明治維新は西洋による外発的な変革
『逝きし世の面影』で、渡辺氏は江戸期の日本を「遅れた」国ではなく、訪日英国人エドウィン・アーノルドが「その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは謙譲ではあるが卑屈に堕することなく」(1889(明治22)年)と形容したように魅力的だった姿を浮き彫りにした。
今年は「明治150年」。
政府も関連施策を推進しているが、渡辺氏の目にはあの近代の変革がどのように映っているのか。
『逝きし世の面影』は現代を相対化することを試みたのだという。(撮影:宮井正樹)
50年前の1968年、「明治維新から100年」と言われました。
当時は高度経済成長の真っただ中で前向きな声もありましたが、今回の明治150年はどうでしょう。
いまも「明治維新をすごい」とたたえる声もあるのかもしれませんが、明治維新の実質を言えば、西洋という外圧による外発的な変化でした。
そのことについては、夏目漱石も明治の歴史は一種の潮流に押し流されてきただけだとし、1911(明治44)年、和歌山県での講演でこう語っています。
<西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後、外国と交渉を付けた以後の日本の開化は大分勝手が違います。
(中略)つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。
(中略)しかも自然天然に発展して来た風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるより外に仕方がない。
(中略)我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であると云う事に帰着するのである>(『現代日本の開化』)
つまり、情勢に迫られてやっただけのこと。ウェスタン・インパクトによる緊急避難が明治維新だったのです。