イスラエル情報部によるとみられる新型大規模攻撃を受けてのナスラッラー・ヒズボラ書記長演説の注目点[2024年09月20日(Fri)]
2024年9月17日、18日の通信機器を介したレバノン国内への短時間、大規模一斉攻撃では、9月19日現在、少なくとも37名が死亡し、眼球破損なども含め約3千名が負傷したと報じられているところ、19日ヒズボラの最高指導者ナスラッラー書記長が、場所を明らかにしないまま、テレビ演説を行い、その注目点は次のとおり。
1.今回の攻撃について一線を越えた大量虐殺であり、宣戦布告とみなす
イスラエルの敵が17日に数千台のポケベルを同時に爆破したことで一線を越えた。敵は社会の多くの層が使用する民間の道具を使い、18日には無線機器を爆破することで再び同じことをした。敵はポケベルの数が4000台を超えると想定し、故意に1分間に4000人を殺害するつもりであった。敵は2日目にも数千人を殺害するつもりだった。つまり、イスラエルの敵は2日間で数分間で5000人以上を殺害しようとしたのであり、起きたことは大量虐殺であり、この地域にこの癌の腫瘍ができて以来敵が犯してきた恐ろしい虐殺に加わるものだ。これは宣戦布告とも言える。
2.破壊工作の調査委員会を立ち上げ、破壊工作の全貌を調査中
抵抗グループが最新の攻撃を調査するために技術委員会とセキュリティ委員会を結成した。仮説が検討されており、ほぼ結論に達している。このファイルは調査中であり、(武器として使用された)不正ポケベルにどの製造業者、輸送業者、販売業者、税関が関与したのかなども含め、綿密にフォローアップされている。
3.被害について攻撃が大きな打撃であることを認めたが、ヒズボラの組織構造は被害を受けていないことを強調
我々が安全保障と人道レベルで前例のない大きな打撃を受けたことは間違いない。我々の敵は、西側諸国の支援を受けているため、技術的に優位に立っていることはわかっている、17日、18日は血なまぐさい日々だったが、我々はこの試練を乗り越えることができ、この打撃で我々は倒れることはないだろう。
4.ガザ危機への影響ガザ支援を継続
ガザを支援する(ヒズボラによる)レバノン戦線は効果的であり、イスラエルの敵に大きな圧力をかけていると強調した。敵が北部での出来事を『イスラエル』にとって初の歴史的敗北と表現するのは、我々の戦線の有効性を示すもうひとつの証拠だ。敵はレバノン戦線をガザ戦線から分離させようとし、この戦線を阻止するためにレバノン国家、国民、レバノンの抵抗勢力に圧力をかけようと戦争をちらつかせた。 我々は、この攻撃の目的はあなたたちがガザへの支援をやめることだというメッセージを受け取った、そして我々はガラント国防相とネタニヤフ首相に、ガザへの攻撃が止まらない限り、レバノン前線は止まらない、と断言している。レバノンの抵抗は、ガザ、ヨルダン川西岸、そしてそれらの聖地で抑圧されている人々への支援と援助をやめないだろう。
5.レバノン南部侵攻と安全保障地帯設置の可能性レバノン南部に侵攻すれば迎え撃つ
レバノン領内にいわゆる安全地帯を設置するよう求めたイスラエル北部司令部の長官の提案について、私はそう願っていると長官に伝えた。シオニスト軍は北部戦線で身を隠す手段に訴えており、我々は彼らと彼らの戦車を狙っているが、もし彼らが(レバノン領内への)移動を決断すれば(迎撃の絶好の機会として)歓迎する。イスラエル軍がレバノン領に侵入すれば、抵抗グループにとって歴史的なチャンスになる。我々の土地に来たいなら、安全地帯はあなた方の軍隊にとって地獄と化すだろう。あなた方は、17日と18日に決意を新たにしたために負傷した何百人もの人々に出会うことになるだろう」と述べた。
6.報復報復は、秘密裏に必ず実行する
今日は違う口調で話させてほしい。この攻撃は秘密裏に行われた。報復は必ずやってくる。そしてそれは厳しいものになるであろう。それは彼らが想像もできないような情報源から来るであろう。日付や時間については話さない。それが起こった時に知ることになる。それ以前には聞くことはないであろう。ガラント国防相とネタニヤフ首相は「彼らの組織を奈落の底へと導いている」
