旅のすすめ 土浦市と予科練を散歩
土浦は城下町
土浦市と予科練を散歩
土浦は城下町 [2016年09月10日(Sat)]
土浦市と予科練を散歩
土浦は城下町 茨城県土浦市といえば、霞ヶ浦に面した土屋氏9万5,000石の城下町で、 現在も市の真中に城跡が現存する。土浦城跡であるが、堀がかなり 残っており、城跡としての風情がある。 桜の季節は、その堀に桜が映え美しい情景となる。 近隣には、昔の城下町の名残があり、中城通り{旧水戸街道}には 旧家や商店などの建造物が並び、江戸時代の町に来たような感じとなる。 小生はこの道にある日本蕎麦屋の吾妻庵でそばを食することにしている。 このそばを肴に日本酒をちびりちびりと飲むのがよい。 "江戸の通は、そばを肴にして酒を飲むものだ"と昔、誰かに教わった 記憶がある。 見ると、店の中の客はほとんどが酒を飲んでいた。 たまたまの風景であったのかもしれないが。笑 角のところに古い天麩羅屋保立本店(ほたて)があり、 ここの天麩羅もうまい。 霞ヶ浦の土浦 土浦は、洪水で水没する町としても知られている。明治元年から 昭和43年までの100年間で28回洪水に襲われている。3−4年に1回の 割合だからその頻度が高いのには驚かされる。特に昭和13年{1938年} の洪水では。5089戸のうち4789戸が冠水した。実に94%にもなる。 しかも1ケ月も水が引かず、住人は2階から船に乗り移動したという。 最近は洪水の話は聞かないから治水がうまくいっているのであろうが、 地震、大雨、津波による霞ヶ浦の逆流など自然災害があるので 油断は禁物であろう。 霞ヶ浦から取れるワカサギや小エビ、シジミのつくだ煮などが 名産であるが、このところ不漁で、多くのお土産屋が店を閉め、 淋しい駅前となっている。天然ウナギを喰わせる老舗があったが そこも店じまいしていた。残念なことである。 予科練ー海軍飛行予科練習生 土浦駅からバスで茨城県稲敷郡阿見町廻戸5−1にある 予科練平和記念館20世紀ホールにバスで向かった。約20分位の距離で 阿見下というバス停で降りて、10分位のところにある。 道の方向を民家の人に聞いたら、老婆ではあるが気品のある方が出てきて 教えてくれた。予科練の中に初恋の人ということで出てくるのだそうだ。 予科練というのは、海軍飛行予科練習生及びその制度の略称で、 第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧米列強に遅れまい とした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練を行って熟練の搭乗員を 多く育てようと、昭和5年に教育を開始した。 14歳から17歳までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての 基礎訓練をするものである。 飛行予科練習生制度が始まってから、終戦まで15年間で約24万人が入隊し、 うち約2万4千人が飛行練習生課程を経て戦地に就いた。 中には特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の約1万9000人に のぼりました。 {予科練平和記念館パンフレットより} 土浦は海軍のゼロ戦(零式戦闘機の略)乗り、 神風特攻隊などを育てた町でもあったのである。 真珠湾攻撃の時のゼロ戦乗りの航空兵の4割が予科練出身者であったという。 山本五十六も大佐時代、この予科練で航空隊の副長を務めていたそうである。 第二次世界大戦では多くの若い人たちを死なせてしまった。 戦争をすれば多くの未来を背負う若い人たちの命を奪うことになる。 日本は、これからも不戦でなければならない。 |