ソ連に対する援助物資 第二次世界大戦時のおけるアメリカからソビエト(ゲンロシア)への援助 レンドリース法による [2022年06月03日(Fri)]
今から、75年前の第二次世界大戦でロシア軍がナチスドイツ軍に勝てたのはアメリカの軍事支援があったからだといえる。下記の数字には驚くばかりである。
アメリカはソビエトに膨大な軍事支援を行いながら、日本軍との戦いにも勝っていったということはその工業力の凄さを感じるところではある。 ソビエトに対する軍事支援で、軍靴を1541万足援助しているが、毛皮のブーツはロシアの厳寒の中では必需品であった。ナチスドイツ軍に勝てた要因の一つである。 供給でも、35万台のトラック、鉄道貨車1万1千両、機関車1981台は物質などの輸送に役立ち。後方からの支援を支えたことが大きい。 また、食料の447万トンは、前線の兵士へのカンズメの補給に役立った。腹減らば戦に勝てぬ。アメリカの支援によりソビエト(ロシア)軍はドイツ軍に勝てたといえるであろう。 また、イギリス軍もソビエトに援助を行っていた。併せれば航空機だけで18700機になるという。 ソ連に対する援助物資 1945年ワルシャワにて、レンドリースプログラムの一環としてポーランド軍が使用しているジープ アメリカの対ソ連援助は以下の5つの期間に分けられる。 レンドリース開始前: 1941年6月22日 - 1941年9月30日、金で支払い 第1協定期間: 1941年10月1日 - 1942年6月30日、1941年10月1日署名 第2協定期間: 1942年7月1日 - 1943年6月30日、1942年10月6日署名 第3協定期間: 1943年7月1日 - 1944年6月30日、1943年10月19日署名 第4協定期間: 1944年7月1日から開始され、1945年4月17日に署名され公式には5月12日に終了したが、援助は日本に対する戦争の期間(1945年8月8日ソ連対日参戦)「マイルポスト」(milepost)合意に基づいて日本が降伏する1945年9月2日まで続けられ、1945年9月20日に全ての対ソ連レンドリースプログラムが終了した。 レンドリースプログラム開始から1945年9月30日までの間にソ連に対して出荷された軍需物資の合計を以下の表に示す。 航空機 14,795機 戦車 7,056輛 ジープ 51,503輛 トラック 375,883輛 オートバイ 35,170台 トラクター 8,071台 銃 8,218丁 機関銃 131,633丁 爆発物 345,735 トン 建物設備 10,910,000 ドル 鉄道貨車 11,155輛 機関車輛 1,981 輸送船 90隻 対潜艦 105隻 魚雷艇 197隻 舶用エンジン 7,784基 食糧 4,478,000 トン 機械と装備品 1,078,965,000 ドル 非鉄金属 802,000 トン 石油製品 2,670,000 トン 化学物質 842,000 トン 綿 106,893,000 トン 皮革 49,860 トン タイヤ 3,786,000 軍靴 15,417,001 足 輸送は北極海の輸送船団、ペルシア回廊、太平洋ルートで行われた。太平洋ルートはレンドリース援助のおよそ半分が運ばれ、アメリカ西海岸からソ連極東へ輸送船団で、ウラジオストクからはシベリア鉄道で運ばれた。[1]を参照。アメリカの参戦後、ソ連の船舶のみがこのルートでは使われ、日本による影響がいくらかあった。アラスカとシベリアを結ぶ航空路はアルシブ(Alsib)[2]と呼ばれ、航空機の輸送と旅客輸送に用いられた。 |