を焼くパフォーマンスを行なった。少数派のムスリムの政治運動としては最大の動きだったが、英国でもほとんど報道されることがなかった。
•世界中の注目を集めたのは、1989年2月14日、イランの最高指導者ホメイニ師による著者のラシュディおよび発行に関わった者などに対する「死刑」の宣告であった。「死刑」宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。ラシュディは英国警察に厳重に保護された。
•1989年2月15日 イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示された。
•1989年3月7日 - イランが英国と国交断絶
•1989年2月 - 日本外国特派員協会で出版記念記者会見中であった五十嵐一助教授と出版者のパルマ・ジャンニ(イタリア人)が、パキスタン人の男に襲撃される。その際、パルマは言論と表現活動の自由を主張したが、会場にいた在日パキスタン協会のライース・スィビキ会長がパルマに対し「死刑」を宣告する。
•同年6月3日 - 心臓発作のためホメイニ師が死去。ファトワーは発した本人しか撤回できないので、以後、永久に撤回できなくなった
•1990年2月9日 - ホメイニ師の後継者ハメネイ師が、演説の中で、ラシュディに対する「死刑」宣告は有効であり、執行されるべきである、と改めて強調。
•1991年7月11日 - 日本語訳を出版した五十嵐一氏が勤務先の筑波大学にて殺害され、翌日に発見された。他の外国語翻訳者も狙われた。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。
•1998年- イラン大統領のハタミ大統領が、ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も支持しないとの立場を表明。ハメネイ師も承認した。
• 2006年7月11日、 悪魔の詩訳者である五十嵐一氏殺人事件で(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)公訴時効が成立した。

(参考2)ケイハン紙レポート(8月13日)
@「臆病者は死ぬ前に何千回も死ぬ」と英国の吟遊詩人ウィリアム・シェイクスピアは戯曲の中で言った。現代の最も顕著な例は、報告によると金曜日にニューヨークで彼の許されない罪のために刺された背教者のサルマン・ラシュディである。彼は英国と米国のネズミ穴に隠れることによって過去33年間その結果を回避しようとしてきた。医療関係者は、彼を地獄の業火に追いやることを当面食い止めることができれば、彼は視力を失っても生き残ることができる。
A 冒涜的な小説「悪魔の詩」のインド生まれの英国人作家がまもなく死ぬか、惨めな人生の最終的な終わりの前にあと数年生きていることができるかは重要ではない。重要なのは、背教者の死刑執行者になることを志願した米国のイスラム教徒、ハーディ・マタルの勇気である。ハーディ・マタルは、米国の警察官が引き金を引いて彼に発砲した場合、勇敢に死を迎えることを十分に認識していた。そうはならなかった。彼は拷問やあらゆる種類の告発とともに、数年間の投獄に苦しみながら生き残ることになった。その中には、既にイスラム革命防衛隊(IRGC) の殉教者カーセム・ソレイマニ将軍の写真を彼の携帯電話に挿入し、改ざんすることで、事件をイランと結びつけようとしてラベル付けする試みも行われている。
B24歳のマタルはイラン出身ではなく、ドナルド・トランプ前大統領やマイク・ポンペイオ前国務長官などのテロリスト(注:イランは、イラン要人をテロ支援者に指定したことに対抗して、両名をイラン側のテロリストに指定している)への裁きを決意したイスラム共和国の報復部隊の隊員でもなく、イラン当局は勇敢な殿堂入りを心から望んでいた米国の敬虔なイスラム教徒の存在を認識していなかった
Cしたがって、1989年にイスラム革命の父、イマーム・ホメイニ師がラシュディの冒涜的な本の出版によりインドとパキスタンの少なくとも 45 人のイスラム教徒の罪のない血を流した後、ダイナミックなファトワー (宗教布告) を発行した地であるイランと米国の核協議における米国の姿勢にいたずらに影響を与えようとすることは、シオニストが支配する西側メディアのイランに対する公然たる敵意にほかならない。
Dここで、背教に関するシャリア(イスラム法)の規定を明確にすることは、文脈から外れていない。背教者がたまたまイスラム教に改宗していた場合、(棄教に対して)極刑は宣告されず、悔い改めてイスラム教に戻る機会が 3 回与えられるが、イスラム教徒の両親から生まれ育った背教者の場合 イスラム教徒として(サルマン・ラシュディのように)、処刑が唯一の評決であり、謝罪は受け入れられない。したがって、「ジョセフ・アントン」( 自ら告白した背教者ラシュディが2012年から隠れている間に使用した英語化された名前) は、避けられない死への恐怖から千の死を遂げる臆病者ではなく、少なくとも彼の反イスラム的生活において勇敢でありたいのならば正義に服従するべきである(注:すなわち、死の裁きを受け入れるべきという趣旨)。
E西側諸国(米、英、仏など)は、納税者が苦労して稼いだお金を何十億ドルとは言わないまでも、何億ドルも無駄に使って、宣告された背教者であり、許しがたいテロリストを保護しようとして、同人に対する正義の裁きへの道を妨げないように忠告されている。要するに、イスラム革命の指導者アヤトラ・アリー・ハメネイ師が、数年前、イマーム・ホメイニ師のラシュディに対する後戻りできないファトワーについて述べた「止まらない弾丸のように標的に当たるまで、(攻撃は何回も)繰り返される 」との言葉を思い出してみよう。
https://kayhan.ir/en/news/105693/sentenced-apostates-die-many-times-before-their-death

