

たたら製鉄
國友の祖は、日本に鉄を伝えた氏族であるとの伝えがあるが、北近江の山中 から多くの“たたら製鉄”の遺構が発見させており姉川のほとりに 今も國友の地名が残っている。
7-800年代には國友荘などの名があり、おそらくそれ以前から鉄造りに従事して いたと思われる。ただし推測の域にある。 はっきりした書物は出ていないからである。
昔、教師から“國友は日本に鉄をもたらしてくれた一族です”と紹介された 記憶がある。
想像であるが、鉄つくりから、農機具などの鍛冶、そして、刀鍛冶であった のではないかと思う。
その刀鍛冶の技術を生かし戦国時代に足利将軍家から 種子島に伝わった火縄銃の製造にかかわり、以後、鉄砲鍛冶として名を残した のではないか。国友姓は全国で1万人位だそうだ。
江戸時代まで鉄砲鍛冶として存続していた。
現在も滋賀県長浜市國友町として地名が残り、江戸時代の鉄砲鍛冶の屋敷が現存している。また、国友鉄砲鍛冶の資料館がある。

追記
15世紀からの世界の歴史は、西欧の白人による侵略の歴史ともいえる。南米のインカ帝国、北米のインデアン民族は、鉄文明を持つ白人に殺戮され滅ぼされたという歴史である。
アフリカ大陸、オーストラリアの原住民など殺戮されるか、奴隷にされるか、植民地にされ奴隷としてこき使われるかという時代であった。
日本は、鉄文化を築き、たたら製鉄から、農機具の製造により、農業の生産性を向上させ、刀鍛冶により武器を製造し、そして、鉄砲の伝来により鉄砲製造を図り飛躍的に増産して武装した。
日本の織豊時代には、日本を植民地にしようとして宣教師が送り込まれ、西欧人は植民地化を狙っていたが、日本の鉄砲により武装した武士団の存在と武力が植民地とすることを断念させた。
鉄の生産能力と、鉄砲の生産技術による鉄砲の生産と鉄砲の武装がなかったならば、弓と刀だけではおそらく日本は西欧の植民地とされていたであろう。
またはアメリカインデアンのように絶滅させられたかもしれない。
