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江戸時代の後期に日本人がすでに天体望遠鏡を創り、太陽の黒点を観測していた。 [2017年12月08日(Fri)]
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國友一貫斎という天才

江戸時代末期には、国友村から國友一貫斎という天才を生み出し、その時代に太陽の黒点を 観測していた。その観測用の天体望遠鏡も制作していた。

その観測した黒点の位置は、現在でも通用する正確なものであるという。日本の天文学の草分けとなるであろう。世界でも、1,2を争う位の早い時期であるとも。

また、実現しなかった が人が空を飛ぶ風船(かぜぶね)ということを構想し設計図を作っていたという。

空気圧のあることを発見、気流、流量のあることを発見、浮力の発見をしていたので、人が空を飛ぶことが可能であると理論的に確信できていた。

すでに江戸時代に、日本人が空を飛ぶということを構想していたとは すばらしい事であろう。
残念ながら実現せず構想で終わってしまったが。

國友銘の鉄砲が全国にある。真田の上田城にも國友銘の鉄砲が展示されているという。 小生が訪れた土浦城や、平戸城などにも展示されていた。国友一貫斎制作の鉄砲(火縄銃)が現存する。

長浜市の國友町
長浜市の國友町には國友鉄砲資料館という施設がつくられ、その歴史が展示されている。 その周辺には江戸時代の國友鉄砲鍛冶の屋敷群が今でも現存している。

藤原国友という名刀の話からそれたが、國友は鉄砲鍛冶としての歴史を持ち、國友姓は全国に1万人 位いるそうだ。

江戸末期の国友村の鉄砲鍛冶は15軒位であったそうだ。関ケ原直前の最盛期は鉄砲鍛冶が500人位いたという。

日本人、1億2000万人の人口の中で1万人は非常に少ないが、鉄を日本に もたらしたかもしれない氏族の一つとして、記憶されるかもしれない。

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追記  國友一貫斎の補足

江戸時代末期に、北近江(現滋賀県北部)が天候不順により、 大規模な飢饉となり、多くの人々が死に直面した時、國友一貫斎は 命より大事にしていた天体望遠鏡を大名に売り、

その資金で、 食料を確保し、多くの人々を救ったと記録されている。
天才であっただけでなく、義侠心にも富む人物であったといわれている。

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Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:48 | 天国と地獄 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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