• もっと見る
イスラム世界との結びつきを通じて、多様性を許容する社会の構築についてともに考えるサイトです。
検索
検索語句
<< 2025年03月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新記事
最新コメント
タグクラウド
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
プロフィール

中東イスラム世界社会統合研究会さんの画像
日別アーカイブ
https://blog.canpan.info/meis/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/meis/index2_0.xml
社会デザイン学会で承認された中東イスラム世界社会統合研究会が運営する団体ブログです。
中東イスラム世界社会統合研究会公式サイト http://meis.or.jp
社会デザイン学会研究会案内 http://www.socialdesign-academy.org/study/study_application.htm
日本とイスラム世界とのネットワーク強化を目的として、以下の項目で記事を発信していきたいと考えています。
日本とイスラム世界との出会い:日本人や日本がどのようなきっかけでイスラム世界への扉を開いていったかを紹介します。
イスラム世界で今注目されている人物:イスラム教徒であるか否かを問わず、イスラム世界で注目されている人物を紹介していきます。
イスラムへの偏見をなくすための特色のある活動:イスラムフォビア(Islamophobia)と呼ばれるイスラム教への偏見、イスラム教徒排斥、イスラム教徒警戒の動きが非イスラム世界で高まっています。これらの偏見や排斥をなくすための世界の各地で行われている特色のある活動を紹介していきます。
中東イスラム世界に関心を抱くあなたへの助言:さまざまな分野で中東・イスラム世界に関心を抱き、これから現実に接点を持っていこうと考えておられるあなたへのアドバイスを掲載します。

情報共有:当研究会のテーマに関連したイベント、活動、寄稿などの情報を提供しています。

新着情報:中東イスラム世界社会統合研究会公式サイトの「中東イスラム世界への扉」に、現地駐在の本田圭さんから投稿のあった2020年11月の「UAE、ある日の砂漠」と題する紀行文を掲載しました。UAEの砂漠がとても魅力的なので、ぜひ一度アクセスしてみてください。
http://meis.or.jp/products/door2me/OnceUponATimeInUAEDesert01.php




シリアのクルド人組織の武装解除・解散実現に向けたトルコ政府の思惑[2025年03月24日(Mon)]
3月20日付トルコのデイリー・サバーハ紙は、シリアのクルド人武装組織YPGに関して、1週間前にトルコ国防大臣や MIT 長官を含むトルコの最高代表団を率いてダマスカスを訪れ、アハマド・シャラア・シリア暫定大統領と会談したフィダン外相の発言として、要旨次のとおり、報じている。
@米国は、トルコの抗議にもかかわらず、ISに対する「戦い」を口実に、PKKのシリア支部であるYPG(クルド人民防衛隊)と同盟を組んできた。米・トルコともPKKをテロ組織とみなしている。
A3月初旬(10日)、シリア暫定政府は、停戦と(YPGの)シリア国軍への統合を含むYPG主導のSDFとの間で合意に達した。これは、24年12月に独裁者バッシャール・アサドの追放を主導したグループ(HTS)が率いる政府の支配下にシリアの大部分を置くことになる画期的な出来事である。この合意は、SDFが管理するシリア北東部の民間および軍事施設、および同地の国境検問所、空港、石油・ガス田の(国家への)移管を規定している。
B但し、トルコ政府は、暫定大統領アフマド・シャラアと、(トルコが)指名手配中の SDF 首謀者フェルハト・アブディ・シャヒン(コードネーム「マズルーム・コバニ」)が署名した合意について慎重であり、短期的にはこのプロセスを注意深く監視する。
C会談は主に YPG の問題に焦点を当て、トルコ側は、組織の意図、能力、エネルギー資源の支配といった問題に関するトルコ側の見解を明確に伝えた。トルコ側からは長年の対テロ活動の経験とPKKに関する知識に基づき、懸念事項を強調し、同時に、シリア政権が我々と同じ意図と見解を共有していることにも気づいた
D(YPGなどの)組織の軍事力を破壊することがトルコにとって極めて重要な側面であることを強調し、(シリアのクルドの)既存の組織が自ら解散し、政府の管理下に入ることが不可欠であり、クルド人側が武器生産、ミサイル製造、防空システムなどの重要な能力を保有することは容認できない
Eもう一つの問題は、海外からYPGに加わる外国人に関してだ。彼らに居場所など全くない。既存の勢力は解散し、武装解除し、政府の完全な管理下に置かれなければならない。これは必要不可欠である。シリア政府は指揮統制を引き受ける能力を持たなければならない
Fシリアにおける米軍の存在にはコストが伴う。米国民はシリアに米軍を駐留させることのメリットに疑問を持ち始めている。以前は、イラン、ロシア、アサド政権などの要因がシリアで役割を果たしていたが、現在の状況は変化している。
GISのような脅威に対抗するため地域協力を呼びかけ、ヨルダン、イラク、レバノンを含む近隣諸国との共同情報・作戦センター設立に向けた取り組みが進行している。ISが活動している国々はシリアと国境を接しており、シリアの主権と領土保全を確保する上でこうした取り組みが重要である。
H(IS関係者を収容している)アルホール収容所は最も広範囲に取り組まれている問題の一つであり、「解決に最も近い問題の一つ」であり、収容所の人口は約4万人である。アルホール収容所はPKK/YPGが運営しており、シリア、イラク、その他60カ国から来た数万人のISISメンバー容疑者とその家族が収容されており、居住者の半数以上が子供である。ISのイラク人とシリア人については、両政府が自国民を収容できる。しかし、刑務所に残っている(外国の)人々については別の方法が必要だ。彼らは拘留されたままである必要があり、我々はその問題に関して(解決のための)努力を続ける
https://www.dailysabah.com/politics/war-on-terror/turkiye-says-trump-should-be-convinced-of-us-pullout-from-syria
(コメント)エルドアン大統領にも近いデイリー・サバーハ紙の記事は、極めて率直にトルコ政府としては、シリアのクルド人武装勢力YPGを武装解除・解散させ、シリア政府の統制、監理下に置く必要性を、フィダン外相の発言という形で明確に表明している。トルコ政府は、3月10日のYPGが主体のシリア民主軍(SDF)のアブディ司令官とアハマド・シャラア暫定大統領との合意を評価する一方で、クルド側がそれを履行するのか、注意深く監視すると述べている。すなわち、SDFが管理するシリア北東部の民間および軍事施設、および同地の国境検問所、空港、石油・ガス田の(国家への)移管を規定している合意を歓迎する一方で、その履行が進むのか、慎重に判断し、停滞すれば、HTS政権側にはっぱをかけるだけでなく、必要があれば、合意で停戦が規定されたにもかかわらずトルコ傀儡のSNF(シリア国民軍)などを活用し、SDFに軍事的攻勢を加えることを含め、クルド人側へのあらゆる側面での圧力を行使することを躊躇わないという姿勢を明らかにしたといえる。加えて、IS対策を口実にSDFを支えてきたトランプ米政権は、米軍駐留のコストを抑えるために、シリア撤退を検討中であり、近く実施される可能性のあるエルドアン大統領の訪米とトランプ大統領との会談で、米軍のシリア完全撤退を促す考えも披露したことになる。その際、重要となるのが、IS収容者の問題で、アルコール収容所だけで4万人のIS隊員・家族が収容されており、うち、シリア人、イラク人のIS関係者は、それぞれの政府が引き取るものの、外国人IS関係者の引き取りを西側諸国、特に欧州が拒否しており、その部分が進んでいないため、その点でもアラブ諸国の協力も得えて解決の見通しをつけて、米軍のシリア撤退を促すとの考えを示唆している。ひとたび、米軍がシリアから撤退すれば、YPGも後ろ盾を失い、これまでの強気を通すことができなくなり、シリア暫定政権側の要求に応じざるを得なくなるとトルコ政府は期待していると思われる。しかし、ISとの戦いで、1万人以上が犠牲になり、シリアの拠点からISを駆逐したYPG主体のSDFが実質的見返りなく、トルコ政府の思惑通りに、暫定政権側の要求に応じるとは思われず、イラクのクルドが実現したようなシリア北東部での「自治」の実現など、民族的悲願達成に向けて、合意した事項のあらゆる側面において本格的交渉がスタートすることは間違いないと思われる。

