新渡戸稲造が伝えた武士道 武士道の徳目により日本の国民性が形成 3 [2016年10月31日(Mon)]
武士道の徳目により日本の国民性が形成
このような武士道独特の徳目は、武士階級だけに限られたもの ではなかった。時と共に、それ以外の階級の日本人たちも武士道 に感化されていき、 日本の国民性というものが形成されていったのである。 <データ>侍心得 、 "新渡戸稲造が伝えた武士道より"より引用。 見出しは小生がつけたもの。 武士とは 武士は、社会全体への義務を負う存在であるとして己を認識していた ことである。武士としてそれを自覚していることが、 武士が武士たる所以である。とわたしは思う。 欧州では貴族・騎士階級は5−7%であり、階級差が歴然とあったそうだが、 日本は、武士階級は15−17%もおり、文化的かきね はあまりなく、共有していた部分が多かったのではないかと思う。 武家に町の娘さんが行儀見習いで奉公に行くのは一般的だったようだ。 新渡戸稲造著”武士道”は文庫本でも出版されていますので是非、読みなおし されてみてください。 <補足>フクシマ第一原子力発電所が、地震と津波により、3月11日に 爆発事故を引き起こした時に、そこに、経済産業省・原子力安全・保安院の エリートが7名いたが、3日後には全員、独断で逃げ出していたそうである。 安全・保安院の職務からすると、いかがなものか。 津波などと違い、殉職するわけではないし、放射能は多くの国民が浴びている。 日本女性は一流だが、男性も同じだが、安全・保安院のエリートは残念ながら、 少なくとも武士の精神の末裔(継承者)ではないだろう。 大丈夫の死ぬべき時に死にもせで猶蒼天[そうてん]に何と対(こた)へん。 吉田松陰 少し古いのではないかと思われる方もおられるとは思うが、日本人の原点は、男性も女性も武士道の精神にあるのではないだろうかと考える。 危機的局面に際し、その神髄が日本人としての行動に出てくると思う。日本文化の底流に流れている武士道の精神が、自然と発揮されてくるものと考える。東日本大震災のおりの関東、東北の被災者たちの沈着な行動はその精神が顕在化したのではないだろうか。地震と津波に向かって走る消防団員は普段は勤め人であったりしているのだから。 |