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ヒズボラの「アルバイーン」軍事作戦実施の背景(ナスラッラー書記長演説の注目点)[2024年08月26日(Mon)]
7月30日のイスラエルによるレバノン・ヒズボラのフアード・シュクル司令官暗殺と31日のテヘランでのイスマイール・ハニーヤ・ハマス政治局長暗殺に対し、ヒズボラとイランが報復を宣言し、その実施と態様が注目されていたところ、8月25日(日)ヒズボラは、イスラエルの軍事施設を標的に、カチューシャ・ロケットとドローンによる攻撃を実施した。これをうけて、ヒズボラの指導者であるハッサン・ナスラッラー書記長は、今回の軍事作戦に関する演説を行った。

1. ナスラッラーヒズボラ書記長演説注目点(2024年8月25日)
(1)作戦名:コードネームは、「アルバイーン作戦」と名付けられた右矢印1イスラム教シーア派の第3代イマーム・フセイン殉教のアルバイーン(イマーム死後40日を思い起こす行事の日がアルバイーン)
(2)作戦の目的:7月30日、イスラエルにより殉教したフアード・シュクル・ヒズボラ司令官暗殺への報復
(3)作戦の主な標的:テルアビブ近郊にあるイスラエル軍事諜報機関アマン部門のグリロット中央基地とサイバー部隊8200部隊、そしてアイン・シェメル空軍基地(レバノンとイスラエル国境から110キロ、テルアビブ市の外周から1,500メートルの位置にある。作戦の2番目の目標はレバノンから75キロ、テルアビブから40キロ離れたアイン・シェメル空軍基地)。標的は民間人ではなく軍人・軍事施設でなければならず、殉教した司令官の暗殺に直接関係した者ということで、テルアビブ近郊の基地が狙われた。
(4)作戦遂行のプロセス:イスラエル軍のアイアン・ドームほかの防御態勢を搔い潜るため、カチューシャ・ロケットをイスラエルの軍事施設を狙って、300発以上発射し(最終的には、340発となったとしている。一方、イスラエル側は、210発と発表)、イスラエル軍がカチューシャ迎撃に追われている中で、攻撃用ドローンをテルアビブ周辺の目標に向け、発進させた。
(5)攻撃の成果:イスラエル側は、攻撃を阻止し、被害は出ていないと説明。一方、ナスラッラーは、イスラエル側の主張は嘘で、被害は今後順次明らかになっていくだろうと指摘。
(6)弾道ミサイルの使用:イスラエルが、ヒズボラ攻撃の前に、レバノン南部のヒズボラ拠点を100機の戦闘機により空爆し、ミサイルや発射施設を破壊したとしていることに関し、ヒズボラは今回の攻撃では、弾道ミサイル、精密誘導ミサイルは使用しておらず、また、それらの兵器を温存しているが、今後、これらのミサイルを使用しないと決めているわけではなく、状況によって、使用することはありえると発言。
(7)今後の攻撃:ナスラッラー師は、「主要な標的である2つの基地、特にグリロットで起こったことを敵が隠蔽した結果を追跡し、その結果が満足のいくものであり、意図された目的を達成した場合、我々は作戦のプロセスが完了すると考える」と述べる一方、作戦の結果が我々の見解では十分ではなかったと考えられる場合には、現時点では別の機会まで対応する権利を留保する、と発言。

2.イスラエル国防軍のダニエル・ハガリ報道官は、25日の大規模な先制攻撃で少なくとも6人のヒズボラ工作員が死亡したと発表した。これで、先週だけで殺害されたヒズボラ工作員は30人となった。ハガリ報道官は、25日の(イスラエル軍によるヒズボラへの先制)攻撃は成功だったと宣言し、「ヒズボラの主張に反して、北部でも中央部でも、イスラエル国防軍基地に被害はなかった」と述べ、ナスラッラー師の主張を否定した。
イスラエルは、大規模な緊張激化に先立ち、米政府に事前通告していたことを明らかにした。タイムズ・オブ・イスラエルによれば、イスラエルは、ヒズボラのロケットおよびミサイル発射装置に対する夜明け前の先制攻撃について、米国に「しかるべき」事前通告を行った。米政権は攻撃を支持したが、攻撃の前後にイスラエルは全面戦争へと紛争がエスカレートしないように注意すべきだと警告していたとのこと。

