• もっと見る
<< 2022年06月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
「ハリーポッターのようなイメージ」 日本人女性ピアニストがロシアの音楽院留学について語った [2020年11月21日(Sat)]
ロシアという国を理解するうえで、この本は読むべきと思う。日本人からみてロシアは遠い国という印象である。日ロ戦争で日本が勝った後は”ろすけ”と言って少し小ばかにしていた。

第二次世界大戦で、日本の敗戦間際に攻め込んできたので、すこぶる印象は悪い。そして樺太南部、千島列島を占領した。北方領土問題といまだ国境線が不明確のままだ。

しかし、国民の間での交流は大切である。音楽を通じて日本人とロシア人がわかりあえるということが大切なのだ。

データ
ロシア・スプートニク2020年11月20日 15:05
筆者 : エレオノラ シュミロワ

18歳でロシアの音楽院に6年半の留学を決めるのはどんな心地だろうか。これを教えてくれたのが、日本人ピアニストの坂本里沙子さん(26)だ。

彼女はロシア語も知らない状態でこの長旅に出発した。ロシアでの留学経験、日本人とロシア人の違いについて、スプートニクが坂本さんに聞いた。

どうしてロシアを選んだのか?

坂本さんは5歳でピアノを始めた。桐朋女子高校音楽科を卒業後、留学することになった。彼女の選択に影響を与えたのが、高校3年生で初めて行ったロシアの風景だった。

坂本さん:「高校ではドイツ語を選択していましたが、先生に誘って頂いたことがきっかけで、ロシアに興味を持って、ロシアを一回見に行きました。

冬のモスクワはすごく寒かったのですが、その中で伝統や音楽を大事にしているのが感じられて、「この国で勉強したいな」と強く思いました。」

こうして2012年に坂本さんはロシア国立チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に入学した。

坂本さんが日本に帰国してから約1年半が経つ。今年8月末には著書『私の音楽留学』が出版された。この本の中で、彼女は6年半にわたるロシアでの勉学や生活について詳細に語っている。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 19:44 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
6種の古代ヒトのうち5種が絶滅した原因が解明 [2020年10月18日(Sun)]
気候変動に対する警鐘である。古代の人類は、気候変動の寒冷化で絶滅した。人類のうち1種のみが生き残り今日の人間となっている。

しかし、再度地球が寒冷化したときどの種族‐アングロサクソンか、ゲルマンか、スラブか、日本民族か、漢民族か、エキスモ―か、が生き残れるのであろうか。

それとも人間という種族全体が絶滅の危機となるであろうか。気候変動については温暖化だけでなく、反対現象としての寒冷化に注意しなければならない。

追記
このブログのアクセス数が300万アクセスを突破しました。皆様には感謝しております。

データ
ロシア・スプートニク2020年10月16日 18:40

科学は、古代のホモ(霊長目ヒト科ヒト属)には少なくとも6種類が存在していたことは解明しているが、そのうち今日まで生き残っているのはホモ・サピエンス1種のみ。

ホモ・サピエンスを除く他のホモは気候変動に適応することができなかった。イタリア人科学者らは研究の結果、こうした帰結を学術誌「ワン・アース」に発表した。

5種類の古代のホモが跡形もなく絶滅した理由を探ろうと、イタリア人科学者らは過去500万年間の気候データと2750か所を超える古代遺跡の人類学的な発見を組み合わせた総合モデルを構築した。

ネアンデルタール人
ヨーロッパ最古のホモ・サピエンスの骨が見つかる ブルガリア

「火の使用をはじめとする技術のイノベーションが進み、かなり進化した石器や適切な服を作りだし、複雑な社会ネットワークを構成して、ホモ・サピエンスと文化的、遺伝的な交換も著しく行ったものの、他の古代のホモらは急激な気候変動に耐えて生き残ることができなかった。

彼らは困難を強いられ、出来る限り温かな土地まで移動、到達した。なぜなら気候はますます寒冷化したからだ。だがそれも結局は不十分だった。」

気候変動がすべての生物種に及ぼした決定的な影響に科学者らは憂慮を深めた。科学者らは現代の人類は将来に全く安心してはいられないとの見解を示している。

「私たちは自分が座っている枝をのこぎりで切りながら、地球規模的な気候変動を呼び起こしている。」

Posted by ゆう東洋医学研究所 at 13:15 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
オール5の優等生がいいとは限らない:研究者らが解明した正しい学習法とは [2019年11月11日(Mon)]
頭の良しあしは、集中力と、学習しようという意欲と、考える習慣による。
考える習慣がある人は、そのことができるだけでかなり頭がいいということである。