Posted by 八木 at 16:35 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ソチでのロシア・トルコ首脳会談注目点[2022年08月07日(Sun)]
8月5日、ロシアのソチを訪問したトルコのエルドアン大統領は、7月19日のテヘランでの会合に続いて、プーチン大統領と対面で会合した。
懸案となっていたウクライナの穀物輸送は、すでに、とうもろこしを満載した輸送船がレバノンに向けて出港したあと、第二陣の輸送も手配され、トルコ、国連が仲介したウクライナ船舶による穀物輸送合意は、概ね履行段階に入っている。会談前の両首脳のコメントの注目点は次のとおり。特に、ウクライナからの穀物輸送の安全回廊確保の合意を結んだ際には、ロシア産穀物の輸送も妨害されないが別途合意されていたこと、ならびにアックユ原発の建設が順調に進んでいること(ロスアトムが建設中でまもなく1号機が完成予定)、2020年1月に開通した黒海を通じてのトルコストリームガスパイプライン(2本のパイプライン合計年間315億立方メートル輸送能力を有する。半分の157.5億立方メートルは、トルコ国内消費用で、もう半分の157.5億立方メートルは、トルコ経由欧州輸送用)は、ノルドストリームなど他のパイプラインと異なり、順調に欧州へのガス供給が継続されていることを強調している点である。両首脳は、これまで、シリア内戦、リビア内戦、ナゴルノ・カラバフ紛争で敵対する勢力を支援しながら、両首脳の直接対話を通じて停戦を実現してきた実績がある。NATO加盟国であるトルコがなぜ対ロシア制裁に加わらず、ロシアとの実務関係を維持するのかについて、訝しむ声は当然あるものの、ウクライナ危機の武力での決着が見通せない現状において、トルコのように、ロシアとの間で、具体的かつ実務的なやりとりができる存在は極めて重要である。

(プーチン大統領)黒海の港を通したウクライナの穀物輸出の問題は、(エルドアン)大統領の個人的な関与と国連事務局の調停のおかげで解決された。 穀物は輸出されている。このことと、ロシアの食糧と肥料が妨げられずに世界市場に届けられるという一括決定が同時に採択されたことに感謝したい。2021年の両国の貿易額は 57% 増加し、今年の最初の数か月 (1 月から 5 月) で 2 倍になった。我々が取り組んでいる大規模なプロジェクトであるアックユ原子力発電所の建設は非常に重要なエネルギープロジェクトであるが、しばらく前に建設を完了したトルコストリーム(TurkStream)ガスパイプラインは、今日、欧州にロシアのガスを供給するための最も重要なルートの1つであることをリマインドしたい。 トルコストリームは欧州への石化エネルギー供給の他のすべての供給手段とは異なり、順調に、スムーズに、そして失敗することなく運営されている。トルコの消費者への輸送だけでなく、欧州の消費者への輸送も意味している。欧州のパートナーは、市場へのガスの継続的な輸送を保証しているトルコに感謝すべきである。

(エルドアン大統領)今日、世界はソチに注目している。その結果は我々の会談後に判明する。両国関係の新たなページが開かれると信じている。これはエネルギー、ならびに私たちが対策を講じた黒海を経由する「穀物回廊」に関するものである。また、観光や輸送など、これらすべての分野のすべての問題について対策が講じられている。とりわけ、アックユ原発は、エネルギー分野において我々にとって非常に重要。アックユ原発の建設が継続しており、遅れが生じないようにする必要がある。すべての作業が予定どおりに進み、計画どおりに完了している必要がある。トルコのエネルギー需要の 10% は、アックユ原発によって賄われる
http://en.kremlin.ru/events/president/news/69119

(参考)ロシア・トルコ共同声明(2022年8月5日、ロシア大統領府)
ロシア連邦のウラジミール・プーチン・ロシア連邦大統領は、(エルドアン)トルコ共和国の大統領と2022 年 8 月 5 日にロシアのソチで会談した。
進行中の地域的および世界的な課題にもかかわらず、両首脳は、相互の尊重、相互利益の認識に基づいて、また国際的な取り組みに従って、トルコとロシアの関係を促進するという共通の意志を再確認した。
この理解の枠組みの中で、トルコ・ロシアの二国間問題の議題にある問題について広範な協議を行い、両首脳は二国間の貿易量をバランスよく増加させ、設定された目標を達成すること、経済とエネルギーに対する互いの期待に応えること、運輸、商業、農業、産業、金融、観光、建設などのセクターに関して、両国の議題で長い間懸案とされてきた問題について、協力を促進するための具体的な措置を講じることに合意した。
地域問題に関して、首脳は、地域的及び国際的な安定を達成するために、トルコとロシアの間の誠実で、率直で、信頼に基づく関係が重要であることを強調した。
この枠組みの中で、両首脳は、ウクライナの港からの穀物と食糧品の安全な輸送に関するイニシアティブの締結において、両国間の建設的な関係が果たした役割を認識した。両首脳は、ロシアの穀物、肥料、およびその生産に必要な在庫原料の輸出が妨げられないことを含め、イスタンブール合意の完全な実施を、その文面および精神の双方において確保する必要性を強調した。
シリアにおける最近の進展についても議論され、この会合において、両首脳は、政治プロセスの促進が重要であると強調した。首脳は、シリアの政治的統一と領土の一体性を維持することの重要性を強調し、すべてのテロ組織との戦いにおいて協調と連帯を持って行動する決意を再確認した。
両首脳は、リビアの主権、領土保全、国家統一に対する強いコミットメントを強調した。両者は、可能な限り幅広いコンセンサスに基づいて自由で公正かつ信頼できる選挙を実施することの重要性を強調し、リビアの主権とリーダーシップの下で継続する政治プロセスへの支持を繰り返し表明した.
首脳は、トルコ・ロシア・ハイレベル協力評議会の次回会合をトルコで開催することに合意した。
http://en.kremlin.ru/supplement/5830

Posted by 八木 at 10:40 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

パレスチナ解放運動と重信房子[2022年05月27日(Fri)]
本日の朝日新聞第二面の下欄に、幻冬舎から、重信房子の本「戦士たちの記録」という大きな広告が目に入りました。世界同時革命を目指し、その後、30年間中東でパレスチナ解放運動に参加し、そして、2000年11月8日に潜伏していた大阪府高槻市において旅券法違反容疑で逮捕された重信房子が、21年7か月の刑期を満了して、5月28日に出所します。その機会に、彼女がたどってきた生き様を、彼女が執筆した本3冊「革命の季節」「ジャスミンを銃口に重信房子歌集」「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」の三冊を紹介しています。重信のとってきた行動は犯罪行為であり、それゆえ、その代償として刑に服してきたわけですが、彼女が、パレスチナ人との接触の中で、国際同時革命という熱病から解放され、何を思い、パレスチナ人の置かれた厳しい状況の中で、どのように現実的な考え方を持つように変化していったのか、また、外部からしか見えてこなかったレバノンにおけるパレスチナ人武装勢力のイスラエルとの戦いがどのようなものであったのかを知るうえで、3冊の本は、彼女の行動への立場の相違を超えて読む価値があると思われます。

