地震と津波 東日本大震災 宮城県・石巻市被害 1 [2016年10月29日(Sat)]
宮城県・石巻市から
3・11の東日本大震災の1年後現地にいった記録である。相当悲惨な被害をこうむっていることを忘れてはならない。 大地震と大津波から1年経った石巻市に10年ぶりに佇んだ。 余りにも変わり果てた石巻市街を見て言葉もなく茫然と立ち尽くした。 昔、仙台から車で新鮮でうまい魚を食しに訪れたこともあるのだが 面影さえもまったくなくなっていた。大きな都市であるがひどい現状であった。 仙台から向かう 内陸を走る高速道路から降りて、石巻市に入った。 この高速道路が土盛りされた高架で造られ、この道路が防波堤となって、 多くの人命と農地、住宅を津波から守った事はよく知られている。 この道路を計画し施行した先達にこころから敬意を表したい。 仙台常盤有料道路ーー三陸自動車道 石巻は鎌倉時代に葛西氏 石巻市は、鎌倉時代に葛西氏が興り、戦国時代には、葛西氏、 大崎氏[現大崎市―旧古川市]、伊達氏が互角に覇を争っていたが、 秀吉の時代に、小田原参陣が遅れたという理由により、 取りつぶされ伊達領に組み込まれた。 その後、伊達藩の港として栄え、明治以降も物流の拠点として 石巻港は発展し、また漁業も有望な三陸沖という魚場をもち大きく発展した。 |