こうした日本の変化について心配していたのは、日本の魅力に気づいていた外国人だった。
長崎海軍伝習所の教育隊長カッテンディーケは2年ほど長崎で過ごしながら、その変化を目にしてこう記した。
<日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった>(『逝きし世の面影』)
危機的な存在としての西洋が現れたことで国家という概念が国民に生まれ、国民という概念も育った。
個人と国家という関係が生じると、国民は自分の所属する国に勝たせたいという感情を持つようになる。
その感情が個人を戦争へと駆り立てます。ナショナリズムです。
大陸侵略は軍部主導だったと言われますが、当時国民はこぞって支持していました。
日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)で大国に連勝し、日本人の間に国民としての自覚が生まれていきます。
当時、日本の社会がナショナリズムという感情に覆われたのは、それがその時点での日本国民の成熟度合いだったのです。