無条件降伏したとはいえ、その保有する軍事力の90% を撃滅されたドイツと違い、 当時の日本本土にはまだ巨大な武装陣地であった。
そこに申し訳程度の部隊を引き連れ上陸するというマッカーサーの 当初の大変な軍事的危険―日本軍57個師団、14個旅団、45個連隊に対する 米軍は2個師団半という明らかなギャンブルーの当否は、おそらく後世の 軍事関係者たちが判断をくだすだろう。
なにしろ、日本の東海岸にある全ての戦略上の上陸地域は日本軍によって 完璧に固められていたし、しかも、これらの地域は沖縄に比べれば、 はるかに大きな戦闘力をもっていた。本州、九州、四国に至る東海岸沿いには、 戦略的上陸適地が5,6ケ所あった。
日本の大本営は、米軍がこれらのどこに上陸しても多大な損害を与えるだけの 十分な師団、旅団を保有していたのである。
沖縄では、日本軍はわずか2個師団半の兵力で米軍の上陸作戦に際して、 わが方に合計4万から6万名の死傷者を出させた。 それに加えて、あの神風特攻という玉砕攻撃まで敢行してきたことを 忘れてはなるまい。引用終
<追記>
マッカーサーは占領政策を円滑に行うため、天皇を利用したという 事である。自国アメリカの国益のために利用したのである。
日本本土だけで267万人もの、ほぼ無傷の兵力を残存させながら降伏し、 何の抵抗もなく武装解除出来たことは、天皇の力というものがいかに すごいことであるかということを、マッカーサーに認識させたことになる。
なにしろ、当時の日本は、アメリカ軍が上陸してきたら婦人や子供にまでも 竹やりを持って突撃させる訓練を日夜していたのだから。 原爆で大量殺戮する状況下で、なんと馬鹿なことをしていたのかと思うが。
日本本土だけでも267万人の武装兵力・戦闘力、陣地を持ちながら、 降伏した事例は、歴史上、ないのではなかろうか。 ドイツは首都ベルリンが陥落するまで闘っている。
降伏したと言えども、兵士全員の武装解除は大変難しい。 どこの世界でも強固派、徹底抗戦派などがかならずいるからである。
イラクにしろ、アフガニスタンにしろ、兵士は武器を捨てることなく、 武器と共に普通の市民に溶け込みアメリカ軍に抵抗し、 世界最強といわれるアメリカ軍を6−7年間で撤兵を考えざるをえない状況に 追い込んだことに 比較すると、日本の特色がわかるのではないだろうか。
ちなみに、アメリカ軍は、戦争末期、日本本土への侵攻作戦として、 相模湾に対する上陸作戦も アメリカ軍は立案しており、オリンピック作戦という作戦名 であったそうである。
もし、本土決戦となり、アメリカ軍の上陸作戦が実施され 湘南地方が戦場となり、沖縄戦のような地上戦になっていたら、 多くの日本人、親たちが死んでしまい、 現在、生まれていない人たちが沢山いただろうと思う。
またその後、朝鮮戦争でアメリカ軍が押されている時であったと思うが、 日本再上陸作戦として、相模湾の茅ケ崎海岸に実際に上陸の演習を アメリカ軍が実施したと言われている。
<データ>
GHQ 知られざる謀報戦 C・A ウイロビー
敗北を抱きしめて ジョン・ダワ―