また、尾崎は蒋介石軍との和平工作も妨害し、日本と蒋介石軍を戦わせ、ともに衰退させ共産党の中国を目指していた敗戦に持ち込み中国を赤化させることを狙い、共産党の中国を目指していたのである。
戦前の国内にも共産主義者はいたが,特高警察に捕まっても、天皇制を容認すれば釈放 されていたようである。共産主義を捨てることを強制されなかったようである。
埴谷雄高が“瞬発と残響”の中で書いている。
“ええ、検察当局が転向させようとしますね。不思議なことはとにかく天皇が存在する ということを認める上申書を出しさえすればいいんです。
天皇制の存在を認めれば マルクス主義を奉じてもいいという時代だったのですね。ぼくは上申書を書いたのですが ーー以下略“、上申書を出した埴谷は釈放されている。(p167)
昔、検察当局に転向させられて、右翼に転じて対米戦争を主張していた人々を嘲笑する人 もいたが、偽装転向の共産主義者はコミンテルンのテーゼに従い、資本主義国同士の戦争を すすめ敗戦革命を目指していた。
だから共産主義者は日本とアメリカの戦争開始に積極的であった ということであったということであったのかもしれない。
必ずしも軽薄であったから左から右に揺れたとか、極端から極端に走るとかとみるのは 誤りであったと考えるべきであろう。
この本は、どういう立場をとるにしても一読することをお勧めしたい。歴史の流れが 見えてくることの指標の一つとなるだろう。