1948年5月のイスラエル建国から70年以上を経過してもまだ解決の糸口が見いだせないパレスチナ問題。いまも、イスラエルに1967年に占領された地区は、西岸とガザに分断され、パレスチナ人は、行動の自由を大きく制限されています。ヨルダン川西岸地区のジェニンでは、5月11日、中東の衛星テレビ局アルジャジーラのパレスチナ人記者、シリーン・アブアークレさんが、頭部に銃撃を受け死亡し、改めて現地のパレスチナ人が置かれた厳しい状況を思い起こさせています。

1970年代にも日本人もパレスチナ解放運動に共感して、ジョージ・ハバシュが設立したパレスチナ人民解放戦線(PFLP)と協力して、過激な行動に出た者たちがいます。日本赤軍です。パレスチナの解放を目指して1964年に設立されたPLOは、1970年9月(パレスチナ人は、ブラックセプテンバーと呼んでいます)には、同胞のアラブの国ヨルダンを追われて、レバノン南部に移動し、そこからイスラエルに対する武力闘争を続けていました。しかし、イスラエルは、1982年6月、突如レバノン南部に進攻(イスラエルの軍事作戦名「ガリラヤの平和作戦」)し、その後PLOの戦闘員をベイルート近郊に追い詰め、砲弾の雨を降らせました。日本赤軍リーダーの重信房子をはじめとする日本赤軍メンバーもPLOと一緒にイスラエル軍と戦い、ベイルートを脱出しました。重信の著書「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」の「あなた」とは、パレスチナ人との間で儲けた娘の重信メイさんです。

かつては、日本国内でも政治家を含め、パレスチナ人の権利を擁護し、友好を強化しようとする動きがありました。日・パレスチナ友好議員連盟には、かつて女優の李香蘭として名を馳せた大鷹(山口)淑子議員(故人)や柿沢弘治議員(元外相)(故人)などもいました。

ロッド空港事件の実行犯である岡本公三を含む日本赤軍メンバー5名が、1997年2月に潜伏先のレバノンで突然拘束されました。重信も、レバノンの著名なローマ遺跡のバールベック神殿で、写真をとっていますので、彼女は岡本たちと行動をともにしていたことは確実です。結局、岡本公三を除く4人は、2000年3月に国外退去処分となり、警察は、帰国と同時に逮捕・収監されました。岡本は、1985年イスラエルとパレスチナ人の捕虜交換でイスラエル側から解放されましたが、日本に戻されると大量の殺人の罪で、死刑になる可能性もあり、その時点で、力をある程度残していたPFLPをはじめとするパレスチナグループが、当時レバノンに影響力を有していたアサド政権やヒズボラを通じて、レバノン政府に「アラブの英雄」として岡本を国内に残すよう働きかけた結果、レバノン残留が認められたと思います。ただ、本人の望郷の思いは強いという記事を目にしたこともあります。

最後にパレスチナ解放運動の歴史で、最初に航空機をハイジャックした女性として、世界中に名を馳せたライラ・ハーリドの有名な言葉を紹介しておきます。彼女は、PFLPの著名なメンバーであり、パレスチナ民族評議会のメンバーです。 彼女は、現在は家族と一緒にヨルダンに住んでいるそうで、自由の身になって活動を続けています。その言葉とは、「パレスチナ解放運動の究極の目標は、アラブ人、ユダヤ人を問わず、パレスチナの地で、すべての人々が平等に、平和で、調和した生活ができることである」

Posted by 八木 at 09:36 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

次期シリア大統領選挙は、5月26日[2021年04月20日(Tue)]
シリア国営通信SANAによれば、4月18日ハムーダ・サッバーグ・シリア議会議長は、次期大統領選挙が5月26日に行われると発表した。
在外投票も実施され、2021年5月20日に投票が開始される。候補者は10日間のうちに立候補登録を済ませる必要がある。立候補には、アサドのバアス党が支配する議会で、35人の国会議員の支持を必要としている。
前回の大統領選挙は2014年6月に行われ、アサド大統領が88.7%の得票率で当選した。任期は7年
シリア大統領官邸は、3月18日アサド大統領とアスマー夫人は、新型コロナ・ウィルス陽性が確認されたと発表していた。アスマー夫人は、2019年に乳がんの手術を受けた経緯がある。夫妻は、その後陰性が確認され、大統領は、3月30日には通常の職務に復帰したことが確認された。
https://www.rudaw.net/english/middleeast/syria/180420211
https://www.middleeasteye.net/news/syria-presidential-elections-slammed-farce
https://www.voanews.com/covid-19-pandemic/syrian-president-assad-his-wife-have-recovered-covid-19
(コメント)軍事的には、2016年12月にアレッポを解放し、反体制勢力をシリア北西部のイドリブに封じ込め、シリアの領土の多くを解放し一息ついたアサド政権であるが、これから復興に力を入れようとした矢先の2020年6月に、トランプ政権下の米政府はシリアの中央銀行の資金洗浄疑惑、シリア政権中枢の戦争犯罪を理由に、シーザー・シリア市民保護法を発動した。当時のポンペイオ国務長官は、米財務省と国務省がシーザー法と大統領令第13894号に従い、39の個人・団体を制裁対象に指定したと発表した。それは、シリア政府に経済的・政治的な圧力をかけ、その収入を断ち、それが戦争やシリア国民の大量虐殺に拠出されるのを食い止める持続的なキャンペーンを開始するのが目的とされる。制裁対象に指定されたのは、バッシャール・アサド大統領、アスマー夫人、ビジネスマンのムハンマド・ハムシュー氏、ファーティミーユーン旅団、アサド大統領の弟のマーヘル・アサド准将、姉のブシュラー・アサド、マーヘル准将の妻のマナール・アサドなど。これをきっかけにシリアポンドは大暴落し、さらに、シリア政権側のレバノンにおける銀行口座も打撃をうけ、レバノンの金融危機にも発展した。
シリア内戦で、アサド大統領を守ってきたのは、まちがいなくロシアのプーチン大統領である。2015年9月30日からのロシア軍のシリアでの軍事作戦開始は、シリア内戦の行方を占う意味で決定的であった。シリアはロシアにとっての長らくの軍事パートナーで、ロシアの海軍がタルトゥース基地を利用できるほか、中東への橋頭保としてシリアの重要性を認識していた。しかし、2020年4月、ロシアのメディアが、盟友であるはずのアサド大統領が次期大統領選挙に出ても30%の得票しか期待できないとの衝撃的な世論調査結果を発表した。これを巡って、プーチン大統領がアサドを見捨てようとしているのではなかとの観測も一部で生じた。しかし、自身も2036年まで大統領に留まることを可能にする憲法改正を行い、ロシアの反体制指導者ナワリヌイ氏の扱いなどを巡って激しく欧米と対立するロシアのプーチン大統領は、欧米が歓迎するような形で、アサド大統領を引きずり落とすことに影響力を発揮することは期待できない。長年アサド政権と対立してきたUAEはすでに2018年末に大使館をダマスカスに戻しており、米国との間でカショギ氏殺害をはじめとする人権問題を抱えるサウジも、アサド政権への立場を軟化する方向にあり、アラブ諸国内では、凍結中のシリアのアラブ連盟加盟資格停止を解くべきであるとの意見も出始めている。いずれにせよ、ロシアがアサド大統領の首に鈴をつけない限りアサドが大統領の座を降りることは考えられない

