
松岡洋右外相とノモンハン
松岡洋右外相は、第二次世界大戦が勃発し、1941年にドイツ軍が ソ連に侵攻した直後に、天皇に対して“日本は早くソ連と 開戦すべきです。
そうすればアメリカも何も言えなくなります”。 進言した。
しかし、天皇は、陸軍上層部その他からノモンハンでソ連と対戦し、 大敗したという誤った情報により、松岡外相をきつくしかったという。
天皇のおしかりだけに、それ以後、北進論(対ソ連との戦争)を主張するものはいなくなり、 日本は南進論(対米英との戦争)に傾斜していき、対米英蘭戦争に舵を切り、日本は アメリカ(連合国)に敗北した。
ソ連との関連を見ると、スターリンが意図したノモンハンで日本軍を 叩いておくということで、戦車、装甲車等800両を投入してきていた。
装備では日本は劣っていて、歩兵主体であったが、日本軍が善戦していて、むしろ、勝っていた戦闘で あったにも関わらず、 ソ連を恐れる評価してしまっていた。
この認識の誤りは大きい。 ノモンハンの戦争は日本の運命を変えたといってもいいのではないか。
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後に判明したことだが、死傷者数ではソビエト軍の方が多大であった。
日本軍は軽戦車を繰り出したが、ソ連軍戦車に約35両撃破され、半数は戦車保存のため撤退した。
日本軍は歩兵のみの戦闘であったが、ソ連軍戦車800両に対峙し、高射砲の水平射撃でソ連戦車を多数撃破した。
歩兵のみの劣勢にもかかわらず、前線はほぼ維持し善戦していた。
ソ連のスターリンは日本との講和条約を締結した直後、ポーランドに侵攻して約半分を占領している。
日本軍を叩いておいて、背後(極東地区)の不安を解消していたという戦略であった。
松岡外相は日ソ不可侵条約を締結した本人であったが、その条約を破棄してソ連に侵攻すべきと提案したのである。
すごい柔軟な発想をする外交官であった。
