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日本の外交官 外務省・外相には優れた洞察力をもっている人がいたことを知っておこう。松岡洋右外相を見直そう。 [2017年12月28日(Thu)]
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松岡洋右元外相は、アメリカに留学していた経験があり、アメリカの大学を 卒業している。

本人はアメリカを第二の故郷としていたという。 人種差別などを受けていたようでアメリカを肌で理解していたという ことであろう。

アメリカが、日本と戦争をしたがっていたことを外交官として認識しており アメリカとの戦争をいかに防ぐかという思考していた。

その対策としてドイツ、イタリアとの 三国同盟を結び、それにソ連を参加させ、4国同盟としてアメリカに対抗する という構想を持っていた。それはドイツのソ連侵攻で霧消してしまうが。

そして、当時フランス領であったベトナムに進駐するという軍部の南進論に 反対している。

仏印〈現ベトナム)に進駐すれば、すぐそばのアメリカの植民地のフイリピンが目の先になり、アメリカが黙ってはいないことを読んでいた。

アメリカとの戦争が避けられなくなるからであった。

ドイツ軍がソ連との戦争を始めた 1941年6月に北進論であるソ連侵攻を閣議で強固に提言している。

機を見るに敏というか、4国同盟の構想を捨て、ソ連侵攻を主張しているところは国際情勢の洞察力がいかに優れていたかということであろう。日本という国の運命を左右する判断である。

時の内閣は、内閣を解散し、松岡を外相から外し,南進(仏印進駐)を決定してしまった。

このドイツがソビエトに侵攻した6月の時点で、アメリカのルーズベルトは 明確に日本と戦争を決意したと思われる。

あとは、いかに日本に攻撃させ、アメリカを参戦させる ということであった。

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アメリカからの最後通報はハル・ノートであった。

アメリカ本土が攻撃されれば、参戦に反対する国民を納得させられるからであった。真珠湾攻撃は愚策であった。

松岡洋右元外相が南進論(対米英戦)に反対していたということは あまり伝わっていない。

アメリカと戦争になれば勝ち目は全くないのは、松岡洋右外相はわかっていた から、日米開戦のときは号泣したと伝わっている。

外交官、政治家としてのすごさというものは、多数の人が考えている 先を洞察する能力あるかどうかではなかろうか。

歴史から学ぶことは、将来を判断するときの手がかりとなる。過去の歴史から学ぼう。


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<データ>
オレンジ計画 アメリカの対日侵攻作戦計画
50年も前からアメリカは日本侵攻計画を作り上げていた。そして計画どうり侵攻してきた。

その中で、ルーズベルトが日本との戦争に意欲を示していたということが記述されている。

また、米英蘭との白人連合で、日本と戦うという人種戦争であることを明確にしていた。

そして、愚かにも日本が攻撃してきたならばーーとも記述している。”愚かにもーー”。である。

<予告> 明日からはノモンハン戦争を書きます。
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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:26 | 戦争と平和 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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