キリスト教文化圏における地獄とは
キリスト教の信者は、天国と地獄をどのようにとらえているのであろうか。
日本ではキリスト教信者は少数だが世界では膨大な人々が信者となっている。その考え方を知っておくのもよいだろう。
キリスト教の世界での地獄の概念も宗派により異なるが、参考までに下記に 転記しておいた。
マタイによる福音書 5:22「兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引き わたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。」
マタイ 5:29、5:30 - 上記と合わせて山上の垂訓の一部
マタイ 10:28、18:9、23:15、23:33
マルコによる福音書 9:43 - 9:48
ルカによる福音書 12:5「恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。 殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。
そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。」
ヤコブの手紙 3:6「舌は火である。不義の世界である。舌は、 わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、 生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。 」
キリスト教での地獄は一般的に、死後の刑罰の場所または状態[1]、 霊魂が神の怒りに服する場所[2]とされる。
他方、地獄を霊魂の死後の状態に限定せず、愛する事が出来ない 苦悩・神の光に浴する事が出来ない苦悩という霊魂の状態を指すとし、 この世においても適用出来る概念として地獄を理解する見解が正教会にある。
この見解はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に登場するゾシマ長老 の台詞にもみえる。
地獄を死後の場所に限定せず、霊魂の状態として捉える 理解は、楽園が霊魂の福楽であると捉える理解と対になっている。
天国と浄土という概念は全く異なるが、感覚のレベルでは似たような印象である。