上の「人は石垣…」のフレーズは「情けは味方 仇は敵」と続く。 つまり「情け深く誠実な態度で接すれば、こちらの気持ちは相手の 心に届き、相手を味方にできる。
逆に相手に恨まれるようなことを すれば、結局その害は自分に帰ってきてしまう」ということ。
これを文字通り実行した信玄は、家臣を重んじ厚遇することで 団結を強め、城にも勝る強固な軍団を作り上げたのである。
その後、満を持して信長と決戦すべく京に向かった信玄は病に倒れ、 あえなく死去。結局武田家は滅亡し、信玄の熱望した天下統一は かなわなかった。
しかし、信玄の遺した数々の言葉やエピソードは 彼の死後400年以上を経た今もなお各界のリーダーたちに読み継がれ、 人材活用の現場に広く生かされている。
平地に築城された城というものは、防護の意味もあるがそれ以上に支配権力の力の大きさを 民衆、ライバルなどに見せる象徴としての意味合いが強い。
山城などは、基本的に防御のための城造りで、戦闘用の城塞として築かれる。
信玄は城を築かなかったのだが、その屋敷も他の大名に比べ簡素なものであったといわれる。