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グラミン・コミュニケーションズ [2011年08月20日(Sat)]

夜は仙台で打ち合わせ。美エイドボランティアを展開されている荒木さんが、小学校の先生をされているMs.Takahataさんと、九州大学システム情報学准教授でグラミン銀行のGramen CommunicationsのGlobal Communication Centerでプロジェクト・ディレクターをされているMr. Ahmed Ashirさん(通称バブさん)と引き合わせてくれました。


情報通信が専門のバブさん、自国バングラデシュで教育支援をしながらグラミンと九州大学をつないだなかなかの人物です。

バブさん:「被災地の情報管理などシステム的に何ができるのか?」

これはもう地球規模で防災をどう考えるか、でしょう。震災直後にタイムリーに国を超えてどこまで踏み込むことが許されるか。震災直後の避難所の名簿管理だけでも震災時に有効な統一システムがあるとすれば、どこにだれが避難しているかの確認で大混乱していた状況が改善されるでしょか。でも被災地の環境でだれでも使えるシステムというのが大前提です。

その後の物資管理も。どこで何が足りないか必要か。どこに何が集まっているか。統一プラットフォームはなく情報は錯綜。物資も集まる場所も偏り、マッチングが難しい状況でした。

バブさん:「途上国と被災地の状況や問題は共通するのではないか?」

私も常々感じ、池田恵子先生も話されていたトコに話がいきました。
避難所さいごの引越し [2011年08月20日(Sat)]

登米市の避難所は全て8月末で閉鎖です。ある小さな避難所では2世帯だけが最後まで残っていました。仮設住宅の抽選に落ち続け悲嘆にくれ期待しては落ち込み泣き暮らす生活。さいごに、どちらも抽選にあたったというよりは、残った仮設の中で調整されて行き先が決まりました。

でも、ここはとても雰囲気の良い避難所でした。知らない人の寄せ集まりだったのにどうしてこんなに仲良くなったのだろう、と思っていたら今日、その理由がわかりました。


お引越の手伝いに行ったら、地元の区長さん、支所長さん、警察の駐在さん、議員さん、避難所のお世話をされていた支援員さん全員などなど、多くの方達がさいごの2世帯を送り出すために集まっていました。激励したり、お茶に立ち寄る場所がなくなって寂しいなと支所長さんがこぼしたり、感動的で暖かい送り出し会でした。避難所の方たちの努力はもちろんのこと、地元で受け入れに関わった方達一人ひとりが、仕事だからではなく、心を砕き、全身で力になろうとし、支えになろうと真剣に関わってきたからこそ、この避難所はこんなにもあたたかい場所になったのですね。

誰かがかけ声をしてこんな送り出しが・・・


最後のさいごまで涙と笑いで一杯に包まれました。


肝心の引越お手伝いの方は、地元の主婦ボランティア:高橋ママが軽トラを調達し運転してくれました。集まっていたおじさま方が総掛かりで自転車を荷台に積みロープで固定してくれ、私は残りの荷物を車に積み込んで2世帯の引越先にお供をしました。


引越先の仮設住宅は狭いです。4畳半が2間。扉はなく小さな台所との間はカーテンで仕切られているのみ。一つだけある小さな押し入れにもカーテンが付いているだけでした。
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