(コメント)ナスラッラー書記長は、今年の2月頃にメンバーにスマートフォンの使用を止めるように指示したとされる。これについては、一般的には、ガザで、ハマスメンバーのスマートフォンによる通信により、誰が使用しているのかをAIを利用して確認して、ドローンによる「ピンポント」殺害が実行されていることを警戒して、ヒズボラメンバーも同じように標的になることを避けるためであったという見方もありえるが、その可能性よりもヒズボラ幹部により具体的な情報がもたらされ、それによって、ナスラッラー師のスマートフォン使用停止指示につながった可能性が高い。その場合、その情報は、イスラエル情報部によってより具体的緊急性のある警告としてもたらされ、危機感を抱いたヒズボラ幹部が、位置情報を察知されにくい一見時代遅れとも思われる「ポケベル」に通信手段を切り替える動きに出て、そこで、イスラエル情報部が新たな通信手段のヒズボラからの一斉発注のタイミングに合わせて、もともと台湾製や日本製であった通信機器を欧州内のイスラエル関連の工場内に持ち込み、少量の爆発物を仕組み、特殊信号をうけて爆発するように改変され、ヒズボラ組織内で通常の交信手段として使用されたことを見極めて、爆破工作に至ったものと考えるのが自然である。ナスラッラー師は、自身の指示で通信機器が交換されたことで責任を感じており、真相解明を急ぐとみられる。既に技術委員会とセキュリティ委員会が立ち上げられ、破壊工作の仮説が検討されており、その仮説は、ほぼ結論に達していることを表明しており、どの段階でイスラエルが関与したのか、ヒズボラ内部に、通信機器の変更を促す工作員が紛れ込んでいたのかなどが、突き止められることになるとみられる。なお、ナスラッラー師は、今回の破壊攻撃でヒズボラおよびレバノン社会が大きな打撃を受けたこと、ならびに技術的にイスラエルが優位に立っていることを率直に認めている。そのうえで、イスラエルが2000年5月の撤退以来、再びレバノン南部に侵入し、安全保障地帯を築こうとすれば、イスラエル軍にとっての「地獄」になると警告している。
(参考)イスラエルの南レバノンからの撤退
イスラエル軍は、1978年3月、最初の大規模なレバノン侵攻を実施。国連安保理は決議425を採択してイスラエル軍の即時攻撃中止と撤退を求めたが、イスラエルは南レバノンに自由レバノン軍(のちの南レバノン軍SLA:South Lebanon Army)を組織して、ヨルダンからレバノンに逃れていたPLO攻撃の盾としていた。1982年には首都ベイルートに侵攻してアラファト議長率いるPLO勢力をレバノンからチュニジアに駆逐した。 PLOにかわって対イスラエル闘争の前線にたったのが、アマル(1974年結成)やアマルから枝分かれしたヒズボラ(1982年結成)などのシーア派民兵組織であった。1985年、イスラエル軍はレバノン中央部からの撤退を余儀なくされたが、このとき、南レバノンに一方的に「安全保障地帯」を設置、事実上の占領が続いた。1996年のイスラエル軍による「怒りのぶどう作戦」では、空と海からの攻撃でレバノンは大きな被害をうけた。 イスラエル国内では、自国兵士の死傷者が多いことから南レバノン占領を見直す動きが出始め、1998年4月、安全保障閣議が条件つきで国連安保理決議425の承認を決めた。イスラエルのバラク首相は、就任直後に1年以内の南レバノンからの撤退を決めたが、ヒズボラなどの攻撃が激しく、予定を前倒しして2000年5月に、係争地であるシェバア農場を除いて撤退を完了した。同年6月、国連のアナン事務総長がイスラエル軍の撤退とSLAの解体を確認する報告書を提出した。仮にイスラエルがレバノンに再侵攻し、安全保障地帯を設置すれば、24年ぶりとなる。因みに、ヒズボラは、イスラエルや米国、EUからはテロ組織とみなされているが、レバノンでは、軍事部門だけでなく、議会の議員や閣僚も出し、社会福祉事業も実施する組織で、1975年以来15年続いたレバノン内戦終結にあたっても武装解除を免れたレバノン国内唯一の武装組織である。ナスラッラー書記長は、1992年にイスラエルの暗殺によって死亡したアッバース・ムーサウィ前書記長の後任となったヒズボラトップとしては3代目であり、32年間現ポストを維持している。今回の発言でも、今回大きな被害を受けたことやイスラエルに比較し、技術的に劣っていることを率直に認めており、その冷静さや客観的な判断ができる人物であり、そのこともあり、すくなくともこれまでは、「必要悪」として、イスラエルによる暗殺を免れてきたのではないかとみられる。
