• もっと見る
<< 2018年06月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
北朝鮮 金正恩氏、北京で習氏と会談、米朝首脳会談の内容報告。 [2018年06月20日(Wed)]
北朝鮮の金氏は、今年に入り3回も習氏と会談をもっている。なかなかの外交力を持っているといえる。中国のトップに会う段取りは大変なものであろうが、金正恩氏は実行している。

歳は36歳といわれているが、世界の指導者と堂々と会談できるということは、かなりの切れ者なのだと評価されているということなのだ。

新華社が報じる習氏の言葉は注目しておくべきである。米朝首脳会談で”原則的な共通認識に達し、前向きな成果を得た”と習氏が発言しているところだ。

9月には、ロシアのプーチン氏と会談が予定されている。
その前に日朝首脳会談が入ることになるだろうが、国際情勢は金正恩氏を軸に回りつつある。

南北朝鮮の統一、在韓米軍の撤退という事態が思ったより早く起こり得る局面になりつつあるとみておくべきであろうと思う。

kita23.jpg

習近平中共中央総書記(国家主席)は19日、金正恩朝鮮労働党委員長(国務委員会委員長)と北京で会談した。

両国首脳は現在の中朝関係の発展及び朝鮮半島情勢について率直で踏み込んだ意見交換をし、中朝関係をしっかりと維持し、揺るぎないものにし、発展させ、世界と地域の平和と安定及び繁栄と発展の維持に積極的な貢献をする考えで一致した。新華社が伝えた。

習総書記は「金正恩委員長とトランプ大統領がシンガポールで重要な会談を行い、朝鮮半島の非核化実現、恒久的な平和メカニズムの構築について原則的な共通認識に達し、前向きな成果を得たことを、われわれは喜ばしく思い、高く評価する。

金正恩委員長が再び訪中したことは、中朝両党・両国の戦略的意思疎通を非常に重視していることの表れであり、私はこれを高く評価する」と表明。

また、「3カ月足らずの間に、私と金正恩委員長は3回会談し、両党・両国関係発展の方向性を指し示し、中朝関係の発展に新たな章を開いた。

中国の党と政府は中朝友好協力関係を非常に重視している。

データ
中国 新華社 2018.6.20
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 12:59 | 戦争と平和 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
日本は2−1でコロンビアを破った。アジア勢がワールドカップ(W杯)で南米のチームを下したのは史上初。 [2018年06月20日(Wed)]
日本のサッカーの勝利をアメリカの報道機関がどのようにニュースとして報いているのかという観点からCNNの記事を掲載した。
sakka- 1.jpg
以下引用
(CNN) グループHの試合が行われ、日本は2−1でコロンビアを破った。アジア勢がワールドカップ(W杯)で南米のチームを下したのは史上初。グループHのもうひと試合ポーランド対セネガルは、ポーランドの緩慢な守備をついたセネガルが2−1で勝利した。

日本代表にとっては歴史的な勝利となった。

日本は前半開始早々にPKを獲得。これを香川が決めて先制した。コロンビアはゴール前でサンチェスが腕でシュートを阻んだとしてレッドカードを受けていた。2分56秒でのレッドカードは史上2番目に早い退場劇となった。

残り時間を10人でプレーすることになったコロンビアだが、前半39分にキンテーロのFKで同点に追いつく。壁の下を狙ったシュートは日本のGK川島の手をすり抜けて、ゴールラインを割った。

前半は1−1で折り返した。

後半28分、日本に待望の追加点が入る。本田が蹴ったCKを大迫が頭で合わせてゴール。貴重な勝ち越し点となった。試合はこのまま2−1で日本が勝利した。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 11:38 | 天国と地獄 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
明治の時代の風景 江戸時代から明治初期はいい時代であった。 [2018年06月20日(Wed)]
meiji1.jpg

明治初期は江戸時代の流れの中に人々は生きていた。江戸時代は身分制の社会ではあったが、(人々は貧乏ではあったが、)それなりに楽しく生きていた。

身分制社会というものは、世襲の職業に生きる時代であり、武士の子は武士、大工の子は大工、商人の子は商人になるということで、自分が生きていく職業、生活基盤が定まっていた。

子供は親の仕事を引き継げば食べていけるということであった。

したがって、相手を蹴落としてのし上がるという無用な競争社会ではなく、貧乏ではあるけれども、ストレスなどというものがほとんどなく平和な共存社会であった。

明治になり西洋文化が持ち込まれたが、その仕組みの根幹をなすものは競争社会というものであった。

明治維新により、日本人は、この競争原理を取り入れ、人々は競争して立身出世を争う社会に変貌したのである。

その明治に時代から、日本人は競争原理により発展してきたが、一方競争から生まれるストレスの社会ともなってしまった。

ストレスは江戸時代にはなかったものだ。

競争社会というものがいいものかどうか、江戸時代の自然調和の時代のほうが人間にとっていい社会だったのかどうか、どちらが幸せなのか考えてみることも大事であろう。

meiji2.jpg
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:49 | 湘南鎌倉 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
| 次へ
検索
検索語句
タグクラウド
プロフィール

ゆう東洋医学研究所さんの画像
https://blog.canpan.info/medicalyou/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/medicalyou/index2_0.xml