Posted by 八木 at 16:34 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

シリア民主軍(SDF)とHTSとの「シリア北東部での自治に言及のない」合意の意味[2025年03月11日(Tue)]
シリア情勢が大きく動いている。シリア北西部地中海側都市周辺でのHTS暫定政権下所諸部隊によるアラウィー派住民などの大量虐殺が報じられた直後の3月10日、シリア民主軍(SDF)のマズルーム・アブディ総司令官と、シリア暫定政府大統領でハイヤット・タハリール・アル・シャーム(HTS)の指導者ムハンマド・アルジャウラーニ(アフマド・アルシャラア)が会談した。会談の結果、双方は、以下の諸点に同意した。
1. 宗教や民族的背景にかかわらず、すべてのシリア人に政治プロセスとすべての国家機関において代表権と参加権を保障すること。
2. クルド人コミュニティはシリア国家の先住民コミュニティであり、シリア国家はクルド人の市民権とすべての憲法上の権利を保障する。
3. シリア全土で停戦を実現する。
4. 国境検問所、空港、石油・天然ガス田を含むシリア北東部のすべての民間および軍事機関をシリア国家の管理に統合する。
5. 避難したシリア人全員が故郷の町や村に戻り、シリア政府によって保護されることを確実にする。
6. アサド政権の残党による脅威、および安全と統一に対する脅威に対するシリア政府の闘いを支援する。
7. シリア社会の構成員の間に分裂を生むことを目的とした呼びかけ、ヘイトスピーチ、不和を広げようとする試みを拒否する。
8. 執行委員会は、年末までに合意を確実に実施するために引き続き取り組む。
https://anfenglishmobile.com/rojava-syria/mazloum-abdi-and-ahmed-al-sharaa-sign-agreement-78335
(参考)マズルーム・アブディが総司令官を務めるSDFは、クルド人武装組織YPG(クルド人民防衛隊)が主導するシリア北東部に展開する武装組織であり、2015年秋に創設され、有志連合軍のISISとの戦いにおいて、地上におけるもっとも頼れる部隊として、ISISをシリア国内の拠点から駆逐するために大きな貢献を行った組織である。シリア地中海沿岸部の町で、HTS暫定政権下の治安部隊によるアラウィー派住民などへの報復攻撃で、最新の数字で973名の民間人が殺害されたとも報じられる中、SDF総司令官が、HTS暫定政権大統領との合意を急いだのは、如何なる理由によるものなのか。ひとつには、クルド人勢力は、ダマスカスでの2月24日、25日の国民対話会合には招待されなかったものの、カーテンの裏での対話、交渉はずっと続いていたことが示唆されている。次に、2月27日のPKK創始者アブドッラー・オジャランによるPKK武装解除、解体の呼びかけに応えて、3月1日、PKKがトルコ政府との停戦を発表したことである。シリアのクルドの政治組織PYD(クルド民主統一党)や武装組織YPG、同女性部隊YPJは、トルコ政府からは、PKKと同根のテロ組織と扱われてきた。そのPKKがトルコ政府への武装抵抗活動を放棄することになれば、YPG・YPJがトルコ政府の影響下にあるシリア国民軍(SNA)と戦う必然性も失われることになる。クルド人勢力主体のSDFは、HTS暫定政権部隊との戦闘は行っておらず、SNAがクルド支配地域への攻撃を停止すれば、SDFは、それに反撃する必要もなくなる。3つ目は、トランプ政権の動きである。トランプ大統領は、1期目の2019年10月にシリア北部からの米軍の部分撤退を行ったものの、その後、部隊の規模は小さいながら北東部の油田地帯を管理するSDFを支えてきており、バイデン政権もその方針を踏襲してきた。ここにきて、トランプ第二期政権は、米軍のシリア北東部からの撤退の計画をクルド人側に伝えた可能性がある。今回の合意署名の直前、米中央軍の総司令官Michael "Erik" Kurillaがマズルーム・アブディSDF総司令官を訪問して会談している。当然、SDFとHTS暫定政権との合意について意見交換したものと思われる。今回のHTSとSDFの合意は、シリア全土における停戦やクルド人の市民権・憲法上の権利の保障、北東部でSDFが管理する油田やガス田、空港、イラクとトルコとの国境検問所を含む地域インフラの統合、暫定政権が取り組む前アサド政権の支持勢力との戦いへの支援などが含まれており、「シリア北東部のすべての民間および軍事機関をシリア国家の管理に統合する」とも謳われており、SDFがHTS政権管轄下の一部隊として、政権軍に吸収される方向性が示されている一方で、クルド人勢力が容易にシリア北東部での「自治」を諦めるとは思われず、「自治」を維持しようとすれば、イラクのKDP、PUKに認められているような独自の武装組織を維持する必要に迫られることになる。要は、これからHTSとクルド人勢力の間で、シリア北東部のあらゆる部門の管理を巡って、実利を見据えた厳しい交渉が開始されることを意味している。
https://www.rudaw.net/english/middleeast/10032025

Posted by 八木 at 10:34 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

HTS政権治安部隊による旧アサド政権勢力への報復とみられる衝突拡大[2025年03月09日(Sun)]
3月10日現在、シリア人権監視団(SOHR)は、HTS暫定政権シリア治安部隊と崩壊したバッシャール・アサド政権を支持してきた勢力との3月6日、7日と2日間の衝突とそれに続く報復殺人による死者数は1,300人以上に上ると発表した。主に近距離からの銃撃で民間人830人が死亡したほか、暫定政府治安部隊員231人とアサド大統領と関係のある武装グループの戦闘員250人が死亡したとのこと。これは、アサド政権崩壊後最悪の死者数となっている。SOHRは、ラタキア市周辺の広い地域で電気と飲料水が遮断されたと付け加えた(注:3月8日の発表では、民間人死者は745人、全体で1千人以上が死亡とされていた)。
目撃者は、暴動で最も被害が大きかった町の一つ、バニヤスの住民は、死体が路上に散乱していたり、家や建物の屋根の上に埋葬されずに放置されていたりして、誰も回収できなかったと語った。3月7日の暴動発生から数時間後に家族や近隣住民とともに逃げたバニヤス在住の57歳のアリ・シェハ氏は、アラウィー派が住むバニヤスのある地区で、少なくとも20人の近隣住民や同僚が殺害され、その一部は店や自宅で殺害されたと語った。シェハ氏は、この攻撃をアサド政権による犯罪に対するアラウィー派少数派への「復讐殺人」と呼んだ。他の住民は、(政権側)武装勢力には外国人戦闘員や近隣の村や町の過激派が含まれていたと語った。とてもひどい状況であった、逃走中に「死体が路上に転がっていた」を目撃したと、市街地から約20キロ離れた場所から電話で語った。シェハさんによると、武装集団は自分のアパートから100メートル以内に集まり、「アッラー・アクバル」と叫び、家や住民に無差別に発砲し、少なくとも1件の事件では、住民を殺害する前に身分証明書の提示を求め、宗教や宗派を確認したという。また、武装集団は住宅に火をつけ、車を盗み、強盗も行ったという。

(参考)関係者の反応
(1)シリア担当国連特使ゲイル・ペダーセン氏:「民間人の犠牲者に関する非常に憂慮すべき報告」であり、すべての側に対し、「シリアを不安定にし、信頼性が高く包括的な政治移行を危険にさらす」可能性のある行動を控えるよう求める。
(2)イスラエル・カッツ国防相:7日の出来事について、[アル・シャラア]はローブをスーツに着替え、穏健派の顔をしていた。今、彼はマスクを脱ぎ、本当の顔をさらした。民間人に対して恐ろしい行為を行っているアルカーイダ流のジハード主義テロリストだ。イスラエルはシリアからのいかなる脅威からも自国を守る、(イスラエル)軍は国境沿いの緩衝地帯を占拠し続け、シリア南部の非武装化を維持するよう働き続ける。
(3)EU声明:シリア沿岸部の暫定政府軍に対するアサド支持派による最近の攻撃と民間人に対するあらゆる暴力を強く非難する。
(4)仏声明:仏政府は9日の声明で、「宗教を理由とした民間人に対する残虐行為を、可能な限り強い言葉で非難する」と述べ、シリア暫定政権に対し、独立した調査で「これらの犯罪を完全に解明する」よう求めた。
(5)アハマド・シャラア暫定大統領(7日):反乱軍に対し「手遅れになる前に武器を捨てて降伏する」よう求めた。
(6)マズロウム・アブディSDF(シリア民主軍)司令官(9日):アフマド・シャラア暫定大統領は、シリア西部のアラウィー派に対する攻撃の責任者に責任を取らせるべきであり、虐殺を止めるために介入すべきだ。シリアの新軍の編成方法と武装グループの行動を「見直す」よう求める。一部のグループが軍内での役割を利用して、宗派間の対立を引き起こし、内部紛争に関与している。

(コメント)SOHRの報告によると、殺害は、アラウィー派が多数を占める村で治安部隊が指名手配中の人物を逮捕したことがきっかけで衝突が起きた後に起きたとされる。今回の事態悪化は、外国人戦闘員や支配的なHTSメンバーを含むジハード主義者が、アラウィー派やキリスト教徒など少数派の家に押し入ったり、住居を銃撃し、市民を虐殺しており、犠牲者の大半は暫定政権国防省や内務省に関係する勢力によって即決処刑されたとしている。ジハード主義者は、殺害の様子をインターネットやライブストリーミングでアップロードすることをためらわず、男性、女性、子供、さらには赤ちゃんまでもが残酷に殺害されている、とされる。
イスラエルのカッツ国防相は、アハマド・シャラアは、「マスクを脱ぎ、本当の顔をさらした」と指摘したが、欧州、とりわけ、EU声明は、今回の衝突と市民の犠牲者多数発生についての責任を、旧アサド政権側に押し付け、HTS暫定政権による市民の保護、報復の抑制への取り組みが機能していないことを何ら指摘していないことは、驚くしかない。欧州は、極めて迅速に、HTS暫定政権下のシリアに対して、制裁解除に乗り出している英国はシリア中央銀行を含む24のシリアの組織に対する制裁を解除した。英国はシリア中央銀行の全資産の凍結を解除した最初の国となった。2月24日、欧州連合(EU)は中央銀行への制限を部分的に撤廃し、エネルギーおよび輸送部門への制裁を停止した。シリア人が本国帰還を果たせるほど、安全な国になっているというシナリオで、制裁解除を進めているとみられるが、今、欧州がやるべきは、一般市民が犠牲になるような政権側治安機関や支持者による報復行為を抑制し、少数派市民も生命への危険を感じることなく、新生シリアに希望を見つけることができるよう暫定政権に圧力を行使し、その行為の見返りとして、制裁を解除し、支援を提供していくことであると考えられる。
https://www.timesofisrael.com/340-civilians-killed-in-clashes-between-syrian-regime-and-pro-assad-forces-says-watchdog/
https://apnews.com/article/syria-alawites-sectarian-killings-coast-assad-hts-610cdee1d5762d3ecb75c700fb7cf5f2

Posted by 八木 at 16:18 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

シリア国民対話会議へのクルド人勢力の反発とオジャラン声明の影響[2025年02月27日(Thu)]
首都ダマスカスで、HTS暫定政権発足後、初めての国民対話会議が、2月24日、25日アハマド・アルシャラア暫定大統領ほかが出席して国内各グループ代表約600名が参加して開催された。新生シリアの国民の団結と融和を目指す長いプロセスの第一歩であるが、シリア北東部で暫定自治を実践するクルド人をはじめとするグループは、会議に招待されなかった

1.準備委員会が2月25日発出した最終声明の注目点は、次のとおり。
@シリア領土の一体性維持。分割等の試み拒否
A武器保有は国の専管事項。公的な機関に所属していない武装組織は違法
B憲法の空白を埋めるため、暫定憲法宣言を迅速に採択する
C価値と公正な代表に基づく暫定立法評議会を設立する
D恒久憲法を起草するための憲法委員会を設立する
E犯罪と暴力の実行者に責任を負わせ、正義を実現する
F平和的共存を促進し、暴力、扇動、社会の安定と融和を損なう報復を拒否する
Gシリアに課せられた国際制裁の解除を求める
追加:イスラエルによるシリア領土への侵略を強く非難し、国家主権の露骨な侵害であり、即時無条件撤退を要求する。イスラエル首相の扇動的声明を拒否し、イスラエルに責任と取らせるよう国際社会と地域組織を促す。
https://english.enabbaladi.net/archives/2025/02/with-18-points-national-dialogue-conference-concludes-its-work/

