北方領土の問題について、ロシアの通信社が報じている。ロシアの考え方を反映していると考えて熟読することである。
ロシアの国民と、日本の国民が真に友人となるためには、この北方領土(日本は北方千島列島を含めていない)の解決をせねばならない。
その解決がなければ、日本とロシアの国境線の画定、平和条約の締結はない。

データ
ロシア・スプートニク2021・10・22
露日関係で重要な文書である1956年共同宣言が今月19日に調印65周年を迎えた。
今年もまた、第二次世界大戦後の両国の関係完全解決という叶わぬ期待のまま記念日を迎えた。
1950年代後半、共同宣言は両国の政治的妥協の象徴となり、そして今、完全な履行の見通しは漠然としており、露日政治対話の発展を妨げる、動かせない障害となっている。
なぜだろうか。
事前協議を何度か重ね、1956年10月、鳩山一郎首相(当時)を団長とする日本代表団がモスクワに到着した。
鳩山氏は脳卒中を経験し、麻痺が残り、自力での移動が困難な状態だった。しかしそれでも当時のソ連指導者であるニキータ・フルシチョフソ連共産党中央委員会第一書記と最終協議を行い、その結果、戦争状態の終結や外交関係回復など両国問題に関するソ日共同宣言の内容が合意された。
国境線画定という戦後の最重要問題については、将来的にこの問題に立ち戻り、平和条約に明記することで決定した。
日本側が目指したハボマイ(日本表記は歯舞)群島、クナシル(同国後)、イトゥルップ(同択捉)、シコタン(同色丹)の移管問題は宣言案では触れられていない。
もっともソ連側は事前協議でも当時米国の占領下にあった沖縄の日本への返還など一連の条件のもとに上記可能性をほのめかしていた。
そこで鳩山氏に最も近い人物で、代表団のナンバー2であった河野一郎農林相(当時)は交渉を牽引し、フルシチョフ氏との1対1の会談を求めたところ、フルシチョフ氏が同意。その結果、次の運びとなった。
以下、1956年10月16日のフルシチョフ第一書記と河野農林省の会談の議事録の一部を抜粋する:
河野:我々はソ連政府に対し、他の問題と結びつけずハボマイ群島およびシコタン島を直ちに我々に返還するよう求める。
フルシチョフ:ソ連政府はハボマイとシコタンの譲渡に同意する。このことは然るべき文書に明記し、公表することができる。
ソ連政府は法的にこれら島々に対する権利を放棄するが、実際の譲渡は平和条約締結後、また日本に沖縄および米国が支配する他領土が返還された後になる。
当方はこの点において不公平な立場を望んでいない。なぜ米国は日本を手中に収め、対ソ連の軍事基地を建設しているのに、我々には我が国に帰属する領土を日本に渡すよう要求されるのだろう。これは不公平だ。
河野:米国が沖縄から撤退すれば、ソ連政府はクナシルとイトゥルップを我々に返還することに同意するか。
フルシチョフ:日本人がこんなに頑固だと知らなかった。あなたは粘り強い。
河野:もちろんだ。クナシルとイトゥルップは日本にとって大きな経済的意義はない。
しかし日本国内の沖縄および他領土の返還運動を、クナシルとイトゥルップの返還問題と結びつけて展開することができれば、成功するかもしれない。二つの大国から日本領土が同時返還されるという論拠は非常に説得力がある。
フルシチョフ:クナシルとイトゥルップはここでは何の関係もない。この2島の問題はとっくに解決済みだ。経済的にこれら領土は何の意味ももたない。
それどころかこれらは常に損失をもたらし、予算の大きな負担となっている。しかし国の権威という点で決定的な役割を果たしており、問題の戦略的側面でもある。
この抜粋には、露日の議論の本質がある。真髄であり、この歴史的出来事に関連する多くの文書、回想録、研究によって曖昧にされてはならないものだ。
第一に、フルシチョフは明確に述べている。島々の帰属問題はロシアの国家権威の問題であると。
また日本にとっても同様だ。
ロシアにとってこれら島々は第二次世界大戦の対日勝利の象徴であり、島々は米英の同意によりロシアのものとなった。
これはヤルタ宣言に反映されている。日本にとっては現状を表している。つまり戦後の不当な解決の象徴であり、日本は自身をその犠牲者であると考えている。
