読書のすすめ GHQ知られざる謀報戦 C・A ウイロビー
戦後の日本に対する謀報活動の元締めであった。極度の反共主義者 [2016年12月10日(Sat)]
読書のすすめ GHQ知られざる謀報戦 C・A ウイロビー
現在、日本の戦後史が話題となってきているが、それもアメリカ側から、 当時の機密事項であったことが公開されたり、暴露されたりして その内容が明らかになってきている部分がある。すでに戦後70年たち、 戦後の新たなスタートを切った日本がどのような状況下におかれていたか、 それもアメリカ側から視た日本の姿がどういうものであったのかも 知る必要がある。 自伝という形でのC・A ウイロビーは、占領軍として日本に進駐した アメリカ軍のN0、2として、マッカーサーの副官として進駐し、 マッカーサーに最も忠実であった人物である。 アメリカ軍の少将として謀報部門というダーテーな役割をになったのであるが、 自伝であるので、危ういところは触れず、綺麗事を述べているという印象 が強いが、それでも同僚の足を引っ張るような内部の事を詳しく書いているの にはうんざりさせられる。 しかも、競争相手の同僚の個人調査をかなり綿密にして、 これで失脚させたこととか、これも驚かされるが、内部のことも詳しく 調べていたのだから、日本の事もかなり詳しく調べていたと推測できる。 日本人の主要な人物は全て調査されたと思われる。そして、アメリカの エイジェント{スパイー協力者}に一部の日本人を仕立てた部署でもある。 その辺のところは書いていないが。米軍の暗号コード名を持つ人が いたことは、最近わかってきている。 戦後の日本に対する謀報活動の元締めであった。極度の反共主義者でも あったと言われている。 そこに、マッカーサーが天皇をどう見ていたかというようなこと、 日本をどう見ていたかというようなことも、少し見えてくるので その一部を下記に引用したい。 以下引用 マッカーサーは全て計算済みだった。彼は絶対に失敗を犯さない人間である。 彼は天皇の権威が降伏後の日本でも、なおかつ、絶大であることを知り抜いていて、 いわばこれを利用したのである。 ソ連は天皇を戦犯として裁くよう騒ぎ立て、天皇を絞首刑に処することを 主張したが、それは全くの近視眼的と言わなければならない。もし共産主義者の主張を受け付けていたら占領は、あれほど円滑に おこなわれはしなかったであろうと今でも思っている。 日本人が従順だったのは、天皇がそうさとされたからであり、 マッカーサーが日本人の心境を巧みに操作できたからである。(中略) 史上に類がない武装解除を行ったが、降伏日現在、日本軍は陸軍154個師団、 その他36旅団、主要海軍部隊20個部隊、合計698万3千人を数えた。 このうち日本本土には57個師団、14個旅団、45個連隊、その総兵員数257万6千人 がとどまり、他の日本軍部隊は、満州からソロモン群島を経て、 中部太平洋に{旧南洋諸島}、南西太平洋の諸島におよぶ大きいアーチ型の 中にちらばっていた。 無条件降伏したとはいえ、その保有する軍事力の90% を撃滅されたドイツと違い、 当時の日本本土にはまだ巨大な武装陣地であった。そこに申し訳程度の部隊を引き連れ上陸するというマッカーサーの 当初の大変な軍事的危険―日本軍57個師団、14個旅団、45個連隊に対する 米軍は2個師団半という明らかなギャンブルーの当否は、おそらく後世の 軍事関係者たちが判断をくだすだろう。 なにしろ、日本の東海岸にある全ての戦略上の上陸地域は日本軍によって 完璧に固められていたし、しかも、これらの地域は沖縄に比べれば、 はるかに大きな戦闘力をもっていた。本州、九州、四国に至る東海岸沿いには、 戦略的上陸適地が5,6ケ所あった。日本の大本営は、米軍がこれらのどこに上陸しても多大な損害を与えるだけの 十分な師団、旅団を保有していたのである。 沖縄では無条件降伏では、日本軍はわずか2個師団半の兵力で米軍の上陸作戦に際して、 わが方に合計4万から6万名の死傷者を出させた。 それに加えて、あの神風特攻という玉砕攻撃まで敢行してきたことを 忘れてはなるまい。引用終 |