2.抗議声明を発出したシリア北東部35団体には、PYD(クルド民主統一党)や民主的社会運動 (TEV-DEM)などが含まれる。団体名は、次のリンクから確認できる。
https://anfenglishmobile.com/rojava-syria/35-syrian-organizations-issue-joint-statement-about-national-dialogue-congress-78107

(コメント)シリア北東部で暫定自治を実践するクルド人を主体とする政治団体は、HTS暫定政権下で開催された国民対話会議に招待されなかったことに対し、シリアのあらゆる組織の代表が含まれない包括性を欠く会合は無意味であるとの立場を表明しました。とりわけ、Aの武器所有は国家の専管事項であり、公的機関に所属していない武装組織は、非合法であるとして、一方的に、暫定政権に従うよう求められた点に反発したとみられています。クルド人勢力が国民対話会議に呼ばれなかったのは、トルコが、PYDやその武装組織YPG、YPJをPKKと同根のテロ組織とみなして、HTS暫定政権側に国民対話会議に招待しないよう申し入れたことは明らかだと思われます。他方、注目されるのは、トルコに長らく収監中のPKK創始者アブドッラー・オジャランの声明の中身です。一部では、27日にも発出される可能性のあるオジャランは、声明でPKKの武装解除を呼びかけるとされています。そのとおりであるのか、それに対して、PKKの実働部隊は従うのか、さらに、シリアのYPGを主体とするSDFも武装解除に応じることになるのかです。
https://www.middleeasteye.net/news/ocalan-urge-pkk-disarm-week-sources
https://anfenglishmobile.com/features/historical-call-and-our-responsibilities-78134

Posted by 八木 at 18:12 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ナスラッラー・ヒズボラ前書記長の葬儀を威嚇するイスラエル [2025年02月24日(Mon)]
2025年2月23日、ベイルートのカミーユ・シャモン・スポーツシティ・スタジアムで、2024年9月27日イスラエルのバンカーバスター爆弾攻撃で犠牲になったヒズボラの元書記長サイエド・ハッサン・ナスラッラー師とその直後に殺害された事実上のNO2であったサイエド・ハーシェム・サフィディーン氏を悼むための会葬の儀に数万人が集まった。イスラエルのF-15戦闘機とF-35戦闘機は葬儀にあわせてベイルートのカミーユ・シャモン・スポーツシティ・スタジアム上空を旋回し、弔問出席者を威嚇した。イスラエル・カッツ国防相は、この飛行の意図を公然と認め、「ハッサン・ナスラッラーの葬儀会場の上空を旋回しているイスラエル空軍の戦闘機は、明確なメッセージを送っている。イスラエルを破壊し、イスラエルを攻撃する者は、誰であれ、それで終わりである。あなた方は葬儀で忙しく、我々は勝利で忙しくなる」と述べた。また、イスラエルはこれまで未発表だったナスラッラー師暗殺作戦の爆撃動画を初めて公開した。
https://youtu.be/sXAVIrdHzOM
https://youtu.be/UoptVLaG3bA

会葬の集会出席者:会場のカミーユ・シャモン・スポーツシティ・スタジアムは葬儀が始まる数時間前にほぼ満員となり、支持者たちは団結と反抗の気持ちで集まった。収容人数7万8000人のスタジアムは、ヒズボラの旗や殉教者たちの像を掲げた会葬者で埋め尽くされ79カ国の代表が公式および一般の立場で出席した。ベイルート国際空港への国際便、特にイラクとトルコからの便が急増し、ホテルの占有率は90%に達したとのこと。イランからは、アッバース・アラグチ外相とムハンマド・バゲル・ガリバフ・イラン国会議長ほか代表団が葬儀に出席し、2024年5月にヘリコプター事故で亡くなったライシ前大統領とアミール・アブドラヒアン前外相の家族、2020年米軍のドローン攻撃で亡くなったカーセム・ソレイマニIRGCコッズ部隊司令官の家族らが同行した。ガリバフ議長は「私は代表団を率いてここに来た。殉教した2人のサイエドの葬儀に参加するためだ」と述べた。イラクの親イラン・シーア派組織やイエメンのフーシ派、ハマスの関係者も出席した。

カーセム現書記長メッセージ:カーセム現書記長はナスラッラー師を「歴史的で、稀有で、愛国心のあるアラブのイスラム指導者であり、世界の自由な人々の模範」と評し、「たとえ我々の家が頭上で破壊されようとも、我々全員が殺されようとも、我々はサイエド・ナスラッラーの道を歩み続ける」と断言した。更に、カーセム書記長は、「我々は(イスラエルとの)協定に基づく約束を果たしたが、イスラエルは(撤退を)果たしていない」と主張した。

(コメント)ナスラッラー書記長は、1992年に家族ともどもイスラエル軍の空からの攻撃で暗殺されたアッバース・ムーサウィ第二代書記長の後を継いで、三代目書記長に就任し、ヒズボラを対イスラエルの抵抗勢力としてのみならず、レバノン国内で、政治、社会、福祉その他にも影響力を有する組織として育成してきた。イスラエルの指導者も、ナスラッラー師を敵ながら、双方の妥協点を探ることができる指導者として、一定の評価を与えていたものとみられ、そのために30余年にわたって、ナスラッラー師はイスラエルの暗殺の試みを免れてきたものとみられる。事態が変化したのは、ハマス・イスラエルの戦闘激化とレバノンへの波及である。2024年9月17、18日、レバノンの広範囲でヒズボラ関係者だけでなく一般市民も巻き込んだ通信機器一斉攻撃で数千人が死傷したことに対して、ヒズボラのナスラッラー書記長は、「真実の約束2」作戦を実施し、イスラエルに大規模ミサイル攻撃を行い、これに対し、イスラエルは、「新秩序」作戦を実行した。24年9月27日、イスラエル軍は、ベイルート郊外で地下8階までを貫通する強力な「バンカーバスター」爆弾を使用し、ナスラッラー書記長を抹殺した。「新秩序」とは何か。これは、まさに、カッツ国防相が述べているように、「イスラエルを破壊し、イスラエルを攻撃する者は、誰であれ、それで終わりである。あなた方は葬儀で忙しく、我々は勝利で忙しくなる」ということで、どこに居ようと、イスラエル攻撃を指示した敵は、抹殺するということであり、事実、ハマスについては、ガザで越境作戦に責任があるとされるヤヒヤ・シンワル元軍事部門代表や、ムハンマド・ディーフ・カッサム旅団司令官のみならず、24年7月31日にはテヘランで、イスマイール・ハニーヤ政治局長(当時)も暗殺された。レバノンでの通信機器攻撃を指示したのはネタニヤフ首相自身であることを認めており、ナスラッラー書記長暗殺もネタニヤフ首相自身の判断だとみられる。すなわち、ナスラッラー書記長は、相手が、以前のルールをわきまえていると考えていたところ、そうではなく、敵の指導者は誰であれ、どこに居ても抹殺するという変化を見逃していたということになる。
イスラエル空軍機は、迎撃手段を持っていないレバノン上空を自由に飛行し、いざとなれば、いつでも攻撃できますようというメッセージを発し続けている。イスラエルは、国際法を超越した存在なのだろうか。国際社会は、相手がイスラエルであると、ほとんど沈黙してしまう。2024年11月21日、ネタニヤフ首相、ガラント前国防相(他には、生死が確認できなかったということでムハンマド・ディーフ元カッサーム旅団司令官)に逮捕状を発出した国際刑事裁判所(ICC)職員も、今や米国政府の制裁の対象になっている。何が正義で、何が不正なのか、誰も不正を正せない世界に陥ってきている
https://english.almayadeen.net/news/politics/israeli-jets-attempt-to-intimidate-mourners-at-sayyeds--fune

