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和歌山県和歌山市の御城を散歩 紀三井寺 和歌山城 [2016年12月06日(Tue)]
和歌山県和歌山県の御城を散歩

若い時の思い出
30年ぶりに和歌山市に行って来た。若い時は、住友金属工業 (現新日鉄住金)和歌山製鉄所に足を運んだ。南海―インドネシアだったと思うがーにビンタン島という島があり、 そこから鉱石を運んでくるのがビンタン丸という鉱石運搬船であった。

商船三井か、第一中央汽船が運航していたはずだがどちらであったかは忘れた。 何故かそのことだけを記憶していた。  当時、若かったし、仕事が忙しかったことも有り、和歌山に来ても 仕事だけして直ぐ東京にトンボ帰りで、和歌山市内とか、和歌山城とかに 立ち寄る時間がなかった。

ようやく時間が出来て、近くにいる親戚のものを見舞う傍ら、 やっと和歌山市内を廻ることが出来たのである。現在も現役と同じで、現役時代とはハタケ違いの 福祉・介護のNPO法人の代表として、 9時から19時頃まで出社している。貧乏暇なしである。


紀三井寺
 紀三井寺にまず訪問した。和歌の浦の美しい海岸沿いから町に入り、  西国観音霊場第二番札所救世観音総本山である紀三井寺の階段を上った。
この階段は、急なうえ、休むところというか遊びのところがなく、 一気に登るような500段以上の上に本堂があった。 この階段を登るには下から見上げると、登るのを躊躇するような、 気後れするような、そんな印象を与えるほど急な階段であった。。 雲の上に本堂があるような錯覚に陥る。笑

本堂は江戸時代の宝暦9年(1759年)建立されている。 多宝塔は室町時代の文安6年(1449年)の建立という。境内は高台にあることも有り、 和歌山市街と和歌の浦を見渡せる眺望は素晴らしいものであった。大千手十一面観音菩薩様の慈悲の御光に包まれ、下山した。



和歌山城
 和歌山城に行って来た。素晴らしい堀と石垣がそのまま残り、 江戸時代の御城がそのまま残っていた。江戸時代後期と第二次世界大戦 の戦災による2度にわたる焼失から蘇ったのであるが、 堂々たる城構えであった。

姫路城、松山城と並んで日本三大連立式平山城と称されている。 豊臣秀吉の命により、弟の羽柴秀長が天正13年(1585年)に築城した。 普請奉行は籐堂高虎が受け持った城である。
徳川御三家の城であるが、水戸の徳川家には城がなく、紀伊の徳川家は 堂々たる城構えであり、 余りにもの差に驚いた。日本の城らしい美しさと機能性が残されており、 外国の観光客も増加しているようである。

当日もアメリカ人や、中国人の 観光客が熱心に見て回っていた。城の階段もかなりあり、 杖を無料で貸し出しているのはありがたかった。天守閣からの眺望は素晴らしいものであった。和歌山市内を眼下に見て 天候が良ければ遠く、四国まで見られる平城としては要害な作りであった。 個人的な印象では熊本城に構えが似ている気がした。

 展示場には武具として鉄砲も展示されていたが、堺の鉄砲鍛冶に近いのに もかかわらず、近江長浜の國友銘の鉄砲も展示されているには驚いた。 國友は江戸時代に幕府天領となり、幕府御用鉄砲鍛冶となっていたから、 紀伊徳川家にも配備されたのかもしれない。 そんなことをつらつら考えながらお城の中を散策した。

和歌山はやはり、和歌山ラーメンである。2012年和歌山味匠に選ばれた 鯛ラーメンが旨いそうである。残念ながら当日は食べ損ねた。
そんなことを、聞きながら、眺めながら和歌山市内を散歩した。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 09:40 | 旅のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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