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気仙沼の空にくじら雲 [2011年08月22日(Mon)]

先日の気仙沼花火に女子3人で向かう途中、


車窓から空を見上げると、くじら雲が泳いでました。

さて、現在、「えがおねっと」ホームページ開設準備中。
近々、オープンしますので乞うご期待!

今夜も登米市の女性たちが集まり「えがおねっと」会議が繰り広げられました。
ホームページ作成や、今後の仮設での支援、方向性を決めるために必要な調査など、盛りだくさんの議題を真剣に話し合うことで、また一歩前へ。
えがおねっと取材 [2011年08月21日(Sun)]

被災地での女性支援特集のTV取材で、朝から夕方まで「えがおねっと」のインタビュー、会議取材、仮設訪問取材でした。


メディア、特にTVは報道する為に事実がゆがめられ切り取られる傾向があり、慎重に成らざるを得ないのですが、今回の取材は、大阪から仙台までミーティングのためにディレクターが来て話し合い、その後もえがおねっと事務局と話し合いを重ねて実現したようなので、良いものができるのでは?と少し期待しています。



取材に来られたディレクター、カメラ、音声担当の3人は全員女性でした。
放送は9月上旬の予定。
グラミン・コミュニケーションズ [2011年08月20日(Sat)]

夜は仙台で打ち合わせ。美エイドボランティアを展開されている荒木さんが、小学校の先生をされているMs.Takahataさんと、九州大学システム情報学准教授でグラミン銀行のGramen CommunicationsのGlobal Communication Centerでプロジェクト・ディレクターをされているMr. Ahmed Ashirさん(通称バブさん)と引き合わせてくれました。


情報通信が専門のバブさん、自国バングラデシュで教育支援をしながらグラミンと九州大学をつないだなかなかの人物です。

バブさん:「被災地の情報管理などシステム的に何ができるのか?」

これはもう地球規模で防災をどう考えるか、でしょう。震災直後にタイムリーに国を超えてどこまで踏み込むことが許されるか。震災直後の避難所の名簿管理だけでも震災時に有効な統一システムがあるとすれば、どこにだれが避難しているかの確認で大混乱していた状況が改善されるでしょか。でも被災地の環境でだれでも使えるシステムというのが大前提です。

その後の物資管理も。どこで何が足りないか必要か。どこに何が集まっているか。統一プラットフォームはなく情報は錯綜。物資も集まる場所も偏り、マッチングが難しい状況でした。

バブさん:「途上国と被災地の状況や問題は共通するのではないか?」

私も常々感じ、池田恵子先生も話されていたトコに話がいきました。
避難所さいごの引越し [2011年08月20日(Sat)]

登米市の避難所は全て8月末で閉鎖です。ある小さな避難所では2世帯だけが最後まで残っていました。仮設住宅の抽選に落ち続け悲嘆にくれ期待しては落ち込み泣き暮らす生活。さいごに、どちらも抽選にあたったというよりは、残った仮設の中で調整されて行き先が決まりました。

でも、ここはとても雰囲気の良い避難所でした。知らない人の寄せ集まりだったのにどうしてこんなに仲良くなったのだろう、と思っていたら今日、その理由がわかりました。


お引越の手伝いに行ったら、地元の区長さん、支所長さん、警察の駐在さん、議員さん、避難所のお世話をされていた支援員さん全員などなど、多くの方達がさいごの2世帯を送り出すために集まっていました。激励したり、お茶に立ち寄る場所がなくなって寂しいなと支所長さんがこぼしたり、感動的で暖かい送り出し会でした。避難所の方たちの努力はもちろんのこと、地元で受け入れに関わった方達一人ひとりが、仕事だからではなく、心を砕き、全身で力になろうとし、支えになろうと真剣に関わってきたからこそ、この避難所はこんなにもあたたかい場所になったのですね。

誰かがかけ声をしてこんな送り出しが・・・


最後のさいごまで涙と笑いで一杯に包まれました。


肝心の引越お手伝いの方は、地元の主婦ボランティア:高橋ママが軽トラを調達し運転してくれました。集まっていたおじさま方が総掛かりで自転車を荷台に積みロープで固定してくれ、私は残りの荷物を車に積み込んで2世帯の引越先にお供をしました。


引越先の仮設住宅は狭いです。4畳半が2間。扉はなく小さな台所との間はカーテンで仕切られているのみ。一つだけある小さな押し入れにもカーテンが付いているだけでした。
お祭りバルーン [2011年08月19日(Fri)]

福島で震度5弱・・・ちょうど東京駅で新幹線に乗る為に走っていたので地震には気付きませんでした。が、新幹線はその後のろのろ運転。結局、くりこま高原駅には2時間遅れで到着。こちらはビックリするぐらい涼しいです。
RQ東北本部に戻ったら、明日は気仙沼市本吉地区のお祭り準備が進んでいました。