Posted by 八木 at 12:01 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

アサド政権軍崩壊までの軌跡[2025年02月07日(Fri)]
2月5日付ミッドルイーストアイが、アサド政権軍内部や政権側を支えてきたイランやイラクの組織関係者からの目撃証言等をたどって、反体制派のアレッポ進攻からアサド政府軍崩壊までの軌跡を記事にしている。これによれば、アサド政権軍内部からの造反により、軍内部でドミノ現象が起こり、イランによる立て直しの取り組みにもかかわらず、アサド政府軍はむなしく崩壊していった状況が浮き上がってくる。
@2024年11月27日、HTS部隊率いる反政府軍のアレッポ攻撃が本格化
A2024年11月28日午前6時、危機感を感じたシリア共和国防衛隊サフトリ少将の呼びかけで、アレッポ中心部のアル・フルカン地区にある将校クラブの北部軍事作戦室で緊急会議招集。シリアにおけるイランの最高軍事顧問であるIRGCコッズ部隊のキオマルス・プールハシェミ准将、レバノンのヒズボラの指揮官2人、およびさまざまな治安部隊の将校らが集合。
B今後の作戦や対応などを巡って、会議は紛糾。アサド政府軍将校の一人が、警備員の一人からAKM攻撃用ライフルを奪い、プールハシェミ准将に銃弾を浴びせて殺害。ヒズボラ司令官のひとりも負傷。
Cこの後、数十人の将校と兵士が従わず戦闘を拒否するようになり、アレッポ市の西側の防衛がさらに崩壊した。イランが長年支援してきたシリアの準軍事組織「アルバーキル旅団」の裏切り攻撃も発生し、数十人が命を落とし、負傷した。
Dイランとレバノンの顧問と一部のシリア将校が「裏切り者の(シリアの)将校」によって「粛清」された。
Eイランの野戦軍司令部は、関連部隊に対し、追って通知があるまで前線から撤退するよう緊急命令を出した。一部の部隊はアレッポの南45キロにあるアブ・アル・ドゥフル空軍基地に撤退し、残りは東のアル・ナイラブ空軍基地に向かった。11月28日の終わりまでに、アレッポ西部の田園地帯はすべてシリア反体制派の手に落ちた
Fロシアによって訓練され装備されたスヘイル・アル・ハッサン少将のエリート特殊任務部隊は、アレッポの東郊外に到着し、アル・ナイラブに駐留を開始。サーレハ・アブドッラー少将率いる第25師団もシリア軍を援護するためアレッポ郊外に到着し、アル・ナイラブ空港に陣取った。しかし、ハッサンも元副官のアブドッラーもそこでの防衛を行わず、代わりに彼らはハマに撤退し、そこで抵抗した。2日間持ちこたえたが、結局、12月4日、反政府勢力はハマに入り、防衛軍は、市から撤退した。
G2016年にアレッポを制圧する際に重要な役割を果たしたIRGCの著名な司令官、ジャバド・ガーファリ准将がホムスに到着し、指揮権を握った後、シリア国内のすべての外国軍に最初に届いた指令は「いかなる犠牲を払ってでもホムスを守れ」だった。ガーファリ准将の指示でホムスの北郊に土塁が設置され、部隊が再配置された。彼はシリアとIRGCの指導部に、ヒズボラやイラクの民兵組織戦闘員を含む増援部隊をホムスに送り込むべきだと提案した。彼は、イランの航空機が最初に彼らを輸送できるように、(ロシア軍の基地のあった)フメイミムとタルトゥースのロシア軍の了解を得る必要があった。ヒズボラは、イスラエルとの停戦に合意したばかりで、ホムスに2,000人の戦闘員を送り込んで応じた。シリア軍司令官によると、そのほとんどはアル・リダー部隊の戦闘員で、クサイルとダマスカス郊外に駐留していた。残りはイマーム・アル・マフディの兵士旅団に属し、アレッポと近くのシーア派の町ヌーブルとアル・ザフラから撤退していた。
Hイラク軍は、この段階でアサド大統領を支援することは非常に高くつき、2003年以来イラクで獲得してきたものすべてを危険にさらす可能性があると感じたため、ガーファリ准将の要請を全会一致で拒否した。イラクの介入はバグダッド政府の判断に委ねられた。アサド大統領がイラクの介入を公式に要請したが、拒否されたロシアも、イランの航空機による戦闘員、武器、装備のシリアへの輸送を認めてほしいというイランの要請を「これらの航空機の安全を保証できない」という理由で3回拒否した。
Iホムスでの戦闘は激しく決定的なものになると誰もが予想していた。反政府勢力がタルビセとラスタンの町に到着すると、ガーファリ准将は、考えられるすべての隙間に対処し、シリア正規軍と「肩を並べて」展開した部隊が彼を失望させないと確信していた。その時、後方のシリア兵士が突然、目の前のヒズボラ戦闘員に発砲し始め、8人が死亡、数十人が負傷した。その瞬間、イラン人はシリア軍が自分たちに背を向け、シリア国民の支持を完全に失ったことを悟った。それは重くて大胆な決断を必要とする重要な瞬間だった。誰が味方で誰が敵か分からなくなった勢力の中で戦うことはもはや不可能であり、救えるものを救うために、ガーファリ准将は、自分と関係のあるすべての部隊にホムスとシリア全土から直ちに撤退するよう命じた
Jガーファリ准将と(アフガニスタンのシーア派民兵組織)ファテミユーン旅団のアフガニスタン人戦闘員はラタキア空港に撤退した。彼らは数日後ロシアがイランの航空機4機による撤退を許可するまでそこに留まった。その日フメイミム基地から撤退した部隊の中には、主に(イラクのシーア派民兵組織)カターイブ・ヒズボラと(同)ハラカット・ヒズボラ・アル・ヌジャバのイラク人戦闘員94人が含まれていた。
K(レバノンのシーア派民兵組織)ヒズボラはアル・クサイルに撤退し、シリアの地元勢力の戦闘員はダマスカス南部のサイイダ・ザイナブに撤退した。後にレバノン国境を越えてベイルートに逃げた者もいた。ダマスカスのイラク人のうち、一部はバグダッドに向かい、家族とともに何年もシリアに住んでいた者もレバノンに向かった。シリア東部の国境付近の町アブ・カマルとデリゾールに駐留していたカターイブ・ヒズボラとハラカット・ヒズボラ・アル・ヌジャバの戦闘員は国境を越えてイラク側に撤退した。ファテミユーン旅団の部隊も出発し、バグダッド経由でテヘランとアフガニスタンへ向かった。ファテミユーン旅団の40〜50人の戦闘員を乗せたバス17台がイラク国境にシリアから逃亡したた。

(コメント)イランのイスラム革命防衛隊(IRGC)は、イラン国営通信社タスニムが発表した短い声明で、プールハシェミ准将を悼み、准将は「アレッポでテロリストのタクフィリ(不信仰の過激派)傭兵が仕掛けた攻撃で、殺害された」と伝えたが、殺害者は反体制派戦闘員ではなく、アサド指揮下のシリア軍将校であった。その瞬間がシリア軍崩壊の本当の始まりで、「裏切りはシリア軍司令官たちの階級の奥深くまで及んだ」と状況をフォローする元シリア軍司令官が語ったとされる。MEEの報道によれば、イランはアサド政権軍を守ろうとしており、親イランのレバノン民兵組織ヒズボラも、イスラエルとの戦闘で大きな打撃を被っていたにもかかわらず2千人規模の隊員を動員してホムスに派遣したが、アレッポでの軍事作戦会議でのプールハシェミ准将のシリア軍司令官発砲による殺害、イランが長年手塩にかけて育ててきたはずの準軍事組織バーケル旅団の裏切り最後の防衛線と考えてきたシリア第3の都市ホムスでのシリア人兵士によるヒズボラ隊員への後ろから攻撃で、シリア軍が分裂し、統制がきかず、裏切り行為や逃亡も多数発生して、シリア国軍が反体制派勢力に対して自ら戦う姿勢を示さない中、味方と思っていたシリア人が必ずしも味方ではなく、疑心暗鬼の中、イランやヒズボラ、ならびにイラクやアフガンからのシーア派民兵組織も撤退するしか選択肢がなかったことが示される。注目されるのは、親アサドとみられていた関係国がアサドと運命を共にする、あるいは巻き込まれることを避けたことである。イラク政府がアサド大統領からの支援要請を断ったこと、さらには、2015年9月にシリア内戦に介入してアサド政権の後ろ盾であったはずのロシア軍が、自ら反体制派への攻撃に加わらなかっただけでなく、イランからの軍事支援を可能にするロシア軍管理の基地へのイランの航空機搬入要請を3度拒否していたことも、アサド政府軍の早期崩壊につながったと考えられる。結局、アサド大統領の軍隊統率能力が極端に低下していたことが原因ではあるものの、内戦や制裁で疲弊していたアサド政府軍も、外国軍部隊に頼るしかない外部依存勢力になり果てていたこと、トランプ政権の誕生を目前に控えて、シリアへの再軍事的介入を控えた、あるいは控えざるを得なかったプーチン大統領の政治的立場の弱さが露呈したアサド政府軍の崩壊であったと総括できる。
https://www.middleeasteye.net/news/how-syrian-mutinies-and-betrayal-sunk-irans-support-assad

Posted by 八木 at 15:30 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

インドネシアのBRICS正式加盟のインパクト[2025年01月07日(Tue)]
2025年1月6日、ブラジル外務省はBRICS議長国としての立場で、ASEANの中心的国家であるインドネシアがBRICS正式メンバー国になったことを発表した。
(参考1)ブラジル外務省発表
ブラジル政府は、1月1日から始まり2025年12月31日まで続くBRICSの暫定議長国としての任期中に、インドネシア共和国がBRICSに正式加盟することを1月6日に発表した。
BRICSの指導者らは、2023年8月のヨハネスブルグサミットで、正式加盟国拡大プロセスの一環として、インドネシアの立候補を承認した。2024年の大統領選挙のため、インドネシアは新政権樹立後にのみBRICS加盟への関心を正式に通知した。2024年、BRICS諸国はヨハネスブルグで合意された拡大の指針、基準、手順に沿って、インドネシアの加盟を全会一致で承認した。
ブラジル政府はインドネシアのBRICS加盟を歓迎する。インドネシアは東南アジア最大の経済大国であり、人口最多の国として、他のBRICS諸国とともにグローバルガバナンス機関の改革を支持し、グローバルサウス協力の深化に大きく貢献している。これは、ブラジルの議長国テーマである「より包括的で持続可能なガバナンスのためのグローバルサウス協力の強化」と一致する優先事項である。
https://www.gov.br/mre/en/contact-us/press-area/press-releases/indonesia-as-a-new-member-of-brics
(参考2)中国政府コメント
中国はインドネシアがBRICSの正式メンバーになったことを歓迎し、心から祝福します。インドネシアは主要な発展途上国であり、グローバルサウスの重要な勢力として、BRICS精神を高く評価し、「BRICSプラス」協力に積極的に参加してきました。インドネシアのBRICSへの正式加盟は、BRICS諸国とグローバルサウスの共通の利益にかなうものであり、インドネシアがBRICSの発展に積極的に貢献すると確信しています。
BRICSはグローバルサウスの団結と協力を促進する主要なプラットフォームであり、世界統治システムの改革を推進する主要な力です。BRICS諸国は常に多国間主義、公平と正義、共同開発に取り組んでいます。BRICSの最新の加盟は、グローバルサウスの集団的台頭という歴史的潮流に沿ったものです。中国はインドネシアおよびBRICS諸国と協力し、より包括的、緊密、実用的かつ包括的なパートナーシップを共同で構築し、BRICS協力の質の高い発展を推進し、人類運命共同体の構築にさらに貢献していきたい。
https://www.mfa.gov.cn/eng/xw/fyrbt/202501/t20250106_11527794.html
(参考3)トランプ次期大統領関連のヒンドゥースタン・タイムズ報道
トランプ次期米国大統領はBRICS諸国に米ドルに代わる通貨を作らないよう警告し、9カ国からなるグループに約束を求めた。「これらの国々には、新たなBRICS通貨を創設せず、また強力な米ドルに代わる他の通貨を支持しないという約束を求めている。さもなければ、100%の関税に直面し、素晴らしい米国経済への販売に別れを告げることになるだろう」とトランプ氏は警告した。BRICSは米国が参加していない唯一の主要な国際グループである。
https://www.hindustantimes.com/world-news/brazil-announces-indonesias-full-membership-in-brics-101736209207295.html
(コメント)BRICSは、2001年に投資家向けレポートでブラジル、ロシア、インド、中国の4か国がBRICと呼ばれたことをきっかけに、2009年4か国首脳会議で正式に結成され、2010年に南アフリカが招待され、2011年に正式加盟し、5か国体制となった。2023年8月のBRICSヨハネスブルグ首脳会議で、イラン、エジプト、エチオピア、アラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビア、アルゼンチンに正式加盟のための招待が発せられたが、ミレイ右派新政権が発足したアルゼンチンは参加を辞退。2024年1月には、イラン、エジプト、エチオピア、UAEが招待を応じて、正式メンバーは9カ国に拡大した。一方、サウジアラビアは招待されたものの、受諾しておらず、一方で正式に辞退したことも確認されておらず、不透明な状態が続いている。BRICSは世界人口の約4割強、世界の国土の約3割、世界の国内総生産(GDP)の4分の1を占めており、BRICSは、欧米諸国が全く加わっていない国際的枠組みであり、G7が世界を仕切るのではなく、新興国が中心になって世界を多極化する取り組みであるとみられている。中でも、BRICS拡大で注目されるのが、メンバー国間の脱ドル化が進むのか、それは米国支配の世界秩序の変更を促すのかである。いわずとしれたとおり、戦後、世界の金融を支配してきたのは、米ドルである。現在でも、各国の中央銀行の外貨準備高で約60%を占めるのは米ドル(IMF)。米国は、近年、ドルを外交の「武器」に使用し、米国の意向に反する行動をとる国に金融制裁を発動してきた。こうした中、実際に米国の金融制裁を科されているイランやロシア、ベネズエラなどだけでなく、リスク回避や自国通貨の影響力拡大の観点から、米ドル以外での取引を模索する国々が徐々に増えている。具体的には、SCO(上海協力機構)加盟国や拡大BRICS内で、取引の脱ドル化あるいは、新ディジタル通貨発行やSWIFT(国際銀行間通信協会)以外の新決済システムBRICS Payを模索する動きが出てきている。拡大BRICSには、UAE、イランといった産油国が加わり、中国、インドといった大消費国が同じ枠組みに属することになり、従来ほぼドル決済で行われてきた石油取引で、脱ドル化が進むのかが注目されている。この関連でも、大産油国サウジがBRICSに正式加盟するのかが問われているが、サウジはこの1年間沈黙を保ってきた。サウジは、2024年11月のロシアのカザンでの首脳会議でも、態度を保留したままである。ロシアのサミットでは、新たなメンバーの発表はなかったものの、トルコやマレーシア、タイなど13か国程度をパートナー国として、関係を強化していく決定が行われた。こうした中、東南アジアで最も人口の多く、経済発展も目覚ましいインドネシアは、プラボウォ新政権発足を待って、正式加盟国となり、BRICSメンバー国は10か国に拡大された。トランプ次期政権は、BRICSメンバー国に脱米ドルや新通貨・決済システムを進めないよう警告し、従わない場合には100%の関税を課す旨警告を発している。トランプ政権発足直前の、インドネシアのBRICS加盟は、BRICSの枠組みを強化し、保護主義的傾向を強めると予想される米次期政権への抵抗力を強めることになるとみられる。

