
堺屋太一氏の本名は池口小太郎であるが、小生があったのは沖縄で、通商産業省に在籍していて池口小太郎氏と名乗っていた時代である。
1975年から1976年にかけて沖縄国際海洋博覧会が開催されたが、池口氏は70年の大阪万博を成功させたので、沖縄の海洋博を成功させるためそのアドバイザーとして派遣されてきていた。
沖縄海洋博は、沖縄の日本復帰を果たした直後にそのお祝いの意味を込めて開催されたのである。この海洋博には毎日驚くような数の人々が訪れ、大盛況であった。
この沖縄海洋博には、多くの企業グループが出展し、それぞれ趣向を凝らした展示場を建設していたのである。
小生が所属する企業グループも出展し、その関係から池口氏のアドバイスをいただいていた。
若輩であったが、小生もそれらの会合に参画する事ができて、池口氏の話を聞くことができた。
内容は忘れてしまったが、とにかく博識であること、知識が豊富でしかも語り口がうまく、笑いを誘いながら、説得していくのにはただただ、感じ入ったことを思い出した。
沖縄国際海洋博覧会の影の演出者であった。
先見性にとみ、鋭い切り口を持ながら、巧みな話術により周りを引きこんでいくエネルギーは素晴らしいものがあった。