Posted by 八木 at 16:37 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

4月9日亡くなった英王室フィリップ殿下と中東要人接触の懐かしい画像[2021年04月11日(Sun)]
英王室は4月10日、エリザベス女王の夫で4月9日、99歳で亡くなったエジンバラ公フィリップ殿下の葬儀について、ロンドン郊外ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で4月17日に執り行うと発表した。英国は、歴史的に中東とは深いつながりを持っているが、ロンドンを拠点とするミドル・イースト・アイは、フィリップ殿下の中東要人との興味深く懐かしい画像を紹介しているので、中東にご関心の方は、下記URLからアクセス願いたい。
https://www.middleeasteye.net/news/pictures-prince-philips-history-middle-east
@ イラクのファイサル2世国王(1952年9月スコットランド北部のバルモラル城パーク)
A ヨルダンのフセイン国王(1955年6月ウィンザー城)
B イランのシャー・レザー・パフラビー国王(1961年3月テヘラン)
C イスラエルのワイツマン大統領(1997年2月ロンドン)
D サウジのアブドッラー皇太子(1998年9月バルモラル城)
E ヨルダンのアブドッラー2世国王(2001年11月ウィンザー城)
F サウジのアブドッラー国王(2007年バッキンガム宮殿)
G トルコのアブドッラー・ギュル大統領(2008年5月アンカラ大統領宮殿)
H カタールのハマド・ビン・ハリーファ・アルサーニー首長(2010年10月ウィンザー城)
I UAEのムハンマド・ビン・ザーイド・アルナヒヤーン・アブダビ皇太子(2010年11月アブダビのシェイク・ザーイド・グランドモスク)
J オマーンのカブース国王(スルタン・カブース)(2010年11月マスカット)
K トルコのハイリュンニサ・ギュル大統領夫人(2011年11月バッキンガム宮殿に向かう途中)
L バーレーンのハマド・ビン・イッサ・アルハリーファ国王(2012年5月ウィンザー城)
M カタールの首長夫人モーザ妃(2012年5月ウィンザー城)
N クウェートのサバーハ首長(2012年11月ウィンザー城)
O UAEのハリーファ・ビン・ザーイド・アルナヒヤーン大統領(2013年ウィンザー城)

Posted by 八木 at 08:57 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ファラオのミイラ展示を国家発揚の機会ととらえるエルシーシ大統領と展示を禁止したサダト大統領[2021年04月05日(Mon)]
4月3日、エジプトでは、エジプト王(ファラオ)のミイラ22体(王18体、女王4体)をカイロ博物館から、新たに完成したエジプト文明博物館に移動するパレードが実施された。ファラオのミイラは、1台ずつ王または女王の名前が刻まれた金色の車列で移送された。ファラオのミイラには、有名なラムエス2世やハトシェプスト女王が含まれている。車列は、カイロ中心部タハリール広場を出発し、カイロ市内を移動したのち、エルシーシ大統領が待ち受ける新博物館に到着した。移送されたファラオたちのミイラは、4月18日から「ミイラの間」で展示される。観光は、エジプトの4大外貨収入源のひとつで、エジプト政府は、2011年のアラブの春、2013年の軍部によるクーデター、2020年からのコロナパンデミックによる外国人観光客の減少による収入減の反転攻勢を目指している。

今回のファラオのミイラ移送パレードは、エジプト国民に対しては、エルシーシ政権による国威発揚と観光産業の復活のメッセージであり、外国人に対しては、四大文明発祥の地であるエジプトをぜひ訪問してほしいとの呼びかけである。

エルシーシ政権は、あたかも古代の王たちに敬意を表したかのような大々的なパレードを行った。一方、王たちのミイラの一般公開を禁じたエジプトの大統領もいた。1979年にイスラエルとの和平を実現し、1981年10月6日の戦勝記念日に、イスラム過激派によって暗殺されたサダト大統領である。サダト大統領は1980年にカイロ博物館でラムセス2世のミイラを見学した後、ミイラの展示を禁止した。大統領は、薄い亜麻布を除いて、偉大なラムセス2世がほとんど裸の状態で置かれて観光客の目に晒されるのを見たとき、大きなショックを受けたとされる。サダト大統領は自らをファラオのイメージとダブらせていたとされる。
https://youtu.be/DXdR4Prv1zA?t=4
https://www.aljazeera.com/gallery/2021/4/4/in-pictures-egyptian-mummies-paraded-through-cairo