Posted by 八木 at 14:20 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

KCK執行委員会共同議長によるシリア情勢急変への見方[2025年01月06日(Mon)]
PKK(クルド労働者党)の上部組織であるKCK(クルディスタン共同体同盟)執行委員会のジェミル・バイク共同議長は、クルドの通信社ANFとのインタビューで「ロジャヴァ(クルド語で「西クルディスタン」という意味のシリア北東部のクルド人住民多数が住む地域)と北シリアおよび東シリアの将来は、多国籍軍のアプローチではなく、国民と革命勢力の抵抗によって決定されるだろう」と指摘しています。長編のインタビューですが、現地の情勢とシリア情勢の展開をかなり客観的にとらえており、興味深いので、そのごく一部を紹介します。

1.なぜアサド政権がかくも簡単に崩壊したのか
シリア情勢が悪化する前にヒズボラの勢力が弱体化していたことは極めて重要だった。これがなければ、シリアでの展開は今回のような形ではあり得なかっただろう。政権崩壊が計画されていたとしても、これほど早くは起こらなかっただろう。もちろん、ハマス、そしてヒズボラを標的にし、弱体化させることで、この地域におけるイランの勢力は弱体化した。特にシリアにおけるヒズボラの存在が、この地域におけるイランの影響力を可能にしていた。イランは、基本的に唯一の選択肢しか残されていない状況に追い込まれ、それはイラン国家として戦争に突入することだった。しかし、どうやらこれは有益ではないと思われたようで、イランはこの措置を取らなかった。そのため、イランはおそらく、イランが直接対峙する措置を止め、あるいは少なくとも延期したのだろう。しかしいずれにせよ、このプロセスで最も被害を受けたのはイランである。イランはシリアにおける影響力を失っただけでなく、イラクにおける立場も危うくなった。中東における新しいプロセスはハマスの攻撃を口実に開始されたが、ウクライナ戦争ですでに、米国が率いる資本主義近代主義の勢力が世界システムを再設計するか、あるいはすでに始まっていたこの作業を加速し、完了させたいと望んでいることが明らかになった。これが私たちの解釈であり、この基礎の上に準備を整えられた。ウクライナ戦争でこのボタンが押された。少なくともこの戦争の開始でその兆候は示された。ウクライナ戦争がロシアにとって泥沼になったことは明らかである。ロシアを戦争に引きずり込むことで、米国はロシアの力を弱め、その正当性に疑問を投げかけただけでなく、北を通るエネルギールートの計画を混乱させた。ロシアは何とかしてウクライナとの戦争を終わらせようとしていたが、米国、英国、イスラエルの計画に逆らってシリアで政権に有利な戦争を行うことはできなかった。現在議論されているのは、ロシアが米国と取引をしたかどうかである。ロシアがウクライナ戦争で米国と取引をした可能性は高い。ロシアは、バイデン政権とは言わないまでも、トランプ政権とはそのような取引をしたかもしれない。明らかにロシアは、状況を考慮して、最小限の損害で、あるいは可能な限り最大の利益でこの状況を切り抜けようとした。今のところ、シリア北西部の基地は閉鎖されたと言われている。基地が再開されるのか、あるいはロシアが撤退を余儀なくされるのかは分からない。しかし、ロシアが2つの悪い選択肢のうちよりましな方を選んだことは確かであり、中東と東地中海におけるロシアの影響力は大きな打撃を受けた。いずれにせよ、イランとロシアが不在の状態でバアス党政権が効果を発揮するとは予想されていなかった。バアス党政権はとっくの昔に自らの力と意志を失っていた。バアス政権には唯一の道があった。それはクルド人や北・東シリアの自治政府と合意し、これに基づいて民主的な措置を取り、民主的に変革することだった。しかし、バアス党政権はこの賢明さを示すことができなかった。我々の意見では、そのための条件は整っていた。しかし、外国勢力の影響と、変化の危機に瀕しているその一元主義的、教条主義的な構造のために、そうすることができなかった。その結果、シリアで発生した状況は、中東再設計の範囲内で実行された計画に従って生じた。シリアが将来どのような展開を目撃し、どのようなシステムによって統治されるかは、この計画の範囲内での展開によって決まるだろう。
2.トルコとその同盟勢力SNA(シリア国民軍)のクルド支配地域攻撃と、国際社会がとるべき立場について
この点では、シリア情勢に関するトルコとAKP-MHP政府の立場に焦点を宛てねばならない。中東の再設計においてトルコが以前と同じ役割を与えられていないことは明らかである。トルコはシリア情勢に関与することで立場を強化しようとしているようだが、これが本当にトルコの立場を強化することになるかどうかはむしろ不透明である。強化されたと言えるかもしれないが、それが長続きするかどうかは明らかではない。指摘しようとしたように、トルコ国家のアプローチは当初、米国、英国、イスラエルの計画への反対に基づいていた。インドでのG20サミットの機会に発表されたIMEC(注:インド・UAE、サウジ、ヨルダン、イスラエル、欧州を結ぶ東西回廊構想)プロジェクトからトルコが除外されて以来、エルドアン大統領の態度は公然と反対するものであった。彼は、自分たちが関与していないプロジェクトは認めないという明確な態度を示した。1か月も経たないうちに、ハマスが攻撃した。その後、米国、英国、イスラエルはこれを口実に、事前に準備していた計画を実行に移し、中東で新たなプロセスが始まった。明らかに、すべてが事前に準備され、計画されていた。残る火種は1つだけだった(注:この意味は不明ながら、イスラエル・サウジの国交正常化に対する反対の声をあげることが考えられる)。彼らはハマスに、エルドアンを通じてそれを実行させた。エルドアンが故意に利用されたのか、それとも知らず知らずのうちにこの策略に引っかかったのかは分からない(注:反対の声を上げさせることが、ハマスの越境攻撃にまでつながるとは予想していなかったことか?)。しかし、彼らはこの状況が自分たちに悪影響を及ぼしていることに気付いていたに違いなく、米国と取引をした。今や彼ら(トルコ)は、米国、英国、イスラエルのシリアに対する計画の一部として行動している。
トルコ国家がロジャヴァを攻撃することは予想外ではなかった。トルコは、この目的のために、シリア国民軍と呼ぶ傘下のギャングや傭兵を準備してきた。シリアで新たな状況が浮上すると、トルコはそれをチャンスに変え、トルコの兵士や将校を含むSNAを前進させることで新たな攻撃を開始した。繰り返すが、SNA はトルコの将軍によって率いられており、トルコ国家の目的と目標は明らかである。それは、ロジャヴァに侵攻して自治政府を解体することである。これが彼らの攻撃の目的である。
シリアで新たな状況が浮上したとき、最も危機的な場所はシャーバ(アレッポの一部地区)とテル・リファト(アザーズとアレッポの中間地点)だった。アフリンから移住してきた(クルドの)人々が滞在していたキャンプがあった(注:2018年1月からトルコ軍は「オリーブの枝」作戦を実行し、シリア北西部アフリン地区に越境進軍し、クルド人を同地から追い払った)。イランとロシアはこれらのキャンプとアレッポの間の地域にいたが、この地域をギャングに任せて撤退した。テル・リファトは完全に包囲された。その後、SDF(クルド人部隊主体のシリア民主軍)の部隊は回廊を作り、この地域との連絡を確立しようとした。しかし、彼らはこれに成功しなかった。これが失敗すると、その地域から人々を避難させることが決定され、シャーバとテル・リファトに残っていたアフリンの人々が避難できるように合意が成立した。トルコ政府とSNAギャングは、あたかも戦争でこの地域を占領したかのように宣伝した。しかし、実際には戦争はなく、撤退は合意によるものだった。攻撃があった他の場所では、人々とSDFの戦闘員の抵抗が続いている。 SDF はティシュリーン・ダム周辺とカラコザフで激しい抵抗を見せ、敵に大きな損害を与えているようだ。敵がこれらの場所を占領できない限り、他の場所に目を向ける余裕はない。トルコ政府は SNA ギャングだけに頼っていては SDF に勝てないと悟り、(アハマド・アルシャラア率いる)HTS に圧力をかけ、SDF に対抗する姿勢も取らせようとしている。
ロジャヴァと北シリアおよび東シリアの将来は、多国籍軍のアプローチではなく、国民と革命勢力の抵抗によって決まるだろう。今日まで、トルコ政府による侵略と攻撃はすべて多国籍軍の目の前で行われてきた。しかし、多国籍軍はこれに反対する姿勢を取らなかった。彼らの承認がなければ、トルコ政府はこれらの攻撃を実行できなかっただろう。彼ら(多国籍軍)に何も期待すべきではない。ロジャヴァ、北シリアおよび東シリアの人々は、あらゆる意味で戦争に備えなければならない。どこでも、国民は自らの防衛を自らの手で行わなければならない。このように、国民と革命勢力が手を携えて共に攻撃に抵抗すれば、敵は決して成果を上げることはできないであろう。クルディスタンの他の地域や海外にいる私たちの国民と友人たちもロジャヴァと連帯し、あらゆる場所で動員しなければならない。彼らはデモを組織し、世論を形成し、トルコ国家による攻撃を止めるための政治的圧力を強めなければならない。
(コメント)ジェミル・バイクKCK共同議長は、2024年11月下旬以降のシリア情勢の展開と今後のシリア北東部ロジャヴァ(西クルディスタン)を管轄する自治組織がHTS暫定政権やトルコとの関係でどのような対応をとるべきかに大きな影響力を有する指導者であり、彼が現在の情勢をどのようにみているかは極めて興味深い。一部紹介した上述のインタビュー発言の中で特に注目されるのは若干の解説を加えれば、次のとおりである。
@ロシアは悪い二つの選択肢のうち、より痛手の少ないとみられる選択を行った右矢印1すなわち、アサドを見捨てた。トランプ側と話した可能性も否定できない。痛手は少ないといっても、フメイミム空軍基地とタルトゥース海軍基地を失うことは痛手である。
Aシリアの新たな展開で最も被害を受けたのはイランである。イランはシリアにおける影響力を失っただけでなく、イラクにおける立場も危うくなった右矢印1シリアにおけるヒズボラの存在が、この地域におけるイランの影響力を可能にしていたが、事態の急変でイランは、基本的に唯一の選択肢しか残されていない状況に追い込まれ、それはイラン国家としてHTSとの戦争に突入することだったが、ヒズボラはイスラエルの攻撃で勢いを失い、指導部も殺害され、シリアで戦闘を行う能力とインセンティブを失い、さらには、アサド政権を支えてきたロシア軍がHTS進軍を抑える気が全くないことで、イランは参戦を断念した。すなわち、アサド政権をしぶしぶ見捨てた。しかし、これは、イランからヒズボラへの補給路が断たれることにもなり、さらには、イラクにおけるイランの影響力も減退することを意味し、イランは大きな痛手を被った。
Bトルコ国家の目的と目標は明らかである。それは、ロジャヴァに侵攻して自治政府を解体することである右矢印1トルコはシリアにおける新たな展開をうけて、シリア北東部を支配する自治統治機構の拠点を傀儡勢力であるSNA(シリア国民軍)を動員して、アレッポ近郊のクルド人避難民居住区シャーバやテル・リファットを包囲し、クルド人を撤退させたほか、マンビジ、ティシュリーンダム周辺ほかにも攻撃を加えているが、SDFの抵抗にあって思うように進軍できていないとのこと。そのため、トルコは、クルド自治組織への圧力を高めるためHTS暫定政権への働きかけを強めているとのこと。米軍主体の多国籍軍は、SDFへの攻撃を阻止するわけでもなく、傍観しているだけで、トルコの動きを黙認している状態にあるとのこと。