例えば、集中して先生の授業を聞けば、そのまま覚えてしまう能力や、本を一度読めば、本を閉じてもそこに書かれていた内容をその通り話す能力などである。

集中力を高める訓練が重要な教育の使命であり、考える習慣をつけることだ。。

データ
露西亜・スプートニク2019年11月11日 09:00

優秀な成績のみを取ることは大変嬉しいが、その場合、その人の勉強法は効果的でない可能性もある。

米国の研究者らが突き止めた。研究結果は学術誌Nature Communications(ネイチャー・コミュニケーションズ)に掲載された。

学生が集中的に新しいテーマを学ぶと、間違いは避けられない。研究者らは、その最適数は約15.9%だと語る。


子供の視力低下を防ぐ自宅学習とは ロシア消費者権利保護監督局

研究者らはAI(人工知能)で実験を行った。AIプログラムは偶奇性の区別、幾何学的形状の判断を学習するはずだった。

実験の結果、AIの学習スピードが最も速かったのは、正確な回答率が85%の時だと分かった。

ある人の正確な回答率が100%の場合、それは既に習得済みのものであり、テーマはその人にとって簡単すぎると言える。

正確な回答が半数前後の場合は、新テーマはその人にとって過負荷であり習得する時間はない。

研究者らは、学習時のテーマや教材の難度は常に調整する必要があると語る。また、この調査結果が学習コース作成に役立つよう期待を表した。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 12:14 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
ランキング東大超え。世界から一流研究者が殺到する沖縄科学技術大学院大学が急成長を遂げた秘密 [2019年10月17日(Thu)]
沖縄県にすごい大学が出現した。沖縄県恩納村にある沖縄科学技術大学院大学、通称OIST

データ
三ツ村 崇志 2019/10/17 05:00

コピーライトマーク 提供:OIST OISTは2011年の設立。初代の機構長は、2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞したシドニー・ブレナー博士が務めた。

10月8日、一つの大学院大学の発表が注目を集めた。

沖縄県恩納村にある沖縄科学技術大学院大学、通称OISTがバクテリアを利用した低コストの排水処理装置の製造を目的とした大学発スタートアップ企業、BioAlchemyの設立を発表した。

OISTの設立は8年前。今、急成長を遂げており、アカデミアの世界では脚光を浴びている私立大学だ。

2019年6月にはイギリスのシュプリンガー・ネイチャー社が発表した質の高い論文の割合が高い研究機関ランキングで東京大学の40位を上回る日本トップの9位にも選出された。

同大学院広報は「こういったランキングが出たことで、対外的にOISTの成功をアピールする指標が得られたと思っています」と話す。

急成長支える潤沢な研究資金

2019年6月に発表された質の高い論文の割合が高い研究機関ランキング。発表当初、OISTの順位は10位だったが、8月に修正されて9位となった。

OISTが設立からたった8年でここまでの成功を納めた理由は、なんといってもその豊富な資金力にある。

予算の大部分は、沖縄科学技術大学院大学学園法によって定められた補助金によるものだ。
この潤沢な資金を武器に、OISTは創設時から世界トップレベルの研究機関を目指してきた。

在籍する研究者は74人。うち、外国人は44名。出身国は15カ国以上にのぼる。

また、理事には、素粒子の一つである「クォーク」に関する研究で1990年にノーベル物理学賞を受賞したジェローム・フリードマン博士や、細胞の表面についた「イオンチャネル」と呼ばれるタンパク質の機能に関する研究で1991年にノーベル生理学・医学賞を受賞したエルヴィン・ネーアー博士などが名を連ねている。

OISTではこうした世界的に著名な研究者や最先端分野の研究者の招聘(しょうへい)、大学への設備投資を進めてきた。この補助金は研究費としても利用されている。

2018年度は、大学の運営費や研究費など含めた約200億円が補助金で賄われた。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 17:09 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
人生とは、どういう人間と出会うかということにつきる。読書のすすめ『逝きし世の面影』  [2018年04月25日(Wed)]
(渡辺京二が)87年という時間を生きてきて思うのは、人生とはどういう人間と出会うかに尽きるということです。

