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本田圭執筆パレスチナ現地レポ「オリーブの木の下にてパレスチナ人、ユダヤ人と」[2018年10月04日(Thu)]
最近まで、パレスチナに在住していた本田圭さん現地ルポ「オリーブの木の下にてパレスチナ人、ユダヤ人と」を研究会公式サイトにアップしました。パレスチナ人とユダヤ人の共存に向けて重要な視点を含んでいるので、ぜひご一読願います。
http://meis.or.jp/products/MiddleEastPeace/JewishPersonAndPalestinian.php
昨今、対立ばかりが強調されるパレスチナ・イスラエル関係ですが、現地に住むパレスチナ人とユダヤ人の中には良き隣人として交流した記憶を有する人々も少なからず存在するようです。
ご存知のとおり、パレスチナ・イスラエルの対立は、イスラム教徒対ユダヤ教徒の対立ではありません。イスラム教の創始者である預言者ムハンマドは、西暦622年メッカを脱出し、現在はマディーナ(メディナ)と呼ばれるヤスリブに移動(ヒジュラ、聖遷と呼ばれる)し、イスラム共同体を立ち上げ、メッカ反撃の拠点としました。当時、ヤスリブにはアラブ部族のほか、3つのユダヤ教を奉じる部族が存在し、ムハンマドは、共同体の結束を固めるため、47条で構成されるマディーナ憲章を結び、「ユダヤ教徒でわれわれに従う者には援助と対等の扱いが与えられ、抑圧されることも、その敵に援助が与えられることもない(第16条)」(小杉泰著「イスラームとは何か」、1994年講談社現在新書39頁)として、共同体の一員として迎え入れたとのことです。パレスチナ人とイスラエルのユダヤ人との間でも、双方の隣人としての記憶をベースに信頼醸成に取り組む「架け橋」が存在すれば、双方は同じ方向に歩みだすことが出来るのではないかと信じます。

Posted by 八木 at 10:58 | イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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