今後の焦点は、HTS暫定政権が、ロジャヴァのクルド人勢力とどのような取引を行うのかである。背広姿のアハマド・シャラアには、1月3日英仏外相が会談したほか、1月5日にはカタールのムハンマド首相兼外相も暫定政権外相とドーハで会談した。もはや、HTS暫定政権幹部はイスラム原理主義的装いを捨て去り、民主主義的政権の代表のようにふるまっており、欧米政権や世界のメディアもそれを好意的に扱っている。HTS暫定政権のアバジード財務相は、シリアの公務員の給与を2月から400%上げると宣言した。欧米の制裁下にあり、インフラが破壊されたシリアで、いきなりかかる大幅な給与の引き上げを実施するには、諸外国からの資金援助の見通しが立ちつつあることが前提である。アサド政権下では、公務員の月額平均給与は25ドル程度であったとのこと。HTS新政権の出だしを後押しするには、公務員や治安要員の忠誠が不可欠であり、その意味では、給与の大幅引き上げで新政権を直接支える人々による支持を拡大し、政権の基盤固めを行うことは、政権側、支援する側双方の利益になるとみていることは間違いない。そういう中でも、新たな法務長官シャディ・アルワイシが、イドリブ統治時代の裁判官として、「汚職と売春」の罪で起訴された二人の女性の死刑執行に関与したとの報道もクルド系メディアでは流れている。HTSの新政権メンバーの過去の振る舞いは、暫定政権の安定のため、水に流すのは仕方がないとの見方が欧米でも急速に広がっていると思われるが、シリアが安定したとみなされることで、欧州政権にとっては多数押し寄せていたシリア難民申請者、一時保護対象者を本国に大量帰還させる口実になることも忘れてはならない。KCK共同議長の上述の発言は、HTS暫定政権側との共存策の模索には、まず、クルド人自身がロジャヴァ防衛のため結束し、クルド人勢力への圧力を跳ね返すことがなにより重要であると信じていることを示唆している。
https://anfenglishmobile.com/features/bayik-the-future-of-rojava-will-be-determined-by-the-resistance-of-people-and-revolutionary-forces-77265
https://jp.reuters.com/markets/japan/funds/D66H7D6APBJJLG6HMIVD6Y323Q-2025-01-05/
https://anfenglishmobile.com/rojava-syria/the-new-minister-of-justice-of-damascus-proved-to-be-a-killer-of-women-77271

Posted by 八木 at 13:55 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

シリアのクルド人勢力の将来に関連する注目されるクルド人指導者発言[2024年12月31日(Tue)]
アハマド・シャラア率いるシリア暫定政権にとっての目下の最大の懸案のひとつは、トルコからみてPKK同根のテロ組織と位置付けられていながら、シリア北東部を実効支配し、米軍の支援を受けているシリアのクルド人部隊(SDF、YPG、YPJ)やクルド人政治勢力との関係をどのように構築し、彼らの武装解除を進め、シリアの統一と領土の一体性を確保していくかである。この関連で、サーレハ・ムスリム元PYD共同代表の発言内容は興味深いので、以下のとおり紹介する。さらに、クルド系政党HDPから名称変更し、緑の左派党(左翼党)を経て、改称したDEM党(人民平等民主党)議員2名が、12月28日、トルコ法務省の許可を得てひさびさにイムラル島の刑務所に収監されているアブドッラーオジャランPKK党首(創始者)を訪問し、オジャランの最近の地域の政治情勢を踏まえた見解を紹介し、その中で、トルコ与党指導部とともに問題解決に向けた取り組みを行う意欲を示していることで、トルコ政府は、クルド人勢力排斥ではなく、彼らを取り込むこともシリア問題解決のための今後の選択肢に含めようとしているともみられ、その動きも併せ紹介する。

