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”今でしょ”の”今”とは何か? アリストテレスの時間論より  [2016年11月28日(Mon)]
”今でしょ”の”今”とは何か?
アリストテレスの時間論より

"今でしょ”の“今”とはどういう概念なのか。
我々は、“今“という言葉をいとも簡単に使っているが、 では“今”とは一体どういうものであろうか。
この命題は、アリストテレスの時代から時間論として考察されてきている。
“今”とは何かということは“時間”とは何かを問うことになる。

“今”とは、過去と未来という時間の流れの一時点という位置にあるが、 その時点ということはどういうことを意味するのだろうか。
“今”という時間を、問い、考えてみよう。

アリストテレスは時間
アリストテレスは“時間とはまさにこれ、すなわち、前と後にかんしての 運動の数である”と定義している。ハイディガーは“時間の概念について 後続の説明は、すべて根本的に、アリストテレスの定義に依存している” と書いている。

アリストテレスの表現によれば、“・・・”今“は、まさにその当のもの としては同じである。――但しそのどうあるかは異なるがーーそして、この “今”が、時間の前と後ろとの区別があるかぎり、そのかぎりでの時間 を区別するのである。

だから“今”は、ある意味で同じであり、ある意味では同じでない、 すなわち、あるもののうちにあり、また他のもののうちにあるもの としてのかぎり、“今”は常に異なるものであるが、 しかしまさに当のものとしては、同じものである“ということになる。

“今”は時間を連続させるものである。もっとはっきり言うと、 “今”は過ぎ去った時間と将来する時間とを連続させるものといいうる。 だが同時に“今”は時間の限界でもある。すなわち、限界であるというのは、 “今”が時間の終わりであるとともに始めだからである。 但し同じ時間でのそれではなくて、過ぎ去った時間の終わりであり、 また将来する時間の始めだということである。



ハイディガーの“存在と時間
ハイディガーの“存在と時間”によれば、時間に対する“現存在”の 本来的な関係が、その開かれ、投げ出されたー存在をあらわにしつつ、 可能な限り実現し、“覚悟“されるのである。

“運命”は、確かに行く 先や定めを指し示すのではなく、そこでは“今”現存在にとって、 時間化する脱自が展開するあそこに送りだされていることが本質的な 事態であるという事実、その事実性を指し示している。

すなわち“現存在”に対して存在がその無能であると同時にその能力 として展開するあそこのことなのだ。 それは何か一つの存在者“であることのできない無能と、 もろもろの可能なものへの能力のことである。ということである。
        知を求める意志はどの場合も問いのかたちをとる。”

<データ>
ハイディガーとユダヤ人  J・F リオタール p157
アリストテレスの時間論  村上恭一 p10
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 09:20 | 読書のすすめ | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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