(参考1)アルバイーンとは:シーア派の第3代イマーム・フセイン殉教の40日目を記念する「アルバイーン(注:アラビア語で40の意味)」行事。イマーム・フセインは、4代目カリフで初代イマームのアリーの二男で、クーファの民の呼びかけに応じ、メッカからわずか数十名を引き連れて同地に赴く途中のカルバラで、ウマイヤ朝の総督ヤジードの軍4千名の待ち伏せに遇い、奮闘むなしくイスラム暦1月10日戦死した(この日をシーア派教徒は「アシューラ」と呼び、自らの背中を傷つけることで、イマーム・フセインの痛みを共有し、フセインの悲劇を思い起こしている)。アルバイーンは、イマーム・フセインの死から40日目にあたる行事で、アシューラとアルバイーンは、シーア派イスラム教徒にとって最も重要な日のひとつとされる。
(参考2)ヒズボラとは:レバノンには、キリスト教、イスラム教に属する18の宗派が存在しており、シーア派は、現在単一宗派としては、国内最大をいわれている。レバノンのシーア派は、すべてイランと同じ12イマーム派に属しており、イランとは古くから交流があった。レバノンでは、預言者ムハンマドの血を引き、ホメイニ師とも縁戚関係にあったカリスマ性を有するイラン生まれのムーサ・サドル師が1970年代にアマル運動をおこし、シーア派内で絶大なる影響力を有していたが、1978年8月リビア訪問中に消息を絶ったアマルの指導権を引き継ごうとしたのが、シーア派宗教界の指導者のひとりシャムスディーン師であった。80年代初頭米国で教育を受けたナビー・ベッリが政治的指導者として頭角を現したが、組織はベッリ(国会議長)が、宗教界はシャムスディーンが指導することで折り合いがついた。1982年6月イスラエルのレバノン侵攻が始まると、アマル内にベッリの穏健路線に満足できず、イスラエルへの徹底抗戦を主張するグループがアマルを離脱し、のちにヒズボラとして知られる武装組織を結成した。1982年11月11日、ヒズボラは、南部ティールのイスラエル軍司令部に自爆攻撃を敢行し、イスラエル将校・兵士85名が犠牲になった。その後も、ベイルートの米大使館や米海兵隊司令部、仏中隊本部への自爆攻撃が実施され、300名以上が犠牲になったが、この事件にも、ヒズボラが関与したとみられている。ヒズボラは、最高意思決定機関シューラ評議会のもとで、軍事部門(ジハード評議会)だけでなく、政治部門、司法部門、社会福祉部門などさまざまな分野で活動している。シューラ評議会は、イランの最高指導者の権威にのみ従属しており、イランの最高指導者を、ワリー・アル・ファキーフと見なし、議論が行き詰まった場合、問題は最高指導者に照会される。理論的には、ヒズボラの書記長は、 評議会の「対等なメンバーのひとり」であるが、ハッサン・ナスラッラーの指導の下で、イランの最高指導者の権威の下で評議会の事実上の長となった。
(1)ヒズボラ書記長:第三代書記長は、ハッサン・ナスラッラー(Hassan Nasrallah)1992年2月16日より現在まで32年以上にわたり現職前書記長アッバース・ムーサウィは、車両移動中、イスラエルにより家族とともに殺害された。初代トフェイリは、現執行部と対立し、破門状態にある。様々なヒズボラ司令官や幹部が暗殺される中で、ナスラッラー師がこれまで長期にトップの座にあることは、イスラエルが、ナスラッラーを「必要悪」とみなして、暗殺を控えてきたことを示唆している。
(2)ヒズボラの旗:ヒズボラは、国内で武装解除を免れている唯一の非政府組織。レバノンにおけるイスラム抵抗組織(銃は、武装抵抗を続ける意味)

(参考3)ヒズボラの攻撃の標的となった基地等
1. Meron Base
2. Neve Ziv Bunker
3. Ga’aton Base
4. Al-Zaoura Bunkers
5. Al-Sahl Base
6. Kela Barracks in the occupied Syrian Golan
7. Yoav Barracks in the occupied Syrian Golan
8. Nafah Base in the occupied Syrian Golan
9. Yarden Base in the occupied Syrian Golan
10. Ein Zeitim Base
11. Ramot Naftali Barracks

(コメント)ナスラッラー師は、演説の最後に、「私たちは今日、血に飢えて戦っているのではなく、理性、武器、進軍、そして来るかもしれない日に備えて隠された弾道ミサイルを持って戦っている。この敵(イスラエルを指す)はよく知っているはずだ。レバノンの現実と性格、そしてレバノンで起こった大きな変化をよく理解しなさい。レバノンはもはや音楽隊で(すなわち、簡単に)侵略できるような弱いレバノンではない。逆に、私たちが音楽隊で(すなわち簡単に)あなたたちを侵略する日が来るかもしれない。」と語っている。この音楽隊というのは、かつて1970年代にダヤン国防相がレバノンは音楽隊であっても簡単に進軍し、占領できると豪語した発言を引用したもの。今回のヒズボラのイスラエル攻撃は、イランが、7月31日のハニーヤ殺害の報復として、ハメネイ師がイスラエルへの報復攻撃を明言しながら、その実施を遅らせてきた中で、発生した。イランは、ペゼシュキアン新政権が発足したばかりであり、4月13、14日のイランからイスラエルへの直接攻撃でも、周辺国にも事前通報し、イスラエルや米国などの支援国が迎撃態勢を整える余裕を与える形で、イラン本土から数時間かける形のミサイル・ドローン攻撃を行い、その結果イスラエル本土にはほとんど実質的被害を及ぼすことなく、交戦状態が一旦終了した。イランは、明らかに大規模な反撃は、欧米をイスラエル支援に回らせ、イランへの非難を高めるだけであることを承知しており、今回も、ガザ停戦交渉への悪影響を回避するためなどを理由に挙げて、報復実行を遅らせてきた。このイランとアウンの呼吸で行動しているのがヒズボラであり、振り上げたこぶしをなんらかの形で、振り下ろす必要には迫られているものの、2006年の大規模戦争のような事態はなんとしても避けたいというのが本音であろう。昨年10月7日のハマスのイスラエルとの戦争勃発にあたっても、ヒズボラとイランはハマスから何の事前予告も受けていなかったことを明らかにし、ハマス側とは距離を置いていることを強調していた。今回、ナスラッラー師が、弾道ミサイルを使用せず、イスラエルの先制攻撃でも被害はなかったと主張し、逆に弾道ミサイルを温存していることを誇示して、その気になれば、大規模攻撃も可能なのだと強調したことは、逆に、今回は、できるかぎりこれで矛先を収め、大規模戦争に巻き込まれるのは避けるという意思の表れと考えられる。
https://english.almanar.com.lb/2184096
https://english.almayadeen.net/news/politics/we-targeted-the-depth-of-the-occupied-territories--sayyed-na
https://blog.canpan.info/meis/archive/254

Posted by 八木 at 14:05 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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