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ソ連軍ピユートル・グリゴレンコ将軍 日本軍がソビエトに 攻め込んできたならば、ソビエトは万事休すで、お手上げであった。” と回想している。 [2017年12月29日(Fri)]
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日ソ戦争といえるノモンハンの戦い。

司馬遼太郎がノモンハンの戦いを書こうとして膨大な資料を集めたが、どうしても書くことができず断念したという経緯がある。司馬朗太郎にとっても重いテーマであったと思う。

その背景であるが、ノモンハンで関東軍とソビエト(現ロシア)との戦争が、1939年5月に発生した。

政府は不拡大方針で、この戦争のあとの日ソ間の講和条約締結を結んだ。が、すぐ後、翌日だったと思うが、ソビエト軍は ポーランドに侵攻している。

極東方面の日本軍を叩いておいて、 日本の北進論をくじき、ソビエトの背後となるこの極東方面の不安を なくすというスターリンの戦略にそったノモンハンの戦争であった。

日本は見事にスターリンの意図にやられ、北進論(対ソビエトとの戦争) か南進論(米英との戦争)かの選択で南進論に舵を切った。

その判断の もとになる重要な戦争がノモンハンの戦いであった。

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ピユートル・グリゴレンコ将軍の回想

戦後に、ソビエト軍のピユートル・グリゴレンコ将軍の回想があるが そこで、“日本軍がソビエトに 攻め込んできたならば、ソビエトは万事休すで、お手上げであった。” と回想している。

ポーランド侵攻後、1945年6月にドイツ軍にソビエトは攻め込まれ、モスクワ周辺にまで ドイツ軍が及んでいた。

歴史に、”もしも”はない

歴史に、”もしも”はないが、1941年12月8日に 日本が真珠湾に向かわず、北進してソビエトに侵攻したならば スターリンのソビエトは”お手上げ”であったろう。

極東にいたソ連極東軍 50万人以上は、ドイツ軍との戦線である東部戦線に全軍振り向けられていた。 極東地域はがら空きであった。

チャーチルがいうように,対ソ侵攻を日本がしていたならば、先の第二次世界大戦で日本は勝者となっていた。アメリカは呆然とみているだけであったろう。

ノモンハンの戦争で日本軍部の判断が、ソ連軍強しという認識になったことは否めない。
日本軍は負けたというように判断した。それほど重要な意味を持つ。

しかし、実際の戦闘はどうであったのだろうか。次回に検証してみよう。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 12:18 | 天国と地獄 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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