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歴史との対話 中国の外交官、胡適の洞察力のすごさ [2016年10月26日(Wed)]
歴史との対話
中国の外交官、胡適の洞察力

前にも書いたが、長すぎたので読まれていないと思うので再掲する。

1935年当時の中国の駐アメリカ大使であった "胡適"の言葉が残っている。 第二次世界大戦がはじまる10年前である。 中国の現役[当時]の外交官の洞察力、すごさがでている。
現在に引き戻して考えてみれば、 日本の駐米アメリカ大使は、アメリカの動向について どのような報告を外務省に送っているのであろうか。 興味あるところである。
以下引用
胡適は"アメリカとソビエトをこの問題に巻き込むには、 中国が日本との戦争をまずは正面から引き受けて、 2−3年間負け続けることだ"といいます。 このような考え方を蒋介石や汪兆銘の前で断言できる 人はスゴイと思いませんか。日本でしたら、 このようなことは、閣議や御前会議では死んでも 言えないはずです。これだけ腹の据わった人は面白い。
1935年までの時点では中国と日本は、 実際には、大きな戦闘はしてこなかった。 満州事変、上海事変、熱河作戦、これらの戦闘は どちらかといえば早く終結してしまう。 とくに満州事変では、蒋介石は張学良に対して、 日本軍の挑発に乗るなといって兵を早く退かせている。
しかし胡適は、これからの中国は絶対に逃げてはダメだという。 膨大な犠牲をだしてでも戦争を受けて立つべきだ、 むしろ中国が戦争を起こすぐらいの覚悟をしなければいけない。 といっています。日本の為政者で、 こういう暗澹たる覚悟をいえる人がいるだろうか。
中略
胡適の場合、3年はやられる。しかしそうでもしなければ アメリカやソビエトは極東に介入してこない。 との暗い覚悟を明らかにしている。 1935年の時点での予測ですよ。 なのに1945年までの実際の歴史の流れを正確に言い当てている 文章だと思います。
中略
ここまで覚悟している人たちが中国にいたのですから、 絶対に戦争は中途半端な形では終わりません。 日本軍によって中国は1938年10月位までに 武漢を陥落させられ、重慶を爆撃され、 海岸線は封鎖されていました。
普通、こうなればほとんどの国は手を上げるはずです。 常識的には降伏する状態なのです。 しかし、中国は戦争を止めようとはいいません。
胡適などの深い決意、そして汪兆銘のもう一つの深い決意、 こうした思想が国を支えたのだと思います。
引用終、”それでも、日本人は戦争を選んだ”より、

<データ>
"それでも、日本人は戦争を選んだ" 加藤陽子
"歴史とは何か"            E・H・カー
歴史とは現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話

<追記>外交官は総力を
*これからが、難しい、中国とハードな外交交渉に入ることになるが、 中国の外交官の、胡適のようなすごみを、歴史から学ぶべきと思う。 日本の外務省・外交官は、相手をよく研究し、将来を見据え、 他国の思惑に惑わされず、両国が いがみ合いに陥らないようにねばり強い外交交渉を 進めてもらいたい。
Posted by ゆう東洋医学研究所 at 15:12 | 中国の軍事動向 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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