Posted by 八木 at 10:44 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ローマ教皇の古代都市ウル訪問の意味[2021年03月10日(Wed)]
3月6日、イラクを訪問中であったフランシスコ・ローマ教皇は、預言者アブラハム生誕の地であると信じられている古代イラクの都市にある巨大なシュメール神殿があるウルのジグラット(神殿)で異なる宗教間の融和行事に臨んだ。MEEがウル訪問の見ごたえのある写真を公開しているので、URLを紹介する。
https://www.middleeasteye.net/news/pope-francis-visit-ur
(MEEの関連記事)
●教皇のウルでの行事は、世界が注目する中、ウルの考古学的な価値を浮き彫りにし、歴史的な教皇の訪問の中で最も重要な瞬間の1つとなるように設定されていた。
●ウルはイラク南部のジーカール県にあり、県都ナシリヤから17kmの場所にある。エリドゥ、ギルス、ラガシュと並んで、この県にある4つの古代シュメールの都市の1つである。ウルはシュメール人の首都であり、彼らが灌漑システムを開発し、洗練された農業手法を実践し、メソポタミア周辺の都市と広範囲に交易した場所であった。
●かつて楕円形だったこの街は、紀元前3800年にまでさかのぼると考えられており、最初は1千年以上後にテキストで記録された。もともと、ウルはイラク南部のユーフラテス川の河口の位置にあった。しかし、何世紀にもわたって地形は大きく変化し、現在は川の南岸から離れた内陸に位置している。
●19世紀になると、欧州の考古学者は、聖書や他の古代のテキストで言及されているように、テルアルムカイヤルの遺跡をウルの街と結び付け始めた。英国の副領事であるジョン・ジョージ・テイラーは、1853年に大英博物館に代わってジッグラト神殿の発掘を始めた。1922年、英国の考古学者であるレオナード・ウーリー卿が最も大規模な発掘調査を行い、10年間に泥レンガで造られた16の王墓を発見した。
●ジッグラトは、泥レンガの3層の固い塊と、瀝青にセットされた焦げたレンガの表層で構成されている。 下の層は元の構造の一部であり、上の2つの層は紀元前6世紀の新バビロニアの修復物の一部である。
●寺院は、ウルの守護神である月の神ナンナールに捧げられている。その表層と記念碑的な階段は、1980年代にサダムフセインの下で復元された。
●聖書では、ウルという名前の都市は、紀元前2千年紀に住んでいたと考えられているユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒の信仰の総主教であるアブラハム(アラビア語でイブラヒーム)生誕の地であると言われている。
●20世紀初頭の発掘調査中に、ウーリー卿は、アブラハムという名前の付いたジッグラトに隣接する複合構造物で円筒形のシールを発見した。紀元前1900年頃に建てられたこの複合構造物は、アブラハムの家であると彼は信じるようになった。
●ナシリヤ文明博物館の館長であるアメル・アブドルラザックは、ウルがアブラハムの生誕の地である限り、それは世界中のすべての人々、すべての宗教にとって重要な場所である。この場所を訪れることは、キリスト教の巡礼者にとって非常に重要である。何年もの間、エルサレムの聖墳墓教会とウルとの間に巡礼路を設けるための計画が滞っていた、と語った。
●何年にもわたる内政不安により、イラクのキリスト教徒の人口は大幅に減少した。 2003年時点では、イラクの4,000万人のうち150万人がキリスト教徒であった。今日、キリスト教徒の人口は約150,000〜400,000人とみられている。バスラのカルデア教会の大司教であるハビブ・ホルムズは、教皇フランシスコの訪問がキリスト教徒の帰国を促すことを望んでいると述べたが、彼らの帰還を促すには、さらに多くのことを行う必要があるとして、教皇の訪問後も、治安、良好なインフラ、法執行、正義、人権の尊重の進展が見られない限り、キリスト教徒が帰国するかどうかはわからない、と語った。
https://almasalah.com/ar/news/61378/%D8%A7%D9%84%D9%85%D8%B3%D9%84%D8%A9-%D9%81%D9%8A-%D8%A8%D9%8A%D8%AA-%D8%A7%D9%84%D9%86%D8%A8%D9%8A-%D8%A5%D8%A8%D8%B1%D8%A7%D9%87%D9%8A%D9%85-%D9%85%D9%86-%D9%87%D9%86%D8%A7-%D8%A8%D8%AF%D8%A3-%D8%AA%D8%A3%D8%B1%D9%8A%D8%AE-%D8%A7%D9%84%D8%AA%D9%88%D8%AD%D9%8A%D8%AF

(コメント)昨年9月15日、ワシントンD.C.のホワイトハウスで、トランプ大統領がネタニヤフ・イスラエル首相とアブドッラーUAE外相、ザヤニ・バーレーン外相と署名した関係正常化のための宣言文書は、「アブラハム合意」宣言と呼ばれている。アブラハムは、一神教の父と呼ばれ、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒すべてに共通する預言者である。預言者とは、神の言葉を預かられた人という意味で、イスラム教の聖地メッカのグランドモスク内のカーバ神殿の前にもイブラヒーム(アブラハムをアラビア語で表記するとイブラヒームとなる)の足跡があるモニュメント(マカーム・イブラヒーム)が祀られている。ユダヤ教徒は、アブラハムが、神から現在のイスラエルに位置するカナンの地を与えられたと信じている。
https://vid.alarabiya.net/images/2017/01/23/ef2ee2e1-7b15-4dd9-bbfe-127654dc6453/ef2ee2e1-7b15-4dd9-bbfe-127654dc6453.jpg
https://english.alarabiya.net/features/2017/01/23/The-story-behind-Abraham-s-shrine-at-the-Kaaba