https://english.almanar.com.lb/2202466
1.今回の攻撃について一線を越えた大量虐殺であり、宣戦布告とみなす
イスラエルの敵が17日に数千台のポケベルを同時に爆破したことで一線を越えた。敵は社会の多くの層が使用する民間の道具を使い、18日には無線機器を爆破することで再び同じことをした。敵はポケベルの数が4000台を超えると想定し、故意に1分間に4000人を殺害するつもりであった。敵は2日目にも数千人を殺害するつもりだった。つまり、イスラエルの敵は2日間で数分間で5000人以上を殺害しようとしたのであり、起きたことは大量虐殺であり、この地域にこの癌の腫瘍ができて以来敵が犯してきた恐ろしい虐殺に加わるものだ。これは宣戦布告とも言える。
2.破壊工作の調査委員会を立ち上げ、破壊工作の全貌を調査中
抵抗グループが最新の攻撃を調査するために技術委員会とセキュリティ委員会を結成した。仮説が検討されており、ほぼ結論に達している。このファイルは調査中であり、(武器として使用された)不正ポケベルにどの製造業者、輸送業者、販売業者、税関が関与したのかなども含め、綿密にフォローアップされている。
3.被害について攻撃が大きな打撃であることを認めたが、ヒズボラの組織構造は被害を受けていないことを強調
我々が安全保障と人道レベルで前例のない大きな打撃を受けたことは間違いない。我々の敵は、西側諸国の支援を受けているため、技術的に優位に立っていることはわかっている、17日、18日は血なまぐさい日々だったが、我々はこの試練を乗り越えることができ、この打撃で我々は倒れることはないだろう。
4.ガザ危機への影響ガザ支援を継続
ガザを支援する(ヒズボラによる)レバノン戦線は効果的であり、イスラエルの敵に大きな圧力をかけていると強調した。敵が北部での出来事を『イスラエル』にとって初の歴史的敗北と表現するのは、我々の戦線の有効性を示すもうひとつの証拠だ。敵はレバノン戦線をガザ戦線から分離させようとし、この戦線を阻止するためにレバノン国家、国民、レバノンの抵抗勢力に圧力をかけようと戦争をちらつかせた。 我々は、この攻撃の目的はあなたたちがガザへの支援をやめることだというメッセージを受け取った、そして我々はガラント国防相とネタニヤフ首相に、ガザへの攻撃が止まらない限り、レバノン前線は止まらない、と断言している。レバノンの抵抗は、ガザ、ヨルダン川西岸、そしてそれらの聖地で抑圧されている人々への支援と援助をやめないだろう。
5.レバノン南部侵攻と安全保障地帯設置の可能性レバノン南部に侵攻すれば迎え撃つ
レバノン領内にいわゆる安全地帯を設置するよう求めたイスラエル北部司令部の長官の提案について、私はそう願っていると長官に伝えた。シオニスト軍は北部戦線で身を隠す手段に訴えており、我々は彼らと彼らの戦車を狙っているが、もし彼らが(レバノン領内への)移動を決断すれば(迎撃の絶好の機会として)歓迎する。イスラエル軍がレバノン領に侵入すれば、抵抗グループにとって歴史的なチャンスになる。我々の土地に来たいなら、安全地帯はあなた方の軍隊にとって地獄と化すだろう。あなた方は、17日と18日に決意を新たにしたために負傷した何百人もの人々に出会うことになるだろう」と述べた。
6.報復報復は、秘密裏に必ず実行する
今日は違う口調で話させてほしい。この攻撃は秘密裏に行われた。報復は必ずやってくる。そしてそれは厳しいものになるであろう。それは彼らが想像もできないような情報源から来るであろう。日付や時間については話さない。それが起こった時に知ることになる。それ以前には聞くことはないであろう。ガラント国防相とネタニヤフ首相は「彼らの組織を奈落の底へと導いている」
