(渡辺京二が)87年という時間を生きてきて思うのは、人生とはどういう人間と出会うかに尽きるということです。
現代社会では、生活を便利にするはずのテクノロジーがかえって煩わしさを増やしているというパラドックスの悲劇もあります。
大切なのは、テクノロジー以前に人間関係です。
同性同士でも男女の関係でも、傷つけ合うようなややこしいことや煩わしさがあります。
これをむやみに避けないほうがいい。生きがいとは、結局のところ、人との関わり合いの中にしかないのです。
傷つくことを恐れず、世間や人の言うことなどいちいち気にせず、自分の好きなように生きればいい。そしていまはそれができる時代です。
明治などに幻想を抱くのではなく、いまはもっといい時代になっている、そう認識することが大事なのだと思います。
完
思想史家・渡辺京二
明治元(1868)年から150年。政府をはじめ、各所で「明治維新150年」を祝う行事が企画されている。
武家による幕藩体制だった時代からの転換。あの明治維新とは何だったのか。
また、あの時代から見て、現代とはどのような時代なのか。
来日外国人の書籍の丹念な研究からあの時代の日本を描き、ロングセラーとなった『逝きし世の面影』。
著者の思想史家・渡辺京二氏が、あの時代といまを振り返った。
(ノンフィクションライター・三宅玲子/Yahoo!ニュース 特集編集部)
付記
当然、異論があろうとも思うが、渡辺氏の生きざまには共感できるところがおおいのではないか。
歴史から学び、現在と未来をみすえるということであろうと思う。
E・H・カーの歴史とは何かを読み返す時でもあろう。
明治時代から現代までの日本の歴史の中でアメリカ軍に国土のほとんどの都市を爆撃により灰燼にされてから、今日までよみがえってきた日本という国を、かつてない良き時代になっていると思うことはあるだろう。
人によっては、決してそうは思わず、戦前の時代を懐かしむ人もいるとは思うが、日本の歴史は戦前の日本という国のありようを飲み込み、乗り越えていると思う。
やはり生きているということは多くの人との出会いがあるということに尽きるのかもしれない。
人生を達観することはできない煩悩を抱えているにしても、人との出会いを大切にして生きていくことだろう。