Posted by 八木 at 11:07 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

イラク訪問中のローマ教皇とシーア派最高権威であるシスターニ師との会見[2021年03月07日(Sun)]
3月6日、前日から歴代教皇としては初めてイラクを訪問中のローマ教皇フランシスコは、イラク・シーア派の聖地であるナジャフでイラク・シーア派最高の権威である大アヤトラ・アリー・シスターニ師との間で50分間に及ぶ「歴史的な」会見を行った。そこでは、両者は宗教的寛容へのコミットメントを強調した。
(参考)ナジャフとは:イスラム教4代目正統カリフでシーア派初代イマームである預言者ムハンマドの甥で娘婿であるアリーの廟があり、シスターニ師の本拠でもある。
●シスターニ師が外国要人と会見することはめったにないが、宗教間対話の率直な支持者であるフランシスコ教皇の会見を受け入れた。シスターニ師との会見実現には、半年間の調整を要したとされる。
●宗教間対話の強力な支持者である教皇フランシスコは、バングラデシュ、モロッコ、トルコ、アラブ首長国連邦など、イスラム教徒が多数を占めるいくつかの国でスンニー派の聖職者トップと会見してきたが、世界で2億人を占めるシーア派(イスラム世界内では少数派ながら、イラクでは過半数を占めている)宗教指導者トップと会見するのは初めて
●シスターニ師は5歳で宗教学を始め、1990年代にシーア派の聖職者の仲間入りをしてシーア派最高権威である大アヤトラに登りつめた。サッダーム・フセインが政権を握っている間、彼は何年も自宅軟禁で苦しめられたが、2003年のサッダーム政権崩壊後、イラク・シーア派に最も影響力を有する宗教指導者として、公的役割を担い、2014年6月のISISのカリフ国宣言に対しては、ISISを打倒し、イラクを過激派の支配から救うために公式動員勢力(PMF、PMU、ハッシュド・シャアビィともいう)立ち上げを呼びかけた
(ローマ教皇のイラク訪問マップ)https://www.aljazeera.com/wp-content/uploads/2021/03/INTERACTIVE-POPE-VISIT-TO-IRAQ2_1-x-1-with-photos.jpg?w=770&resize=770%2C770
(関連記事)https://www.middleeasteye.net/news/pope-francis-meets-iraqs-top-cleric-ali-sistani-historic-meeting
(参考)ローマ教皇とイスラム世界とのこれまでの接触
1.ローマ教皇とイスラム世界との接触を振り返りたい。パウロ6世は1964年に最初の聖地巡礼を行い、ヨハネ・パウロ2世は2001年にモスクに足を踏み入れた最初の教皇であった。フランシスコ教皇は、在任開始後トルコからパレスチナ、エジプト、ヨルダン、バングラデシュ、中央アフリカ共和国やアラブ首長国連邦(UAE)を訪問し、現場のモスクでイスラムの指導者と共に祈り、二つの信仰の崇拝者たちの間の寛容と平和を呼びかけてきた
2.2019年2月3日夜、ローマ・カトリック教会の第266代教皇であるフランシスコ教皇は、就任後初めてアラビア半島に足を踏み入れ、UAEを訪問した。空港では、UAEの実質的な最高指導者であるシェイク・ムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン(通称MBZ)アブダビ皇太子兼UAE国軍副司令官(注:UAEのトップ兼国軍最高司令官はハリーファ大統領であるが、行政の執行は弟のMBZに委ねている)による出迎えを受けた。教皇は3日間のUAE滞在中、アブダビのザーイド・スポーツシティ・スタジアムで約13万5千人の信者を対象にミサを行い、2月3日から2日間の日程で、2019年を「寛容の年」として宣言したUAEのアブダビにおいて開催されている「人類の友愛に関する世界会合」に出席した。同会合出席の機会に、フランシスコ教皇は、イスラム世界での最高の宗教的権威のひとつであるエジプトのアズハル機構を代表するシェイク・アハメド・アル・タイイブ・グランド・イマームとも会合した。
3. 湾岸諸国が、宗教対話を主導するのは今回が初めてではない。2007年11月には、アブドッラー・サウジ国王がバチカンを訪問し、ローマ教皇と対話した。翌2008年6月、アブドッラー国王は、メッカにおいて、イランのラフサンジャニ元大統領をはじめとするシーア派代表も招き、イスラム対話を実施。その成果を踏まえ、7月には、イスラム、キリスト、ユダヤ教の融和を目的とする世界宗教対話会合をマドリッドで開催した。それは、同年11月の国連における世界信仰対話会合の開催に結びついた。日本も河野洋平外務大臣のイニシアティブの下、外務省が2002年に「イスラム世界との文明対話」との称する対話を開始し、板垣雄三東大名誉教授らが中心となり計8回対話会合を実施した。文明間対話サウジ会合では、対話出席者へのアブドッラー国王による接見が実現した。
4.ここ数年間は、イスラム世界との間で、スンニー派の代表格であるサウジとシーア派世界を代表するイランとの確執が目立っているが、アブドッラー国王時代は、イランとの間で様々な問題を抱えつつ、イランとの間でも必要以上に関係が悪化しないよう努めてきたことが伺われる。今回のフランシスコ教皇のイラク訪問が、異なる宗教間、民族間の融和を促し、緊張と対立を緩和させるきっかけとなることが期待される。

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サウジ人ジャーナリスト・ジャマール・カショギ殺害2周年[2020年10月06日(Tue)]
2018年10月2日、トルコ人女性との結婚に必要な独身証明書の発行を受けるためにイスタンブールのサウジ領事館を訪問した著名なサウジ人ジャーナリストでワシントン・ポストのコラムニストであったジャマール・カショギ氏が殺害されてから丸二年が経過した。2周年の機会に、米大統領選挙選を争っているバイデン前大統領は、カショギ殺害に際して声明を発出し、大統領に就任すれば、サウジは重要な安全保障上のパートナーであっても、サウジ王国との関係を見直し、イエメンでのサウジアラビアの戦争に対する米国の支援を終了し、米国の武器売却や石油購入を、米国の民主主義ならびに人権に関する価値に優先しないと宣言した。トランプ政権は、カショギ殺害がサウジ人により実行されたことが明らかになったあとも、1100億ドルの武器取引を守るためとして、一貫してムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)皇太子を擁護し続けた。11月の大統領選挙の結果は、米国の内政のみならず、外交政策にも大きな影響を及ぼすことが予想される。カショギ氏がなぜ殺害されることになったか、サウジ領事館訪問後どのような展開があったのか、ドイツの公共放送局DWが詳細かつわかりやすく報じている。ご関心のある方は、以下のyoutubeをご覧いただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=4DVah3bZlV8&feature=youtu.be

