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注目されるアサド前大統領の弟マーヘル・アルアサド前第四機甲師団長の行方[2024年12月26日(Thu)]
1.54年間親子二代にわたりシリアで権力の座にあったアサド政権が2024年12月8日崩壊した。バッシャール・アサド大統領とアスマ夫人は、フメイミム空軍基地からロシアの軍用機でロシア国内に移動し、亡命が認められた。一方、アサド大統領のこの脱出劇は、親族にも伝えられず、極秘かつ緊急に実施されたとされる。父のハーフェズ・アルアサド大統領は、2000年6月10日亡くなった。本来権力を継ぐはずだった長兄バーセル・アルアサドは、1994年1月濃霧の中ダマスカス空港に向かう途中、交通事故で突然死亡した。眼科医であったバッシャールが急遽ロンドンから呼び戻されて、後継者に仕立てられた。本人自身も予想していない展開であった。2000年7月バッシャールはシリア共和国大統領に就任した。2011年からのアラブの春を当初劣勢でありながら、2013年4月以降のヒズボラの参戦と、2015年9月30日以降のロシアの参戦で、戦況を逆転させ攻勢に出て、2016年12月にはアレッポを解放し、2017年1月以降トルコ、ロシア、イランが参加するアスタナ・プロセスの下で、緊張緩和、反政府勢力との停戦を実現し、2021年5月には、任期7年の四選を果たし、さらに2023年5月アラブ連盟にもシリアは復帰を果たし、権力基盤回復の基調にあった。しかし、2024年12月アサド政権は、ジューラーニことアハマド・アルシャラア率いるシャーム解放機構(HTS)などの侵攻に対して、まともに戦うことなく、あっけなく崩壊した。2015年当時と様変わりし、今回はロシアが反政府勢力からアサドを守る意思がなかったことは明らかである。
2.2024年12月、ラタキアにあるハーフェズの霊廟が、HTSなど権力を奪取した勢力により、焼き討ちにされた。霊廟には、長男バーセルも埋葬されていたが、同じく破壊された。アサド政権の崩壊を印象付けるシーンであり、映像が広く公開されている。ハーフェズには、バーセル、バッシャールの他、二人の息子がいた。ひとりは、マジドで、早くに病死している。もうひとりは、第四機甲師団長でもあったマーヘル・アルアサド准将である。バッシャールは、ロシア側から口止めされ、マーヘルにもシリア脱出を伝えることなく、ロシアに向かったとされる。HTS政権は、旧政権側への報復は控えるとの立場であるが、マーヘルがHTS暫定政権側に身柄を確保されれば、もっとも象徴的な形で、公開処刑される可能性が高い。独裁政権崩壊は、その政権幹部や家族、情報機関関係者等の処刑が避けられないことを、独裁政権を支えた人物はよくわかっているルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が、革命勢力によって無残に殺害された画像に、当時のエジプトのムバラク大統領は震え上がったとされる。そのムバラク大統領もアラブの春で失脚し、リビアのカダフィー大佐は、トンネルから引っ張り出されて連行される途中で、いきなり殺害された。遺体の生々しい画像は世界中に流された。イラクのサッダーム・フセイン元大統領も、隠れた先から拘束され、処刑台の露と消えた。マーヘルも拘束されれば、同じ運命が待っていることを重々承知している。彼は、HTSなどのダマスカス侵攻の直前、家族とともに、どこかに逃亡したことは間違いないが、行く先については、各種報道・情報が入り乱れている。シリアのクルド人部隊SDFの手を借りて、イラクのPKKの拠点があるとされるカンディール山に避難したとの説や、イラクのクルド愛国者同盟(PUK)が支配するクルド人地区スレイマーニーヤに逃亡したとする説などが報じられているものの、PKK関連のKCK(Kurdistan Communities Union)スポークスマンは、PKK庇護説は、政治的意図をもって捏造されたものであり、旧アサド政権とは何年も前に関係を断ち切っているとして全面否定している。PUKも、PUK支配地域に避難したとする説を全面的に否定し、アサド政権関係者とはこれまで何らの結びつきもないし、保護する意思も、理由もないとしている。
(コメント)マーヘルの所在について、一番無理ないのは、内戦期間中ヒズボラとともにHTSなどのシリア反政府勢力と戦ってきたイランのIRGCコッズ部隊などがマーヘルの避難先確保を支援したことが考えられるが、新生シリアからみた戦争犯罪人を匿っているとなると、新生シリア政権や欧米からのイランに対する風当たりが強くなるのは明白であるため、仮にイランや親イランのシーア派イラク民兵組織が関与したにせよ、マーヘルの所在を明らかにしないことが、将来の引き渡し圧力をかわすための防衛策となる。真相不明ながらイラク経由で、ロシアに避難したとの一部報道もある。
https://www.newarab.com/news/iraq-refutes-claims-maher-al-assad-secretly-entered-country
https://anfenglishmobile.com/kurdistan/kck-spokesperson-refutes-claims-maher-al-assad-hosted-in-qandil-77063

Posted by 八木 at 11:53 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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