
常陸国(茨城県)にも高野姓がある
全国で高野姓が多いのは、茨城県つくば市、行方市、石岡市、新潟県では長岡市、大分県の津久見市という。不思議な分布ではある。
古代の高野氏-高野朝臣新笠―桓武天皇の生母ーの末裔もあろう。
常陸の高野氏は、秀衡流藤原北家の宇都宮宗綱の子,知家が常陸国新治郡八田(下館市)にちなみ、八田氏を名乗った。
この八田知家が小田城を築いた。この子孫が小田氏と称した。
つくば市高野、小田城、八郷の柿岡城、土浦市の土浦城も近い位置にある。
八田知家の8男、時家が筑波郡高野(現つくば市高野)にちなみ、高野氏を名乗った。高野氏はこの高野が発祥である。
高野時家は石岡市の八郷に柿岡城を築いた。1271年という。
正式には高野十郎伊賀守時家といった。
茨城県は、西部の八田氏-小田氏、北部の佐竹氏、東部の結城氏により分割されていたが戦国時代は、争奪戦により城主はかなり入れ替わっていた。
城をとったり取られたりしていた乱世であった。小田氏の城はその攻防戦にあった。
なお、新潟県の高野氏は長岡藩士であり、山本五十六は、旧姓高野氏で、山本家に養子に行き、山本五十六といった。