(参考)ジャマール・カショギ氏殺害命日にあたってのバイデン前副大統領声明
●2年前、伝えられるところによると、サウジアラビア皇太子ムハンマド・ビン・サルマンの指示で行動したサウジアラビアの工作員は、サウジアラビアの体制に批判的なジャーナリストで、米国居住者であるジャマール・カショギ氏を殺害し、(遺体を)解体した。彼は、彼の政府の政策を批判したことにより命を引き換えにした。今日、私は多くの勇敢なサウジアラビアの女性と男性、活動家、ジャーナリスト、そして国際社会に加わり、カショギ氏の死を悼み、世界中の人々に自由の中で普遍的な権利を行使するよう呼びかけている。

ジャマール・カショギ氏と彼の愛する人たちは(その死に)説明責任が果たされることに値する。バイデン・ハリス政権下で、私たちはサウジ王国との関係を見直し、イエメンでのサウジアラビアの戦争に対する米国の支援を終了し、米国が武器を売ったり石油を購入したりするために、その入り口で(米国の)価値観に違反しないかチェックしないようにすることはない民主的価値と人権への米国の取り組みは、私たちの最も近い安全保障パートナーに対しても、優先事項となるであろう。私は、世界中の活動家、反体制派、ジャーナリストが迫害や暴力を恐れることなく自由に思いのたけを話す権利を擁護する。ジャマールの死は無駄にはならない。私たちは彼の記憶のおかげで、より公正で自由な世界のために戦うことができる。
https://joebiden.com/2020/10/02/anniversary-of-jamal-khashoggis-murder-statement-by-vice-president-joe-biden/?fbclid=IwAR0z1gKDOw9efWhSugwoJJq4qY_2okaMsAClcL-ZFBVa2Dh5QTQJKrocmCw

Posted by 八木 at 15:56 | イスラム世界で今注目されている人物 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