1.シリアのクルド人政党「民主統一党(PYD)」大統領評議会メンバーで元共同代表のサーレハ・ムスリム氏は、トルコの最近のシリア政策、ダマスカスとの会談、クルド人へのアプローチについて以下のとおり語った。
(1)最近のトルコ政府要人のHTS指導者との会談
トルコは、HTSの指導者アフマド・アル・シャラア(アブー・ムハンマド・アルジョーラーニ)とさまざまなレベルで接触した最初の国となった。シャラアは12月12日に国家情報機関(MIT)イブラヒーム・カリン長官と、12月22日にハカン・フィダン外相とダマスカスで会談した。トルコの最近の2回のダマスカス訪問は、この地域のクルド人に対する新たな計画の一環であり、トルコがダマスカスで行った会談で何が話し合われたのか正確には分からないものの、トルコ側は『クルド人と交渉するな、自治政府といかなる関係も築くな』というメッセージを発しているとみられる。トルコの政策の中心にあるのは、クルド人の(新生シリア)参加を阻止することである。
(2)トルコに対する見方
トルコはシリアに平和を望んでいると言っているが、これらの発言は正直ではない。トルコはシリアからテロを排除したいと言っている。しかし、彼らの『テロリスト』の定義には、この地域で平和に暮らしているクルド人やシリア北東部自治政府の人たちも含まれている。彼らは恥知らずにもYPGやSDFをテロリストと呼び、これをシリアへの介入の口実にしている。これは受け入れられない。かかるトルコの姿勢は、かつての仏のシリアに対する委任統治に似ている。今日、トルコは全力を尽くしてシリアを自らの支配下に置きたいと望んでいる。しかし、これはシリアの人々にとってもシリアの将来にとっても受け入れられない。
(3)クルド人武装勢力
SDF(シリア民主軍)、YPG(クルド人民防衛隊)、YPJ(同女性部隊)は、2011年以降、国民が(北東部シリアに実現した)成果に対する攻撃の結果として誕生した。我々は、自分たちの土地で自分たちを守るために組織された。もし彼ら(クルド人部隊)が武器を放棄するとしても、それは脅威が排除されて初めて可能になる。国民に対する攻撃が止まり、保証が与えられれば、武器は必要なくなる。しかし、我々は現在も脅威にさらされており、そのため、防衛を放棄することはできない。クルド人の安全だけでなく、アラブ人、シリア人、トルクメン人、そしてこの地域に住む他のすべての人々に対する脅威も排除されなければならない。我々の成果が標的にされている限り、これらの部隊は、自分たちを守るという我々の当然の権利を体現している。
(4)HTSとの関係
これまでHTSとクルド人の間に直接衝突はなかった。我々が受け取ったメッセージは、彼ら(HTS)がクルド人を攻撃しないというものであり、彼らはこれまで約束を守ってきた。トルコの支配下にあるグループ(シリア国民軍等)は絶えず我々を攻撃している。HTSの最近の声明は、シリアのすべての武装組織はシリア政権と連携すべきだというものだ。我々はこれを完全に拒否しているわけではない。我々はシリアが分離されることも望んでいない。我々の国民に対する脅威が取り除かれるなら、それは可能だ。ジョーラーニ氏もトルコの支配下にあるグループの存在に反対しており、それらを解体したいと考えている。もしトルコがシリアから手を引いて、分離を企てる努力をやめれば、我々はジョーラーニと合意に達することができるだろう。
(5)クルド人同士の団結の重要性
ENKS(シリアのクルド人国民評議会)と協議中である。トルコがクルド人の団結を阻止する政策をとっているにもかかわらず、前向きな結果を達成したい。我々は常にクルド人が目標を達成し、彼らの要求が満たされるように団結を支持してきた。トルコとのつながりがあるにもかかわらず、我々のENKSとの協議は続いている。彼らは多国籍軍やマズルム・アブディSDF司令官とも連帯し、要求を表明した。我々は将来、他のクルド人政党とも協議する予定である。我々はすべての人々を代表してダマスカスに行くことを目指している。我々はシリアの新政権とともに問題を解決したい。我々はシリアの一員であり、解決プロセスに加わりたい。我々はともに法律を制定することで、あらゆる課題を公式の基盤にすることができる。対話を通じて問題を解決することが、私たち全員にとって最も健全な方法である。
https://anfenglishmobile.com/rojava-syria/salih-muslim-we-are-part-of-syria-and-want-to-be-included-in-the-solution-77111

2.DEM党議員のオジャランPKK党首獄中訪問
2024年12月28日、DEM党のペルビン・ブルダン議員とスルリ・スレイヤ・オンデル議員はイムラリ島の監獄でアブドッラー・オジャランPKK党首(注:1999年逃亡先のケニアで拘束され、トルコに引き渡されて、その後、今日までイムラリ島で収監されている)と会談した。彼の健康状態は良好で、士気は高い。彼の(地域情勢に関する)評価はクルド人問題に対する恒久的な解決策を見つけることを目指しており、極めて重要であった。中東とトルコの最近の展開の評価を含む会談で、オジャラン党首は、暗い未来シナリオに対抗するための前向きな解決策を提案したとし、彼の考えとアプローチの一般的な枠組みを、要約すると次のとおり。
@ トルコ人とクルド人の同胞関係を再び強化することは、歴史的な責任であるだけでなく、すべての人々にとって極めて緊急かつ重要な課題でもある。
A このプロセスを成功させるには、トルコのすべての政治グループが主導権を握ることが不可欠。狭量で短期的な利益にとらわれることなく、建設的に行動し、積極的に貢献する。こうした貢献の重要なプラットフォームの一つは、間違いなくトルコ大国民議会である。
Bガザとシリアでの出来事は、外部介入によって慢性的な問題に変貌させようとしているこの問題の解決をこれ以上遅らせることはできないことを示している。野党の貢献と提案もまた、解決を達成する上で極めて重要である。この問題の深刻さに見合った解決策を模索するべきである。
C 私はバフチェリ氏(MHP党首)とエルドアン大統領(AKP党首)が支持する新しいパラダイムに必要な前向きな貢献をするために必要な能力と決意を持っている。
DDEM代表団は私の見解を政府と政治の双方と共有するとしている。こうした状況において、私は必要な前向きな措置を講じ、呼びかける用意がある
Eこうした努力はすべて、国を相応しいレベルに引き上げ、民主的変革の貴重な指針となるであろう。
F今こそトルコと地域の平和、民主主義、そして友愛のために。
https://anfenglishmobile.com/news/abdullah-Ocalan-positive-contributions-are-essential-for-the-process-to-succeed-77153
(コメント)サーレハ・ムスリム元RYD共同代表の発言で注目されるのは、YPGを主体とするシリアのクルド人勢力は、トルコが支援するシリア国民軍などからの攻撃を受けているものの、ダマスカスを解放したHTS暫定政権との間では、武力衝突はなく、今後、HTS暫定政権を含むシリアの各政治勢力とのシリアの将来を話し合う会合に、クルド人の代表として参加する意思を表明したことである。それも、PYDなど北東部シリアを実効支配するクルド人勢力のみならず、トルコとも連携するクルド人勢力を含むENKSとも協議を続けており、さまざまなクルド人の利益を排除しない形で、新生シリア建設の枠組みに参加する用意があると表明したことである。一方で、クルド人勢力への武力攻撃が継続する限りは、武器を捨てるわけにはいかず、防衛を行う正当な権利を有するとしている。トルコが支援するシリア国民軍などは、YPG、YPJなどが防衛しているティシュリーンダムなどへの攻撃を続け、クルド人側にも犠牲者が多数発生しているとみられる。HTSの事実上の代表であるアハマド・アルシャラアには、すでにトルコのカリンMIT長官やフィダン外相などが接触したとされており、HTS暫定政権が、PYDなどの政治プロセス参加の条件として、クルド人武装勢力の武装解除を要求するのか、その場合、クルド人勢力はどのように対応するのか、米国は、これまで連携してきたクルド人勢力とトルコとの関係改善に真剣に取り組むのかが不透明な状況になっている。こうした中で、トルコのクルド系政党DEMの現職議員2名がトルコ法務省の許可を得て、ひさびさにイムラル島の刑務所に収監されているアブドッラー・オジャラン党首との会談が許された。オジャラン党首に対しては、2024年10月中旬の党グループ会議での演説で、バフチェリMHP党首が、「テロの終結と彼の組織の解散を一方的に宣言する」よう求めた。今回のDEM議員訪問で、オジャラン党首は、バフチェリ党首とエルドアン大統領(AKP党首)が支持する新しいパラダイムに必要な前向きな貢献をするために必要な能力と決意を持っていると述べ、トルコ政府と対立するのではなく、共存の途を模索する姿勢を表明した。オジャラン党首の考え方は、シリアのクルド人勢力にも一定の影響を与えるとみられ、一方でトルコで2015年に途切れた政権側とPKK対話の動きを復活させ、他方で、シリアで、トルコ軍とその支援勢力が、クルド人支配地域への攻撃を停止し、ENKSなどの枠組みを通じて、クルド人の新生シリアにおける和平プロセスへの参加が約束されれば、HTS政権側とクルド人勢力との武力衝突は回避され、新生シリアにおける和解と安定に向けての展望が開かれていく突破口になるのではないかとも期待できる。

Posted by 八木 at 16:23 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

アサド政権崩壊をうけてのプーチン大統領の見方[2024年12月30日(Mon)]
アサド政権がなぜかくももろく崩壊したのか、アサド(前)大統領はどのようにシリアを脱出したのか、次第に明らかになってきた。とりわけ、12月19日のプーチン大統領のNBC記者、アナドール通信記者との質疑で、プーチン大統領は、如何にアサド政府軍が、少人数のHTS武装勢力との戦いを放棄したのか、トルコはクルド人駆逐の目標の一部を達成するだろうが、クルド人対応には大きな課題を抱えていること、さらに、シリア政変の最大の受益者はイスラエルであることを指摘している。
(参考1)アサド大統領の脱出まで
ロイター通信を引用し、時事通信は12月13日、10人以上の関係者の証言を伝えた。それによると、アサド氏は脱出直前の12月7日も国防省で軍関係者らと会合を開き、政権軍の地上部隊に抵抗を促した。アサド氏は旧反体制派が攻勢を始めた翌日にロシアを訪問。攻勢を阻むためロシアに軍事介入を要請したが、聞き入れられなかった。アサド氏はロシアと同じく後ろ盾となっていたイランには支援を求めなかった。イランが介入すれば、イスラエルがシリアやイラン国内へ攻撃を強める口実になると懸念したとされる。戦況は不利と判断し、出国を決断したアサド氏はアラブ首長国連邦(UAE)に受け入れを求めたが、UAE側は国際的な反発を恐れて拒否。米ブルームバーグ通信によれば、アサド氏はロシアから身の安全を保証され、シリア北西部にあるロシア空軍基地を経由しモスクワへ向かった。ロシアではアスマ夫人と子供たちが待機していたという。ロイターによると、アサド氏は軍高官を務めていた弟マーヘル(第四機甲師団長)氏や母方のいとこにも出国意思を伏せた。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024121400132&g=int

(参考2)2024年12月19日に公表された年末総括質疑におけるプーチン大統領発言
(1)アサド大統領との会見予定と行方不明米国人ジャーナリストについて(NBCニュースのKeir Simmons記者の質問に答えて):率直に言って、私はバッシャール・アル・アサド大統領がモスクワに到着してから会っていません。しかし、会うつもりですし、必ず彼と話をするつもりです。私たちは大人ですから、その人物(母親が消息を尋ねているシリアで行方不明になったAustin Tice記者)が12年前にシリアで行方不明になったことを理解しています。12年です。12年前のシリアで何が起こっていたかはわかっています。国は双方の軍事行動に巻き込まれていました。アサド大統領は、私の理解する限りでは戦闘地帯で活動していたこの米国市民、ジャーナリストに何が起こったかを果たして知っているでしょうか?それでも、私は彼にこの質問を必ずすることを約束します。ちょうどこの質問を、現在シリアの現地で状況をコントロールしている人々に転送できるのと同じです。