(コメント)ナスラッラー書記長は、今年の2月頃にメンバーにスマートフォンの使用を止めるように指示したとされる。これについては、一般的には、ガザで、ハマスメンバーのスマートフォンによる通信により、誰が使用しているのかをAIを利用して確認して、ドローンによる「ピンポント」殺害が実行されていることを警戒して、ヒズボラメンバーも同じように標的になることを避けるためであったという見方もありえるが、その可能性よりもヒズボラ幹部により具体的な情報がもたらされ、それによって、ナスラッラー師のスマートフォン使用停止指示につながった可能性が高い。その場合、その情報は、イスラエル情報部によってより具体的緊急性のある警告としてもたらされ、危機感を抱いたヒズボラ幹部が、位置情報を察知されにくい一見時代遅れとも思われる「ポケベル」に通信手段を切り替える動きに出て、そこで、イスラエル情報部が新たな通信手段のヒズボラからの一斉発注のタイミングに合わせて、もともと台湾製や日本製であった通信機器を欧州内のイスラエル関連の工場内に持ち込み、少量の爆発物を仕組み、特殊信号をうけて爆発するように改変され、ヒズボラ組織内で通常の交信手段として使用されたことを見極めて、爆破工作に至ったものと考えるのが自然である。ナスラッラー師は、自身の指示で通信機器が交換されたことで責任を感じており、真相解明を急ぐとみられる。既に技術委員会とセキュリティ委員会が立ち上げられ、破壊工作の仮説が検討されており、その仮説は、ほぼ結論に達していることを表明しており、どの段階でイスラエルが関与したのか、ヒズボラ内部に、通信機器の変更を促す工作員が紛れ込んでいたのかなどが、突き止められることになるとみられる。なお、ナスラッラー師は、今回の破壊攻撃でヒズボラおよびレバノン社会が大きな打撃を受けたこと、ならびに技術的にイスラエルが優位に立っていることを率直に認めている。そのうえで、イスラエルが2000年5月の撤退以来、再びレバノン南部に侵入し、安全保障地帯を築こうとすれば、イスラエル軍にとっての「地獄」になると警告している。
(参考)イスラエルの南レバノンからの撤退
イスラエル軍は、1978年3月、最初の大規模なレバノン侵攻を実施。国連安保理は決議425を採択してイスラエル軍の即時攻撃中止と撤退を求めたが、イスラエルは南レバノンに自由レバノン軍(のちの南レバノン軍SLA:South Lebanon Army)を組織して、ヨルダンからレバノンに逃れていたPLO攻撃の盾としていた。1982年には首都ベイルートに侵攻してアラファト議長率いるPLO勢力をレバノンからチュニジアに駆逐した。 PLOにかわって対イスラエル闘争の前線にたったのが、アマル(1974年結成)やアマルから枝分かれしたヒズボラ(1982年結成)などのシーア派民兵組織であった。1985年、イスラエル軍はレバノン中央部からの撤退を余儀なくされたが、このとき、南レバノンに一方的に「安全保障地帯」を設置、事実上の占領が続いた。1996年のイスラエル軍による「怒りのぶどう作戦」では、空と海からの攻撃でレバノンは大きな被害をうけた。 イスラエル国内では、自国兵士の死傷者が多いことから南レバノン占領を見直す動きが出始め、1998年4月、安全保障閣議が条件つきで国連安保理決議425の承認を決めた。イスラエルのバラク首相は、就任直後に1年以内の南レバノンからの撤退を決めたが、ヒズボラなどの攻撃が激しく、予定を前倒しして2000年5月に、係争地であるシェバア農場を除いて撤退を完了した。同年6月、国連のアナン事務総長がイスラエル軍の撤退とSLAの解体を確認する報告書を提出した。仮にイスラエルがレバノンに再侵攻し、安全保障地帯を設置すれば、24年ぶりとなる。因みに、ヒズボラは、イスラエルや米国、EUからはテロ組織とみなされているが、レバノンでは、軍事部門だけでなく、議会の議員や閣僚も出し、社会福祉事業も実施する組織で、1975年以来15年続いたレバノン内戦終結にあたっても武装解除を免れたレバノン国内唯一の武装組織である。ナスラッラー書記長は、1992年にイスラエルの暗殺によって死亡したアッバース・ムーサウィ前書記長の後任となったヒズボラトップとしては3代目であり、32年間現ポストを維持している。今回の発言でも、今回大きな被害を受けたことやイスラエルに比較し、技術的に劣っていることを率直に認めており、その冷静さや客観的な判断ができる人物であり、そのこともあり、すくなくともこれまでは、「必要悪」として、イスラエルによる暗殺を免れてきたのではないかとみられる。
https://english.almanar.com.lb/2202466
Posted by 八木 at 11:38 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)