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地震と津波 東日本大震災の南三陸町の悲劇 2 日本女性は世界で一流だ [2016年10月30日(Sun)]
若き女性が避難放送を最後まで続け殉職
この街の防災対策庁舎(3階建)にて、津波が来襲する直前まで、 防災無線で町民に避難を呼び掛けていた遠藤未希さん[24歳]は津波にのみ込まれ 殉職されている。逃げずに最後までマイクをもって放送をしていたのは 痛ましく思わずにはいられない。
けなげというか、本人は気負いもなく多分淡々と、しかし必死に避難を 呼びかけただろうと思う。当人にとっては普通の事だったのかもしれない。

責任感のあるケアマネージャー殉職
同じくこの大震災時に、確か釜石市であったと思うが、いったん、 高台に避難した女性のケアマネージャーの方が、担当利用者が1名いないのに 気が付き、周囲が止めるのを振り切り、車で探しに行き、 そのまま帰らぬ人となった。という話を一緒に避難していた夫の方が淡々と 話していたのが印象に残る。
"多くの犠牲者が出ており、うちだけではないですから" とその方は最後に言われていた。すばらしいケアマネージャーを失ったと思う。 涙が止まらなかった。

涙・サハリン{樺太}の電話局のヤマトナデヒコ
昔、読んだ本で記憶が定かでないが、第二次世界大戦でのことであるが、 サハリン{樺太}で、8月15日、 日本軍が降伏したあとにもかかわらず、ソビエト軍(現ロシア)が 攻撃を仕掛けきた。 サハリン{樺太}の電話局の女子交換手8名位が電話局に踏みとどまり 、サハリン{樺太}住民に避難を呼びかけ、ソビエト軍の突入寸前まで 電話業務と避難連絡をして、 最後に全員が青酸カリを服用して自決(自殺)したそうである。落涙。
記憶があいまいなところがあるので或いは 記憶違いがあるかもしれないが。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 10:16 | 天国と地獄 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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