現代社会では、生活を便利にするはずのテクノロジーがかえって煩わしさを増やしているというパラドックスの悲劇もあります。

大切なのは、テクノロジー以前に人間関係です。

同性同士でも男女の関係でも、傷つけ合うようなややこしいことや煩わしさがあります。

これをむやみに避けないほうがいい。生きがいとは、結局のところ、人との関わり合いの中にしかないのです。  



傷つくことを恐れず、世間や人の言うことなどいちいち気にせず、自分の好きなように生きればいい。そしていまはそれができる時代です。

明治などに幻想を抱くのではなく、いまはもっといい時代になっている、そう認識することが大事なのだと思います。


watanabekyouji.jpg

思想史家・渡辺京二

明治元(1868)年から150年。政府をはじめ、各所で「明治維新150年」を祝う行事が企画されている。

武家による幕藩体制だった時代からの転換。あの明治維新とは何だったのか。

また、あの時代から見て、現代とはどのような時代なのか。

来日外国人の書籍の丹念な研究からあの時代の日本を描き、ロングセラーとなった『逝きし世の面影』。

著者の思想史家・渡辺京二氏が、あの時代といまを振り返った。
(ノンフィクションライター・三宅玲子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

付記
当然、異論があろうとも思うが、渡辺氏の生きざまには共感できるところがおおいのではないか。

歴史から学び、現在と未来をみすえるということであろうと思う。

E・H・カーの歴史とは何かを読み返す時でもあろう。

明治時代から現代までの日本の歴史の中でアメリカ軍に国土のほとんどの都市を爆撃により灰燼にされてから、今日までよみがえってきた日本という国を、かつてない良き時代になっていると思うことはあるだろう。

人によっては、決してそうは思わず、戦前の時代を懐かしむ人もいるとは思うが、日本の歴史は戦前の日本という国のありようを飲み込み、乗り越えていると思う。

やはり生きているということは多くの人との出会いがあるということに尽きるのかもしれない。

人生を達観することはできない煩悩を抱えているにしても、人との出会いを大切にして生きていくことだろう。

watanabe2.jpg
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 09:32 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
現代から明治150年で振り返ると、そんな課題が残っているのです。 [2018年04月24日(Tue)]
saigou1.jpg

現代から明治150年で振り返ると、そんな課題が残っているのです。

実際、今はなかなかそういう社会になれない。

根本的な原因は、経済成長を絶えず求めざるを得ないような社会構造。

だからといって、理想の社会の青写真を描いたところで、権力で実行するとなると社会主義に向かってしまうが、それは違う。

ではどうすればいいのか。

結局は我が身から始めるということです。

国家をつくるのは役人の仕事。けれども、社会をつくるのはひとりひとり。

個人がどのように生きがいを見つけられるかが大切。

出世や肩書、収入など、いわゆる社会的に評価される職業的地位の価値観が単純化していますが、そんな幼稚な尺度に縛られる必要はありません。

そのかわり、人のせいにもしない。
watanabekyouji.jpg
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 13:57 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
読書のすすめ 「パリのすてきなおじさん」(柏書房)が話題になっています。自称「無類のおじさんコレクター」。こんなふうに生きていいんだ [2018年04月20日(Fri)]
 −−パリで出会った男性たちに「人生で大切なこと」をインタビューしてスケッチした近著「パリのすてきなおじさん」(柏書房)が話題になっています。

自称「無類のおじさんコレクター」。はまったのは一体なぜですか。

 ◆私の父は、家族に「こうあれ」と押しつけてくる結構窮屈なタイプで。何かやりたいと言っても、すぐに否定してくる。

そんな中、世界の広さや楽しさを教えてくれるおじさんが親戚や知り合いにいて、救われました。

大学生になると、中国語の非常勤講師が「不良じじい」だったんです。横浜の中華街にアジトがあって、教え子たちが集まってお酒を飲んだり中国将棋をしたり。

先生は自由で勝手でいながら情に厚いおじさん。もう亡くなりましたが、今も「正しいか間違っているかじゃなくて、好きか嫌いかを基準に生きろ」「人生はやったもの勝ちだ」なんて言葉が耳に残っています。

父にはない自由な生き方に、「こんなふうに生きていいんだ」と開眼させられ、人生に風穴を開けてもらいました。私の「選おじさん眼」が磨かれたのは、窮屈な父のおかげですね(笑

金井真紀

付記
”好きか嫌いかを基準にしろ”というのは間違っていると思う。
論理的整合性があるか,ないかではないだろうか。

inamori2.jpg
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 14:38 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
ナショナリズムを経済で乗り越える [2018年04月20日(Fri)]
明治時代の日本人の親子ずれの情景
meiji2.jpg

