5月29日(水)、聖心女子大学4号館で開催されたAAR主催の
「ミャンマー避難民支援」に関する報告会を聴講したところ、興味深い点を共有します。報告は、AARバングラデシュ・コックスバザール事務所現地駐在員の
中坪央暁氏と、本年3月、現地を視察したWFPで緊急支援も担当したスペシャリストである
忍足謙朗氏(AAR常任理事で、NHK「プロフェッショナル--仕事の流儀」に出演したことがある)の両名から行われ、その後会場の出席者との間で活発な質疑が交わされました。
1. ロヒンギャ難民キャンプは、
バングラデシュのコックスバザール県に存在する。1948年のビルマでは、ロヒンギャは認知されており、61年から64年にかけて自治地区を有していた。しかし、
1982年の改正国籍法の施行により、135の土着民が除外され、無国籍者となった。ロヒンギャは
1978年にミャンマー国軍や住民による迫害・差別から逃れるためにバングラデシュへ流出し、その後、9
2年、2016年と流出が続いた。 バングラデシュには、ミャンマー国軍による掃討作戦が実施された1978年やその後流入した難民が暮らす
公式キャンプが存在していたが、2017年8月以降数十万人が流入し、公式キャンプの拡張や追加のキャンプが設けられた。最大のキャンプは、
クトゥパロン・キャンプで、難民支援の中心地になっている。
2. バングラデシュ政府は、
寛大にも90万人〜100万人ものイスラム教徒であるロヒンギャ難民を受け入れている。しかし、受け入れはあくまで
「一時的な滞在者」としてのものであり、
永住は認めないとの立場。そのため、難民キャンプでは、
長期的な構造物となるインフラは建設させず、住民が往来する橋なども強固な構造物ではなく、竹材を使用したり、コンクリート製の家屋も認めていない。
キャンプ外に出ることも認めておらず、キャンプ内の仕事も原則認められていない(但し、キャンプ内の整備のために、難民を雇用し、手当を支払うキャッシュ・フォア・ワークは実施されている)。他方で、バングラデシュ政府は、
ロヒンギャ難民の強制帰還は行わない方針を維持している。
3. ロヒンギャ難民は、そもそもミャンマー国籍をもっていない。ディアスポラ・ロヒンギャは欧米に相当数在住するほか、
パキスタンに35万人、サウジは正確な数字はわからないが、一説では20-40万人、インドには4万人(一部強制送還されている人たちもいる)、マレーシアは難民として受け入れられた者は約3万人(全体で12万人)、日本にも300人ほど(群馬県の館林に約150名)。インドネシアは積極的ではない。豪州は完全に門戸を閉ざしている。
4. キャンプの中の
難民の半数は、18歳未満の若者。バングラデシュ政府は、
学校の建設を認めておらず、NGOが教育サービスを提供している。ロヒンギャは男性も女性も,外見だけからロヒンギャとベンガル人を見分けるのは容易ではなく、
ロヒンギャの使用する言語は、西ベンガル語に近いが、バングラデシュ政府がバングラ定住に結びつかないようキャンプ内では
ベンガル語の教育を禁止しているため、言語教育は、ビルマ語(ミャンマー語)と英語になる。難民の子どもたちは、ビルマ語にもなじみがないため、
事実上外国語を学ぶのと同じ状況におかれる。ユニセフの調査では、4-14歳の難民の子どもたちの
90%の学業達成レベルが、小学校2年レベルかそれ以下であり、学習施設を増やすことが重要。学校建設が認められていないのは、国際的にみても稀有であり、子どもたちの将来のためにも
学校建設を認めるようバングラデシュ政府に働きかけることが重要。
5. キャンプ内では、食料品等基礎物資の現物支給ではなく、アシスタンス・カードという指紋認証の
デビット・カード・システムを導入し、キャンプ内での生活を通常の生活に近づけるよう取り組み始めている。
カードは、1人月約1000円で、それに家族の人数をかけた金額が世帯で使用できる生活費となる。これにより、難民たちは、食料品を、
自分たちの好みにより選んで購入できるようになった。WFPは、民間業者2社入札で選び、業者は簡単なスーパーを運営し、多少の競争原理が働くようにしている。
6. キャンプ内から外に出ることは禁止されているが、それでも
こっそり抜け出て、日雇い労働等に加わっている者も存在する。キャンプを受け入れているホスト・コミュニティは、難民たちに里山、水や泉を侵害されていることに加え、安価な日雇い労働者が流入することで、労働の単価が一日あたり500タカ(600-650円)であったものが、200-300タカに低下し、
摩擦の種となっている。このため、フォックス・バザールでは、ホスト・コミュニティの7千世帯に衛生用品等を支給し、
受け入れ側の住民たちにも配慮している。
7. バングラデシュとミャンマーは、ロヒンギャ難民の帰還に合意したが、昨年11月15日から実施されるはずの
帰還は実現していない。ロヒンギャ難民は、市民権も国籍も持っておらず、危険が待ち受けている
ミャンマーに進んで帰ろうとする者はいない。ミャンマーの国民の多くは、ロヒンギャをミャンマー人ではなく、
ベンガル人であるとみなしている。本日の会場の質問者からは、アウンサンスーチー氏に関する質問は一切出なかったが、彼女は、ロヒンギャを同胞とみなさない国民の声と治安を仕切っている軍部との関係で、採り得る対応は限られている。欧米は政権側の人権侵害への対応が不十分であるとして声高に非難しているが、日本政府は、政権と国際社会の橋渡しを行うとの立場である。
8. 現在の難民支援は、ドナー国からの支援がほとんどで、AARも日本政府のNGO連携スキームで、水や衛生、女性・子どもの保護、教育支援等を実施している。しかし、
ロヒンギャ問題の政治的解決は当分期待できず、将来を楽観視できない。今はまだ国際社会からの援助で何とか難民支援を行っているものの、他の問題の発生等で国際社会の関心が低下していくと、
援助が減り、難民支援の継続が困難になっていくものと恐れている。日本でも、ロヒンギャ問題が報じられることが少なくなっている。世界の各地において、ロヒンギャの問題だけでなく、イエメンでも、シリアでも、南スーダンでも悲劇が発生しているにもかかわらず、日本国民が興味を持たないのは残念である。メディアの責任も大きい。
文責 八木正典(AARの公式の記録ではなく、あくまで、
傍聴者個人としてのメモを共有するものです)