(2)アサド政権崩壊はロシアの敗北か:あなたはシリアについて言及しました。あなたと、私が言ったように、あなたの給料を払っている人たち(NBCや米国のメディア)は、シリアの現在の展開をロシアの敗北として提示したいのです。私はそうではないと断言します。その理由はここにあります。私たちは10年前にシリアにやって来たのは、例えばアフガニスタンのような他の国々で見られたようなテロリストの拠点がシリアに作られるのを防ぐためでした。私たちはその目標を概ね達成しました。当時アサド政権や政府軍と戦っていたグループでさえ、内部で変化を遂げています多くの欧州諸国や米国が今、彼らとの関係を築こうとしていることは驚くべきことではありません。もし彼らがテロ組織だったら、彼らはこのようなことをするでしょうか?これは彼らが変化したことを意味します。ですから、私たちの目標はある程度達成されました。

(3)アサド政権軍は戦ったのか:我々はシリアに地上部隊を配備していません。単にそこに(地上軍は)存在しなかったのです。我々のプレゼンスは、空軍基地と海軍基地の2つの基地のみから成っていました。地上作戦はシリア軍と、周知の事実ですが、親イラン戦闘部隊によって行われました。ある時点で、我々は特殊作戦部隊をその地域から撤退させました。我々はそこで戦闘に参加していなかったのです。それで何が起こったのでしょうか?武装反政府グループがアレッポに向かって進軍したとき、同市は約3万人の人員で守られていました。しかし、350人の過激派が市内に入ると、政府軍は親イラン部隊とともに抵抗することなく撤退し、撤退する際に陣地を破壊しました。このパターンは、小競り合いが起こったわずかな例外を除いて、シリア領土のほぼ全域で見られました。過去には、イランの友人たちが部隊をシリアへ移動させる支援を要請していましたが、今や彼らは我々に撤退の支援を求めています。我々は、フメイミム空軍基地からテヘランへのイラン戦闘員4,000人の移転を支援しました。親イラン部隊の一部(注:ヒズボラを指すとみられる)はレバノンへ撤退し、他の部隊は戦闘に参加することなくイラクへ撤退しました。

(4)トルコに関する見方:シリアに関しては、率直に言って、トルコはシリア情勢を踏まえて南部国境沿いの安全を確保し、トルコ領土からシリア国内のトルコ支配地域にある他の地域への(300万人規模の)シリア難民の移動条件を整え、クルド人勢力をトルコ・シリア国境周辺から追い出すために全力を尽くしていると私は信じています。これらの目標はすべて、ある程度達成可能であり、おそらく達成されるでしょう。我々は、トルコが何十年にもわたってクルド労働者党(PKK)との長年の課題に直面してきたことを十分に認識しています。我々はこれ以上のエスカレーションは望んでいませんが、一部の欧州政治家は最近、会議で、第一次世界大戦後、クルド人は独自の国家を約束されたが、結局は騙されたと述べています。
この地域のクルド人の人口は相当な数で、トルコ、イラン、イラクにまたがり、数千万人にのぼり、彼らは密集したコミュニティーで暮らしています。推定では、少なくとも3,000万から3,500万人のクルド人がいると言われています。これはクルド問題の重大さを浮き彫りにしています。クルド人は手強いだけでなく、粘り強く、闘志にあふれていることで知られています。例えば、彼らはマンビジから撤退しましたが、それは激しい抵抗の末のことでした。クルド人問題は解決が必要です。これはアサド大統領のシリアの枠組みの中で対処されるべきでした。今、これはシリア領土を現在支配している当局と解決しなければなりませんが、トルコも自国の安全を確保する方法を見つけなければなりません。私たちはこれらの問題の複雑さを理解しています。

(5)イスラエルに関する見方シリア情勢の進展の主な受益者はイスラエルであると私は信じています。イスラエルの行動についてどのような意見をお持ちでも構いませんが、ロシアはシリア領土の奪取を非難します。この問題に関する我々の立場は明確で不変です。同時に、イスラエルは自国の安全保障上の懸念に対処しています。例えば、ゴラン高原では、イスラエルは前線に沿って62〜63キロメートル前進し、幅20〜25キロメートルまで進軍しました。彼らは、もともとソ連がシリアのために建設した要塞を占領しており、マジノ線に匹敵する強力な防御構造となっています。我々は、イスラエルが最終的にシリアから撤退することを期待しています。しかし、現在、イスラエルはシリアにさらなる部隊を配備しています。すでに数千人の人員が駐留しているようです。撤退する意思がないだけでなく、駐留をさらに強化する計画もあるようです。さらに、現地住民はすでにユダヤ人国家に組み入れられることを望んでおり(注:ドルーズ教徒の一部の動きを指すとみられる)、今後さらに複雑な事態を引き起こす可能性があります。進行中の事態が最終的にシリアの分裂につながる場合、これらの問題は国連憲章と自決の原則に沿って現地住民が対処する必要があります。これは複雑な問題であり、おそらく(一時棚上げし)将来の議論に残しておくのが最善でしょう。
http://www.en.kremlin.ru/events/president/transcripts/75909

(参考3)アサド前大統領声明
アサド氏の声明とされるものは、通信アプリ「テレグラム」のシリア大統領府のチャンネルに投稿された。アラビア語と英語で書かれている。このチャンネルを誰が管理しているのか、あるいは声明がアサド氏によって書かれたものかは、いずれもはっきりしない。
声明でアサド氏とされる人物は、
@シリアの首都ダマスカスが反体制派に掌握されたことを受け、「戦闘作戦を監督するために」ラタキア州にあるロシアのフメイミム空軍基地に移動したと説明。現地ではシリア軍がすでに持ち場を放棄していた。
A同基地も「激しいドローン(無人機)攻撃」にさらされたため、ロシア側がアサド氏をモスクワに航空機で移動させることを決めた。「基地を離れる現実的な手段がなかったため、ロシア政府は12月8日(日)夜、基地の司令部に対し、ロシアへの即時避難の手配を指示した。これはダマスカス陥落の翌日の出来事だった。最後の軍事拠点が崩壊し、それにより、残っていたすべての国家機関が機能不全となった。
Bこの間、辞任や避難を考えたことはなかったし、誰からも、どの政党からも、そうした提案を受けたことはなかった
https://www.bbc.com/japanese/articles/cvgp4lnp92lo
(コメント)アサド(前)大統領は、結局、ロシアに見捨てられ、ヒズボラに頼れず、イランも支援を断念し、アサド政権はもろくも崩壊したことが、プーチン大統領の発言などで明らかになってきた。自ら闘う意思のないアサド政権軍を、ロシアは支援する気はないとの建前であるが、ひとことでいえば、プーチンにとってアサド政権に肩入れすることによって得られる「プラス」より、「マイナス」がはるかに大きくなったということに尽きる。プーチンは、一度はトルコとの了解で、ナゴルノカラバフ紛争の停戦を実現したが、2023年9月のアゼルバイジャンによる攻勢において、プーチンはアルメニア側勢力を見捨てた。今回もアサドは、モスクワに飛んでアレッポへの攻勢を開始したHTS部隊の進軍を阻止してほしいとプーチンに直訴したが、断られたことが示唆されている。プーチンにとって重要なのは、トランプ次期政権の理解を得て、如何にウクライナ危機を自国有利な形で終わらせるかである。シリア問題が足手まといになることはなんとしても避けたかったに違いない。ここで、ロシアはシリアに再び軍事介入すれば、トランプとの関係を悪化させ、ウクライナ問題の処理でロシア寄りの妥協策が遠のくことを恐れたのは間違いない。もちろん、フメイミム空軍基地やタルトゥース海軍基地の権益を損なうことになる可能性があることは大きな安全保障、地政学的マイナスではある。しかし、海軍基地移転については、リビア東部勢力との支援が期待できる。フメイミムは、もともと、2015年9月の軍事介入までは、ロシアの基地ではなかった。エルドアン政権との関係もプーチンにとっては重要である。トルコとの関係は、2024年末をもって、ウクライナ経由の欧州向け天然ガス供給がパイプライン閉鎖によって終了する。トルコ経由のトルコストリームラインを経由した欧州向けガス供給は、ロシアが欧州諸国との関係を維持するうえで、さらにロシアの財政をこれ以上悪化させないためにも必要である。そして、トルコではロシア製アックユ原発の建設も続いている。ロシアとトルコは、2017年に開始された体制側と反体制側の緊張緩和、停戦を実現したアスタナ・プロセスの当事者でもある。本来的には、HTSの侵攻を合意違反であるとして、止めさせることもありえたはずである。しかし、ロシアもトルコも、HTS部隊の進攻を黙認した。プーチン発言のとおりであれば、「350人の過激派が市内に入ると、アサド政府軍は親イラン部隊とともに抵抗することなく撤退した。このパターンは、小競り合いが起こったわずかな例外を除いて、シリア領土のほぼ全域で見られた。」ということで、政府軍は、実質、戦わずして敗北を選んだということになる。プーチンが、12年前に行方不明となった米国人ジャーナリストの消息を必ずアサドに尋ねると約束したことは、トランプ次期大統領を意識していることを示しており、「アサド政権や政府軍と戦っていたグループでさえ、内部で変化を遂げています」と発言し、元アルカーイダ系の組織が、欧米に受け入れられる穏健で信頼できる組織に変貌したと評価している。2024年3月22日にモスクワのコンサートホールで発生したイスラム過激派の襲撃事件を激しく非難したのと同じ指導者の発言である。これは、プーチンは、直接あるいは間接的にトルコと組んで、HTSの進攻を黙認していたという告白とも考えられる。最後に、HTS暫定政権は、シリアのゴラン高原がイスラエルに占領されており、占領地が拡大している状態にもかかわらず、イスラエルを一切非難していない。イスラエル軍は、今回の政変にあたって、旧シリア軍の武器弾薬保管庫などを徹底的に爆撃し、それはイスラエルの安全保障上必要な措置であったと述べているが、実際のところ、旧政権側の勢力が、HTS部隊などへの反撃をできないようにするための側面支援の意味合いがあったものと考える方が納得できる。おそらく、イスラエル軍は、敵の敵は味方という論理で、HTSにこれまで武器や資金を支援してきたのではないかと想像される。かつて、バッシャールの父ハーフェズ・アルアサド大統領は、シリアは、一インチ(一握り)の土地さえ譲歩することはないと言い続けてきた。新生シリアは、アラブ世界7番目のイスラエルとの間で国交正常化する国になるのだろうか

Posted by 八木 at 09:51 | 情報共有 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

| 次へ