本人が暮らす流れにそって
これからの認知症の人の支援
[2016年08月25日(Thu)]
これからの認知症の人の支援
本人が暮らす流れにそって 認知症は、学者や医者や公務員でも或いは社長、理事長でも、 誰でもある日、突然、発病するわけです。その進行は人により 異なりますが、その症状は、長い経過をたどることが多いのです。 その本人の状態を、理解し、支援し、繋がっていく 人々が必要ですが、それは下記の通りの人々です。 かかりつけ医師、専門医 保健・行政サービス 地域包括支援センター 在宅ケアサービス ケアマネージャー{介護支援専門員} 鍼灸マッサージ師 訪問介護・訪問看護・デイサービス・デイケア・ショートステイ等 小規模多機能グループホーム 老健、特養などの施設 医院・病院・診療所・クリニック・総合病院 家族や親戚、職場の人々、地域の人々、若者・子供、自治会、 友人、民生委員、お店の人々、交通機関の人々など。 それらの人々が、認知症の方と、いつでも、 どこでも、大切な生活仲間、として繋がって力を合わせていくことが 大切ですと説いています。(永田久美子氏)。 本人が発病してから最後期までの間、本人が地域でより良く暮らし 続けることです。そして本人が暮らす流れに沿って関係者が、 つながりあって連携しよりよい日々を生み出していくことです。 すなわち、わが街ならではの多様な人たちが力を合わせていくことです。 それを都道府県、各市町村が進めるようにバックアップしていく 環境整備を整えていくとしています。 つながりの薄い地域社会 しかし、この考え方は大変いいと思うのですが、実際の現場から視る とどうなのでしょうかと疑問がでるのではと思います。 昔の落語の世界の長屋でのハさん、熊さん、 大家さんのような社会環境ではなく、現代では、親子関係が壊れて しまっている家庭とか、子供のいない家庭とか、 いても転勤で遠方に、海外に住んでいるとかの問題があります。 一方、 地域社会では格差が進み住宅街でも交流が少ない。 となり同士の近所付き合いがないというか、親密でないところが多い のではないでしょうか。 いわゆる排除社会というか、つながり合って 弱者を助ける地域社会ではなく、弱者を排除するような風潮を どう変えるかという難問があります。 当方の経験でも、認知症の方が1人でいるのを嫌い、”どこかに 移してくれ”ということを言ってくるご近所のご婦人がいました。 となり同士でも所得格差から、お互いに入り込まないというような 感じがあります。田舎や、下町ではそういうことはあまりないかも しれませんが、住宅街の方が繋がりあっていくのが難しいと いう実感をもっています。これをどう克服するかがこれからの 問題であろうと思います。自治会も地域ボスの御茶飲みサークルと なっているところが多く、認知症の人と繋がって支援していこう という”土壌”にはないように思われますし。個人的な実感ですが、道は遠いと思います。 <データ>BPSDチームケア研修会 認知症介護研究センター部長 永田久美子 |