瞬発と残響 埴谷雄高 1996年6月20日初版
埴谷雄高、中沢新一、小松左京の対談であるが、じっくりと読んでほしい。そしてこの本の全文を読んでほしいと思う。
中沢新一 ヨーロッパの学問は、そういう飛躍は受け入れないのでしょう。 ますます受け入れない方向に向かいつつあるでしょう。
埴谷雄高 ああいう部分と部分を足す考え方は、結局主人と奴隷といった 対位的な考え方でしょう。
ヨーロッパが主人で、植民地が奴隷ですね。 そして奴隷が反抗すれば、絶滅してしまう。
植民地時代、ヨーロッパの 精神がその底の底までも裸かな、かたちが明らかになったのは、 ヨーロッパの精神の基本が絶滅だということですね。
そして、その絶滅の裏のかたちがヒューマニズムで、奴隷が反抗せずに 服従すれば近代化と進歩がもたらされる。
量的なものの増大が社会問題をやがて解決するという、質の問題でなく 量、そして増大する量の質的転化という“未来”が絶えず奴隷の前に 掲げられる。
埴谷雄高 スタヴローギンの認識とは逆に何も反省しないのがアメリカ人 ですね。ポンポンとインデアンを鉄砲で殺していく映画を次々と作って 平気でいる。
スタヴローギンは認識し、反省した悪漢だけれど、 アメリカ人の大半は反省せざる悪漢で、20世紀は反省せざる悪漢 を許している。p85
埴谷雄高 その西洋、ヨーロッパが問題なのです。コロンブス以後の ヨーロッパの誤謬の人類史はひどすぎる。
けしからんのはローマ法王で、 奴隷の使用をすぐ許可する。アフリカの黒人も新しいインデオも 人間払いしない。
小松左京 そうですね。アメリカインデアンを人間と認めると、 宣教師を派遣しなくてはいけない。
ところが金がないので人間でない としたので、白人が殺し始めた。あんなことにたいして反省が ないんですかね。p123