色んな催しが行われるのですが、バルーンアートも行なわれるようです。子ども達は風船が大好きだから、喜ぶだろうな〜♪
車ボランティアが必要 [2011年08月18日(Thu)]

RQ登米では毎夜、配車で頭を悩ませています。
ボランティアが集まっても、車がないと移送できず、装備も輸送できず、、、

もちろんあちこちから車ボランティアを出してもらってはいますが、100人以上のボランティアがいて、車が10台ほどでは、活動に支障をきたします。


(RQ HP: Top pageより)

半年ほど車ボランティアしてくれる方、会社、いないでしょうか。
Posted by megumi at 22:25 | 東京 | この記事のURL | コメント(0)
金融の仕組み [2011年08月17日(Wed)]

金融会社で10年勤めていた身としては、復興過程での被災地の金融の仕組み、気になるところです。今日は某社の菊池氏に、そのような仕組みのひとつについて教えて頂きました。

現在の被災地での金融施策は当然、緊急的な意味合いのものが多いのです。今後の復興過程で被災地の経済を描く上で、地元企業が持ちこたえられ、雇用が生み出せ、発展する道筋が見えるような仕組みが必要です。

金融の仕組みは、偶然できる産物ではなく作り上げるものです。
Posted by megumi at 22:39 | 東京 | この記事のURL | コメント(0)
バラたわし [2011年08月16日(Tue)]

気仙沼のMさんがメールで送ってくれたのは、おばあちゃんの手仕事の最新版、バラたわし。


このバラたわし、なかなか素敵じゃないですか?

次の日曜に避難所でバラたわしを作ってるおばあちゃんに会いに行きます!
Posted by megumi at 12:16 | 東京 | この記事のURL | コメント(0)
おばあちゃんの手仕事 [2011年08月15日(Mon)]

昨日ケンケンママに引き合わせてくれた気仙沼のMさんは、近くの避難所や仮設住宅で、おばあちゃん達に手仕事をすすめています。何もすることがなく引きこもって話し相手もいない、そんなことにならないように。

おばあちゃん達がさいしょに作ったのは、薫り袋。


次に少しアップグレードして、大島紬に気仙沼産ラベンダー入りの薫り袋。


このアクリルたわしはヒマワリ、らしいです。


こちらがしかけるのではなく、地元の自発的な動きだからこそ、うまくいくように無理のないようにサポートできればと思います。
ケンケンママ [2011年08月14日(Sun)]

今日は気仙沼のケンケンママのお宅にお伺いしました。現在4才のケンケンは呼吸器を付けて寝たきりの状態です。1才の時にリー脳症(ミトコンドリア病)と診断されました。

ケンケンママの悩みはレスパイト(看護士付き一時預かり)が気仙沼にないことと、停電時でも呼吸器が止まらないように自宅にソーラーパネルをつけたいこと。シニア施設はたくさんありますが、病気の子どもを預かってくれるところはなく、行政にかけあっても、この子一人のためには無理だと言われたそうです。ケンケンと同じ病気でなくとも、他の病気を抱えて同じように一次預かりもしてもらえず悩んでいるお母さんがいるはず。そう思い、ケンケンママは自分から発信を始めることを決意したそうです。だから、ケンケンの写真も撮って下さい、被災地にケンケンのような子どもがいることを知らせて下さいと言います。



ケンケンママが震災時のことも話してくれました。

地震が来たとき、小1と小2の子どもを連れて買い物に出てました。ケンケンは高校生の長女が見ていてくれました。すぐに自宅に戻り、子ども達を避難させました。何度電話しても救急車にはつながりませんでした。健常者は走って逃げることができるけれど、呼吸器をつけたケンケンはただ、ここにいるしかなかった。近くまで津波が来ていたのはわかっていたのでケンケンに「二人で流されようか。流されようね」って話しかけたそうです。津波は近くまで来たけれど自宅までは来ませんでした。車とバギーは流され、自宅の外壁なども地震で壊れました。

心配はケンケンのことだけではありません。小1と小2の孫を可愛がってくれていた別宅のおじいちゃんおばあちゃんが津波で流され、小1の女の子はすっかり落ち込んでしまいました。

でもね、悪い事ばかりじゃない。震災直後に何もモノがなかった時、お母さんたちのきずなは深かった。ないモノをわけあってお互いを助けました。そして「こんなこと他のどこでも起きなきゃいいね」と話しあっています。

地震や津波はいつどこであるかわかりません。でもその時に、より支援が必要な人が置き去りにされないように、今できることがあるはず。