トランプ大統領の最後通牒に従い、ロシアとの減産合意をまとめたサウジのMBS皇太子[2020年05月01日(Fri)]
国の代表が、他国の首脳と電話会談するときに、脅したり、罵倒したり、最後通牒を突き付けることはまず考えられない。国際関係では、二国間の利害が対立し、緊張が生じることはめずらしくはないが、そのような場合、通常は、まず、実務レベルで問題点を洗い出し、選択肢を検討したうえで、最後にトップが対応することになる。しかし、中東では、必ずしもそうではない。3月のロシアとサウジの減産調整協議の際は、ムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)サウジ皇太子がプーチン大統領に最後通牒を突き付け、両者が声を荒げ、決裂が決定的になったとされる。4月30日、ロイターは、トランプ米大統領が、4月2日MBS皇太子に電話し、減産を飲まなければ、米国は議会の米軍のサウジ撤退法案の成立により、75年間続いた米軍によるサウジの保護をもはや続けることができなくなるとして、減産に向けてロシアと合意するよう要求し、MBS皇太子もそれを飲まざるをえなかったとの特別レポートを掲載した。トランプ大統領はサウジの説得には成功したものの、コロナの影響で、国内でだぶついている石油への需要増による原油価格の適正価格への上昇にまでは現在のところ、有効な手立てを講じられないでいる。
(参考)ロイター報道主要点
●4月2日の電話で、トランプ大統領はサウジアラビア皇太子ムハンマド・ビン・サルマン(通称MBS)に、石油輸出国機構(OPEC)が原油生産を削減し始めない限り、米連邦議会議員がサウジから米軍を撤退させる法律を制定するのを止める力はないと述べたと、この問題に詳しい情報筋が語った。
●これまでに報告されたことのなかった75年間におよぶ米・サウジ間の戦略的同盟関係を覆す脅迫は、コロナウイルスのパンデミックで石油需要が崩壊した中で、米国の圧力キャンペーンにより石油供給を削減する画期的な世界的合意をもたらしたホワイトハウスの外交的勝利といえるものであった。
●米国の情報筋によると、トランプ大統領は減産合意発表の10日前にMBS皇太子にメッセージを伝えた。サウジの事実上の指導者は脅迫に驚き、彼の補佐官に部屋から出るよう命じ、プライベートで議論を続けたと、米高官筋から説明を受けた。
●この取り組みは、政府がウイルスと戦うために世界中の経済を閉鎖したときの歴史的な価格の暴落から米国の石油産業を保護したいというトランプ大統領の強い願望を示している。それはまた、通常はガソリン価格の上昇につながる供給削減により、米国人のエネルギーコストを引き上げたことでトランプが長年批判していた石油カルテルに対する批判を明らかに覆したものでもある。今や、トランプ大統領はOPECに生産を削減するように求めていた。
●米高官によれば、トランプ大統領は、サウジアラビアのMBS皇太子に、サウジの原油生産削減なしでは「米軍の撤退につながる可能性のある制限を米国議会が課すことを阻止する方法はない」と通告した。当局はサウジの指導者たちに、「あなたがたが我々の産業を破壊しているにもかかわらず、我々はあなたがたの産業を守っている」と伝えた。
●トランプ大統領とMBS皇太子との電話の前の週、米国共和党上院のケビン・クレイマー議員とダン・サリバン議員は、サウジアラビアが石油生産量を削減しない限り、すべての米国軍、パトリオットミサイル、対ミサイル防衛システムを王国から撤去する法案を提出した。タイミングの悪いサウジロシアの原油価格戦争に対する議会の怒りの中で、この措置への支持は勢いを増していた。サウジは4月に増産を開始し、ロシアが初期のOPEC供給協定に沿って生産削減を拡大することを拒否した後、原油の洪水的な供給を世界に放った。
●4月12日、トランプの圧力を受けて、米国以外の世界最大の石油生産国は、これまでに交渉された中で最大の生産削減に合意した。OPEC、ロシア、その他の同盟国の生産者は、生産量を1日あたり970万バレル(bpd)削減に同意した。これは、世界の生産量の約10%にあたる。その量の半分は、サウジアラビアとロシアによるそれぞれ250万バレルの削減によるものであり、両国の予算は高い価格の石油とガスの収益に依存している。
●世界の生産量の10分の1を削減するという合意にも関わらず、原油価格は引き続き歴史的な安値まで下落した。先週の米国の石油先物は、売り手が買い手に支払い、保管する場所のない石油の配送を避けるため、0ドルを下回った。グローバルな石油ベンチマークであるブレント先物は、バレルあたり15ドルに低下した。これは、1999年の原油価格の暴落以来見られなかったレベルへ、年初の70ドルから下落した。
●ノースダコタ州選出の共和党上院議員であるクレイマー氏はロイター通信に対し、大統領がMBS皇太子に電話した3日前の3月30日、サウジアラビアからの米軍の保護撤回に関する法案について話したと語った。
●トランプ氏がサウジアラビアに米国の軍事的支援を失う可能性があると語ったかどうか尋ねられたダン・ブルイエット米国エネルギー長官は、大統領は「米国の生産者を保護するためのあらゆる手段を行使する権利を留保している」と伝えた。
両国の戦略的パートナーシップは1945年に遡り、フランクリンD.ルーズベルト大統領が海軍巡洋艦USSクインシーでサウジアラビア王アブドルアジーズ・イブン・サウードと会談した。彼らはサウジアラビアの石油埋蔵量へのアクセスと引き換えに米軍の保護を与えるとの合意に達した。現在、米国はサウジに約3千人の軍隊が駐留しており、米海軍の第5艦隊はこの地域からの石油輸出を防衛している。
●サウジアラビアは、武器とイランなどの地域のライバルに対する保護を米国に依存している。しかし、王国の脆弱性は、昨年9月14日、サウジアラビアのアラムコ石油施設への18台の無人偵察機と3つのミサイルによる攻撃でさらされた。ワシントンはイランを非難した。イランはそれを否定した。
●トランプ大統領は当初、ガソリン価格の低下はドライバーの減税に似ていると述べ、原油安を歓迎した。3月中旬にサウジアラビアは、原油生産量を過去最高の1,230万バレルを押し上げると発表し、ロシアとの価格戦争を開始した。供給の爆発的増加は、世界中の政府が燃料消費を押し下げるステイホームの指示を発出し、米国の石油会社が原油価格の崩壊で大打撃を受けることを明らかになったため、米国の石油関連州選出の上院議員たちは激怒した。
●3月16日、クレイマー議員を含む13人の共和党上院議員は、サウジアラビアの米国への戦略的依存を思い起こさせるためMBS皇太子に書簡を送った。同グループはまた、ウィルバー・ロス商務長官に、サウジアラビアとロシアが米国市場に石油を氾濫させることにより国際貿易法を破っていたかどうかを調査するよう要請した。
●3月18日、上院議員(アラスカ選出のサリバン議員とテキサスのテッドクルズ議員を含むグループ)は、駐米サウジ大使リーマ・ビント・スルタン王女に異例の電話を行った。各上院議員が出身州の石油産業への損害を詳述した。大使は、上院議員から話を聞いた。クレイマー議員によれば、王女は彼らのコメントを、エネルギー相を含むサウジアラビアの当局者に伝えたと述べた。上院議員たちは王女に、サウジは上院でサウジ主導のアラブ連合軍に反対する動きに直面していると語った。
●サウジアラビアと米国の当局者は、フーシー派はイランによって武装されていると述べ、テヘランはこれを否定している。イエメンに対する上院共和党の支持は、昨年サウジアラビアにとって極めて重要であることが判明した。上院は、10万人以上の死者を出し、人道危機を引き起こしたイエメン紛争への怒りの中で、サウジアラビアへの米国の武器販売やその他の軍事支援を終わらせるためのいくつかの措置を盛り込んだ法案の成立を阻止したトランプ大統領の拒否権発動を支持した。
●クレイマー議員は、同議員とサリバンがサウジアラビアから米軍を撤収する法案を共同で提出してから約1週間後の3月30日にトランプ大統領に電話をかけたと語った。クレイマー上院議員は、大統領は同日、ブルイエット・エネルギー長官、ラリー・カドロー上級経済顧問、ライトハイザー米国通商代表と同日電話でクレイマー議員に電話を返してきたと述べた。クレイマー議員は、大統領に対して、電話口に出ていないが、非常に役立つ人はマーク・エスパー国防長官であり、国防長官が、米軍を保護するために部隊を域内の他の場所に移動させることに取り組くむことを期待していると述べた。国防総省は、エスパーがサウジアラビアから軍事資産を引き上げることについての議論に関与していたかどうかについてのコメントの要請に応じなかった。
●トランプ大統領の石油外交は、3月中旬に始まったサウジアラビアのサルマン国王、MBS皇太子、ロシアのプーチン大統領との目まぐるしい電話のやりとりの中で展開された。ロシア大統領府は、プーチン大統領のトランプ大統領との会話の事実を確認し、彼らは石油供給の削減とコロナウイルスのパンデミックの両方について議論したと述べた。
●4月2日のMBS皇太子との電話会談で、トランプ大統領はサウジアラビアの統治者に(大統領の要請に応えれば)、次回議会が米国のサウジへの防衛を終わらせるための法案を提出した際には、「打ち切らせる」と語ったと、情報筋は述べた。トランプ大統領は、4月初旬にサウジアラビアとロシアからの石油輸入に関税を課すと公けに脅していた。
●4月3日、トランプはホワイトハウスで上院議員のクレイマー、クルス、サリバン、およびエクソンモービル、シェブロン、オクシデンタルペトロリアム、コンチネンタルリソースなどの企業の石油幹部との会合を主催した。会議の公開部分で、クレイマー議員はトランプに、ワシントンがサウジアラビアを防衛するために費やした数十億ドルを他の軍事的優先事項に使用できると語った。
●中東の外交官がロイター通信に語ったところによると、米軍によるサウジ防衛が失われる見通しに対して、サウジ王室は、ひざまずき、トランプ大統領の要求に屈した
●長時間の面倒な交渉の後、4月12日サウジとロシアは5月と6月に970万バレルの記録的な生産削減に合意した。トランプ大統領は合意を歓迎し、ブローカーとして自賛し、控えめに言っても、OPEC +が削減しようとしている数量は1日あたり2000万バレルであると合意の直後にツイートした。サウジアラビアのエネルギー相、アブドルアジーズ・エネルギー相は、MBS皇太子が、この合意の取り付けに尽力したと語った。
https://www.reuters.com/article/us-global-oil-trump-saudi-specialreport/special-report-trump-told-saudis-cut-oil-supply-or-lose-u-s-military-support-sources-idUSKBN22C1V4

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