
日本人が大切にしてきた”和”について考えよう。
日本人といえば、”和“を大切にする民族であると思っている人が多い。 日本社会の根本にある心情とでもいうべきものであるともいうが、 今回は政治学者、丸山真男の見識を踏まえ、外国であるアメリカ政府の 元日本担当部長のk・メアの認識などを検討してみる。
現在では、若い人を中心に“空気を読む“という言葉で表わされているが、 ”読空術”なるものが著され、空気の読み方を説いているようである。 この空気を察するということは、その集団の中での和というものを 重んじることから発生してきていると考える。
しかし、その空気というものはそれを造る人がいるわけで、力の強いもの ・権力者の意見がその集団の空気というものになっているのではないだろうか。
広田千悦子の“ほんとうの和の話
まずは、広田千悦子の“ほんとうの和の話”2013年1月26日付から観て行こう。
“日本人が大切にしてきたほんとうの”和“とは、ルールにがんがら締めにしたり、 自分の意見を我慢したりするものではなく、大切にすべき芯を中心に据えてさえいれば、 揺らがず、感性や感覚を良く働かせば様々なものに出会い、古いものを敬い、 新しいものを生み出していく精神だと理解できると思います。
ほんとうの”和“とは、排除とは逆方向にあるもの、無限に広がる世界を 構築するための大切な要素なのです。
それに気ずき、実戦できるようになるためには、ひとりひとりの自立が 問われるかもしれません。もしかするとそれが大変だから皆、忘れて、 安易な“和”に走ってしまうのかもしれません。“引用終
。
丸山真男が“ある自由主義者への手紙”
次に、丸山真男が“ある自由主義者への手紙”の中で“和”について語っている。 政治学者の視点から観た“和”というものはどういうものであろうか。以下引用
“シニカルに響くかもしれないが、僕(丸山真男)にいわせればヨーロッパや アメリカはいざ知らず、日本の歴史は階級闘争の歴史よりもむしろはるかに多く、 被抑圧者が、陰でブツブツいいながら結局あきらめて泣き寝入りしてきた歴史である。
論より証拠、日本は古来,尚武の国として戦争は盛んにやりながら、本当の下からの革命は いまだかって経験したことがない。
その限りで、家族主義に基ずく“和”の精神が日本的統治のうるわしき伝統だという 例の国家史観も歴史的現実のある面を映し出していると思う。
ただその“和”というのが平等者間の“友愛”でなく、どこまでも縦の権威関係を 不動の前提とした“和”であり、したがって、あたかもこの権威に不敵にも挑戦し、 もしくは挑戦の恐れありと権威者によって認定されたものに対しては、すなわち “恩知らず”として恐るべき迫害に転化するというメダルの裏を意識的無意識的に 見逃している点にまさにこの史観のイデオロギー的性格があるのだ。
こうして“和”と“恩”の精神は、大は国家から小は家族まであらゆる集団に ちりばめられて、福沢のいう“権力偏重関係”を合理化することによって、 それぞれの社会における支配者・上長を果てしのない偽善ないしは自己欺瞞に陥らせた。
支配者は常に“和”の精神の権化であり、その性質上先天的に紛争の原因とはなりえない。 紛争は常に服従者が邪悪なる分子に煽動された結果である。だからこの無知低級な者ども に早まって、権利を与えると何をしでかすかわからない。
若かず、親心によって 大衆を徐徐に育成し、その成長をまっておもむろに権利を与えんにはーーー これが維新以後今日まで、支配層ないしそのイデオローグが民主主義の拡充に 反対する際に用いる驚くほど共通した論理だった。“引用終
。
丸山真男は日本の社会構造そのものが戦前からの支配層による強靭な勢力があり、 それが“和”という仕組みにより支配を強めている。支配者は常に“和”の精神の 権化であると喝破している。
会社社会の中でも“和”というのは、社長の言葉に従うということになる。 異をとなえることは、“和”を乱す奴だ、空気が読めない奴だ。ということになる。
k・メアの発言 ケヴィン・k・メア
さて、日本の“同盟国”であるアメリカはどうみているのであろうか。 元日本担当部長であり、そして当時は国務省対日支援調査役であった、 ケヴィン・k・メアはアメリカで大学生に対し、日本の“和”について語っている。
アメリカ国内でアメリカ人の学生相手の講演だったので本音を語ったのであろう。 学生などに日本の“和”についてこういう話をしているのは、アメリカ人の日本観の 現れであろう。
“日本文化は合意に基ずく”和“の文化だ。しかし、彼らは合意というがここでいう 合意とは”ゆすり“で日本人は合意文化を”ゆすり“の手段に使う。 合意を追い求めるふりをし、出来るだけ多くの金を得ようとする。
沖縄の人は、日本政府に対する“ごまかし”と“ゆすり”の名人だ。“引用終
さて、あなたは日本の“和”の文化をどうとらえているのだろうか。自分にとって “和”とは何か、日本の“和”の文化とは何か、しっかり考えることが必要だと思う。
自分の生活の中で、職場やサークルや家庭内などで、あるいは政治の世界で どのように機能しているのか、自分自身で検証することだ。
自分自身の生活の中でどのような形で、根ずいてしているのかどうかを、上記三氏、 広田千悦子、丸山真男、アメリカ人のケヴィン・k・メアの考え方を参考に熟考することだ。
日本に長く住み、アメリカの国益を最大にする対日政策の責任者の一人であった k・メア(元アメリカ国務省東アジア太平洋局日本部部長)の認識が 和の文化を”ゆすり”としか 観ていないことなど、アメリカの視点も参考になる。論評外ではあるが。
ケヴイン・k・メア (アメリカ国務省東アジア太平洋局 日本部 部長) アメリカ在日大使館政治軍事部長、2009年アメリカ在沖縄総領事を歴任)
追記であるが、沖縄県では県議会を初め全市町村がk・メアに対し、 抗議の決議を2011年3月10日までに行っていると聞く。
k・メア 2011年3月10日解任
<追記>
”和をもって貴しとなす。”聖徳太子が造った17条憲法の第一条
<参考>空気について
”システムを壊している当事者たち自身さえ 自分が何でそんなことをしているのか意味がわかっていない。
なんとなくそういう”空気”なのでそれに流される。
日本人が”空気”と呼んでいるのは、しばしば抑圧された無意識の 衝動が漏れ出していることをいうんです。どうして”そんなこと”を するのか当の本人が意識化出来ないし、言語化できない。
だから止めようがない。”
日本戦後史論 内田 樹 p154
<データ>
ほんとうの和の話 広田千悦子 2013年1月26日
ある自由主義者への手紙 丸山真男 世界 57号 昭和25年9月
k・メアの発言 ケヴィン・k・メア ハイジの窓 2011年3月11日
日本戦後史論 内田 樹、白井 聡 2015年2月28日