ナショナリズムを経済で乗り越える

渡辺京二氏は1930(昭和5)年、京都府に生まれる。中国・北京や大連で小学時代を過ごし、戦後、熊本に戻ると旧制中学から五高へ進学した。

大連時代に左翼思想に目覚め、18歳で共産党に入党するが、1956年左翼思想と決別する。1969年から熊本の公害病である水俣病に関して、15年ほど闘争運動に参加。

作家・石牟礼道子の編集者でもあり、当時から現在まで同志の関係は続く。46歳で『評伝 宮崎滔天』を発表。

予備校で現代文の講師として教壇に立ちながら、日本の近世・近代の研究に在野で取り組み、独自の視点から日本近代史、近代思想史家論を描いてきた。

1945年の敗戦後、マッカーサーらGHQ(連合国最高司令官総司令部)の民主主義教育が行き届いたこともあり、日本は戦争に対して痛烈に反省に転じた。

復興の過程では経済成長が国家の最優先課題となり、経済性が社会の価値観の中心となりました。

池田勇人首相がフランスに行った際、シャルル・ド・ゴール大統領に「トランジスタラジオのセールスマン」と揶揄されたほどです。

つまり、日本は経済的な成長さえできればいいと割り切った。その結果、どうなったか。

付記
異論もあると思うが、自分自身で自問自答してみるのもよいと思う。

アメリカは日本を骨抜きにして2度と武力を持たせないというのが初期のマッカーサーの方針であった。アメリカ自身の方針であった。

朝鮮戦争で占領していたアメリカ軍が朝鮮半島に動員され、日本が軍事的にがら空きになり、治安と防衛が手薄になったところでその穴埋めのため、GHQの命令で日本人による警察予備隊を編成した。

現在の自衛隊の前身である。

アメリカ軍は現在でも日本が軍事的に強国になるのを恐れており、その対策として在日米軍と自衛隊の一体化を図っている。横田基地などでの統合ははその例となろう。

朝鮮半島で、南北の首脳会談で朝鮮戦争終結宣言が出されるのであろうから、これからの軍事情勢はかなり流動的になると思われる。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:29 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
危機的な存在としての西洋が現れたことで国家という概念が国民に生まれ、国民という概念も育った。逝きし世の面影 [2018年04月19日(Thu)]
meiji1.jpg
こうした日本の変化について心配していたのは、日本の魅力に気づいていた外国人だった。

長崎海軍伝習所の教育隊長カッテンディーケは2年ほど長崎で過ごしながら、その変化を目にしてこう記した。

<日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった>(『逝きし世の面影』)

危機的な存在としての西洋が現れたことで国家という概念が国民に生まれ、国民という概念も育った。

個人と国家という関係が生じると、国民は自分の所属する国に勝たせたいという感情を持つようになる。

その感情が個人を戦争へと駆り立てます。ナショナリズムです。

大陸侵略は軍部主導だったと言われますが、当時国民はこぞって支持していました。

日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)で大国に連勝し、日本人の間に国民としての自覚が生まれていきます。

当時、日本の社会がナショナリズムという感情に覆われたのは、それがその時点での日本国民の成熟度合いだったのです。
meiji3.jpg
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:43 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
読書のすすめ 『逝きし世の面影』 明治維新とはなんだったのだろうか。 [2018年04月18日(Wed)]
つまり、情勢に迫られてやっただけのこと。ウェスタン・インパクトによる緊急避難が明治維新だったのです。
meiji1.jpg

1910年代の銀座(写真:MeijiShowa.com/アフロ)

1873(明治6)年に来日し、38年間を過ごした英国人バジル・ホール・チェンバレンは1905(明治38)年に、『日本事物誌』でこう記している。

<一般的に言って、教育ある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている。彼らは過去の日本人とは別の人間、別のものになろうとしている>(『逝きし世の面影』)

外国人から見ても大きな変化が感じられていたのが、江戸から明治への移行だった。

付記
江戸時代というのは良き時代であったといわれる。まず、うつ病になる人がいなかった社会である。

身分制社会は、良し悪しは言われるが、職業は親の職業を継げばよかったので余計な競争というものがなかった。競争からくるストレスというものがなかったのでうつにならなかった。

平和で自然に暮らしていける社会であった。

また、社会保障とか生命保険というものはなかったが、そういうものは必要なかった社会であった。困ったときは周りのものが助けてくれた。或いは家族、一族の助け合いがあった。

落語にある熊さん,はっさんの世界で、しょうゆやみそがなければ隣に借りに行く、もめごとが起これば大家が仲裁するなどという自然調和の世界で幸せな世界に日本人は生きていた。

それをぶち壊したのが、星条旗をなびかせた黒船であった。
日本人はすっぱりとその良き世界を捨て去り新しい日本人に代わっていった。

ストレスとうつ病と認知症が蔓延する社会に変わった。それがよかったかどうか。
meiji4.jpg
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 14:46 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
| 次へ
検索
検索語句
タグクラウド
プロフィール

ゆう東洋医学研究所さんの画像
https://blog.canpan.info/medicalyou/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/medicalyou/index2_0.xml